ひも理論とは万物の理論、すなわち、この宇宙のすべての物理現象を、それ単一で記述できる理論の候補である。弦理論、ストリング理論とも呼ばれる。派生理論として超ひも理論(超弦理論)、M理論というものがあるが、この記事で合わせて扱う。
これらの理論がもし本当だったとすると、「全ての物質は微細なひもで出来ている」「この宇宙は空間3次元、時間1次元の4次元時空ではなく、実は10次元、11次元、あるいは26次元といった高次元を持つ」という事になるらしい。
つまり……どういう事だってばよ?
概要……の前に
深遠なるひも理論の世界に足を踏み入れる前に、まずは現代物理学のおさらいから始めよう。
現状、我々の宇宙の運動を支配するのは4つの力、電磁力、強い力、弱い力、重力であるとされる。
これらを説明できる、現状でもっとも根本的な理論に、「場の量子論による標準模型」と「一般相対性理論」の2つがある。
場の量子論は4つの力のうち、電磁力、強い力、弱い力を記述する。それによると、物質を構成する粒子やその間に働く力は、粒子と波の二重性を持つ。ある粒子に対応する波とは、その粒子の存在確率を表す「確率波」であり、全ての物理過程はさまざまな粒子の飛跡の確率的重ね合せとして記述される。
一方、一般相対性理論は残る重力を説明するのに使う。この理論では、重力を時空の歪みと捉える。これによって、重力が光をねじ曲げる重力レンズ効果や、重力による時間の遅れなどが説明される。
個々の理論はそれぞれ奥深いので、各自で調べて頂くとして、ここで問題なのは、なぜ4つの力を3つと1つに分けて扱うのか、である。
大きな理由として、二つの理論は、扱うスケールが異なる。 重力が支配するのは惑星レベル、ないしは銀河系レベルという巨大なスケールであり、そこの部分は相対性理論だけでほぼ大丈夫。一方でミクロの世界では「弱い力の千兆分の一、電磁気力の百澗(1の後に0が38個)分の一」という弱すぎる重力など、考えなくて良い。別に理論を一つにしなくても、適材適所で使い分けるだけで、この世の現象はほとんど説明が付いてしまうのである。
ではそれで万々歳かというと、この2つではどうにもならない問題が存在する。
- 無限大の問題 - 場の量子論では「無限通りの粒子の飛跡」が重ねあわされた物を考えるのだが、そうすると無限に高い運動量を持つ粒子を考える必要が生じ、重ね合せの結果として得られるはずの各種粒子の質量などの数値が、計算すると無限大になってしまう。
- 量子重力の問題 - 初期宇宙やブラックホールの中のような極端な状況では重力の量子論を考える事になるのだが、単純に場の量子論に重力場を入れると破綻する。そのため「そういう状況で一体どういう事が起こるのか」という問いに対し、現代物理学は答えを持たない。
- パラメーターの問題 - 標準模型には必須な物だけでも18種類の粒子があり、それらの質量や相互作用の強さを手で与えなければならないが、この具体的な数値がどのようにして得られるのかさっぱり分からない。偶然そう決まったと考えるにしても、出来すぎた値を取っている箇所がある。
これらの問題は互いに関連していて、たとえば無限大の問題はそれ単体ならば、ちょっとした対症療法(繰り込み)で取り除く事が出来るのだが、重力子に起因する無限大だけは繰り込みが通用せず、結果として量子重力の問題が生じてしまうのである。
改めて、ひも理論とは
ひも理論は、これら既存の物理学の問題をまとめて解決する事ができる。それこそが、ひも理論が「万物の理論」の候補であると信じられる理由である。
3つの問題は、言ってみればどれも「粒子の理論の限界」である。
例えば無限大の問題で言えば、これは粒子に大きさがない事に起因している。量子力学において、粒子の位置のゆらぎ⊿xと運動量のゆらぎ⊿pの間には、⊿p⊿x≦ℎ/2(ℎはプランク定数×2π)の関係がある。 これはどういう事かというと、量子ゆらぎによって一時的に生じる素粒子の飛距離と運動量の積が一定値を超えられないという事だが、逆に言うと飛距離が短ければ高エネルギーの粒子が出現できるという事である。粒子には大きさが無いから⊿xはどこまででも小さくする事ができ、結果として無限の運動エネルギーの粒子を考えなくてはならなくなっている訳である。
ならば、考える単位を素粒子ではなく、大きさのあるものにしてしまったらどうか。
そのように使える物体は、わりと限られてくる。まず、相対性理論の世界観において完全な剛体は存在しない(「棒を使った超光速通信」でググってみよう)ので、その物体は多かれ少なかれ弾性的に変形する物体になる。 また、広がりの形が複雑であると計算が煩雑になるから、できれば最低限しか広がりを持たないものを考えたい。 すなわち点状の素粒子を一方向にだけ引っ張り伸ばした、伸び縮みするひも状のものが、素粒子の代替物として最適なものであると考えられる。
以上が、ひもで物理を考えるモチベーションである。 「全てはひもで出来ている」というと、まるで空飛ぶスパゲッティモンスター教の教義のようだが、こうして見れば「消去法で一番シンプルなチョイス」である事が納得できるのではないだろうか。
さらに言うと、ひもが「消去法で一番シンプルなチョイス」でしかないのならば、実際の検証の過程でより複雑な実体が見つかってしまっても文句は言えない事になる。そして、それは実際に見つかってしまっている(後述)。
ひも理論の歴史と現在
その歴史において、ひも理論はわりあい浮き沈みの激しい理論であり、忘れたと思ったら突然新発見があって表舞台に舞い戻る、ということを繰り返してきた。
古い本を読むと、ひも理論の流行は既に過ぎ去ったなどと書いてあって混乱するが、2016年現在、ひも理論は素粒子分野の主流派である。
黎明期
ひも理論が最初に登場したのは、実を言うと重力とは余り関係のない分野である。時は1960年代、原子核の成り立ちなどを研究するハドロン物理の分野において、「原子核を構成する粒子を引き離そうとすると、粒子間の力が強くなる」という謎があった。どういう事かというと、たとえば原子核と電子はプラスとマイナスの電荷で引き合っているが、これを調べる際には電磁気力が距離に伴って作用が弱くなる性質に着目し、電子を外の軌道に弾き出すといった実験がなされた。ところが、同様の実験を原子核の核子やクォークに対して行うと、どうも弾き出そうとする程に力が強くなるらしい。
この現象への説明として「何かゴムみたいな物で繋がっているのでは」というかなり安直なアイデアを真面目に考えてしまったのが、南部陽一郎、サスキンド、ニールセンによる最初のひも理論(1970年)である。
結論から言えば、この理論は全く上手く行かなかった。まず次元の数が26個なくては計算が成り立たなかったし、ひもの振動から得られる粒子には求められていたメソンが含まれるが、フェルミオンという種類の粒子に分類されるバリオンが、ひもの振動から出てくる目途は立たなかった。一方で余計な粒子として、スピン2の粒子と、虚数質量の粒子が登場した。
ひも理論は原子核の理論にはなり得ないが、これを重力の理論と考えたらどうか。重力子はスピン2を持つ粒子であり、前述の余計な粒子とぴったり一致するではないか。そんな声も確かにあった。しかし、当時はまだ場の理論すら整理されきっていない状況であり、研究しがいのある理論はまだ沢山あった。結局この時、ひも理論は一度忘れ去られる事となる。
超ひも理論の登場、あるいは第一次ストリング革命
時は流れて1980年代半ば。素粒子物理を取り巻く状況は大きく様変わりしていた。
標準模型があらかた整理され、いよいよ万物の理論に手が届くかと思われた矢先、最初の方に挙げた3つの難問が立ちはだかったのである。人々は打開の可能性を求め始めた。一方で、冬の期間もひも理論を粘り強く研究していたグリーンとシュワルツは、ひも理論を復活させるアイデアにたどり着いていた。
そのアイデアとは、超対称性に関するものである。一般論として、無秩序な量子の世界を旅するにあたり、理論の対称性は大きな武器になる。超対称性は空間にも絡んだ難しい対称性だが、大雑把にはボソンとフェルミオンを入れ換える対称性と考える事ができる。これにより実際の物質要素として多量に存在するフェルミオンを導出する事が出来たし、タキオンの出現などの論理的不合理を「対称性から禁止」する事もできた。超対称性の導入はそれ以前から考えられていたが、グリーンとシュワルツは長い時間を掛けて、論理矛盾のない最初の超ひも理論(現在ではタイプI理論と呼ばれる)にたどり着いた。これをもって、超ひも理論は重力、そしてすべての物質を記述する理論として一人前になったのである。
1980年代の研究によって、超ひも理論として許される理論は5つである事が確認された。5つというのは驚くほど少ない数で、たとえば標準模型の一部である量子色力学はその「色」としてSU(2)やSO(3)など無数の群を考える事ができるが、ひも理論の「色」はSO(32)とE6のわずか2種類である。
これは最初に挙げた問題の中で「パラメーターの問題」の解決に向けた前進でもあり、また限界でもあった。場の量子論に比べれば可能な理論の数は圧倒的に減ったものの、結局5つの可能性が残ってしまった。また個々の理論がやたらと大きいのも問題で、たとえばSO(32)といえば原色が32色(現実の量子色力学は3色)あるようなものである。時空間の次元数は10に減ったが、これも現実を記述するにはまだまだ多い。ここから現実の理論を導く事は大きな困難が伴うと予想された。
第二次ストリング革命
再び手詰まりになりかけたひも理論だが、1990年代において衝撃的ともいえるブレイクスルーが矢継ぎ早に起こった。
エドワード・ウィッテンは、ひも理論を超越する理論として、時空間が11次元のM理論を考案した。超対称性の関係から、11次元の理論が一種の「究極」である事は予想されていたが、ウィッテンの凄かった点はそれを既存のひも理論と「双対」という仕方で関連付け、さらには既存の5種類の超ひも理論同士の間にも同様の双対関係を見出した事である。
ジョセフ・ポルチンスキーは「Dブレーン」という新たな対象を見つけた。ブレーンは「膜」という意味の英単語で、Dブレーンとはひもが凝縮してペラペラに広がった物体である。「ひもは膜状に固まる性質があるんだよ」と聞けば、まあそんなもんかと思わないでもないが、これが空間のありように密接に関係しているという事が分かって業界は騒然となった。
例えば、普通の重力理論におけるブラックホールは「重力方程式の解(=空間が取りうる状態のうちの一つ)」「素粒子(重力子)が凝縮したもの」という2種類の捉え方が可能だが、Dブレーンはこれのひも版と考える事ができる。さらに、Dブレーン上には別のひもが繋がる事ができ、こうして結びついた開いたひも(重力子に相当する輪になったひもではなく、両端を持つひも)がゲージ場の理論、現実の世界で言うところの量子電磁力学や量子色力学の物理を再現する事が分かった。
逆に考えると、我々の世界に量子電磁力学や量子色力学があるという事は、我々は今まさにブレーンの上で生活しているのかもしれない、という想像すら可能になるのである。この見方は、ひも以外の高エネルギー物理や、さらに宇宙論にも影響を与えた。
ゲージ・重力対応の発見
第二次ストリング革命がたどり着いた一つの境地が、フアン・マルダセナという人が見つけた「ゲージ・重力対応」である。これまで述べたように、ひも理論は「重力理論」「ゲージ場の理論」の両方を本質的に内包している。ひもの長さが無視できるような極限を取る(ひも理論は元々超ミクロの理論だから、ひもが単なる粒子に見えるくらいにカメラを引いてみるように想像するとよい)と、ある場合にはゲージ理論、またある場合には重力理論が現れるのである。
そこで、マルダセナは双対性とブレーンを巧妙に用いて、同じ極限でも取り方によってゲージ理論になったり、重力理論になったりする状況を考え出した。得られたゲージ理論と重力理論は同じ物理を記述しているはずだから、重力理論側で起こる何らかの現象がゲージ理論を使って説明できたり、その逆ができるという訳である。
実際に、このやり方で未解決物理の一つである、クォークの閉じ込めやバリオンの物理を重力理論の問題に移し替えることができ、ラフにではあるが説明を付ける事が可能である。一方で宇宙論の側では、ブラックホールの近くで次元の違う物理が関係している可能性があるというホログラフィー仮説がベッケンシュタインやトホーフトらによって唱えられていた。ゲージ・重力対応は、その具体的モデルを提示した最初の例となったのである。
元々、ひも理論は「仮に本当だったとしても、その効果が現れるのは初期宇宙かブラックホールの近傍くらいであり、本当かどうか検証するのは不可能に近いだろう」といわれていた。しかしこの発見により、「ひもが本当に存在するかは定かではないが、ゲージ理論と重力理論が何らかの形で対応しているのはどうも確からしい」という、ひも理論による具体的成果というものが得られてしまった事になる。
まとめ
このように、当初において原子核の物理として考案されたひも理論は、重力理論として発展し、その道の途中で重力と核物理の関係をリファインするという成果を挙げた。これは偶然という訳ではなく、原子核の中で部分的にひもの物理が再現されていたという事実にほかならない。具体的成果を得た事で、ひも理論の研究は更に盛り上がる事となる
今もってひも理論は、興味深い数学的対象として、あるいは原子核や重力の振る舞いを理解するツールの一つとして、そして依然として万物の理論の候補として、発展途上の理論である。
研究者・関連人物
創始者
著名な研究者
- エドワード・ウィッテン
- スティーブン・ホーキング
ツンデレなので、ひも理論を批判する事もあれば成果を用いる事もある
- ミチオ・カク
- ブライアン・グリーン
注:超ひも理論のマイケル・グリーンとは異なります
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関連項目
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