冷戦とは、第二次世界大戦後のアメリカ合衆国を中心とする資本主義・自由主義陣営と、ソビエト連邦を盟主とする共産主義・社会主義陣営との対立構造である。
概要
第二次世界大戦後の1945年のヤルタ会談から1989年のマルタ会談までの間続き、アメリカ合衆国とソビエト連邦が軍事力で直接戦う戦争は起こらなかったので、軍事力で直接戦う「熱戦」「熱い戦争」に対して、「冷戦」「冷たい戦争」と呼ばれる。(なお、朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガニスタン侵攻などの米ソ両国が直接戦火を交えない戦争は行われている。)
主に西ヨーロッパに資本主義陣営が固まっていたため資本主義陣営を「西側諸国」、東ヨーロッパに社会主義陣営が固まっていたために「東側諸国」と呼ばれる。その後、アジア、中南米、アフリカにも両国に支援された国家、組織の対立、紛争が起きたりしたため世界規模での対立構造になった。
資本主義陣営、社会主義陣営ともに一枚岩ではなく資本主義国同士や社会主義国同士の紛争や対立も行われている。
このアメリカ陣営とソ連陣営のどちらにも与しない国家(開発途上国)は「第三世界」と呼ばれ両国のパワーゲームの舞台となった、この米ソ両陣営の対立構造を「大国の覇権主義」と否定した国々は、インドなどを中心に非同盟主義を主張した。
ソ連崩壊後も北朝鮮、韓国の対立、台湾問題、アメリカとキューバの対立などの問題が残っている。
また、資本主義と社会主義という対立関係が崩れた後は民族対立、宗教対立など世界は多極化の時代を迎える。
鉄のカーテン[1]
第二次世界大戦中、アメリカとスターリンのソ連はナチス・ドイツに対する同盟関係にあったが、1945年にドイツが敗北すると、自由民主主義とソビエト型社会主義の矛盾が前面に現れるようになった。両者はドイツとベルリンのあり方について合意できず、ドイツもベルリンもアメリカ、イギリス、フランス、ソ連によって分割占領された。
西側としては最終的にはソ連が東ヨーロッパの占領地域から撤退し、東ドイツ、ポーランド、ハンガリー、チェコスロバキア、バルト三国の住民が将来を民主的に決定できるようになると理解していた。しかしスターリンにとってこれらの地域でソ連の影響力を保持するという機会を見逃すことはできなかった。また1812年(ナポレオンのロシア遠征)や1941年(独ソ戦)のような西欧からの侵攻を二度と受けまいという思いが強かった。結局ソ連は第二次世界大戦前の国境まで撤退せず、米英と同程度の動員解除もしようとしないことが鮮明になり、1946年にウィンストン・チャーチルはアメリカの大学での演説において、ヨーロッパにはあたかも「鉄のカーテン」が引かれたようだ、と表現した。
東西陣営の主な国
主な西側諸国
- アメリカ合衆国
- カナダ
- メキシコ
- アルゼンチン
- ブラジル
- コロンビア
- ペルー
- イギリス
- フランス(アメリカとは距離を置く)
- ドイツ連邦共和国(西ドイツ)
- イタリア
- スペイン
- ポルトガル
- トルコ
- ギリシャ
- 日本
- 大韓民国
- 中華民国(台湾)
- オーストラリア
- ニュージーランド
- フィリピン
- インドネシア
- パキスタン
- イスラエル
- サウジアラビア
- 南アフリカ
主な東側諸国
- ソビエト連邦
- ルーマニア(後にソ連と対立)
- ポーランド
- チェコスロバキア
- ブルガリア
- ハンガリー
- ドイツ民主共和国(東ドイツ)
- アルバニア(後にソ連、中国どちらとも対立)
- モンゴル人民共和国
- 中華人民共和国(後にソ連と対立)
- 朝鮮民主主義人民共和国(後にソ連と中国と距離を置く)
- ベトナム(ソ連よりで中国、カンボジアと対立)
- ラオス
- 民主カンボジア(中国よりの社会主義国でソ連、ベトナムとは対立)
- アフガニスタン民主共和国
- イラク
- キューバ
- ニカラグア
- エチオピア
- ベナン
- モザンピーク
- リビア
- アンゴラ
- コンゴ人民共和国
中立、第三国
- インド
- スウェーデン(西側寄り)
- スイス(西側寄り)
- オーストリア(西側寄り)
- フィンランド(東側寄り)
- ユーゴスラビア(独自路線を掲げ社会主義国でありながらソ連と対立)
- ミャンマー(軍事独裁政権の元で鎖国政策)
- イラン(イスラム主義を掲げ米ソどちらとも対立)
関連動画
関連項目
脚注
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