- プロ野球選手一覧 > 木村昇吾
木村昇吾(きむら しょうご、1980年4月16日-)とは、大阪府出身の元プロ野球選手、クリケット選手である。
概要
OB | |
---|---|
木村昇吾 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府大阪市 |
生年月日 | 1980年4月16日 |
身長 体重 |
182cm 77kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投左打 |
守備位置 | 内野手、外野手 |
プロ入り | 2002年ドラフト11位 |
引退 | 2017年 |
経歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
尽誠学園高等学校では3年夏に甲子園大会に出場したが、2回戦で敗れた。
愛知学院大学では遊撃手のベストナインを5回受賞した。通算85試合に出場し、打率.318、5本塁打、70打点。
2002年のドラフト11位で横浜ベイスターズに入団。背番号は66。ちなみに、この年のベイスターズは21世紀初の2ケタ指名で、木村は武山真吾と共に初の2ケタ目指名での入団である。
横浜時代
2003年(1年目)は21試合に出場したが、25打数4安打と結果は残せなかった。
その後は主に守備固めとして細々と出場を重ねた。
広島時代
2007年オフに小山田保裕との交換トレードで、岸本秀樹と共に広島東洋カープへ移籍する。移籍後の2008年は主に三塁の守備固めとして試合出場数が初めて90越え。打率も.229と自身最高の成績を残した。
2009年はブラウンシフトに外野手として二回参加した。なお、木村が外野手を守ったことは数えるほどしかなく、ブラウンシフトでは三遊間にポジショニングをとっている。
2010年は東出の故障もあり8月中旬からセカンドのレギュラーを獲得。課題だった打撃でも打率3割をマークするなど自己最高の成績を残した。
2011年は梵英心の故障で7月からショートのレギュラーとなり、主に2番を打った。自己最多の106試合に出場、349打席に立った。
2012年、若手の台頭から出場試合数は減り、71試合に出場したがスタメンはわずか3試合に留まった。
2013年は8月からショートのレギュラーを獲得し、2010年を上回る打率.325をマークしてCS進出に貢献。
2014年は7月まではショートで梵と併用。8月からは田中広輔がショートに定着したため、サードでの出場が多かった。2011年に次ぐ101試合に出場。
2015年は前半戦はサードの準レギュラーだったが、後半戦からスタメン出場の機会が激減。オフに海外FA権を行使する。しかし、35歳という年齢もあってか他球団からは全くオファーがなく、広島は原則としてFA宣言残留を認めないため、FA宣言したまま所属球団なしというセルフ戦力外の危機に陥る。
結局、年末になって埼玉西武ライオンズがようやく手を挙げ、FA選手としては史上初の入団テストを経て2016年から西武に所属することとなった。背番号は0。ファンの間では補償が必要なBランクだったから移籍先が決まらなかったのでは?という疑念もあったが、実際はCランクだったため、広島からは補償を求められることはなかった。
西武時代
2016年は開幕を二軍で迎えたが、4月23日に一軍に昇格。守備固め要員での出場が主だったが、6月22日に右膝前十字靭帯を断裂し、以降の出場はなく戦力外通告を受ける。12球団合同トライアウトもランニングすらままならなかったので受けることができなかったが、11月18日に西武と育成選手契約を結んだ。背番号は121。
2017年6月8日に支配下選手に昇格した。背番号は元の0に戻る。しかしわずか3試合の出場に留まり、オフに再び戦力外通告を受け、トライアウトで再起を図るも叶わず、現役を引退した。
引退後
トライアウトの後、独立リーグから選手兼コーチとして採用したいと声がかかるが、あくまで100%現役の選手としてこだわりたい木村はこのオファーを受けるべきか迷いがあり、そんな中で同級生のスポーツ記者から誘いを受けたことをきっかけに、2018年になんとクリケット選手に転向。
NPBでのプレーを経てクリケット選手へと転向を果たしたのは木村が初である(それどころか、MLBなどを含めてプロの野球選手がクリケットに転向した事例は世界初とされる)。現在は本場であるインドのプロリーグでのプレーを目指し、オーストラリアやスリランカでの武者修行に挑んでいる。
デビュー年である2018年からクリケットの日本代表に選出されおり、40歳を過ぎた今でも最前線で活躍している。
プレースタイル・人物
横浜55年会に加入している。
ちなみに、自身のブログは写真の投稿数が多いことで有名で、こいせんなどに貼られる写真の出所は彼のブログだったりする事がけっこうある。
内野ならどこでも守れるユーティリティープレイヤー。
クリケットに転向してからは日本企業とサポーター契約を結んでおり、日本でのクリケット普及活動にも力を入れている。一方YouTubeでは野球講座も展開しており、野球に対する情熱も失っていない。
応援歌
球団 | レス | No | プレイヤー |
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広島 | 応援歌のピコカキコ一覧#556 | 10151 | |
西武 | 応援歌のピコカキコ一覧#1393 | 14140 |
成績
年度別打撃成績
年度 | 球団 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
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2003年 | 横浜 | 21 | 26 | 25 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 9 | 0 | .160 | .192 |
2004年 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | |
2006年 | 15 | 17 | 15 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 4 | 0 | .133 | .188 | |
2007年 | 10 | 6 | 5 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 1 | .200 | .333 | |
2008年 | 広島 | 94 | 55 | 48 | 15 | 11 | 0 | 0 | 0 | 1 | 6 | 4 | 0 | 2 | 1 | 13 | 0 | .229 | .275 |
2009年 | 69 | 15 | 13 | 15 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 1 | 0 | 0 | 1 | 7 | 0 | .231 | .286 | |
2010年 | 70 | 164 | 136 | 22 | 44 | 10 | 5 | 1 | 11 | 6 | 16 | 0 | 10 | 2 | 33 | 1 | .324 | .378 | |
2011年 | 106 | 349 | 293 | 30 | 76 | 6 | 1 | 0 | 17 | 3 | 37 | 1 | 14 | 4 | 53 | 6 | .259 | .301 | |
2012年 | 71 | 55 | 46 | 10 | 7 | 2 | 0 | 0 | 2 | 1 | 4 | 0 | 3 | 2 | 7 | 4 | .154 | .235 | |
2013年 | 62 | 133 | 114 | 15 | 37 | 1 | 0 | 1 | 12 | 3 | 7 | 0 | 12 | 0 | 18 | 2 | .325 | .389 | |
2014年 | 101 | 253 | 238 | 25 | 62 | 6 | 3 | 1 | 13 | 4 | 7 | 1 | 4 | 3 | 57 | 3 | .261 | .280 | |
2015年 | 72 | 109 | 93 | 14 | 25 | 4 | 2 | 0 | 8 | 2 | 8 | 3 | 5 | 0 | 22 | 1 | .269 | .297 | |
2016年 | 西武 | 38 | 108 | 95 | 7 | 21 | 2 | 1 | 0 | 5 | 3 | 5 | 2 | 6 | 0 | 22 | 2 | .221 | .262 |
2017年 | 3 | 7 | 6 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 1 | .167 | .286 | |
NPB:14年 | 733 | 1298 | 1128 | 156 | 294 | 32 | 12 | 3 | 69 | 34 | 90 | 7 | 58 | 15 | 248 | 21 | .261 | .304 |
関連動画
関連コミュニティ
関連項目
外部リンク
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