やるせないたかしとは、90歳を超えても日本を思い活動を続ける、究極の正義である。
概要
何の為に生まれて
何をして生きるのか
答えれないなんて
そんなのは....
何が君の幸せ
何をして喜ぶ
分からないまま終る
そんなのは嫌だ...
時は 早く 過ぎる
光る 星は 消える
だから 君は 往くんだ
微笑んで
そうだ 嬉しいんだ
生きる 喜び
たとえどんな敵が相手でも
嗚呼 アンパンマン
優しい 君は
ゆけ 皆の夢 護るため...
そうだ
嬉しいんだ
生きる 喜び......
やなせたかし
1919年2月6日生まれ。90歳を超えた現在も活動を続けている。
高知県生まれ。東京朝日新聞の特派員だった父がアモイで亡くなり5歳の時、両親の郷里・高知県に移る。1941年に徴兵され、野戦重砲兵として日中戦争に出征する。乙種幹部候補生に合格し、主に高等司令部において中国人・中国兵向けのプロパガンダ宣伝ビラ(伝単)の制作を担当した。最終階級は陸軍軍曹。(なお、やなせ氏の弟御は海軍の特攻隊員で22歳で戦死されている)終戦後はクズ拾い、高知新聞記者、三越宣伝部のグラフィックデザイナーになり、三越在社中に漫画集団に所属する。ストライキを機に三越を辞め30代半ばで専業漫画家となる。高知新聞記者の小松暢と結婚するが子供は無く、アンパンマンを二人の子供であるとしている。
アンパンマンの作者としてだけでなく、「手のひらを太陽に」の作詞者としても知られる。
やなせたかしのヒーロー像
やなせたかしがアンパンマンを生み出した背景には、戦中・戦後の深刻な食糧事情があった。この当時彼は、空腹を抱えながら「食べ物が向こうからやって来たらいいのに」と思っていたという。この自らの飢えの体験から「困っている人に食べ物を届けるヒーロー」という着想が生まれた。
2007年7月27日放送のなるトモ!(読売テレビ制作)にやなせ本人がインタビューに答え「究極の正義とはひもじいものに食べ物を与えることである」と述べている。また、主人公をあんパンにした理由を「外の皮はパン=西洋、内側はあんこ=純日本。見た目は西洋でも心は日本人である。」と解説してい る。
空腹の者に顔の一部を与えることで悪者と戦う力が落ちると分かっていても、目の前の人を見捨てることはしない。かつ、決してきらびやかな格好ではなく、泥色のマントを肩にかける。
それでありながら、たとえどんな敵が相手でも戦いも放棄しない。これらの点について
「ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、
そしてそのためにかならず自分も深く傷つくものです」
と自伝にて語っている。
動画に投稿されたタグ一覧
- バタ「それが最後の顔よ…それでも行くの?」
- カバ「…貰ったアンパンが…しょっぱい」
- ジャム「今日はチーズがよく吠えおる」
- カレー「辛くない戦いなんてないんだ…」
- ショク「国へ帰ったら…ドキンと結婚するんだ」
- 甘かったのはアンコではなく俺達
- 必ず…君を守るから…
- バイキン「ドキンのこと、頼んだぜ・・・」
- ドキン「待って!私が本当に好きなのは・・」
- アン「これが、僕が生まれてきた本当の意味」
関連動画
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ページ番号: 4158371
リビジョン番号: 1347455
読み:ヤルセナイタカシ
初版作成日: 09/09/12 17:18 ◆ 最終更新日: 11/11/11 03:57
編集内容についての説明/コメント: 生年追加
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