風船爆弾とは、日本軍が開発した気球に爆弾を搭載した兵器である。昭和十九年十一月三日より運用を開始。昭和二十年春まで使用された。当時の呼称は気球爆弾。
概要
蒟蒻から作った糊で和紙を固めて出来た気球に水素ガスを入れ、爆弾を搭載して空に飛ばすというもの。高度の維持のため、高度が下がると予めぶら下げられた重りが切れる機構がついていた。
大気高層のジェット気流に乗せて約8000キロを飛ばし、米国の太平洋沿岸部の森林で爆発させて大規模な山火事を発生させ、太平洋戦線の米軍兵力の一部を本土の消火活動に向けさせるつもりだった。[1]
一万発を生産、九千三百発を投入した。制作には女子学生が動員されたが、劣悪な労働環境で働かされたようである。
和紙や蒟蒻と聞いて馬鹿にする人も居るかも知れないが、分子の大きさが小さい水素ガスを気球内部にとどめておくというのは意外に難しいことである。また、当時航空機の発達によって欧米ではようやく知られ始めていたジェット気流を応用した、という点においては実は先端科学兵器だったりする。ほぼ無誘導の世界初の大陸間兵器であり、実戦で使われた兵器としての発射地点から着弾地点までの長さは、今に至るまで最長である。
戦果には、不発弾に触れた家族が六人死亡した以外に小規模の山火事を起こしたこと、プルトニウム製造工場に一時的な停電をもたらしたこと以外はない。
ちなみに、アメリカ軍は和紙で作られたことはすぐ分かったらしいが、その接着剤が一体何なのか最後まで分からなかったらしい。日本には珍しく軍事情報が秘匿された例である。
米国政府としては、米国民がパニックに陥ること、風船爆弾が生物兵器を運び込む可能性、日本側が報道から到達地点や戦果を知りたがっていることは明白であること等を考慮して厳重な報道管制を敷いたが、昭和20年5月にオレゴン州でピクニックに来ていた女性と子供合計6人が風船爆弾を動かそうとして爆発、全員死亡するという事故を契機に報道管制を解除、発見しても近寄らずに報告するように国民に警告した。また、西海岸一帯にレーダーサイト網を作って発見につとめた他、一部の風船爆弾に取り付けられていた発信機からの信号やバラスト用砂の成分分析から、風船爆弾は関東以北の東海岸から放たれていると推定し、放出場所と思われる地域を攻撃したが、日本側は4月の終わりの時点で「風船爆弾はアメリカに到達していない」と判断して攻撃を中止していた。[2]
そして変態紳士の国でも…
実はイギリスでも風船爆弾と似たような作戦が実行されていた。
その名は「アウトワード作戦」である。
この作戦はドイツの送電網がショートに弱く、また森林と草原が広がるドイツは放火に弱いという点をつき、「送電線をショートさせる気球」と「山火事を起こさせる気球」の2種類を飛ばしてドイツを空襲するという作戦である。
日本の風船爆弾に比べると、気球の到達高度は5,000m程を予定する・作りも幾分シンプルなど、話だけ聞けば「まあ英国なら仕方がない」と思ってしまいそうな代物である。
が、よく考えてほしい。
風船爆弾は広大な太平洋を横断してアメリカ本土を空襲するものであるが、アウトワード作戦は文字通りの「対岸」であるドイツを攻撃するものだ。
距離は段違いで短い。日本の風船爆弾よりも単純なものでも間に合う。
何よりその割り切りにより、非常に低コストで気球を製作できる。
実に合理的な考えである。金をかけずに嫌がらせをして相手を疲弊させるのも戦術の一つだ。
紳士的な発想ではなく「合理性」に基づいた割り切りといったほうが近い。
…と、思われたが。
こんなものをさんざん飛ばしたら、今度は逆にドイツを空襲しに行く自軍(や、連合軍)の爆撃機の邪魔になってしまうという問題点もあったとか。
英国はいつだって英国だ。
関連動画
関連項目
脚注
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