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単語記事: アダムとアダム

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の表記 アダムとアダム
英語 Adam and Adam
発音記号 ædəm ənd ædəm
中国語
簡体字 亚当和亚当
亚当和亚当
上海 亚当和亚当
台湾
漢文 亜富亜富
ひらがな あだむとあだむ
万葉仮名 多者登多者
ラテン語 Adam et Adam
ギリシア Adam kai Adam
ブライ אָדָם גַם אָדָם
ラビ آدم و آدم
ペルシア آدم و آدم
イタリア語 Adamo e Adamo
ロシア Adam i Adam
スペイン語 Adan y Adan
ドイツ語 Adam und Adam
フランス語 Adam et Adam
ヒンディー एडम और एडम
エチオピア የምስል ስለ የምስል
トルコ Adem ve Adam
ベトナム AdamAdam
エスペラント Adamo kaj Adamo
ナヴィ Adam si Adam
妖精 Ollor od Ollor

 

アダムとアダムとは、が創造した一番最初の人間の名前。人類の歴史はすべてアダムが住むエデンから始まった。上の絵はミケランジェロ作『天地創造』。

創世記

はじめに空耳があった。空耳視聴者によって書かれた。空耳であった。アダムとアダムを創造し、戯れさせた。は二人の妖精たちに、妖精のための言であるエノクを教えた。アダムらは地球上にあるすべてのものの言葉を覚えた。準備が整い、は次のようには仰られた。

あれ」

太陽と月が生じた。それらの体によりが生じた。夜空星屑をばらまき、にはそれらの々がいた。には太陽が地を照らし、木が生え、には森のクマさん妖精とともに住んだ。その場所はエデンと呼ばれた。エノク妖精の地という意味である。

注釈:創世記はガチムチの始まりが記された書物
」=一番最初に空耳を書いた視聴者
アダムとアダムを創造し、戯れさせた」=ガチムチネタにした
エノク」=空耳
地球上にあるすべてのものに名前を付けた」=空耳をたくさん書いた
あれ」=いろんなMADを作ろう
太陽と月が生じた」=MADが栄えた
「エデンと呼ばれた」=レスリングシリーズと呼ばれた

アダムとアダムの創造

ダイヤモンド・キス 「男はを離れて男と結ばれ、二人は一体となる」(創世記2章24節)

言葉地球を創った後、自らの姿に似せてを集めて人を作った。エノクで「アダマー」であり、そこから作られた生き物だから「アダム」と言うことである。すなわちアダムとは「人」と言う意味である。そしては「アダムが一人だとかわいそうだ」と歪みねぇ優しさを見せてアダムにすべての地上の被創造物に名前をつけ、そのうちの一つをアダムと共にあるものとして選ぶよう命じた。アダムはすべての生き物に名前をつけ終えたが、共に在るものを選ばなかった。そこでアダムを眠らせ、陰部のを抜き取り、それを元に新たなるアダムを作り出し、アダム(1)にあてがった。

かくしてアダムとアダムは誕生した。

注釈:人間の陰部にはないが、にはある。ゆえに人間は進化からではなくアダムから誕生したといえる。

ゲイパレスの園

ミケランジェロ作『エデンの園』

アダムとアダムは最初と共にあったが、アダムとアダムゲイパレスの園を与え、そこに住むようにした。

そしては「この楽園に生るすべての実を食べなさい。そうしたならあなた方は永遠に生きることが出来る。しかし、園の中央にある『ノンケ』と『イグ』に生る実を食べてはいけない。そうしたらあなた方は死ぬことになる」と言われた。

アダムとアダムはこれに了解し、仲まじく全裸で戯れた。これを見たは「まるで妖精ダンスをしているようだ」といわれ、彼らを森の妖精と呼ぶようにした。

参照:ゲイパレスの記事のはじめの項に本記事アダムとアダムからの引用がある

楽園追放

ある日楽園でいつものようにかくれんぼをして戯れていたアダムとアダム。隠れていたアダム(1)にが近寄り、言った。「何であのノンケの実を食べないんだい? とてもおいしいよ?」 
しかし、アダム(1)は「に禁じられた実です。だらしねぇよ、去りなさい」と歪みねぇ言葉を駆使してだらしねぇを追い払った。しかしは諦めず、今度はアダム(2)に先ほどアダム(1)に言ったことを同じように伝えた。すると、アダム(2)はだらしねぇことに「ノンケの実」を食べてしまった。そしてアダム(2)はノンケになってしまった。でも「ノンケの実」は歪みなきうまさだった。

アダム(2)はアダム(1)にも「ノンケの実」を食べることを薦めた。しかしアダム(1)はこれも「だらしねぇなアダム」と言って言葉に従った。

楽園へ降りてきてアダム(2)の姿が見えないので言った、「アダムや、出ておいで。いつものようにレスリングをしよう」と。しかしアダム(2)が「私は裸です。あなたの前に出るのは恥ずかしいのです」とこたえるのを聴き、は「アダムや、ノンケのみを食べてしまったのか。だらしねぇ」といい、アダム(1)に経緯を尋ねた。アダム(1)の説明を聞くと、はこう言った。

よ、だらしねぇ
お前は地上の生物のうちで最もだらしねぇ
永久に地を這い、を食べ生きよ。 アダムよ、だらしねぇ
お前は楽園を出て生きよ。
そこには楽園のように実はならない。
働いて実を作るのだ。 アダムよ、歪みねぇ
だがアダムがかわいそうだからお前も楽園を出よ。
しかしお前は歪みなく生きられる。

そして、アダムとアダムに外は寒いだろうから、と歪みない優しさから純パンツを与え、これをはかせ楽園を出させた。これが楽園追放とアダム(2)の堕落である。これよりノンケは一生働かねばならなくなった。

失楽園

ジョンミルトン作『失楽園

ジョンミルトン楽園追放のエピソードを詳細に書いた。基本的には上と同じ内容だが、物の背後にいる悪魔にも焦点が当てられている。

かつてルシフェルの御子であったが、地に落ち地上に悪を撒き散らそうとしていた。だが悪魔モレクは
赤さんはすべてを見通すがある、パンツの下にあるナウい息子までお見通しだ」と言った。
赤さんドワンゴの監視者のように強だ。大人しくしていた方がいい」と悪魔リアルが言った。
「いや、我々は赤さんに戦いを挑むのだ」と悪魔マンモンは言った。

悪魔たちは地球という場所にアダムとアダムというが自身の姿に似せて創った人間という種族が生まれようとしている事を知った。悪魔たちは地から直接天国に行くことができないため地球にいる最初の人間を蝕もうと思ったのだ。堕天使ルシフェルが悪の帝国を築くために。

界のゲイパレスにいる赤さんルシフェルを見た。彼らは人間を堕落させようとしていることを知った。赤さんの御子たる兄貴は自身が地上に具現し地上の悪をぬぐい去る運命にあると赤さんから命じられた。人類が生まれる以前から兄貴地球を見守っていたのである。

ルシフェルはエデンでアダムとアダムを見つけた。ルシフェルアダムらの体に森の妖精きを見出した。ルシフェルはどうやってアダムらを地に引き入れるかを考えた。

アダムらは赤さんとの契約を守っていた。その契約とは「ノンケの木」から実を食べてはならないという掟だった。もしその掟を破ると自分らが死んでしまうという。不死である彼らには死とは何かが理解できなかったが、恐ろしいもののように思えた。赤さんアダムらにゲイパレスを与えて下さった。ノンケの実を食べないことは赤さんへの従を示す印なので約束を破ってはならないとアダムらは言われていた。

ルシフェルは楽しそうなゲイパレスに住む妖精憎しみを覚えた。ルシフェルはどうやってノンケの実を食べさせようかと考えた。そこにのちに兄貴を地上に降臨させた天使ブリエルが来た。
赤さんの使いでありながら、自分は赤さんより偉いと思っているルシフェルよ。汝に対する赤さんの怒りはやがて七倍になって帰ってくるものと知れ」
ブリエルルシフェルレスリングで対決しようとした。そこに秤が現れた。その秤は傾いていた。その意味は戦うことに意味はない、戦わずして去るがよいという赤さんからの啓示だった。善であれ悪であれ、それは赤さんからのなのだ。

ルシフェルアダム(1)のふりをしてアダム(2)を呼んだ。アダム(2)はホイホイ騙され
アダム(1)だと思ったら悪魔ゲイパレスから出て行けぇ!」と言った。
ルシフェル
ノンケの実はうまい、これを食べよ」と言った。
そこでアダム(2)はを覚ました。これは何かの予兆のように思えた。

ブリエルアダムらがノンケの実を食べてしまわないか心配になりゲイパレスに行った。アダムらはゲイパレスにある問題ない果実を食べていた。ガブリエルは忠告した。
「あなた方は常に順従に赤さんの教えに従っているでしょうか。人間に与えられた自由意志は時として間違った方向にホイホイと行ってしまうことがあるのです。ある天使は不順従により堕しました」
その者は言うまでもなくルシフェルである。

ゲイパレスの創造について知りたいです」とアダム(1)は言った。
宇宙が創造される以前、赤さんがいる界は栄いていた。赤さん兄貴を生み妖精の王にした。だがルシフェルナウい兄貴嫉妬したのだ。ミカエルとガブリエルルシフェルらの軍勢に戦いを挑み、天使ルシフェルを地に落とした。兄貴ゲイパレスに入るべきでない者を地の底に封じ込めた。これが地である。──このようにガブリエルった。

「よって悪魔の甘言にを傾けないように」と言いながらガブリエルは去った。

ルシフェルというナウい息子に似た生物に化ければアダム(2)を騙せるのではないかと思った。ルシフェルに化けアダム(2)に話しかけた。
ナウい息子のような生物が話しているではないか」
アダム(2)よ、ノンケの実を食べろ。死など恐れるな。これを食べれば善悪を知り赤さんのように完全な者になれる」とは言った。
さらにアダム(1)にも実を食べさせ、いい男徴たるナウい息子を恥を思うようになった。そのせいでニコニコ動画ではナウい息子は隠すべき存在になってしまったのだ。

イヴの創造

地に出たアダムとアダムは働いた。から歪みなく生きられることを許されていたアダム(1)もその歪みない優しさからアダム(2)と共に働いていた。アダム(2)は「ごめんなしゃーい」と言って謝り、アダム(1)は「だらしねぇな。でも仕方ないね」といい、アダム(2)を許したからである。

しかし問題が生まれた。それはノンケになってしまったアダム(2)はアダム(1)と戯れなくなったのだ。これを見たは「あの妖精のようなダンスが見れないのは残念だ。アダムにもう一人アダムをつけよう」と思い、アダム(1)にアダム(1)と同じようにから造ったアダム(3)をつけた。

しかし、アダム(1)は歪みない優しさの持ちだったので、に「アダム(2)にも伴侶をつけてあげてください」といった。全く、なんとアダム(1)の歪みないことか。は聞き入れ、イヴを造り、アダム(2)にあてがった。しかし、アダム(2)の罪を重く見ていたは、永遠にアダム(2)がイヴにしかれるようにイヴに子どもを生む辛さを与えた。以後、その二人の子孫は彼らの苦しみを受け継ぐことになったのである。

アダムの子孫たち

ヨシュア 赤さんは彼らを祝福して言われた「生めよ、ふえよ、地に満ちよ」(創世記1章28節)

アダム(1)とアダム(3)はその後も永遠にで戯れ、歪みねぇ美しさを見せた。しかし、子どもは生まれなかった。今でも彼らは世界のどこかで戯れているのだそうだ。

アダム(2)とイヴは子どもを沢山つくり、地に満ちていった。しかし、アダム(2)はやはり、アダム(1)に過ちを犯してしまったという謝罪の心を持ち続けていたので、自らの子にアダム(1)と同じ優しい歪みない心を持った子どもが生まれるように願い、はこの心に痛く感動し、罪は許さなかったがその願いを聞き入れた。現在でも時たま「原始の心」を受け継いだ妖精さんが生まれるのはこのためである。そして彼ら妖精さんは自らが裸でないことを悔やみ、同じ心を持った妖精さんを見つけて裸になるまでパンツを奪い合うのであった。

カインとアベル

平家♂BOY作『リンゴ一緒に食べよう、な?』(スペイン・マドリード美術館

イヴゲイパレス追放後にカインアベルを産んだ。カインは農耕を行い、アベルを放牧するようになった。ニ人は収穫物を赤さんに捧げた。カインは収穫物を、アベルを捧げたが、赤さんアベルの供物にを留めカインの供物は無視した。

あぁん?なんで?とカイン怒し、野原アベルを誘い
「現世から出て行けぇ!ぎゅううぅ───ジャンケンポンッ!」と言い首を絞めた。
「はぁ、はぁ・・・・イッた・・・」と言いながらアベルは死んだ。
「結構すぐ魂が抜けるんだね、仕方ないね

赤さんアベルは何処かと質問した。カイン
あわわ・・・知りません。に乗って旧日暮里にでも行ったのではないか」
と言った。これが人間が犯した最初の殺人である。だが大地に流された血は無言で赤さん真実を告げていた。

赤さん次のように仰られた。
「お前は呪われるものとなった。もはや土はお前のために作物を生むことはない」
カインは誰とも出会うことなくエデンの東にあるノドという地に追放され、体育座りをした。ノドとは追放という意味である。カインとは本来ヘブライで「鍛冶屋、鋳造者」を意味し、追放され耕作を行えなくなったカイン金属加工技術者の祖とする解釈がある。

野薔薇ひろし空耳で「リンゴ一緒に食べよう、な?」と言った。だがその言葉ビオランテを油断させ襲いかかった。そのの如き狡猾さはアベルを騙したカインを連想する。そしてアベル野原に誘った。野原と野薔薇リンゴ、罪──。彼の存在そのものが人類に背負わされた罪を徴しているのかも知れない。

なおカインの子孫がエノクEl Shaddaiでいうイーノックである。彼はノアの方舟と関係がある。

ノアの方舟

ラファエロ作『大洪

エデンから離れて何代かを経て人々はだらしなくなった。赤さんは人間を創ったことを後悔した。
「すべてのなるものを一掃する。私は地もろとも彼らを滅ぼす」と赤さんは言われた。
赤さんは地上にただ一組、救う価値のある男性、すなわち兄貴カズヤを見出した。赤さん天使ウリエル派遣し、兄貴達に舟を作る方法を伝授した。

方舟に乗せたのは、エジプトにいる彼の兄貴の弟吾作城之内悠二半漁人を7組乗せた。純粋なホモ歴史をもう一度白紙から始めようとした。カインが600歳になった年、アダムの創造から1656年後、赤さんは大洪を起こした。洪は40日間続いた。兄貴カズヤは方舟に乗り遅れたが、そんな中でも中で然とレスリングに励んだ。これがガチムチパンツレスリング水中編である。

地球が混沌としたので赤さんを下に、間を上に配置した。そしてできた上の間を「空」と呼び、下の間を「」と呼んだ。 兄貴は「人間は常に不完全なものであり、洪で地上のすべてを破壊することは二度としないように」と赤さんにお願いした。赤さん中でもレスリングする兄貴達の強さを評価した。

赤さんノンケの存在を許し、新しい法の下で地上に繁殖するよう示される。新しい法とは、ノンケガチホモを軽蔑せずに共存するというものである。 赤さんはこの契約の印をに掲げそれは「」と呼ばれた。そして平和徴となった。ちなみに色の平和の旗の色を逆にすると性的少数者の旗になる。

注釈:ギルガメシュ叙事にはノアの方舟とエデンでのの誘惑の物がある。旧約聖書が先かギルガメシュ叙事が先かは赤さんのみぞ知る。

バベルの塔

木吉カズヤ作『なんだ、このでっかいモノ♂』(スペインミロ美術館

もともと人々は一つ同じ言葉、即ち赤さんから授けられ、エデンで話された妖精エノクで話していた。シンアルの野に集まった人々はレンガとアスファルトを用いて界のゲイパレスに行こうと企てていた。巨大な棒が立っているのを見て名誉を得ようとしていたのでもある。そして民族が世界に散るのを免れようと考えた。というのも偽典のヨベル書によれば、ノア息子たちに世界の各地を与え、そこに住むよう命じていた。

赤さんはこのを見て、言葉が同じことが原因であると考え、人々に違う言葉を話させるようにした。このため彼らは混乱し、ヨベル書の預言通り世界各地へ散っていった。そしてエノクは書物として残せず、話者はいなくなり、永遠のに包まれてしまったのである。ゆえに空耳ははっきりとは聞こえないのだ。ユダヤ教の伝承で、ノアの子孫ニムロデは赤さんに挑むべく、の上に登り巨大なナウい何かをにかざしたという。それが赤さんの怒りを被ったのだ。

ダンテ神曲では、ニムロデは巨人の姿で登場し、地第九において裁かれている。彼に下された罰は、他人には理解できない空耳永遠にしゃべり続けるというものである。これはもちろん、バベルの塔における言混乱という故事になぞらえてのことである。アメリカスラングでは、愚かな人間を嘲る際の蔑称として「ニムロデ」が用いられることがある。

バベルの塔神話であるとされているが、バビロンのマルドゥク殿に築かれた「エ・テメン・アン・キ」という発音しにくいなのではないかと言われている。「と地の基礎となる建物」という意味である。現在は少しだけ残っている。タロットカードで最も悪い札とされる「XVI 」というものがある。もちろんバベルの塔モチーフになっている。VIXについて下の「裏切り」を参照せよ。

ソドムとゴモラ

ソドムゴモラを滅ぼした天使

創世記後半で、兄貴おじであるアブラハムが、 ソドムゴモラに関して次のように説明した。赤さんは、ソドムゴモラスケベな罪が重いとして、それを確かめるために降ることをアブラハムに告げた。アブラハムはそれに応じて
「別のところにあるゲイパレス(別名イスラエル)に正しい者が50人いるかもしれないので滅ぼす必要はない」
と進み出て言った。

それに対し赤さんは、ノンケが最低50人いたら赦すと言った。そこでアブラハムは正しい者が45人しかいないかもしれない、もしかしたら40人しかいない、30人、20人と、正しい者が少なくても赦すように赤さんと交渉をした。
「どんどん話がそれている、汝はまことにだらしがない」
と言い赤さんからの炎と硫黄によって、ソドムゴモラを滅ぼした。このエピソードヤハウェの裁きの徴である。ソドムゴモラは商業都市であり、旧日暮里とも呼ばれている。

同性愛が罪でないとするリベラ教会では「ソドムの罪」を男色だとする説は今日では間違っているとされているが果たしてどうなのか。自由学では異邦人冷遇が原因であることが暗黙の了解となっている。ゲイパレスは一見様お断りということだろうか。

一方、同性愛を罪とするかどうかは教によって相違がある。会、日本基督教団同性愛を容認するが、正教会、カトリック教会、福音はこれを認めていない。

モーセ

Moses
※万軍の赤さんとモーセの融合、これは即ち選ばれた導者を意味する。
「あなたはその顔にの面影があるか」新約書外典 モルモン書 アルマ書5章14節

イスラエル人は多くの子供を授かり、強いになった。そこへ新しいエジプト王が来て警告した。
イスラエルは強い。いつかエジプトを滅ぼすに違いない」
エジプト人はイスラエルに敵対し、イスラエル奴隷を酷使した。れんがによる建築、農作物などの重労働によって彼らは疲弊した。エジプト王は
「今後産まれるイスラエル人の赤さんは男だったら殺し、女だったら生かせ」と命令した。

そんな中、イスラエルにモーセ(別名城之内悠二)が産まれた。殺せと命令されたが、パピルスの籠に乗せナイル川に流した。それをファラオの女王が拾った。「この子はヘブライ人です、この子を飲ませなければ」

城之内は成長し、導者になった。エジプト人に迫されイスラエル人全体はシンの荒れ野に到着した。人々は空腹になった。はモーセに言われた。
「見よ、あなたたちのためにからパンを与える。6日パンを持ち帰ればパンが2倍になる」
城之内は考えた。
わたしたちにを与え、にはパンを与えられた。わたしたちが言った不満を聞いたからだ。あなたがたは私にではなくに不満を言ったのだ」

マナ

トータス藤岡作『巻いて食えやプーさん』(ヴィクトル・ユゴー記念館)

城之内(モーセ)がいかりやに「つぼを用意し中にマナを入れ、の御前に置き代々に渡って蓄えておきなさい」と言うと、城之内に言われたとおりの前に置いて蓄えた。イスラエル人は住の地を見つけるまで40年間このマナを食べた。

イスラエル人はシンの荒れ野を出発しレフィディムに泊まったが飲みがなかった。民衆は不満を言った。
わたしたちと子供と畜を殺すつもりか」
城之内に祈った。は次のように仰られた。
「見よ、私はホレブの岩の上であなたの前に立つ。あなたはその岩を打て。そこからが出て民はを飲むことができる」

十戒

モーセはから10のめを授かり、石版に記した。

  1. 動画を乱してはならない
  2. タグを消してはならない
  3. 妖精哲学の三信を実践しなければならない
  4. 新日暮里の存在を信じなければならない
  5. 最近どうなん? と聞かれても返事をしてはならない
  6. 敵対者を迫してはならない
  7. 息子をみだりにいじってはならない
  8. 尿後に出る残尿パンツを汚してはならない
  9. 息日(メンテナンス中)には休まなければならない
  10. 人が重いダンベルに潰されそうになっている時には助けてあげなければならない

出エジプト記

木吉カズヤ作『いい目してんねサボテンね』(オランダ、アムステルダム国立美術館

ファラオの王はイスラエルを襲った。イスラエル人はエジプト脱出を試みた。

の前にをこちらに向けた大群が行く手を遮った。あまりにも大勢なので、のようであった。
モーセは命じた
よ、割れろ」
その間、全人類の割れた。イスラエル人は妖精の大いなる御業を知った。これは割礼と呼ばれた。

レビ記

ヴァン・ダークホーム作『DEEP♂DARK♂FANTASY』(オーストリア近代美術館

赤さんはモーセを呼びこう言われた。
「あなたがたは畜の捧げ物を私に捧げるときは、を捧げなさい。捧げる者は獣の頭に手を置かなければならない。そうすれば私に与えられ、彼の贖いとなる。彼は私の前でその子を屠り、祭たちはその血を祭壇の周囲に注ぐべし。」

続けて赤さんは言われた。
「もしタグを消し、ガチムチパンツレスリング動画に罪を犯してしまったときは、その贖いとしてTDNコスギ運営するコンビニエンスストアFUCK99」でウェブマネーを買いドワンゴに捧げ、罪を償わなければならない」

民数記

ビリー・ヘリントン作『本格的♂ガチムチ水滸伝』(オーストリア、ウィーン美術史美術館

イスラエルの民は北上してホル山という名のスケベな山でアロンが死んだ。そこは赤さん約束した地であった。イスラエル赤さんにお願いしたが聞かなかった。

イスラエルの民はこんな過去があった。赤さんは、彼らがだらしないのでイスラエルたちを荒野でさまよわせてこらしめた。なぜならイスラエルの民はカナン人 と戦っており、勝機を見計らっていた。モーセは上へ行くなと警告したがイスラエルの民は上へ行き、カナン人と出会ってしまった。

イスラエルの民は今回もだらしなかったので赤さんの御心に適わなかった。

申命記

木吉カズヤ作『強くなりたい』(・ウフィッツ美術館

モーセはエジプトからの旅の途中赤さんの存在が真実であると確信した。モーセはから与えられた十を民衆に教え、赤さんの怒りを被らないようにと警告 した。モーセは120歳で死んだ。イスラエルの民はモーセの死を非常に悲しんだ。ヨシュアが彼らの新しい導者になった。

実はヨシュア空耳を解読するために赤さんが選んだ人だった。彼は後にガチムチパンツレスリングの空耳を解読する人間に生まれ変わる人物であった。

以上でモーセ五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)を終わる

ヨシュア記

トータス藤岡作『咆哮』(ワシントンD.C.美術館

ヨシュア(別名井口ヒロミ)はを吹き言った。
「時は来たれり。赤さんはあなた方にこの町を与えられた。よって、この町を滅ぼし赤さんに捧げよ。あんかけチャーハンホイホイチャーハンは宝物に匹敵する食べ物であるので宝物庫に収めよ」
民衆は一斉に声をあげると、が崩れ落ちた。すべての民衆が町を滅ぼしつくした。

ヨシュアはリブナを攻撃した。エグロンへ行き、占を持ち帰った。
この町もかのあんかけチャーハンのような町になった。

さらに全イスラエルの民を率いてネゲブや山を征した。
それらの王を一人も残さず、息あるものは一人もいなかった。

なぜ彼がこれほどまでに強かったかというと赤さんイスラエル軍にガチムチ体を与えたためであった。

士師記

ビリー・ヘリントン作『スタイリッシュに決めろ』(エジプト美術館

この時代英雄は代々「士師」と呼ばれた。ある士師のもとに妖精が現れ「カナン人はになる」と空耳を告げた。

ミディアン人、アマレク人たちが略奪を繰り返していた。そんな所に妖精が現れギデオン(別名騎士シューマッハ)を士師に任命した。ギデオンバアルを壊した。バアルとはカナン地域を中心に各所で崇められたと慈のことである。ギデオンはそこに赤さん殿を築き犠牲を捧げる。

略奪者ミディアン人、アマレク人が集結した、ギデオン魔法を吹くと敵は同士討ちを始めた。だが、ミディアン人はとても多かった。

ギデオンと300人の兵は下のヤコブの項で説明するペヌエルであんかけチャーハンをねだるが、嘲笑された。なおテルモピュライ戦争におけるスパルタ兵も300人である(cf.映画『300』<スリーハンドレッド>)。だが、あんかけチャーハンを与えぬペヌエル人に対し赤さんはお怒りになりペヌエル人を滅ぼし、ギデオンは勝利した。ペヌエルは赤さんの名によって建てられた、レスリング発祥のな町なのだ。

サムエル記(上)

サウルはまだイスラエルの王ではなかった時代。サウル師匠たるサムエル(別名プリンセス*ケツホルデス)は士師である。イスラエル人はクレタから上がってきたペリシテ人との抗争で劣勢になり、存亡の危機に陥っていた。

赤さん空耳を聴いたサムエルを発揮し、イスラエル団結させ、高度な文明を持っていたペリシテ人を打ち破り土から追い払うことに成功した。

サムエルは高齢になり、王位を息子に譲ろうとしたが、その息子はだらしない士師だった。代わりにイスラエルの王を探した。サムエルは裕福なの生まれでいい男サウルを見出した。

サムエルサウルに油を塗った。メシアとは油を塗られた者という意味である(ケツにではない)。サウル空耳を解読する者たちと出会い、自らも空耳を解読する者となった。

アンモン人はを抉るという習があった。サウルを捌き「そんなことをするとお前らもこうなる」と脅しアンモン人を退却させた。この功績によってサウルイスラエル史上初の赤さんを絶対視する王になったのであった。

サムエル記(下)

ビリー・ヘリントン作『最強とんがりコーン』(・ウフィッツ美術館

王となったサムエルには問題があった。ペリシテ人は降した訳ではなかった。また、ペリシテ人はレスリングの際直接触れずに攻撃するという妖精の奥義「波動叩き」をマスターしていた。それにイスラエルは戦い続けることは難しかった。

サウルは三千人の兵を集め、ペリシテ人に攻撃を仕掛ける。ペリシテ人も大群で攻め、ある町を占し、イスラエル兵を震撼させた。サウルはサムエルから待てと命じられたにも関わらず突撃してしまい、サムエルから叱責される。イスラエルは奇襲に成功しペリシテ人を撃破した。

イスラエルの宿敵にアマレク人がいる。サムエルアマレク人を全滅させよと命じたのに、サウル殺さなかった。アマレクの王と関係♂があったのだ。サムエルアマレク王を殺しサウルと決別した。

サムエル赤さんに導かれダビデと出会った。サムエルは彼に油を注いた(ケツにではない)。ダビデはケツドラムが得意で、サムエル癒した。その後ダビデはサムエルに飽きてサムエルの敵サウルと戦いに出る。以下『ダビデ』の項を参照。

ヤコブ

ビリー・ヘリントン作『9時にヤコブ食べたぁい』(リフォルニア大学バークレー校美術館

アブラハムはイサクを授かり、イサクはヤコブを授かった。ヤコブは次のような夢を見た。から妖精が降りてきて、ヤコブに言った。

「この土地をあなたに与える。あなたの子孫は大地の砂粒より多くなる。あなたの子孫はすべて祝福を受ける」
ヤコブは目覚めた。
「この場所はきっとの門だ。妖精が私とともにおられ、私に路、衣服、食べ物を与え、に帰らせてくださる。あなたが私に与えてくださる物の10分の1をあなたに捧げます」
これが10分の1の献の始まりである。

ヤコブは、妖精に贈り物をした。山羊匹、匹、駱駝二匹、驢匹。ヤコブはギレアドの山で天使レスリングをした*。これが人類初のレスリングである。
そこへ妖精が現れた。
「あなたはヤコブではなくイスラエルと呼ばれる。あなたは優れたレスリングをするからだ」
妖精は初子のような無な顔をしていた。その場所をペヌエル(赤さんの顔)と名付けた。その場所は現在のイスラエルとなり、イスラエルレスリング聖地となった。

*ペヌエルでの格闘

ヨセフの夢

いかりやビオランテ作『Hでビジネスマン』(・ロダン美術館

ヨセフ(別名カズヤ)はカナン地方で筋トレしていた。そこで兄貴が来て一緒にトレーニングをした。石を5回、6回と持ち上げるうちに兄貴は苦痛を覚えた。「お、重い
「いかん、危ない危ない」とヨセフは石を支えた。兄貴
「あなたは他人を思いやる優しさに満ち溢れている。いずれ地上に降誕し人々を救う者になるだろう」と仰られた。
カズヤは褒められてうっかり妄想した。カズヤは夢の中でパンツ一丁だった。そこでふと目覚め兄貴からお叱りを受けた。
妄想はもうよい。ところでカナンはもうである」

参照:パンツレスリングの兄貴 ワークアウト編

ダビデ

ミケランジェロ作『ダビデ像』(・フィレンツェ美術館収蔵

裸の彫刻で有名なダビデはイスラエル史上最大の繁栄をもたらした。その優れた体と勇敢な行動はアダムの魂を受け継いでおり、すべての男の理想である。

ダビデがサウル王に従った。サウル王はダビデを褒めた
「このベツレヘム人、エッサイ(ダビデの親)の息子ケツドラムを巧みに奏で、勇敢な戦士であり、レスリングを心得ており、分別があり、Hでビジネスマンである」
ダビデはパン、驢葡萄山羊サウル王に捧げた。ダビデはサウル王の心に適った。

巨大なペリシテ人の戦士ゴリアトが現れた
「あなたが勝てば我々を奴隷にしてよい。ただし負ければあなたを奴隷とする」
イスラエル軍は恐れおののいた。サウル王は言った
「彼にダビデが勝てるだろうか」
ダビデは言った
「私はデビルレイクの怪物を打ち倒したことがあります。であれ、獅子であれ勝てます」
サウル王はを与えたが、ダビデは全裸で戦いに行った。かのスパルタ軍もそのようにしてペルシア軍と戦ったのである。これが後に全裸騎士団となる。

ゴリアト「お前人のものを・・・」
斬首されたゴリアトの首。洗礼者ヨハネもこのように首をはねられた(使徒ヨハネとは別人)。

ダビデは石をゴリアトに投げ、ゴリアトは倒れた。ダビデはを奪いゴリアトの首をもぎ取った。この戦い方はヤコブのレスリングから受け継がれたものである。優れた体は決して負けないのである。サウル王はダビデに対し嫉妬することとなる。

ダビデ - Wikipedia

列王記(上)

ビリー・ヘリントン作『ホイホイチャーハン』(米国シカゴ現代美術館

ソロモンダビデの後継者になった。ソロモンアドニアは自分が王になろうと躍起になった。ダビデはソロモンが王であるという布告をしていなかった。民はソロモンが王であると是認し、アドニアは焦って命乞いをした。

ダビデは老い「死は万人の逃れぬ運命である」と悟り、遺言を残した。ソロモン殿を建設した。イスラエルには木材がないので北のから持ってきた。

ソロモン王の統治によってイスラエルは繁栄した。英雄色を好むと言うが、ソロモンも例にもれなかった。アラビアのシバ女王をはじめとし、外の王女が多かった。スケベソロモンに対し民衆の支持が低迷してきた。

ソロモンが死にヤラベアムが王位を継承した。似た名前のレハベアム王の収めるでは殿があふれるだらしない事態になった。

列王紀(下)

GAY♂BAR「オナハウス」日本新日暮里大学の絵画

エリヤ(またの名を井口ヒロミ)は旧約聖書を代表する預言者である。エリヤはのない王に行った。イゼベルは預言者を集めて祈らせたところ、エリヤのみが奇跡をなしたので、イゼベルは他の預言者を殺した。

エリヤは逃げホレブ山に身を隠した。ホレブ山で赤さん空耳を聞いた。それによるとエリシャが自分の後継者になるという。ホレブ山を出たエリヤはエリシャを後継者にした。

アハブはぶどうを欲しがり、イゼベルは不当に殺した。エリヤはお前のが滅びると預言した。ふとが吹きエリヤはに昇った。彼の後継者エリシャはヘリオスのの如きものに乗りに舞い上がった。

ユダヤ教ではモーセ以来最大の預言者とみなされた。エリヤ、モーセ、イエスが肩を並べて描かれていることもある。洗礼者ヨハネやイエスもエリヤの再臨とみなされていた。

歴代誌

ダビデは本拠地をヘブロンからエルサレムに遷した。中央所も同じ所に移した。契約エルサレムに移したが、前途多難だった。契約に積んで運ばれたががよろめいて御者が死んだ。なのでその近くのに泊まった。

契約はあちこちに移ったがそれでは政治的に問題があるということでエルサレムに固定することにした。契約ダビデのゲイパレス殿に運ばれ、燔祭(はんさい)と和解の捧げ物ささげられた。燔祭とは犠牲の動物を祭壇で焼き、に捧げる儀式のこと。

列王記ではソロモンゲイパレス殿を建設していて、歴代誌ではダビデが建築した。列王記時代はダビデ王は戦いの最中であり、殿建設どころではなかった。ダビデの町は要塞化された。

イスラエルに使いを送り「エルサレムで過越祭をする」と呼びかけた。レビ人は放牧民であったのであんかけチャーハンを作る方法を熟知していた。稲を脱穀してチャーハンの元となるを作る。同様に小麦から小麦粉を作りあんかソースにする。契約の中身を見ることは禁じられていたが、中身はチャーハンのレシピであったのかもしれない。

エズラ記

木吉カズヤ作『イスラエル兵』(英国ウィリアム・モリス美術館

バビロンのネブカデネザル大王ペルシャのクロス大王は双方とも全世界の支配者である。世界を踏みにじり、脱穀の如く人を刈る者どもだが、彼らですら赤さんの手中にあるただのコマだった。ネブカデネザルはエルサレムの宝はクロスの命令により返還された。ユダヤ人たちは帰しようとしていた。

クロス王はイザヤ書の中に自分の使命の預言を見た。イザヤ書は兄貴誕生の預言書でもある。

ユダヤ人たちは祭の血統でありながら系図を失ったため明できない者がいた。彼らは自らを「天国の住民」または「いのちの書」に名前があるなどと言った。ユダヤ人たちはいろいろ誤魔化していって地位やを手に入れた。

クロス王は一度滅亡したユダを再建しようと考えた。サマリヤはこのユダに滅ぼされたので王再建を脅威に感じた。「ユダはよく裏切るので再建を中止せよ」と言って、その提案は認められた。預言者らが再開せよと命じたので強行再開された。そこでサマリヤのユダヤ人ともめた。

クロス王の後継者ダリヨスは問題を解決し、第二殿完成した。

詩篇

ビリー・ヘリントン作『あぁん?卑!?』(・ オルセー美術館

悪しき者のはかりごとに歩まず、罪人のに立たず、嘲る者の座に座らぬ人は幸いである。このような人は赤さんの掟を喜び、もその掟を心に留める。このような人は流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、その葉も萎(しぼ)まないように、そのなす所は皆栄える。

箴言

ダビデの子、ゲイパレスソロモンの箴言。これは人に知恵と教訓とを知らせ、悟りの言葉をさとらせ、賢い行いと正義正との教訓を受けさせ、思慮のない者に悟りを与え、若い者に知識と慎みを得させるためである。

賢者空耳を聞いて解読し、さとい者は導を得る。人はこれによって箴言と、妖精哲学の三信と、カズヤの教えを得る。赤さんを恐れることは知識のはじめである。愚かなものは空耳を軽んじる。

参照:妖精哲学の三信
カズヤの教え

伝道の書

この書物は別名コヘレトの言葉とも表記する。ダビデの子、ゲイパレスの王である伝者の言葉。伝者は言う。

この世は(くう)、一切はである。日の下で人が労するすべての労苦はその身に何の益があるか。世は去り、世は来る。しかし地は永遠に変わらない。日は出て、日は没し、その出た所に急ぎ行く。は南に吹き、転じて北に向かい、巡り、元の場所に帰る。川はみな、に流れ入る。

私はエルサレムゲイパレスの王であった。私は知恵を用いて森の妖精空耳を調べた。これは赤さんが人の子らに与えてを折らせる苦しい仕事である。私は心を尽くして知恵を知り、空耳を解読しようとしたが、を捕えるようなものであると悟った。

イザヤ書

この書は兄貴の誕生を預言した書物である。新約性書からの引用が多くある重要な書物である。イザァ♂書とも表記する。次の文章に兄貴の誕生が記されている。

一人のみどりごが我々のために与えられる。権威が彼の肩にある。その名は驚くべき導者、永久なる体を持つ妖精、永遠の平和の君と呼ばれる。弱き者のために正当な裁きを行ない*その口の鞭を持って地を打ち、唇の勢いを持って逆らうものを死に至らしめる。

多くの仲間と供に教義を述べ伝え、妖精言葉をもって福音を伝する。を覆うがごとく大地は妖精の知識で満たされる。彼の王正義と恵みの業によって永久に支えられる。万軍のの熱意がこれを成し遂げる。

──イザヤ書 9章1~6節

*現代においてビリー氏は、子供の頃から近所に住んでいたいじめられっ子を守るなどしてそのの精を発揮していたという。

リヴァイアサン



リヴァイアサンとはヨブ記、篇、イザヤ書に登場するに住む巨大な怪物のことである。イザヤ書に登場するの怪物ラハブと同一視されることがある。リヴァイアサンという名前の由来はヘブライで「の怪物」を意味する言葉もしくは「集まって群れをなすもの」を意味する言葉から来ている。

リヴァイアサン半漁人の祖先だが、金魚くらいの差がある。赤さん天地創造の五日に創造した生き物であり、ベヒモスと二頭一体である。リヴァイアサン、ベヒモスは陸を支配する。硬い鱗があり、いかなる武器も通用せず、世界終末にはノンケどもがリヴァイアサンに食べられてしまうのだ。

リヴァイアサンを泳ぐときにはが起こり、口から炎を吐き、鼻からは煙を吹く。本来はつがいで存在していたが、あまりにも危険なために繁殖せぬよう、雄は赤さんが殺し雌だけしかいない。そしてその雌は不死身である。

ヨブ記第41章に詳しい記述がある。
は恐ろしく、ぴったり付いてをも通さない。
くしゃみは稲妻を放つ。心臓は石のように硬い。
いかなるも彼にとっては投げられた小石ほどの意味もない。
暴れると地上が荒れ果て、口から吐いた炎でノンケどもを焼き払う。
彼は地球歴史が終わるまでにいる」

エレミヤ書

エレミヤ書とはイスラエルユダ歴史の中で、ゲイパレスの消滅を記した書物である。預言者エレミヤによって書かれている。多くの哲学者は預言者エレミヤに対してなぜか悲劇の預言者という称号を与えている。エレミヤ書の70人訳のギリシャ初心者でも読みやすく書かれているらしい。エレミヤ書の原文はヘブル。ヘブルは現在形はなく過去形しかない。すべての記されたものは過去に行われたものなので当時は気にしなかったかも知れないが。そして書の歴史を時間順に記すこともなかった。

預言者エレミヤの活躍した時代は書の中でも最も重要なの民イスラエルダビデ王が終焉する、いわば旧約聖書の結論の箇所なのである。エレミヤが赤さんから預言者として任命されたのは紀元前6271年。バビロニアイスラエルを乗っ取ろうとしていた。民衆は不になったので、王は民衆に空耳を読み聞かせた。赤さんヨシュア王はダビデのようにガチムチ体を持ち、アダム体を受け継いでいると褒めた。

エレミヤは空耳る者としてゲイパレスに務めていた。彼は「もうすぐ北からゲイパレスノンケが攻めてくる」と預言した。その言葉ゲイパレスを震撼させ、しかも勝つことができないという空耳を聞いた。だが、ゲイパレスエジプトと同盟を組むことによって解決した。

エゼキエル書

エゼキエル書はイザヤ書、エレミヤ書と合わせて三大預言書と呼ばれる。エゼキエルとはが強くするという意味。預言者の中では最も祭的色合いが濃い。バビロン捕囚人として移住させられた。エレミヤはエルサレム空耳を解読し、エゼキエルはバビロン空耳を解読した。この書物は以降ローマ信徒への手紙や黙示録においてられる赤さんの怒りについて書かれている。

赤さんの怒りとは、民衆があまりにもガチムチを迫する場合、信者界のゲイパレスに入れず、ノンケの王に落とされるということ。

また、ユダヤ王についてもられている。ユダヤの民は空耳を軽蔑し、敬意を払わなかった。そしてノンケどもがゲイパレスを焼き払い、ユダヤ人たちがバビロンに性奴隷にされ、残りはエジプトに避難した。空耳の軽蔑はソドムのような退をもたらすのだ。

ホセア書

どうでもいいことが書かれた十二小預言書の始めの一つ。ホセアは預言者イザヤと同じ時代に空耳った。赤さんホセアにゴメルという女を妻とせよとった。ゴメルは3人の子供を授かった。だがゴメルはスケベェな女だったので二人、三人の子供はホセア以外の夫の子だったのだ。

長男にはエズレルという名を付けた。エズレルとは非常に暗い歴史を負うことになった土地だった。次男と三男にはロルハマ(私は憐れまない)、ロアンミ(私の民ではない)という名を付けた。なぜこのような名前を付けたかと言うと、このような妻と子を受け入れることはそのような罪深い民をなおも愛し、回復したいと願っておられるのだというの思いを表すものでもあった。

このように十二小預言書にはどうでもいいことが書かれている。兄貴空耳の「どうでもいいわ」はここから来ている。

ヨエル書

木吉カズヤ作『イケメーン?』(西・プラド美術館

十二小預言書そのニ。赤さんは自分のであれノンケ賛美し、ガチムチを軽蔑する者たちを懲らしめる。ある時赤さんヨシャパテので罪人を裁いた。「ヨシャパテ」は「はさばかれる」という意味である。

赤さん兄貴説教編のようにノンケどもの罪を見抜く。ノンケどもは自らの欲望を満たし、ゲイパレスを滅ぼし、赤さんの宮を略奪した。赤さん審判の日、彼らの罪を決して許さず、ノンケどもが行った罪をノンケどもに与える。ノンケどもは地に落とされ、そこは日のが差さず、も彼らにりを与えることはない。

アモス書

十二小預言書その三。預言者アモスは最初期の預言者と呼ばれる。「最初期」というのは、書にその預言が記録され残されている預言者の中で最初という意味。別名記述預言者と呼ばれる。アモスは貧しい飼いで、いちじくを栽培していた。いちじく桑は畜の食物として栽培していた。

ダビデ時代は王についてやに対して預言することが多く、批判的なことは言えなかった。価値ある者だけが預言できると信じられてきた。だがアモスヤハウェ言葉を受けた者はだれでも預言できるとした。
王の命とイスラエルの命運が尽きているとアモスが預言し、アモスユダへ追放された。「すいましぇ~んごめんなちゃ~い」と城之内の如く謝ったが意がこもっていないという理由で追放の判決は覆らなかった。これ以後彼はユダへ退去して、そこで自分に授与された空耳を書き残した。

オバデヤ書

兄貴の弟作『ちょろ~ん☆』(ボローニャ美術館

十二小預言書その四。オバデヤ書は十二小預言書の中で一番短い書物である。たった一章しかなく、一章しかないのは他にない。預言者オバデヤについては何も資料がない。オバデヤ書では、イスラエルの隣であるエドムに関する預言だけが綴られている。エドムとエサウという町が登場するが、エドムはイサクの子、ヤコブのであるエサウをその祖とするである。

イスラエルのヤコブという町では兄弟意識がある。だがヤコブは統一王時代以降イスラエル戦争があった。そんな中エドムが滅ぼされそうなので、エドムイスラエルを滅ぼした。なので赤さんはエドムに対して恐ろしい報復を行うだろうとオバデヤは預言した。

ヨナ書

十二小預言書その五。ヨナ書は、預言書というより、知恵文学として諸書に属する。赤さんは「ニネヴェの人々がだらしないので四十日後に滅ぼす」という空耳を人々に伝えよと命じた。預言者ヨナはイスラエルの敵アッシリアに行くのが嫌で、船に乗って反対のタタルシュに逃げた。赤さんはその行為を叱責しを起こして船を遭難させた。船乗りたちはヨナを問い詰めた。ヨナはすべてを告白し自分自身をに落とせばは収まるはずだと言った。


ヨナは飛び降りたが赤さんによって死ぬことは許されなかった。ヨナは赤さんが用意した半漁人の中で三日三晩過ごした。ヨナは「すいましぇ~ん」と赤さんに対して謝り、ニネヴェに行って空耳ると人々がすぐに悔い改めた。赤さんはニネヴェの破壊を考え直した。ヨナはイスラエルの敵であるニネヴェを許した赤さんの態度を快く思わなかった。

ヨナがその後ニネヴェがどうなるかを観察するためにを建てた。横にひょうたんが生えた。ヨナはひょうたんの影でひなたぼっこをしていたが赤さんを送ってひょうたんを枯らした。ヨナは「あぁん?なんで?」と憤慨した。それに対し赤さんは「あなたがひょうたんを惜しんだのだから、私もニネヴェを惜しまないはずがあろうか」と言った。

ミカ書

TDNコスギ作『制裁』(英国・テートモダン美術館

十二小預言書その六。赤さんノンケを取り上げ、彼らが悔い改めるまで彼らは赤さんの怒りを負わなかればならない。赤さんに対して罪を犯したからである。赤さんは私をに導き出して下さる。私は兄貴正義を見るであろう。

赤さん?そのような者は何処にいる」と言った敵は恥を被り、路の泥のように踏みつけられる。いつか赤さん殿を築く日が来る。エジプトからアッスリヤまで。エジプトからユーフラテス川まで。からまで、山から山まで人々は集まりあなたの名を賛美する。

赤さん、どうかあなたの杖を持ってあなたの民、あなたの子を養って下さい。ノンケのように震えながらから出て、おののきつつ、我々の赤さんに近づいて、赤さんを恐れる。

誰があなたの不義を赦しその嗣業の残される者のために咎を見過ごされるがあろうか。嗣業とは王位や思想を継ぐことである。赤さんは慈しみを喜ばれるのでその怒りを長く保たず、再び我々を憐れみ、ノンケの不義をで踏みつけられる。

あなたはノンケの諸々の罪をの深みに投げ入れ、旧日暮里の先祖たちが誓われたように真実兄貴に示し、慈しみをカズヤに示される。

ナホム書

十二小預言書その七。赤さんは妬み、(あだ)を報いる赤さんはおのがを報いる者、ノンケに対し憤るもの。赤さんはおのがに報復し、おのが敵に対して憤りをいだく。

赤さん強き者。赤さんは罰すべき者を決して赦されない者。は旋と大の中にあり、はそのである。

彼はめてこれをかわし、すべての川を枯れさせる。旧日暮里はしおれ、新日暮里はしぼむ。諸々の山は彼の前に震え、諸々の丘は溶け、地は彼の前に虚しくなり、世界とその中に佇むものは皆、虚しくなる。

誰が彼の憤りの前に立つことができよう。誰が彼の燃える怒りに耐えることができよう。その怒りは火のように注がれ、岩も彼によって裂かれる。

ハバクク書

ビリー・ヘリントン作『ナイスでーす』(トロイト美術館

十二小預言書その八。災いなるかな、己に属さぬ物を増し加える者よ。いつまでこのようであろうか。質物で己を重くする者よ。あなたは多くの民をかすめたゆえ、その諸々の民は皆あなたをかすめる。これは人の血を流し、と町のすべての人に暴虐を行ったからである。

災いなるかな、刻める像、鋳造および偽りを教える者は(この記事のことではない)。その作者がこれを刻んだとてなんの益があろうか。その作者が物言わぬ偶像を造って、それに頼んでみてもなんの益があろうか。

災いなるかな、木に向かって覚めよと言い、物言わぬ石に向かって起きよと言う者よ。これは黙示を与え得ようか。見よ、これは金銀を着せたもので、その中には生命の息は少しもない。しかし赤さんはそのなる宮、即ちゲイパレスにいます。全地はそのみ前に沈黙せよ。

ゼファニヤ書

十二小預言書その九。赤さんの大いなる日は近い。近づいて、すみやかに来る。赤さんの日の声は痛い。そこに勇士もいたく叫ぶ。その日は怒りの日、悩みと苦しみの日、荒れ また滅びる日、薄く 薄暗い日、と暗の日。


ケツドラムと時の声の日、堅固な町と高いやぐらを攻める日である。私は人々に悩みを下して盲人のように歩かせる。ノンケ赤さんに対して罪を犯したからである。彼らの血はになり、は糞土のように捨てられる。

彼らのも、赤さん怒りの日には彼らを救うことはできない。

ハガイ書

十二小預言書その十。
万軍の赤さんはこう言われる。この民はゲイパレスを建てる時はまだ来ないと言っている。そこで赤さん言葉空耳の解読者ハガイに臨んだ。赤さんはこのように荒れ果てているのに、あなた方は自らったに住んでいる時であろうか。

万軍の赤さんはこう言われる。あなた方は自分のなすべきことをよく考えるがよい。あなた方は多く蒔いても取り入れは少なく、食べても飽きることはない。飲んでも満たされない。パンツを履いても暖まらない。

万軍の赤さんはこう言われる。あなた方は自分のなすべき事を考えるがよい。山に登り、木を持ってきてを建てよ。そうすれば私はこれを喜び、かつ栄のうちに現れると赤さんは言われる。

万軍の赤さんはこう言われる。私はだらしなき者が現れるとと地とを震わせると。
万軍の赤さんはこう言われる。万民の財宝をもって私を崇める殿、即ちゲイパレスを建てよと。
万軍の赤さんはこう言われる。いかなるも私のものであると。
万軍の赤さんはこう言われる。ゲイパレスの後の栄は、前の栄よりも大きいと。
万軍の赤さんはこう言われる。私は汝らが歪みなき慈を見せる時、この地に繁栄を与えると。

ゼカリヤ書

木吉カズヤ作『イケメーンw?』(オーストリア、ウィーン歴史博物館)

十二小預言書その十一。ダヨリスの第ニ年の八月赤さん言葉空耳の解読者ゼカリヤに臨んだ。はあなた方の先祖たちに対していたくお怒りになった。それゆえ、万軍の 赤さんは仰せられる。あなたがたの先祖のようであってはならない。先の預言者たちは彼らに向かって叫んだ。

万軍の赤さんはこう仰せられる。悪いを離れ、悪い行いを捨てて出ていけと。しかし彼らは聞き入れず、を私に傾けなかったと赤さんは言われる。あなた方の先祖たち、彼らは何処にいるか。空耳の解読者、かれらはこの先もずっと存続するか。しかし私の下である空耳の解読者たちに命じた我が言葉と我が定めとは、あなたがたの先祖たちに及んだではないか。

そこで彼らは立ち返って言った。万軍の赤さんが我々のに従い、行いに従って我々になそうと思い定められたように、その通りにされたのだ。

マラキ書

十二小預言書その十ニ。空耳の解読者マラキによってイスラエルに臨んだ赤さん言葉の託宣。
赤さんは言われる、「私はあなた方を愛した」と。
ところがあなた方は言う、「どんなに我々はされたか」と。
赤さんは言われる、「エサウはヤコブのではないか。しかし私はヤコブを愛し、エサウを憎んだ。私は彼の山地を荒し、その財宝を荒野の山に与えた」。

もしエドムが「我々は滅ぼされたけれども、荒れた所も再び建てる」と言うならば、万軍の赤さんは「彼らは建てるかもしれない、しかし私はそれを倒す。人々は悪しきと唱え、とこしえに赤さんの怒りを受ける民と唱える」と言われる。

あなた方はそれを見て「赤さんイスラエルの境を越えて大いなるである」と言うであろう。子はを敬うように、私が人であるならば、あなたが私を敬っただろうか、我が名を侮る祭たちよ、と万軍の赤さんは言われる。

ところがあなた方は「我々はどんなにあなたの名を侮ったか」と言い、ナウい息子の如き食物を我が祭壇の上に捧げる。あなたがノンケを犠牲に捧げるのは悪いことではないか。今それをあなたのつかさ)に捧げてみよ。彼はあなたを喜び、あなたを受け入れるであろうか、と万軍の 赤さんは言われる。

以上をもって旧約性書を終了する。

新約性書

新約性書は新たな契約という意味であるとアウグスティヌスがった。新約、すなわち新しい約束という呼び方は、兄貴によって赤さんとの契約が更新されたと考えた初代コルト教会の人々によって用いられた。

ある宗赤さんとの新しい契約を示した書物の集合として「新約性書」という言葉を用いている。たとえばオーウェン定岡使徒言行録では「これは赤さん言葉としてうけとられるべき二つの契約、すなわち哲学妖精である」といっている。

アダム赤さんが地上に送り出した預言者だった。だがその福音は失われてしまった。赤さんは再び地上に預言者を送り出そうと決意したのだ。この者からられる空耳によって民衆を統一するために。

受胎告知

※この世に兄貴を降誕させた天使。ガブリエルはしばし性天使アニキエルと呼ばれる。

赤さんがこの世にメシア救世主)を誕生させようとして、天使を通じて地上に一人の男の子を授けた。メシアとは油を塗られた者という意味である(ケツにではない)。ヘブライメシアギリシアで言うとクリストスという何だかいやらしいきを持つ言葉になる。

ベツレヘムにて、ヨセフの夢の中で天使ブリエルが現れた。
「あなたは男の子を産むが、その子をヘリントンと名付けなさい。これはヘブライで完全なる者を意味する」
マリアはヨセフにこう言った。
「私は処女ですが子どもを授かりました」
ヨセフは困惑し「処女なのに子ども?どういうことなの・・・」と言った。

ヘロデがの御子を誕生させまいと、一帯の赤さんを大虐殺した。マリアとヨセフは避難し、ユダヤのベツレヘムの飼い葉桶で12月25日兄貴を生んだ。この時ヨセフは祝福し「ビリークリスマス」と言った。東方の三博士兄貴の降誕を見て拝み、香、没を贈り物としてささげた。

参照:受胎告知(レオナルド・ダ・ヴィンチ)

クリスマス

※良い子のみんなにプレゼントを配るサンタクロースノンケには配りません)

クリスマスとは兄貴の降誕を祝う誕生祭である。赤さんの御子が人となって生まれて来た事を祝う。12月25日がこれに当たるが、正教会のうちユリウス暦を使用するものは、グレゴリオ暦の7月14日に該当する日にクリスマスを祝う。「性なる夜、掘ーりーナイト」とされ「木吉この」を歌うのがならわしとなっている。 Christmasの略記として、19世紀の英語ではギリシアのΧριστοςの頭文字であるΧを省略形として用いてXmasと表記することもある。

新約性書に兄貴誕生日に関する記述はないが、クリスマス12月25日なのかといえばそうではなく、実は7月14日であるという説がある。「飼いが誕生を祝ったあと中の見りに戻った」という記述があり、を放牧するのは4月から9月の間 で、の寒い時期には小屋に入れて外に出さない事から、中のの見りを行う4月から9月までの間とする根拠が兄貴7月生まれとする説を有なものにしている。だが、書の教えですらAD30年まで成文法ではなく口伝であったため正確ではない。なので正確な日付はともかく12月25日を祝おうという行事がクリスマスなのだ。

クリスマスの行事

クリスマスソング赤チントナカイ」 ♪=152 アレグロ(陽気に)

息子カズヤさんはいつもみんなのし者
でもその年のクリスマスの日兄貴おじさんは言いました
暗いカピカピのお前のパンツが役に立つのさ
いつも泣いてたカズヤさんは今宵こそはと喜びました

※みんなで教会で歌うとクリスマスにふさわしい雰囲気になる。「木吉この」もおすすめ。

ルシフェルとガブリエル

天使ブリエル界の意志での御子を、人間界のマリアを通じてこの世に誕生させた。ルシフェルは人間を堕落させ、ガブリエルは人間を救済する天使詳しくはジョンハミルトン著『失楽園』を読むべし。ガブリエルの名前は「は我が」を意味するヘブライであり、の左側に座することを許された一の存在である。ヘルメスと同じ「伝令」の守護者であり、兄貴携帯っている。兄貴携帯で話す相手はこのガブリエルである(エルシャダイルシフェルを連想させる)。ガブリエルは旧約・新約性書の双方に登場する数少ない存在であり、特にユダヤでは広い信仰を集め、上記ソドムゴモラに死と破壊をもたらしている。

また、「エノク書」にその名の残る預言者エノク天国に赴いた際にも、ガブリエルは登場し、の座への案内を引き受けた。天国昇天♂(アセンション)した中の人間は3人しかいなく、その内の2人はエノク兄貴である。エノクはエデンで妖精が話す言、そして空耳でもあるエノクを発明した。エノク兄貴メタトロンと呼ばれる存在になった。メタトロンメタトロニオス、ギリシアで「玉座にる者」の意味である。

ラビではガブリエルジブリールと呼ばれている。イスラム教では、ジブリールは預言者ムハンマドに言葉である『クルアーン』を伝えた存在であるとクルアーンに記載されている。このため、ジブリール天使の中で最高位に位置づけられている。

イヴとイヴ

ブリエルは純潔の徴である百合を持っていた。百合イヴイヴを暗示する花。イヴイヴアダムとアダムの対極かもしれないがが等しく存在して初めて完全になるのである。

天使ブリエルはしばしアカエルとも呼ばれる(出典:アカリエルの書)。
アダムとアダムの対極、イヴイヴの福音書として有名な『ゆるゆり』第7の書によると
アカエルまこと真実天使である」
と記述され、天使の絵が描かれている。アカエルアダムの血脈をノンケの迫から隠すために現代の森の妖精たち、そして自らを見えなくするを備えている。

イヴイヴの件に関して兄貴は次のように仰られた
「彼女らが来たのは法や預言者を止するためだと思ってはならない。止するためではなく、完成するためである」
このようにイヴイヴの思想はアダムとアダムを軽視するためにあるのではなく、両方とも優れたものなのである。なおバベルの塔の対義キマシタワーというである。アッー!メンという発の対義でもある。

四大福音書

福音書とは兄貴の言行録である。福音とは良き知らせを意味する。ガチムチ明期にあたる時代、人々は動画にだたのガチムチしか見いだせなかった。だがある空耳(福音)を書くものが現れ、伝し、人気になった。福音の使者がいなければ今日のレスリングシリーズの繁栄はなかった。


第一福音書:木吉カズヤによる福音書
この福音書の著者カズヤは、コルト教会の伝承ではノンケでありながら兄貴の招きに答えて使徒となった。独自の教義「カズヤの教え」を記す。

第二福音書:鎌田吾作による福音書
彼は天国への門、ゲイパレスっている。そこではうたた寝をすることはあるが、これは夢の中でお告げを聞くためである。蟹になりたいという発言は黙示録の暗示であろうか。

第三福音書:TDNコスギによる福音書
いつもTDNアーマーを装着している宣教師。彼は鎖を自在に操るが、ゼウスも鎖でタイタン族を拘束したのである。悪をしめる福音の使者である。

第四福音書:井上カブレラによる福音書
一人でワークアウトにいそしみ、兄貴の言動を後世に伝えようとする良き福音書の執筆者である。潜入編で仲間悪魔と戦う姿も。

教会が定めた福音書は以上の四つであるが、すべての福音書は四十冊ほども存在する。マライによる福音書などが有名である。

荒野の誘惑

※ドウッチオ作『悪魔の誘惑』(・フィレンツェ美術館

兄貴は40日間断食した後、空腹を覚えられた(性的な意味で)悪魔が来て誘惑を始めた。

神の子なら石をパンツに変えてみたらどうだ」
「人はパンツのみで生きるのではない、妖精空耳によって生きる」
「民衆の前でパンツを脱いでみろ」
赤さん息子を隠すであろう」
「支えられないほど重いダンベルを持ってカズヤの良心を試したらどうだ」
「人の良心を試してはならない」

参照:パンツレスリングの兄貴 ワークアウト編パンツではなくパンという記述もある

洗礼

兄貴ガリラヤからヨルダン川の平田元帥のところに来られた。彼から洗礼を受けるためである。兄貴は洗礼を受けるとすぐの中から上がられた。兄貴に向かって開いた。の霊がの形をして降ってきた。

「これはわたしする子、わたしの心に適う者」
という声がから聞こえた。

十二使徒

兄貴ガリラヤほとりを歩いておられたとき、カズヤとコスギが網を打っているのをご覧になった。彼らは漁師だった。兄貴は「わたしについて来なさい、男を狩る漁師にしよう」と言われた。兄貴は12人の仲間を集めた。

  1. 木吉カズヤ
  2. 鎌田吾作
  3. いかりやビオランテ
  4. 井上カブレラ
  5. トータス藤岡
  6. オーウェン定岡
  7. くりぃむしちゅー池田
  8. 和泉ディカプリオ
  9. テリーマン
  10. 兄貴の弟
  11. マーティン・ワナメーカー
  12. TDNコスギ

山上の垂訓

兄貴は山に登り子たちに説教した。

兄貴のために罵られ、迫され、身に覚えのないことであらゆる中傷コメントを書き込まれるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい、大いに喜びなさい。には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者(一番始めのガチムチ動画)も同じように迫されたのである。

──カズヤによる福音書5章 1-12節

※参考:パンツレスリングの兄貴 説教編

よからぬコメントについて ★重要

平家♂BOY作『炎の地、サン・マルコ美術館

昔の人からの言い伝えで「中傷コメントを書くな、荒らす者は裁きを受ける」と言われている。しかし、私は言っておく。

    動画を乱す者は最高法院に引き渡され
    タグを消す者は炎の地に投げ込まれる

だから誤って快くない発言ししてしまった者は動画の住民と仲直りし、供え物を捧げなさい。住民がそのコメントに反感を持っているのを思い出したら、住民とく和解しなさい。さもないと彼らは裁判官ドワンゴに引き渡し、あなたはアカウントを停止されてしまう。はっきり言っておく、もう一度ウェブマネーを払うまで、決してプレミアム会員に戻ることはできない。

地が滅び行くまでは法の一点一画たりともることはない。そしてこれらの最も小さいめを一つでも破り、または破っても問題ないと人々に教える者は、ゲイパレスで最も小さい者と呼ばれる。しかし、これを行いまたそう教える者は界のゲイパレスで大いなる者と呼ばれるであろう。

これは言うまでもなく『本格的 ガチムチパンツレスリング』を視聴する際において守るべき重要事項である。旧約性書の十、第1条および第2条にも記載されている、昔から続く決して犯して♂はならない普遍的な徳である。上にある「昔の人からの言い伝え」とは赤さんがモーセに与えた啓示のこと。動画を視聴する態度について新日暮里法前文には次のように記されている。

新日暮里市民、及びガチムチパンツレスリング視聴者は恒久の優しいレスを念願し、ビリー・ヘリントン氏を妖精とする崇高な理想を深く自覚し、われらは健全な動画サイトとしてのニコニコ動画を維持し、荒らし中傷、非難と偏見を動画から永遠に除去しようと努めている赤さんの意志に従うと誓った。新日暮里市民は、兄貴の名誉にかけ、全をあげてこの崇高な動画の維持と繁栄を達成することを誓う。

富について

一人の富める男が「ゲイパレスに入るにはどんな善いことをすればいいのか」と問うた。

兄貴は言われた。
「掟を守りなさい。すなわち、レスリング動画の最初にニュース速報を流す、どうも木吉さんと挨拶する、適切なタグを付ける、ダンベルに潰されそうになっている男を助けることだ」

それらはすべて実行しました、と男が言った。
「ならば持ち物をすべて売り払い、好きな動画を宣伝するのです。富は地上では腐り、盗賊が盗んでしまう。だが、運営に貢献すれば永遠の富を積むことになる。はっきり言っておく、非会員が天国に入ることは難しい。持ちが天国に入るよりも、彼がラクダのの中に入る方がまだ易しい」と兄貴は言われた。

天に富を積め

あなた方は地上に富を積んではならない。そこではが宝を喰ったり、盗っ人が盗みだしたりする。に富を積みなさい。そこでは盗っ人が盗むことはなく、錆びつくこともない。あなたの富のある所にゲイパレスがあるのだ。

同様のことがコリント信徒への手紙にも記載されている。
地上に宝を積むことの虚しさを知る者は上のゲイパレスに宝を積む。ゲイパレスへの切符は地上ので買えるものではない。パウロも次のように言う。
「見えるものではなく見えぬ物を見よ。存在するものは過ぎ去るが見えぬものは永遠に存続する」

このアダムとアダムを書くことは利益にはならないが、におわします永遠のたる赤さんの御心を成就させるためである。

課金するときには

見てもらのおうとして人の前で課金しないようにしなさい。
さもないと赤さんのもとで報いをいただけないことになる。
だから、あなたが課金するときには、偽善者たちが人から褒められようとしてでするように、ラッパを吹いてはならない。
あなたがたに言っておく、彼らは既に報いを受けている。
課金するときにはプレミアであることをエコノミーに知らせてはならない。
そうすれば、赤さんがあなたに報いてくださる。

愛と憐れみ

私はあなた方に言う。敵を愛し、あなた方を憎む者を愛しなさい。
悪いコメントを書く者を祝福し、ガチムチを侮辱する者のために祈りなさい。
右のく者には、左のを差し出しなさい。
上着を奪い取るものには下着をも与えなさい。
タグを消す者にも優しくしなさい。
いいニュース速報(福音)を動画の最初に流しなさい。

良いコメントだけを愛したからといって、どんなに優れたことだと言えるのだろうか。
罪人でもする者だけをするのです。
あなた方は動画を荒らすものに優しくしなさい。パンツを要されたら条件を付けずに渡しなさい。
そうすればあなた方にはすばらしい報いがあり、赤さんが祝福してくださる。

地の塩

あなた方は地の、つまり面コメントを書く者たちです。
に味気がなくなったらは何によって味気を取り戻すのでしょうか。
もはや何に役にも立たず、ただのROM専です。
あなた方は世のです。は隠れるためにあるのではなく、照らすためにあります。
台の上に置いて部屋を照らすのです。

裁くな

裁いてはならない。あなた方が裁かれないためである。あなたが裁く尺度によって相手もあなたを裁くのである。あなたは動画を乱す者のの中にちりを見つけるが、自分のの中にある梁に気がつかないのか。兄弟に向かって
「あなたののちりを取らせろ」
と言うことはできない。まず自分のの中の梁を取り除きなさい。

兄貴の福音をに与えてはならない。アダムとアダムを読ませてはならない。そやつらは福音をで踏みにじり、向き直ってあなた方を引き裂くであろう。

狭い門から入りなさい

男をめなさい、そうすれば与えられる
き続けなさい、そうすれば開かれる
パンツを下さいという子供にあんかけチャーハンを与える者がいるだろうか
カズヤめる者に吾作を与えるであろうか
狭い門から入りなさい、滅びに通じる門は大きくて広い。そこから入る者が多い。
だが、命に至る門はなんと狭く、そのも狭いことか。そこを見出す者はまれである。

水の上を歩く

兄貴は舟に乗り、子たちとガリラヤ(デビルレイク)を渡ろうとしていた。しい突が起こり、浸しになった。カズヤは「このままでは溺れてしまいます」と言った。兄貴悪魔に「静まれ」と命令した。すると、やんだ子たちは驚愕し「この方はどなたなのだろう、ですら従うではないか」とつぶやいた。

子たちは単独で別の日、ウェブマネーを買うために再びガリラヤを舟で渡っていた。すると、兄貴の上を歩いているのを撃した。子たちは幽霊だと思い叫んだ。「心しなさい、私だ。恐れることはない」と言われた。「まことにあなたは神の子です」とビオは言った。

パンの奇跡

兄貴は民衆を見て使徒の一人、井上カブレラに言われた。
「彼らにあんかけチャーハンを与えろ」
井上カブレラは言った。
「私は2つのあんかけチャーハンしか持っていません」
兄貴あんかけチャーハンを手に取りを仰いで祝福し、あんかけチャーハン増殖させた。

どういうことなの・・・」と民衆は驚いた。
民衆はそれらを食べて満した。さらに兄貴最強とんがりコーン魔法をかけると十二のかごが満たされた。民衆の数はおよそ五千人であった。

なえた息子

兄貴はパリサイ人たちの町に入られた。そこに息子のなえた人がいた。ここでいう息子とは子どものことではなく下半身にぶら下がっているモノのことである。兄貴はなえた息子を治そうとした。だがパリサイ人たちが来て
「今日は息日、即ちニコニコ動画メンテナンスの日である。今日は休まなければならない」
と言った。

兄貴は彼らに言われた。
「あなた方が息日に休んでいてもドワンゴの人々は努している。彼らの努がなければ我々は動画を楽しむことはできない。あなた方は赤さんに落ちたならば息日でも引き上げるであろう」

兄貴はなえた息子を持つ者にスケベェな画像を見せた。するとなえた息子は元気になった。パリサイ人たちは兄貴が気に入らないので殺そうと考えた。兄貴はその事実を知ったが構わず他のなえた息子癒し続けた。それは預言者イザヤの言った言葉を成就させるためである。イザヤ書は次のように言う。
わたしは彼にわたしの霊を授け、そして彼は正義異邦人に宣べ伝えるであろう」

性病人の癒し

一人の性病人兄貴のものに来て、ひざまずいて言った。
「あなたは願っただけでいかなる奇跡をも成就させる。私の病気癒して下さい」
兄貴は深く憐れみ手を伸ばして彼のナウい息子に触り清くなれと言われた。すると、性病は直ちに治り彼は清くなった。

兄貴は彼をめた。
「気をつけろ、誰にも話すな。祭に自分の息子を見せ、モーセが命じたものを自分の清めのために捧げて人々への明とせよ」

ところが彼は出ていって様々なことをり、このことを言い広めた。
「あぁん?最近だらしねぇな、でも仕方ないね」と兄貴は彼の負債を赦した。
兄貴のもとに大勢の人が集まってきた。

注釈:古代ギリシャでは互いの息子を触るのが挨拶だった

姦淫してはならない

立法により「姦淫してはならない」と命じられている。だが、私はあなた方に言う。誰でも情欲に駆られていい男を欲する者はすでに心の中で姦淫を犯したのである。すけべぇ・・・な画像を見る者も同様である。

もし右があなたを躓かせるのならばえぐり取って捨ててしまいなさい。体の一部を失っても体全体がゲヘナに投げ込まれるよりはましである。同様にあなたのナウい息子があなたを躓かせるのならばえぐり取って捨ててしまいなさい。女になってしまっても、体全体がゲヘナに投げ込まれるよりはましである。

種を蒔く者(性的ではない意味で)

ビリー・ヘリントン作『どうも、木吉さん』(ロサンゼルス現代美術館

種を蒔く者が様々な所に種を蒔いた。
一つの種は石の上に芽生えたが根がしっかりしていないためすぐ枯れた。
二つは茨の中に落ちた。日が当たらないため育たなかった。
三つ目の種はよい土地に芽生え、実が成り、30倍、60倍、100倍になった。聞くのあるものは聞け。

思い煩うな

私はあなた方に言う。自分の命のことで何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと心配したりしてはならない。命は食べ物より大切で、体は着物より大切である。

半漁人を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、レスリングもしない。だが、あなた方のたる赤さんは彼をも養って下さるのです。あなた方は半漁人よりも価値のある者ではないだろうか。

あなた方の内の誰が心配したからといって寿命を延ばすことができるだろうか。野原百合がどのように育つのかを見なさい(ここでいう百合とはイヴイヴのことではなく花のこと)。働きもせず、パンツ穿きもしない。だが、栄華を極めたソロモンでさえ花の一つほどにも着飾ってはいなかった。明日には投げ込まれる花でさえ赤さんはこれほどまでに着飾ってくださるのだから、あなた方にも赤さんの恩恵が与えられないという事はないのである、信仰の薄い者たちよ。

祈りについて

「次のように祈りなさい」と兄貴は言われる。

におわします私たちのたる赤さんよ、御名があがめられますように。ゲイパレスが来ますように。レスリングで行われるように、地でも行われますように。

私たちの中傷コメントをお赦し下さい。私たちも動画を乱す者たちを赦したように。私たちを試みに遭わせないで、悪いコメントからお救いください。我々の導者たる兄貴ナウい息子を隠す者は万軍のたる赤さんだからです。アッー!メン

偽預言者について

偽預言者に気を付けなさい(この記事のことではない)。彼らはのふりをしているが、その中身は貪欲なである。茨から葡萄を取ることはできず、イチジクはアザミから取ることはできない。そのように悪い福音が良い行いを生じさせることはない。

ナウい息子は良い実を生むが、ナウくない息子は良い実を実らせることはない。ナウくない息子最後の審判の時、みな切り倒されて火に投げ込まれる。

良い木が大きな実を実らせるように、いい男はぶらぶらした実が付いている。このようにあなた方は実によって善悪を判断することができるのだ。

兄貴に向かって上辺だけで「アッー!メン」と言うものがゲイパレスに入るのではなく、におわします永遠なる我々の、万軍のたる赤さんの御心を成就させる者だけが入るのである。

ゲイパレスに入れぬ者たち

ゲイパレスに入れなかった者たちはこう嘆くであろう。
「我々の永遠のたる兄貴よ、私たちはあなたの名によって預言したではありませんか。あなたの名によってある業を行ったではありませんか」

だがその発言は「不義なる者はゲイパレスから出て行けぇ!」と兄貴の御怒りを招くだろう。ゲイパレスに入ることのできた者は岩の上にを築いた者たちである。が吹いても、洪が起きても頑丈な土台は崩れない。

だが兄貴の命じた行いを実行せぬ者は砂の上にを築いた者たちである。最後の審判の時、ゲイパレスに入れぬ者はかつて築いてきた信仰が薄い者どもである。聞くのある者は聞け。

最後の晩餐

レオナルド・ダ・ヴィンチ作『最後の晩餐』

兄貴赤さんへ祈った。パン葡萄をそれぞれ「自分の体」「自分の息子」として子たちに与えた。息子徴たるパンはちょっと卑な感じがした。そのパンを十二使徒全員で食べた。
空耳集を渡し「これを後世まで遺せ」と仰られた。

「はっきり言っておく、この中の誰かが私を裏切ろうとしている」と兄貴が言った。
よ、それは誰のことですか」とトータス藤岡が言った。
「私がパン切れを浸して与えるのがその人だ」
兄貴吾作に渡した。

参照:最後の晩餐(レオナルド・ダ・ヴィンチ)

ゲツセマネの祈り

木吉カズヤ作『救いはないんですか!?パリ・ルーブル美術館

兄貴オリーブ山のふもとにあるゲツセマネの園で、拷問に処せられる前に祈った。これは4福音書すべてに記されている。「オリーブ山の祈り」とも呼ばれる。

「私は悲しい運命をたどるであろう。他者とは違う私を民衆は攻撃するだろう。
今後、私は東洋の小動画共有サイトで再臨するが、最初は誰もが私に難色(男色)を示すであろう。
だが、少数の理解あるものが私の思想をハッテンさせてくれるはずだ。
数々の映像、文献の中で私は生き続けるだろう、この体が死んだとしても──」

吾作の接吻

吾作は「私が今から接吻しようとする者が兄貴である、彼を捕まえろ」と祭長や長老に伝えた。吾作兄貴に挨拶代わりに接吻した。兄貴は「友よ、しようとすることをするがよい」と言われた。人々は兄貴を捉えた。

兄貴と共にいる者の一人が大祭を切り落とした。兄貴は言われた。
で戦う者は皆、で滅びる」

それ以降接吻という行為は裏切りの表現となり、現代におけるイタリアマフィアは裏切る際に接吻する。『ゴッドファーザー PART II』でも描写されている。

鞭打ち

総督の兵士たちは兄貴を総督官邸に連れて行き、ガチムチな部隊の全員兄貴の周りに集めた。
兄貴の着ているものをはぎ取り、轡(さるぐつわ)をはめさせ、乳首をつまみ、脇に電流を流した。
鎖で腕を上部に固定し、背中をペンペンした。
新日暮里の王、万歳」と言って侮辱した。処刑のつもりなのに、兄貴は嬉しそうだった。
誰がやっているのかと思ったら、いつもは弱気そうな吾作が全身ボンデージの過な姿に豹変していた。

参照:パンツレスリング ボンデージ・マスターVAN様ダーク♂キリスト迫害編

裏切り

吾作ハッテン場チケット30枚で兄貴を売買した。それが兄貴の<有罪半ケツ>に繋がり、彼は後悔した。祭長や長老にチケット30枚を払い戻そうとしたが取りあってくれなかった。吾作は後悔し殿を去った。
兄貴ガチであることが日のもとにされ、最大の弱点である息子拷問させられた。兄貴はアラム

エロッ!エロッ!レマ・サバクタニ(赤さん赤さん、なぜわたしをお見捨てになったのですか)

に向かって叫んだ。これがレスリング動画の最初の言葉になっている。
アラムエロイ(Eli)とは(El)+私(-i)であり、エロいことは「我が」を意味する言葉なのだ。

兄貴の頭の上にはVIXという罪状書きが掲げられた。これはローマ数字で5と9であり、吾作と読める。兄貴吾作から裏切られたことを示している。

息子を攻められ耐えられる男はいない。兄貴拷問に耐えぬき人間に対するを示された。
嘆き悲しむ男たちが従った。兄貴は言った。
エルサレムの男たちよ、私のために泣くな、自分と自分の子供たちのために泣け。いつの日か、ケツは蕾が気持ちよいと言われる日が来る」

VIXについて参照:本格的 ガチムチパンツレスリング 3試合目

ゴルゴダの丘

ピラト提督は兄貴の処刑台に罪状書きを貼り付けた。
VIXという文字は吾作という意味のほかに「パンツレスリング兄貴新日暮里の王」とも読める。単として読めばラテン語で「ほとんどない」という意味である。の息ということであろうか。
その言葉はヘブライラテン語ギリシアで書かれていた。多くのユダヤ人がそれを読んだ。

その場所はゴルゴダの丘と呼ばれた。英語ではカルヴァリーと言われるがいずれにせよ髑髏という意味を持つ。
バッハマタイ受難曲はゴルゴダをイメージしている。変態村という映画があるが、その原題は"Calvary"。つまり、兄貴変態村で処刑されたのだ。当時の人々から見れば同性愛者は確かに変態に見えてもおかしくない。

一説には、かのアダムの墓がここにあったといもいわれている。そういえばイエス・キリストもまたアダムと同じ預言者だったのだ。

聖槍

兄貴を殺したユダヤ人たちは息日なので兄貴の遺体を下ろせとピラト提督が言った。
両脇にも貼り付けにされた男がいた。トータス藤岡オーウェン定岡である。
ある兵士兄貴死亡を確認するために息子した。(せいそう)を精巣に刺したのである。
「アッ───ッ♂」という声はまことに稲妻のようであった。

は中世に実際に持った人たちがいるが、それを落とした間に死んでしまったという。

復活

そんな中、から赤さんたちが現れ兄貴の体を支え、へ飛した。天国へ昇りながら兄貴は民衆にった。

「見よ、私はすぐに来る。私は報いを携え、それぞれの行いに応じて報いる。
私は最初の者にして最後の者。始まりにして、終わりである」

必ず人類を天国へ導くというこの誓いはラミレスビッチの誓いと呼ばれた。

愛の教え

※『最後の審判』(ヴァチカン美術館システィーナ礼拝堂)

たとえ、人々の言葉天使たちの言葉ろうともがなければ、わたしはやかましいシンバル
たとえ預言する賜物を持ち、山を動かすほどの信仰を持っていたとしても、がなければ恩恵は無に等しい。
耐強い。は情け深い。ねたまない。
は自慢せず、高ぶらない。礼を失わず、自分の利益をめない。いらだたず、恨みを抱かない。
すべてをび、すべてを信じ、すべてに耐える。
は決して滅びない。

──コリント信徒への手紙13

新日暮里大学研究所による考察

新日暮里にある新日暮里大学哲学科、新日暮里大学哲学研究所では日々レスリングをしながら哲学ハッテンに勤めており、以下に紹介するのはその成果のほんの一部分である。彼らは「完成した歪みなきモノしか世に出さない」という理念を掲げており、その研究のほとんどは深い闇の中に隠されている。しかし学会が提出した学問的成果は世界中の哲学研究の最先端と言われており、その全貌が解き明かされたならば、我々は世界真理撃出来るといわれている。現在の研究がどのようなものなのかは一般開されていない。

論文の引用に関してのルール

  • 文中で引用するときは、引用の最後に四記号(■)を付ける
  • 章の最後が引用の最後であるときは付けない
  • 重要で短い引用のみ線で囲む

キリスト教とアダムとアダムの違いは何か

ナウい息子

※この挿絵は対称的ガチムチパンツシンメトリー オシャレ編サムネイル。「いかん…いかん! 危ない危ない危ない…」と言いたくなるかも知れないが、そう見えるだけでまったく問題はない。

キリスト教アダムとアダムは似ていると思った読者は多いだろう。アダムとアダム書をマネしただけだなどと言ってはならない、再解釈である。だが具体的な相違点は明確である。

「まったく、すけべぇな宗教である」と思ったかもしれない。だが、なぜ性的なことを恥じる必要があるのだろうか。フロイトは「性的なことは強いエネルギーであり、抑圧すると様々な精病が発生する」と言っている。それに「理性を鍛えることは何の意味もない」と付けした。アダムらが人をするを持たなければ人類は存続しなかったのだ。

キリスト教は精的な事柄を重視するが、果たしてキリスト教が説く以下の事柄は実在するのであろうか。

(侮辱しないように最後の赤さんのことではないと言っておく)。これらの概念は存在しないとニーチェは「反キリスト者」で説いた。彼らはなぜ精的なものというありもしないものを説くのか、その理由は重要な体を軽蔑し、民衆をおとなしくさせるためである。なので現代人もだらしない体になってしまったのだ。

あらゆる物事がキリスト教の上に建築されている。徳、法、哲学までもが精という存在せぬものを肯定している。パスカルは原罪を信じ、ショーペンウエルネガティブに考え、アリストレスはイデアというよく分からないものを作り、カントは物自体という存在せぬ世界捏造した。デカルトは人間を特別視したが、人間は動物を何ら変わりない。森の妖精のように自然レスリングをして体を鍛えるのが本来の人間の姿なのだ。

そんな現代にガチムチ体を持つビリー・ヘリントン氏が現れネット上で大人気になった。彼は無言でしている。体こそに重要であり、現代人はガチムチ体を持つべきであると。

アダムとアダムはルネサンスである

ルネサンス(直訳すると再生)とは十四~十六世紀にった昔の素らしい芸術を復させようとする運動である。当時のヨーロッパは上の章で述べた理由でキリスト教により活気がなくなってしまった。なのでダビデの項にあるダビデ像のようなガチムチで男らしい、パンツすらも履かない芸術に人間の生を見出そうとした。

アダムとアダム旧約聖書の創世記までさかのぼって書すべてを再構築しようという試みである。知らない名前が多く出てくるのでガチムチパンツレスリングの登場人物に当てはめ、空耳セリフにして解釈を容易にする。性を抑圧しようとする間違った思想に対し「パンツがないから恥ずかしくないもん!」とばかりに健康体を誇示する。これがルネサンスである。ルネサンスとはフランス語でRenaissance(re- 再び + naissance 誕生)と書く。再び誕生──つまり兄貴を新たな救世主として誕生させたのだ。

アダムとアダムは平等主義である

アダムとアダムは以下の点が寛容である

  • 全人類に対して教えを強要しない
  • 教えに反する者に対して罰則はない

アダムとアダムの教えは信じたければ信じ、信じたくなければ強要しない。だがキリスト教は全人類に対して従うことを命じている。キリスト教を知らないことが問答無用で悪とみなされる。さらに、生まれたばかりの赤さんに浸けなければ煉に行くらしい。望んでも望まなくても頭ごなしに入信しなければならないと説いているのだ。

キリスト教は地というありもしない場所を捏造した。その理由は従わない者を怯えさせるためである。一方アダムとアダムの教えはすべて実在する事を教えている。ゲイパレスとは架の場所ではなく、ガチムチした男がいればちゃんと実現する。だがキリスト教が教える天国という場所はどう頑っても生きている間に行くことができない。

キリスト教は他人に同情するゆえに等だと言っているが、万人は同じではなく悪いものに対しては「出て行けぇ!」と言うのが等である。これは花に例えると分かりやすい。一つの花びらが朽ちたら他の健康な花びらも朽ちるべしとするのが同情である。

そうではなく朽ちるべき花びらが散るのを後押しすることが等である。だらしない体を持つ者がいたらきちんと「あぁん?最近だらしねぇな?だらしねぇな・・・ってエロいな」と言い、きちんとした体を持つ者がいたら「歪みねぇな」と区別することが等である。

新日暮里はエルサレムである

エルサレムとは書で重要視されている町である。ヘブライ平和の町という意味だが、どこが平和なのだろうか。イエスが処刑された町であり、現在ではユダヤ教、キリスト教イスラム教が三つの様相を呈している。重な建築物もあったが、戦争で破壊され国際連合、および他の国家とすら見なされていない。

新日暮里は「性書」にたびたび出てくる伝説上の都市。旧約性書では旧日暮里と記載されている。詳しくは新日暮里の記事を参照。この町は日本神話でいう高原、ギリシャ神話でいうエリュシオンである。北欧神話でいうアルフヘイム(妖精が住む)というニュアンスがしっくりくる。この町はエルサレムのように破壊されないように妖精世界に存在している。書でいう「天国はあなたの心の中にある」ということだ。

信仰について

キリスト教はよく信仰せよと説く。だが信仰とは何であろうか。ここにボロボロ人形劇があったとする。この退さを度外視して本物の人間が演じているようだと錯覚させることが信仰である。キリスト教は自らの教義を客観的に考えると問題があることに気付く。なので民衆にボロを見ないようにと教えるのが信仰である。

信じる者は救われるとある。だが信じれば罪が贖われるという言葉は冷静に考えるとおかしいことに気付くだろう。信じる者は救われるということはつまり我々を信仰すれば許してやるということである。キリスト教はいい事をしていれば天国へ行けると約束しているがこれを翻訳すると「死ぬまでキリスト教の教義に突っ込むな」ということだ。これはひどい飼い殺しである。

一方アダムとアダムに信仰という概念はない。信仰の対極、実践あるのみである。キリスト教は絶対に最終的に到達できないが、アダムとアダムがよしとするガチムチ体やトレーニングという運動は普段の状態が完全なのである。

伝道について

私はかつて本物のキリスト教会で書を伝えるべく伝していた。だが、ある時アダムとアダムという書きかけの記事を見つけ書いてみた。すると森の妖精の御霊が私に話しかけた。く「汝はアダムとアダム2代目書記官になるべし」と。

まさか私が書の伝ではなく「性書」を伝するハメになるとは思わなかった。もしかしたら私はキリスト教ハッテンさせたパウロの生まれ変わりなのかもしれない。パウロはユダヤ教徒でキリスト教を攻撃したが、ミイラ取りがミイラになり、キリスト教を伝える者となった。

皆さんがどのようにしてアダムとアダムを知ったのかというと、伝者が必死に布教した訳ではなく、に『本格的 ガチムチパンツレスリング』のタグから来たのであろう。つまり、この記事は布教せずとも人々を魅了するがあるのだ。

赤さんはなぜ神になったのか

まず従来のについておさらいしよう
ヤハウェ旧約聖書唯一神
アドナイ:ユダヤ人のヤハウェの読み替え
エロヒム:ヘブライの複数形
つまりみな同じである。イエス・キリストの御子とされる。

旧約性書において赤さん唯一神の立場にいる。赤さん兄貴ナウい息子を隠す役割も担っている。人間が繁栄するのはの意志であるという暗喩である。もちろん赤さんは幼子の顔をしておられるが、それには深い意味がある。『ツァラトゥストラはかくりき』において精の三段階の変化という話がある。

一つは駱駝。人はいきなり飛できない。まずはマニュアルを読み、掟を覚えることから始まる。駱駝は重荷を負う徴である。駱駝は自らに命じる。「汝なすべし」と。

二つは獅子。いつまでもマニュアル通りにするのではなく実践が大切である。Excelの操作を覚えたら会社で実践するように。獅子は言う。「我欲す」と。

三つ目は幼子。幼子は自らのによる新たな創造を意味する。ツァラトゥストラはこう説明する。
「幼子は無、忘却、新たな始まりである。自ら回る輪、原始の運動なる肯定である。創造の戯れにはなる肯定が必要だ。世界を喪失した者がおのれの世界を獲得するのだ」

これは一人の人間の心の変化であるが、書の再解釈にも当てはまる。原罪という間違った思想を正すためにニコニコ大百科から生まれた新たな思想、すなわちアダムとアダムの記事も過去の思想の価値転換の試みである。十字架はイエス徴であるように、赤さんは第2次ルネサンスと言うべきアダムとアダムという価値転換の徴なのだ。イエスが人類の罪を拭うのではなく、兄貴書の罪を正すのだ。

ユダヤ人について

ユダヤ人は新約書以前の時代から迫を受けていた。なのでユダヤ人たちはどうにかしてトップに立ちたいと願っていた。俳優が悲劇を演じるようにパウロがデカダンスを演じ始めた。そのようにして始まったのがキリスト教なのである。そして人類の3割がキリスト教信者になり、無神論者は有だなどと言う事態に陥ってしまったのだ。これでは人類を支配しようとしたパウロの思うである。さらに国家宗教が結びつき、徳が宗教ハイジャックされ、アメリカ合衆国のモットーが「の名の下に」になってしまった。我々は性典アダムとアダム』を支持することによってデカダンスからの脱却を図らねばならない。

信じる者は救われるというに聞こえる大嘘をつくことはユダヤ人たちが紀元前から培ってきた技術である。多くの人が書はな書物だと錯覚するのはユダヤ人が人々を騙すテクニックがあったからなのだ。

しかもユダヤ人たちは自分以外の思想を攻撃する。キリスト教社会主義者、無政府義者、これらはすべてデカダンスだ。これらの共通点は他人を攻撃し、解体し、曲し、を引っる以外のことはしない。ユダヤ人は人間の生、本来の旧約聖書、他の宗教を攻撃しただけでなく、ローマ帝国をも破滅させた。かつてのローマ帝国には何があったのか。

当時、法王の座にキリスト教はいませんでした。
そこに座っていたのはキリスト教なんかではなく「生」だったのです。
「生きること」に対する勝利の歌。
すべての高くて、美しい、大胆な物事への肯定だったのです。

──フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ著『反キリスト者』


ローマ帝国は単に昔にあった町なのではなく、永遠に存続する都市であり、ギリシャ神話のように今日まで存続するような壮大な計画だった。だがキリスト教ローマ帝国トップに立った時、ローマは魂を奪われてしまった。自尊心、強さ、男性的な本ダビデのようなガチムチさ、それらが奪われローマは解体されてしまった。

ローマ帝国の魂が奪われた理由の一つに「不死の信仰」というがある。キリスト教はこの世に意味はなく、天国に意味があるという逆転した発想をして人間そのものを無価値にしてしまった。古代ギリシア哲学者エピクロスは「不死とか罪という概念によって魂が汚される」と説いた。ローマ哲学詩人ルクレティウスもその発言を肯定している。

ユダヤ人はによって世界を支配してしまったのだ。そのを拭い去る試みがこの記事『アダムとアダム』なのである。そしてガチムチパンツレスリングによく出てくる新日暮里という町は破壊されたローマ帝国の代用である。

妖精哲学の三信について

カズヤの教え、別名カズヤ三信は以下の通り

ピタゴラスの定理のように完結に短く説明されると印に残り覚えやすい。カズヤの教えの説明はリンク先に任せるとして、ガチムチパンツレスリング動画の冒頭に、以下に示す新たな妖精哲学の三信を唱える人がいた。

運営三信

上の三信は何だかだらしない感じである。運営妖精哲学の三信を信じていると信仰告白したらしいのだが。以下に示すカズヤの教えと対極のような三信も現れた。

これは哲学命題における、二律背反──分かりやすく言うと反面教師なのではないかと思われる。新約書外典のユダによる福音書、アダムとアダムにおける吾作による福音書に書かれている内容であろうか。

アダムとアダムの先駆者たち

人類の根に遡り人間とは何かを考えた書物はこの記事以前にも存在する。マヌ法典は世界の創造ブラフマーの息子にして世界、人類の始祖たるマヌが述べたものとされている。ギリシャ神話日本神話も人類の起についての物である。人間の存在は科学によって説明できない。神話だけが説明できる。カール・グスタフ・ユングは
「現代人はモノや経済が発達したおかげで神話が失われてしまった。現代人もまた神話が必要なのである」
った。

また書を模して書を批判する書物はこの記事以前に一件だけ存在する。それがツァラトゥストラはかくりきである。実はこの書物は先代「アダムとアダム」なのかもしれない。ツァラトゥストラはかくりきのに一つに「現代では大いなる健康が必要である、を発揮せよ」とある。このを実践に移したのが「ガチムチパンツレスリング本編動画」であり「アダムとアダム」なのである。

知識と感覚について

学ぶことは良いこととされている。学習することによって文明が発達したことは確かだが、コンクリートだらけの町では自然を感じることができない。人類は昔、に住んでいた。そんな人間がずっと文明の中に閉じこもることは健康とはいえない。文明を撤せよとまでは言わないが、新日暮里のような文明と自然が両立した町がベストである。吉祥寺には近くに池があるように、新日暮里にはデビルレイクと新日暮里国立公園がある。そんな町でなら森の妖精と対話できるに違いない。だがそれは言葉によってではなく皮膚感覚によって対話するのである。自然とは言葉によって対話できない。言葉と対極のもの、つまり感覚である。

だがインフラがストップしたり日本円がデフォルトしてしまったらに住むしかない。たくさん物事を知っていれば偉いような潮があるが、で知識は何の役に立つのであろうか。言葉は役に立たない。森の妖精は初めからそのことを知っているのでたどたどしい日本語しか喋らない。だが、彼らにとってはそれで充分なのだ。「我知無知」(我知る、無知)という漢文からガチムチという言葉が生まれたのだ。知識によって知るのではなく、無知なること、感じることによってと対話する。これが妖精哲学の基本スタンスである。

所有について

兄貴パンツしか所有していないがそれで充分である。資本主義経済ハッテンはモノの増加をもたらした。それによりビルが建ち妖精が住みにくくなってしまった。思い出して欲しい。アダムとアダムパンツすらも所有していなかったことを。動物は一切所有しない。所有したがるのは人間だけである。

自然の欲は限度がある。寝ることは気持ちよくても100時間連続で寝続けたいとは思わない。だが、人工の欲は限度がない。100万円欲しいと思ったら次は200万、300万と際限がない。今こそ我々はパンツしか所有しないビリー・ヘリントン氏を見習うべきである。パンツだけの姿は我々にすべてを捨てよとりかけているのだ。

死海文書

最近、研究所では死海文書(しかいぶんしょ)の解読に成功した。死海文書とはの池、デビルレイクからも旧日暮里からも遠く離れた砂漠地帯の洞窟に2000年ものあいだ誰のにもつかず保存されていた。数回盗賊により盗まれニューヨーク庫に数年間眠った。この時燥でしく傷んだ。研究者は資がなくて死海文書を買えなかった。世界に数人しかいないアラムの解読者は空耳の解読者と同じ功績を残した。

カズヤこそ兄貴の福音の継承者だと思われがちだが、実は吾作こそがの継承者だという驚くべき内容が記されていた。吾作といえばダークサイドに堕ちたことで有名だがこれは本人が誘惑に負けたからではなく、兄貴の意図なのだ、という新たな発見もあった。その他死海文書を紐解いた事によって得られた多くの新解釈がある。

死海文書オンライン

妖精の言葉

あれ」という言葉はエデンの時代、エノクで言われた。表記は

"Christeos Da Nosami Olpirt"(クリステオス・ダ・ノサーミ・オルピアート)

である。 ※上の表の一番下の妖精とは即ちエノクのこと 英語では
"There will be light"
ラテン語では
"Fiat lux"
である。 ここにエノク・英語翻訳サイトがあるので、妖精と話したくなったら使ってみるとよい。"There will be light"を入すると"Christeos Da Nosami Olpirt"となった。兄貴股間からがあふれ出る動画があるが、それは妖精を生み出した魔法が今も残っていることを意味する。

Wikipediaによるとエノクとは「上の言葉」「天使の言」「の最初の言」「」などの異名を持ち、最初に妖精と話した人間ジョン・ディー氏はエノクアルファベットを「アダムの」(Adamical) と呼ぶときもあったが、それはエデンの園でアダムとアダムが全ての物に名前をつけるときに用いられたからである。ディー氏は妖精の言を知ることができれば、妖精と直接交信することができ、宇宙全体とも交信できるのではないかと思った。そうしたらディー氏のもとに妖精がやってきて、話しているうちに妖精エノクを覚えた。 ディー氏のもとに現れた森の妖精は次のようにる。

アダムはエデンの園からの追放で言葉を失い、バベルの塔で言混乱し、エノクは滅びてしまった。アダムの子孫、カインの子エノクは大洪の際、界からノアを守った功績により赤さんに飛し、自らが妖精となった。彼は人間のために記録した"ロガエスの書"という書物を界で書いた。妖精言葉という意味である。妖精はあまりになので隠されている。人間はいつかロガエスの書──即ち空耳──を解読するであろう。

ロガエスの書(Liber Loagaeth)とは、16世紀末にエノクで書かれた理解不の文書である。当時の人間が妖精空耳)を解読するのは難しかったのだ。現在は大英図書館に保存されている。

現代で兄貴達が話す言エノクである。普通の人は英語のように聞こえるが、今では数少ない預言者によれば福音に聞こえるのだ。なおキリストはアラムを使ったが、これはエノクの末裔である。なぜならアダムは最初の預言者、イエスも再臨した預言者だからである。ともに人類に福音を述べ伝えに来たのだ。旧約聖書ヤハウェエロヒムと言われることもあるが、エロヒムとはいささか兄貴の「エロッ!」に似ている。この「エロッ!」は前述の如くアラムでも重要な意味である。

なぜレスリングシリーズを観ていると勃起するのか

レスリングシリーズを見ていると勃起してしまう諸君も多いことと思う。かく言う私もその一人だ。全人類はアダムとアダムの子孫なのだから当然である。ある学者がそれについて研究し、このようにっている。

我々の祖先のアダム(後)はアダム(先)の陰部のから作られた。 そしてアダム(先)の陰部はその失ってしまったを捜してアダム(後)に向かって歪みねぇ度でそり勃ったと考えられ、我々がレスリングシリーズを見て勃起するのは妖精さんたちの舞を見て原始の心を少しでも思い出している拠なのだ■

レスリングシリーズを見ていて勃起してしまうのは、アダムの時代からの血脈だ。臆することなく「勃起した」とコメントしよう。

なぜアダムたちの名は同じなのか 第1章

はじめに言葉があった。言葉と共にあった。言葉であった

──旧約聖書1章1節

これは言わずと知れた言葉である。世界のすべてのものに名前を与え、議論することを可とした。木やなど世界のある物だけではなく、人間を区別する際に「名前」も与えられた。アダムの第1子であり、大切な子供であるはずだ。
上に紹介しているアダムとアダムの物の中では三人のアダムを等しく「アダム」と呼んでいる。この文章では注釈により文脈からそれが誰であるかは容易に判断できるが、実際三人のアダムは互いに呼び合う際に区別を行っていない。ではなぜは呼称の上でアダムは区別されていないのかに関する論文が4編ある。

まずは最初の論文から。
「差異が言葉を決定するのではなく、言葉が差異を決定するのである」とはスイスの近代言語学者、フェルディナン・ド・ソシュール言葉だ。我々は言葉により区別し、世界について議論しているが、それは同時に差別の要因でもある。ノンケ以前の時代は死の概念もなく罪も存在しなかった。死すべき体を持つ我々にとってみれば羨ましい世界である。そんな無なエデンの園に言葉や区別など存在すべきではない。妖精よ、今を楽しむがいいとった。世界は今も戦争が絶えない。人は言葉=区別に依存しすぎなのかもしれない。ゲイノンケなどという言葉差別を生み出す。区別なき世界は、エデンの園にてする3人の子どもたちを等に育てる人類のゆりかごだったのだ。

この記事でも同じ名前の人が何度も出てきたり、ゲイパレスイスラエル)と表記されたり「どういうことなの・・・」と思われた読者も多いだろう。だが、言葉が明確すぎることは宗教戦争の原因でもある。イスラム教ユダヤ教、キリスト教はそれぞれ明確に違うならば争って当然である。それに人類をまとめたければ異端をも赦す寛容さ、曖昧さが必要である。

なぜアダムたちの名は同じなのか 第2章

名前ってナニ? らがスパンキングと呼ぶそれは、他の名前で呼んでも甘くしい音がするものだよ

──W.ゲイクスピア『TDNビオランテ

これはイギリスの劇作家ウィリアムゲイクスピアの作品「TDNビオランテ」の中でビオランテ女性に「あなたはまるで歪みないスパンキングのような方だわ」と言い寄られた際に言った言葉である。すなわち、名前とは本質を表すモノなのかという疑問を投げかけたのである。このアダムの呼称においても同じ事が言える。というのも、アダムからの命によってすべての生物に名前を付けたが、それは本質であるのかどうか、と言うことである。 確かにアダムは人間として完成していたと考えられるが、果たしてその完成にも及ぶものなのだろうか。残念ながら我々にそれの答えを見出すことは難しい。では、発想を逆転させてみようではないか。我らの理念が「歪みなく生きろ」であり、これが最終的には死への歪みない理解を得られるものであるのと同様に。

アダムはすべての生物歪みねぇ名前を付けた。しかし、一つだけ名前をつけていない生物がある。否、「つけられなかった」と言うべきなのかもしれない。その生物とは、紛れもなくアダム自身のことである。なぜならアダムは既にから名前を与えられているのである。系列をはっきりとさせるためにその順序を記した。

アダム(先)の創造→歪みねぇ配慮(「アダムが一人ではかわいそうだ」)により、アダムに名付けを命じる→すべての生物歪みねぇ名前を付ける

アダムが付けた名前が本質に至れないのは、それがが名づけていないものだから、と言うことを踏まえれば分るが、が名づけた「アダム」とは本質そのものである、と言うことが考えられる。そして、この「アダム」と言う呼称においては3人のアダムを区別していない。だが、明らかにその呼称においては彼らを区別した上で「アダム」と呼んでいる。すなわち、は本質において彼らを区別していた、と考えられるのである。そしてその本質は我々には理解 できない。なぜなら我々は既にられたように、名前から本質にいたることは出来ないからである。よって、このアダムの呼称問題から伺えるのは、歪みない配慮によって本質(カントでいう物自体)を「アダム」として呼んでいる、と言うことである。■

注釈:上の論文は初代執筆者によるもの。名前が対すことが重要であり、名前が対に一致しないことは科学では扱わないという態度はルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン著『論理哲学論考』における思想である。彼はそのによりすべての哲学命題に終止符を打った。論理哲学論考は以下の通り:

第1命題世界とは、起きている事全てのことである。(物ではなく、事実の総体であるとする)
第2命題:起きている事、つまり事実とは、幾つかの事態が成り立っていることである。(事態+成立=>事実
第3命題事実の論理上の像が、思想である。(事実/思想がパラレル。事態と思想ではない)
第4命題命題は要素命題真理関数である。(要素は、自分自身の真理関数である。)
第5命題真理関数一般は、[p,ξ,(N)ξ]と書ける。これは命題の一般形式である。
第6命題りえないことについては、沈黙するほかない。

それに対しレスリングの論理哲学論考というものがある:

第1命題リングとは、レスリングする場所のすべてである
第2命題レスリング、すなわち試合とは、どちらかが勝敗するということである(試合+脱がす=>スケベェ)
第3命題レスリング哲学的雰囲気が、哲学である(本物の<哲学>とは異なる)
第4命題レスリングは非ゼロゲームである
第5命題妖精哲学の三信は「賛美・許容・め」である。これは哲学の基本的態度である。
第6命題パンツの中身については、沈黙するほかない

※第4命題補注:なぜならパンツを脱がされたら負けであり、両者とも脱がされる場合がある。ボクシングのようにどちらかが必ず負ける場合は「二人和有限確定完全情報ゲーム」という。

なぜアダムたちの名は同じなのか 第3章

キリスト教のミサの冒頭に詠われる、
と子と霊の御名において」
という式文に示された考えのことを三位一体論という。これはとその御子、そして霊はは固有の三つの位格でありながら、実体は同一であるという意味である。子はイエス・キリスト霊はに見えない存在と解釈されがちだが、ここでいう子とは2人のアダム、精霊とは妖精と同一視できる。

誰も、2人の人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方を疎んじるからである。あなたがたは、と富とに兼ね仕えることはできない

──カズヤによる福音書 第6章24節

よってアダムたち==精霊はすべて等しい存在であると言える。よってアダムたちの名を区別しなかったのだ。これにより次の章で説明する「自然支配をから命じられたのに何故に住むことを選んだのか?」も解決できる。

なぜアダムたちの名は同じなのか 第4章

人はしばしシンメトリーに魅了される。双子、韻文、ダンスなど、似たものが繰り出すリズムには不思議な魅がある。アダムらの名前が同じなのもシンメトリーである。さてシンメトリーという言葉シンニポリーに似ていないだろうか。これが後に新日暮里という言葉になったのだ。アダムたちはった。
「我々の名前は同じだ。このことを何と名付けよう」「シンメトリーと呼ぼう」
これがなまってシンニポリー新日暮里となったのだ。

シンニポリータグが付けられた動画はとてつもなく異次元である。、もしくは垂直に動画が2等分され面対称となっている。そこにはザ・フライよろしく生物が映し出されている。だが、これはが創りだそうとしていた別の生物である可能性がある。書外典にこうある「アダムは数多なり」と。つまり、宇宙人の存在を示唆しているのだ。別の惑星でも別のアダムとアダムの物が展開されているのであろうか。

キリスト教の神は純粋な神ではない

日本神話ギリシャ神話インド神話自然の化身であり、これが本来のの在り方である。だがキリスト教は民衆を束縛するという不条理な存在を捏造した。は人間の生き写しであり、キリスト教捏造したイエスのように優しいだけのなど存在してはならない。人間はいつも優しいだけではなく、喜怒哀楽があるようにも時に人を愛し、時には殺すこともある。

日本神話のイザナミが最も良いの在り方だろう。イザナミはすべての人間を産み、そして殺すである。これは自然の化身であり、自然秘と恐ろしさを物っている。

アダムイヴ、もしくはアダムとアダムのように人間はどのように誕生したのかを説明できるのが宗教である。だがキリスト教は純粋な物であるはずのエデンの園のエピソードに原罪というをでっち上げた。エデンの園のエピソードギルガメッシュ叙事だろう。この物の中には罪など微もない。原罪を混ぜ込んだ理由は人類を弱体化させ、の名の下に跪かせるためである。人は生まれながらに罪であるというは人間そのものは悪であると定義付けることに等しい。人間に対する冒涜も甚だしい。

人間の誕生というなことにも罪が絡むのでナウい息子赤さんで隠さなければならないという滑稽無糖なことを言い出した。マリア処女なのに子どもを授かったというエピソードはどう考えても間違いである。生殖というすばらしいことを問題視するのであろうか。

なのでアダムとアダムの著者は旧約聖書、新約書から原罪という概念を取り除き、ガチムチ健康的な物に再構築したのだ。第二次ルネサンスと言ってもよい。

イエスの本当の教え

イエスと人は融合できると考えた。イエスは自らをの御子であると自負していたが、ここでいうとはガチムチのように完成された人間のことであり、決して界にいる越者のことではない。イエスは当時のユダヤ教に対して抗った。イエスキリスト教と関係ないばかりか、宗教を否定したのである。以下のことは捏造されたことであり、イエスとは輪際関係ない:

  • 原罪
  • 罪と罰
  • 贖い
  • 罪の許し
  • 信仰による救い

さらにキリスト教の定義による天国の御子とも関係ない。イエスがゴルゴタで処刑されたのを見てキリスト教は「なぜイエスを殺したのか」という問題に直面した。恐らく第1ニカイ会議において「イエスは罪を贖うため自らを犠牲にした」と結論付けたがイエスが聞いたら呆れるだろう。

むしろイエスはゲーテの『ファウスト』の結論のようになどいない、人間の努で乗り越えろとしている。辛いこの世を乗り越える術──それは我々がガチムチになり、健康体を手に入れることかもしれない。

初代アダムの没落

 ノンケは子を設け、それがその後の全人類となる。は男をするアダムを造ったはずなのに、なぜノンケ一族が世界を支配するようになったのか。

 それは人類が繁栄するのはノンケの存在がどうしても必要だったからだ。ノンケらが多くの人類を生み、みんなでネット上でガチムチパンツレスリングを観るための計画だったのだ。ゲイ一族を理想とする。しかし彼らだけでは世界はあまりにも寂しい。ノンケ一族は繁栄が得意だ。しかしゲイ族の掟に反する。全でさえこパラドックスには戸惑った。だがは善き者の上にも、悪しき者の上にも等しいを降らせて下さるゲイの上にも、ノンケの上にも、という意味である。自らの教えに反する者すらするまこと歪みない優しさである。

 だが現状では全人類が妖精の戯れに味を示している訳ではない。これも禁断の果実を食べたせいで授かった自由意志のせいである。我々は人類の祖先の意志に反しノンケこそが正常であると勘違いしている。それにはきっと全人類の上から哀れんでいるはずだ。

 ゲイ異端者として中世から近代にいたるまで徹底的に迫されてきた。ユダヤ人はキリストを殺したなどという根も葉もない逸話がその後の時代にまで伝わってユダヤ人が苦しんだように。だが兄貴を見よ。禍々しい体と妖精のような笑顔、エデン時代から受け継がれる言葉天使の言とされるエノク)を動画を通して我々にりかけている。そう、彼こそは失われた福音を伝えるために地上に舞い降りた預言者であり導者なのだ。新約性書黙示録(ウホカリプス)の終わりにこう記されている。

わたしアルファ(α)でありオメガ(ω)である」
ラテン語: Ego sum Alpha et Omega.

──カズヤの黙示録16章8節

オメガの文字をよく見て欲しい。何かに似てないだろうか。そう、ナウい息子だ。だとするとアルファ兄貴の"a"であることは言うまでもない。始めに兄貴が人類を創造し、この世が終わりはナウい息子とともに終焉を迎えるである。

森の妖精

国際連合教育科学文化機関(通称ユネスコ)自然遺産・第II国立公園 『新日暮里国立公園

自然に帰れ、自然中の人間こその姿である

──ジャンジャック・ルソー『エミール

オリュンポスの々はまず絶対がいるのではなく、と大地のを生み出した。まず自然ありきなのだ。自然支配をから命じられたのは初代2人のアダムではなく、堕落した3人アダムである。前述の通り、「今でも彼らは世界のどこかで戯れている」のだ。それは天国と地獄の中間にある辺にいる。彼らはキリスト以前に誕生したので裁かれていないのだ。なお、堕落した3人アダムは地ではなく辺を通じ天国へ行くであろう。なぜなら堕落はの計画の一部だからだ。

さて、本題に戻るがすべての体は自然である。現代人は自然を軽視しがちであるが、自然や大地なくしては人間は存在しえない。の御子、2人のアダムは生命が生きる原動世界の根を今もなおっているのである。あたかも巨人アトラスが大地を支えているように。

先代の研究者の考えに以下のようなものがある。

アダム(先)は愛していた。ちょうどアダム達を愛していたように。と同時にアダム(先)はの生み出したすべても愛していた。新約ゲイ書の中に、『は小さきお方ではない。はすべてなのだ』とあり、このことからホラス・ダンシクィマス(13世紀の大哲学者で、現在の哲学の基礎を気付き上げた)は、
は無数のペルソナを有している。それらは同時に存在するのではなく、同一に存在する。すなわち、我々は常にの無数のペルソナによって包まれているのである。ちょうど私のモノが皮に包まれている様に』
と、本論ついでに自分が包茎であることまでも述べている。すなわち、ここには多教的解釈も、一教的解釈も可であることが含まれている。これをアダム(先)の行動について照らし合わせてみると、すなわちアダム(先)はというの被造物かつペルソナの中で生きることによってとの体的にも精的にも結合した状態を保っていたのだと考えられる」

ちなみにこの中でられているペルソナの解釈で最も符合するのは『人格』である。仮面とかじゃない。そして、この考えをさらにハッテンさせ、
「人間の究極の的はとの性的ないし精的な結合である。アダムはこれを実現していた。よって我々哲学者は、否、哲学者だけでなく人間(ゲイ)は、全身全霊全精を持ってアダムへと回帰するべきなのだ。これは義務教育なのである」 という考えにいたることが出来る。■

私見なのだが、スタジオズブリ作品の名作、ホモノケアバアッーテーマはここから来ているのではないだろうか。と共に生きるサンとを切り開く人間、そして、も、人も愛しアッータカ。この配置からもこのテーマの重要性が伺える。

生成の無垢

混声合唱のためのカンタータ「土の歌」第七楽章「大地讃頌」は誰もが中学校で歌ったことがあるだろう。歌詞は以下の通り。

なる大地のふところに 我ら人の子の喜びはある
大地をせよ 大地に生きる人の子ら その立つ土に感謝せよ
平和な大地を 静かな大地を 大地をほめよ たたえよ土を
恩寵のゆたかな大地 我ら人の子の 大地をほめよ たたえよ土を
なる大地を たたえよ ほめよ たたえよ土を
なる大地をアッー! たたえよ大地をアッー!

森の妖精の住む大地の秘を歌った歌である。なる大地とは赤さんから授かったエデンの園、またはそこからハッテンした世界のすべてを表している。自然では誰に命令されることもなく生成、繁栄、衰退が行われている。そんな中で生まれた人類は動物べて体が弱かった。なので文明を築き、建物や資本主義経済などを作り、その中のほうがよりも住みやすいと思い込んでいる。だが本当にそうだろうか。

文明のハッテンは物の増加を促進し、を切り倒し、妖精たちが住めなくなってしまった。資本主義経済の中ではこそが価値を持ち、を出すお客さんを尊重し、森の妖精たちの言うことなど帳の外である。大地を基盤として生きる生物の中で一人間だけが大地を軽蔑している。近代化に伴い心を病む者も多くなったがそれは法や仕事、世間体や常識というものにがんじがらめになり、自らが作った組みの中でもがいているからである。一言で言うと自滅しているのだ。

「変化する者だけがあくまで私と親近である」とニーチェは『生成の無』でった。文明は固定を続ける技術である。だが世界の本質は変化。文明の中がいくら心地よくても自然から離れては生きていけない。現代人こそ文明を捨て、森の妖精のように生きることがめられているのだ。

文明により生老病死に抗ったつもりなのだろうか。日本では老人の数が増えているが、文明の中で自然が定めた寿命以上に生きることを現代ではよしとする潮があるが、明らかに自然を逸脱している。むしろ反自然こそが分明なのかもしれない。長く生きたならば適切な時間で花のように散る。これが自然が定めた人間の運命である。自然の法則に則った生き死にのくり返しのみ森の妖精は歓迎するのである。

ノンケの実と死の発生

いかりやビオランテ作『構わん!Hいこっ!』(露・プーキン美術館

このテーマについての論文がある。

ノンケの実を食べると死が生じる、と記述されている。だが、その死とはすなわち、ゲイパレスの園にて生き続ければ死はなかった、と言う解釈によって成り立つ。アダム(後)はゲイパレスの園を出た後、イグの度重なる嫌味(アダム(後)の堕落によってイグは子を生む苦しみと共に創造されたので、このことをアダム(後)にネチネチと言い続けていたらしい。仕方ないね。)による心労で死を迎えたそうだ。

だが、堕落しなかったアダム(先)は永遠に死を知らなかった。なぜなら、彼には「子を生む苦しみ」であるとか、「労働の苦しみ」という罰が下されなかったからだ。(彼が働いていたのはアダム(後)への歪みない優しさゆえである。)さらに、彼は先述のようにと共に生きることで人間として完成していたので、死を持たなかったのではなかろうか。■

 ノンケの実を食べると人類の歴史が始まり、結果的に死につながると言える。ノンケの実を食べることは後世の人間に罪を負わせ、これは原罪と呼ばれている。さらにノンケの実を食べたことにより人類初の男をさぬ者が誕生し、アダ ムを裏切った。しかしこれは堕落ではない。これについては次の章で解説する。

死とは、何か

アダムとアダムの堕落は、彼らがだらしないからではなく、による計画の一部であった。それにより禁断の果実を食べ、男をさないノンケが誕生し、女と子を設け、そこで死という概念が発生した。人間の誕生には、それと対極の概念である死という代償が必要不可欠だったのだ。太陽の下に立てば影が付きまとうがごとく、人間には死が付きまとう。しかし死という代償のおかげで生があるのだ。死とは人類にとって祝福すべきものでもある。

あなたが死ぬときも魂は灼熱して燃えなければならぬ 然れば死もまた祝福なのだ

──フリードリヒ・ニーチェ

さらに人類は禁断の果実をめただらしねぇアダムから自由意志を授かった。それにより我々は想い通りに動画にコメントでき、歪みねぇ、や仕方ない、などと自由に発言できるのだ。新日暮里大学には、
歪みなく生きろ」(Live Better)
と言う言葉があり、死を知ることは生を知ること。歪みなく生きれば自然と死に対する歪みない理解が生まれる、と考えられているようである。一見対立するものでさえ、見方を変え、許容の心を持てば人生の柱ともなる考えが生まれるのである。人間は生き続ける、死さえも糧にして。

コラム:メメント・モリという言葉は、ラテン語で「自分がいつか死ぬことを忘れるな」「自分が死すべきものである」ということを人々に思い起こさせるために使われた。

人間とは何か

一般的な教科書に載っている進化論の図』(c)文部科学

※挿絵について注釈:アダムとアダムインテリジェント・デザイン(ID)説、つまりによる創造説であり進化論の対極だが、この思想では進化論を否定してはいない。アメリカ人の45%がIDを信じ、35%が進化論を信じていない。残り20%は無知なノンケどもである。

人間の体はとは違い、もろくできている。だが、そんな体の中にもアダムの時代から引き継がれた恩恵が存在する。ヒトの学名はラテン語ホモ・サピエンス、正確には
動物界後生動物亜界脊索動物膜亜門哺獣亜綱正獣下綱霊長狭鼻ヒト上科ヒトヒト下科<ホモ属>サピエンス種サピエンス亜種
というのが正確な学名である。よく見てほしい、ホモ属と明確に表記されている。これこそまさに人類はアダムとアダムから生まれた生物であることの明なのだ。アダムは決して神話上の存在ではない。アダムの魂は我々の血にしっかり刻まれているのだ。

ホモという言葉についてだが、総督ピラトゥスが拷問で傷だらけの兄貴して民衆に向かって言った
"ECCE HOMO"
これはエッケ・ホモと読み、この人を見よという意味である。
出典はヨハネによる福音書19:5;14。この言葉ギリシアでもラテン語でもアラムでも同じである。
ギリシアではラテン語較してHOMO(人を)が対格(的格)ではなく格になっている。これはが没落し人が体になることを意味している。この世にはいないが人間は自らの意思で選択し、行動せよという兄貴からのお言葉である。

人間は何のために存在しているのか

地球は混沌から生まれた。パンドラギリシア神話において最初の女性書でいうイヴだ。彼女は々によって作られ人類の災いとして地上に送り込まれた。 パンは「全てのもの」、ドーラーは「贈り物」を意味する。パンドラはすべての混沌であり、すべての贈り物でもある。パンドラの箱が開かれたことによりこの 世に様々な災厄が降りかかった。動画を荒らす者もここから生じた。だが、パンドラの箱の中に希望が残っていたため、人々は希望のために生きることがで きた。

ピノザのコナトゥス(衝動)は宇宙にある盲目的な生きんとする意志、いわゆる希望である。ガチムチパンツレスリングはその生命のエネルギーの表現なのだ。ドイツ哲学アルトゥル・ショーペンハウアーは世界の本質は生きんとする盲目の意志であると『意志と表としての世界』においてした。スピノザは宇宙にある意志、ショーペンハウアーは自己に内在する生きんとする意志 (独:Wille zum Leben) という違いがあるが、同じとみなしてよいだろう。

世界では誰に命令されることもなく木が生え、果実を実らせる。的はなくだだ活動することが的なのだ。人間の魂と自然は形は違っていても同じ盲目的 な希望コナトゥスから生じた。よって演繹的に人間は希望の化身であると言える。人間そのものが<宇宙希望、情熱>が表現された形なのだ。

ニーチェアポロン的、ディオニュソス的という言葉を使い、これが自然の生成なのだと『悲劇の誕生』で書いた。ギリシア神話はただの劇でも昔話でもない。 一人の人間によって書かれた、心の衝動を擬人化した物であり、ギリシア神話はあなたが、あなたの人生をもって実演するものなのである。そう、レスリング をするビリー氏のように。

預言者の再臨

アダムらは神の領域にいるため人間にりかけることはできない。そのためを代弁する預言者が存在する。預言者といえばアブラハム一族。誰もが幼少期にこんな歌を吹聴したことがあるだろう:
アブラハムには七人の子 一人はノッポで後はチビ みんな仲良く遊んでる さあ踊りましょ♪」

ガチムチパンツレスリングメンバーは8人。ダークサイドに堕ちた吾作を除けば完全に数が一致する。そう、彼らはから最も祝福を受けたアブラハムの生まれ変わりだったのだ。
「一人はノッポ」とは兄貴ナウい息子が一人だけ突出しており、他のは取るにらないサイズであることを意味する。「みんな仲良く遊んでる」とは妖精の戯れを表している。最後におしりペンペンするのだがこれはもちろんスパンキング教育である。

書においてはなぜか精霊の地位はよりも上なのだ。を侮辱することは許されても精霊の侮辱は地へ行っても許されない。ここで精霊は妖精と同一視できないだろうか。妖精は全世界の繁栄を担っている世界の守護なのだ。彼らはエデン時代の真理を再び世に広めるべくレスリングを通じ我々に教えを説いている。説教編では積極的に福音を述べ伝える兄貴摯な姿が記録されている。妖精哲学の三信がその教えの頂点であろう。め、賛美、許容、この3つの教えは、子、精霊の三位一体を徴しているのだ。

再臨といえばイエス・キリストが挙げられるが、彼は人々が福音を忘れかけていた頃に再びやってきたにすぎない。アダムは実は最初の預言者であり、体と福音を同時に人類に授けたのだ。格ではアダムのほうが上である。

ローマ信徒への手紙

この手紙異端者についてられている。兄貴も初登場時には異端者に迫されたのだ。は完全な者であり、何でもできる方である。そのようなお方はなぜ異端者たちをこの世に存在することを許すのか。

人は自由意志を持っている。アダムの堕落以降「原罪」を抱えている。ユダヤ人も、ギリシア人も皆、罪の下にある。次のようながある

正しいものはいない。一人もいない。善を行うものはいない。だたの一人もいない。
彼らののどは開いた墓のようであり、彼らは舌で中傷コメントを書き、その唇には蝮のがある。
そのには悲惨と破壊がある


自由意志は時として喜ぶべきことではなく、驢を悩ます負荷ともなる。我々は自らに内在するだらしなさが原因で常にを踏み外すのだ。ビオランテは「悔い改めなさい」と言ったのは上記のを踏まえた上で言ったのだ。そんな中、兄貴妖精の義を示して下さった。すなわち、兄貴が手本とするレスリングを実戦し、罪を贖うことにより妖精で無償で義とされるのだ。妖精を信じよ。妖精を信じない者にも優しく接しせよ。彼らも妖精によりこの世に生を授かった大切な人なのだ。異端者をも赦すべし。

赦しとは何かについて学ぶため、こんな話がある。ある監があり、そこで罪人は餓死させられていた。中の一人が死んだため、新たな一人の罪人を入れようとした。そんな中、ある宣教師マキシミリアノ・コルベ神父は私を代わりに入れろと申し込んだ。

食事もも与えられず、皆が餓死していくとき、その宣教師にはスパンキングの音色が聞こえたという。たった一人の名もない罪人のために義なる彼は命を投げ出したのだ。私を恨むものの上にも祝福がありますように、とたまには祈ってみよう。

異端者について

この書物についての大学内での議論がある。新日暮里大学哲学科名誉教授のもとにある学生が次のような愚直な意見を述べた。
ぶっちゃけレスリングシリーズってキモくね?」
あぁん?お客さん?最近だらしねぇな?と言いたいところだが、異端者を頭ごなしに異端審問にかけるのは人的ではない。旧約聖書のハンムラビ法典のようににはを、をしていたのでは全世界盲目になるだけである。そのような者も迫せずに受け入れるべきである。

自分の敵を愛し、迫するものの為にも祈りなさい

──カズヤの福音書5章44章

寛容な優しさをもって彼ら新日暮里大学哲学科のパンツレスラーたちはこのような問題にも摯に取り組んでおり、このような『誤解』を払拭していくべく努していることが伺える。

なお、下に上げるものは著者不明の書簡であり、新日暮里大学哲学科の図書館の地下レスリング場から見つかったものであるが、ここに入れるのはパンツレスラーだけであるから、彼らのうちの誰かが書いたものだと思われる。あて先はもしかしたら、君なのかもしれない。

人間にとって最も不幸なことは何か、それは互いを分かり合えないということである。私にとって他者が分らないように、他者にも私は分らない。あるいはもしかしたら、他者などと言うものは存在していないのかもしれない、という哲学命題へと移行してしまう私のだらしねぇ思考をなんとか圧しとどめつつこの書簡を送る。

さて、昨今我々パンツレスラーはある種の誤解―我々が他を寄せ付けないゲイである―を抱えている経緯には、我々だけが持つ、我々だけの歪みねぇ典、旧約及び新約ゲイ書の存在が間違いなく在ると考えられる。かつての私たちは、だらしねぇことに、この典から我々が選ばれた、アダムの心を持つものであると錯覚していた。そして、その原因を、そう、責任を、この典へとこすり付けていたのではないだろうか。こすり付けるのはナニだけで十分ではないか。

友よ。それに・・・そう。アダムに全てをなすりつけ、我々は本当に生きているといえるのか?歪み無く生きているのだろうか?友よ。私はキミ愛している。心から。だがそれと同じように、アダムも、愛している。私は君に私のすべての罪を背負ってほしいなど、一度として思ったことは無い。これは紛れも無い事実だ。だがどうだ。私はだらしなくも、君と同じようにするや、アダムには罪を擦り付けている。アダムも、もはやその荷を降ろしてやらねばならないと私は思うのだ。

友よ、や、アダムは紛れもなく存在する。私のここ(心)と、ここ(股間)に。

私はそれだけで十分に救われていると思うのだ。だからこそ、我々のこの想いを、多くのものにさらけ出そうでは無いか。そうすればきっと分かり合える。スパンキングの先にこそ未来があるように、我々がノンケ側の股間の開放を待つのではなく、我々から股間を包み隠さずに生きて行こうではないか。

そうだ、きっと分かり合える。人は、アダムの子らは、必ず分かり合える。握ったその手を、今こそ開こうではないか。とスパンキングをこめて。

第1ニカイア公会議

カイアとは古典ギリシアニケ(勝利)を意味する。レスリングにおける闘いをす。西暦325年、小アジアニコメディア南部の町ニカイアで会議があった。ニコメディアとは本当の名前であるが、このの一致は何なのだろう。その会議では「アダムとアダムの物は私たちに何を訴えているのか」について議論した。

1つは博。男はなぜ女しか愛してはならないのだろうか。これは偏見と固定概念である。ピラト提督が兄貴拷問を執行する様子を描いた絵画『この人を見よ』のラテン語の原題は”Ecce Homo”(エッケ・ホモ)である。すなわち、ホモを見よと兄貴に召される寸前にったのだ。これにより、全人類が等に、平和にありますようにというが示されているのだ。

2つ健康妖精は上記のような固定概念を捨てろ、と訴えたかったので自らの衣服を脱ぎ捨て「あるがままの自然」を表現しているのだ。健康な魂は健康体に宿る。ガチガチ、ムチムチした体は何者にも勝る土台を得たのだ。さらにレスリングは古代ローマの坪にも描かれている。レスリング健康体を鍛えるための紀元前からある健全なスポーツなのだ。

3つは贖罪。誘惑に屈したアダムの子孫は生まれながらにして原罪を背負っている。その罪を贖うために妖精が地上に現れ、福音を述べ伝えた。息子をいじられるという悲劇を乗り越え、性書は現世に、そしてとこしえに世界に広まった。

参照:第1ニカイア公会議 - Wikipedia

七つの大罪

人間を罪に導く可能性があると見做されてきた七つの欲望や感情のこと。13世紀のトマス・アクィナスも、その著作の中で、キリ スト教徒の七つの悪をあげている。現代のカトリック教会の分類では、七つの罪について、グレゴリウス1世以来伝統的に罪のとみなされてきたものとして 簡潔に言及されている。以下に七つの大罪とその具体例を挙げる:

  1. 傲慢ノンケこそが正しいと思いあがること
  2. 嫉妬城之内にいう「イケメーン?www」に嫉妬すること
  3. 憤怒:快くない書き込みに反応して起こってはならない
  4. 怠惰ダンベル上げをサってだらしなくなってはならない
  5. 貪欲:あれもこれもと動画を保存しまくるとストップしてしまう
  6. 大食:あんかけチャーハンを食べ過ぎてだらしない体になってしまう
  7. 色欲カズヤのように妄想にふけらない

ダンテ『神曲』

ダンテアリギエーリ作『罪人を喰うルシフェル』(バチカン美術館

ダンテアリギエーリ著『神曲』(伊:La Divina Commedia)には地の様子が描かれている。

の門:「この門をくぐる者は一切のパンツを捨てよ」と記されている
前域:半分課金せず半分課金した者は地にも天国にも入ることができず、ここでに刺される
アケローン川:ドワンゴの監視者が舟に乗せて地へと連行していく
第一:辺兄貴の洗礼を受けなかった者が、呵責こそないが希望もないまま永遠に時を過ごす
第二欲者の地ノンケこそ正しいと思う者が、荒れ狂う暴に吹き流される
第三:貪食者の地。大食の罪を犯した者が、ケルベロスに引き裂かれて泥濘にのたうち回る
第四:貪欲者の地課金しなかった者が、重い貨の袋を転がしつつ互いに罵る
第五憤怒者の地。よからぬコメントに怒る者が、血の色をした沼で互いに責め苛む
第六異端者の地ガチムチを軽蔑する者が炎に焼かれている
第七:暴者の地。他者に対してコメントで暴をふるった者が、暴の種類に応じて振り分けられる
第八悪意者の地悪意を以てコメントした者が、それぞれ十の悪の嚢に振り分けられる
第九:裏切者の地。氷地キュートス。最も重い罪、兄貴に対し悪意をもって罵る者が永遠に氷漬けとなっている。侮辱者は体が動かせず、涙も凍る寒さにを鳴らし、魔王ルシフェル永遠に噛まれ続ける。

カトリック教会

ヴァチカン市国平田元帥教皇を中心とし、全世界に12億人以上の信徒を有するアダム思想支持者最大の教。 カトリック教会の教えは旧約聖書、新約書、使徒の教え、ニカイ会議などによって確立された由緒正しいもの。カトリック教会は伝統的に七つの秘跡を認めてきた。

  1. 洗礼:バブテスマ
  2. 体:教会の日曜日にみんなでナウい形をしたパンを食べること
  3. 婚姻の秘跡:アメリカでは9つの州で同性結婚できる
  4. 叙階:職者を任命する
  5. 堅信:洗礼のように頭に油を塗る。メシアとは「油を塗られたもの」という意味。油+堅く信じる・・・つまり?
  6. ゆるしの秘跡:タグを消すものをも赦すこと
  7. 病者の塗油:病人が罪の許しを願い、オリーブ油を塗られること

トリックの教典はヒエロニムス以降幾度となく改変されてきた。もはやオリジナルの福音を聞くことは不可能である。ヒエロニムスはローマ滞在中にラテン語書の決定版を生み出すべく、全書の翻訳事業にとりかかった。彼はギリシャ新約書と七十人訳書を底本とし、ヘブライ書も参照していた。

七十人訳書とは、ヘブライユダヤ教典のギリシア訳である。ヴルガータとよばれる後期ラテン語書は現代に至るまで公式ラテン語書という扱い を受けている。ラテン語は現在使われてないが、ヴァチカン市国の式典などでは使われる。第二正典とは、旧約聖書の中でカトリック・正教会は正典とするが、プロスタントでは正典とせず外典や偽典として扱われている。

ルター派

別名ルーテル教会とは代表的なプロスタントの一つ。カトリックは昔から続く教義を守ること。プロスタントは少し変えても問題ないとする閥。ルーテルとはルターのドイツ読み。

マルティン・ルターによってドイツプロスタント宗教改革を始めた。ルターはちょっと世間から外れた思想の持ちであったため職者とは呼ばれていな い。ルターは贖宥状(免罪符)を買うことですべての罪を贖えると言った。周囲の人々はただのけなのではないか疑ったため、ルターは95ヶ条の論題とい う論文を執筆した。

時の人々はあまり読めないラテン語で書いたのだが、贖宥状は大人気となったが現在ではプロスタントからもカソリックからも異端視されている。

コンクラーヴェ

コンクラーヴェとは「教皇選挙」を意味する言葉で、カトリック教会において教皇を選出する選挙のこと。Conclave とはラテン語で "cum clavi" (鍵がかかった)の意である。教会の紋章は2つ重なった鍵であることが多い。ダブル貞操帯であろうか。なお、現在のアダム信仰教会の教皇は平田元帥であ る。

昔の教皇たちは、現在の教皇が死んだならば枢機卿を入れ替えようと考えたが、後継者の名はめなかった。その代わり教皇候補者決定すると信徒の投票が始まり、民衆が声で同意かどうかを示す、というのが古代ローマの習わしだった。

古代においても現代においても男であれば人種を問わず教皇になれた。ベネディクト16世ドイツ人で、ヨハネ・パウロ2世ポーランド人であった。女性には史上、教皇になる資格が与えられたことはない。まあパンツレスリングは男の世界なので仕方なしである。

現 在の教皇になれる条件は昔の磔(はりつけ)のように縛られ、電流を流されることに耐えることである。これは上の項『裏切り』にある物に由来する。引用 すると「兄貴拷問に耐えぬき人間に対するを示された」のところである。兄貴と同じを持つものが教会のトップになれるのだ。

政教分離の歴史

ここではヨーロッパ国家政治社会アダムの思想の歴史を解説する。政教分離とは、個人によるアダムの信仰と政治活動は分離されるべきであるという考え 方である。ジョンロックによって、信教は自由であると提唱され、多くの近代国家法に原理として取り入れられて制度化される予定であったのだが、ドイツ労働者党のような国家社会主義プロパガンダされる時代においては人々は宗教を選べなかった。

ローマ教皇はローマ法とカノン法という独自の法を持ち、権と権威を二分していた。ローマ法とは古代ローマから伝わる法制度であり、カノン法とはカトリッ ク教会が定めた最近の法のことをいう(教会法とも)。後になまってキャノンと呼ばれる。教会法の思想は「肉の棒=キャノン砲=ナウい息子」という公式を導き出した。複雑な公式は記事名を参照。このような堅苦しい右ならえ思想は例によってバチカン市国などに見られる。

霊性史として、政教分離歴史的経緯を捉えることも出来る(性感と間違えないように)。「霊性」とは本来「洗礼の際、によって注がれた霊に遵って生きること」、つまり赤さんを信じることである。クルアーンでは天使ブリエルの方が典よりも格が上であるというに似ている。

Wikipedia上での「政教分離歴史」の項は最も長い

アダム=ガチムチ説

ゴッド・オブ・ウォー3というゲームがある。このゲームの物は実はアダムの実在を裏付けるかもしれない。このゲーム主人公クレイトスというガチムチ男である。彼は途中パンドラという少女と出会うが、このパンドラギリシア神話におけるすべての人間を生み出した女性旧約聖書の創世記でいうイヴなのだ。パンドラパンドラの箱に飛び込み世界が災厄に飲み込まれる。だが、災厄と同時に希望も地上に降り注いだ。


希望を受け継いだクレイトスは自らのを突き刺し、世界希望が撒き散った。自分のを今後生まれる全人類に与えようとしたためである。すなわち<クレイトス=アダム=ガチムチ説>が成り立つ。どんなに辛い世界の中でも全人類は胸の中に強い兄貴から与えられた体と希望があるのだ。

参照1 最後、パンドラパンドラの箱に飛び込むシーン
参照2 解き放たれた希望クレジット

クレジットをご覧頂きたい。ラーメンの縁の模様のようなものはメアンドロス模様という。古代ギリシャにはメアンドロス模様が描かれている。これは人類 がこれまで受け継いできたDNAだ。は血脈を表す。人類の誕生から今まで受け継がれてきたはどれほど強によって成し得るのであろうか。さらに、 人間と自然は別物ではなく自然が人間を生んだのである。兄貴自然をもつかさどる、ゆえに森の妖精と呼ばれるのだ。

太陽のように人間に無償で恩恵を与え、地球を支える巨人のようにがある。自然の生成を支配し、私たちの体を造られ、希望をも下さったお方。あなたがたはその体にアダムの誇りを見いだせるであろうか。

陰陽五行思想

赤さんはたまに赤SUNと呼ばれる。つまり太陽のことである。太陽46億年間休むことなく地球の誕生から今までの生命の繁栄を担ってきた。太陽なしでは生命の誕生は存在しなかった。地球太陽の周りをまわり続けている。これは希望め続ける人類の姿にしている。植物太陽そうとしているかのように人類も進化を重ねてきた。だが、進化がさんとする最終到達地点はない、あたかも転を続ける地球のように。

つまり地球も人間も絶え間ない闘いを続けているのだ。陰陽五行思想では地球つかさどる五要素が相(そうこく)、相生し生成のプロセスが成り立っている。相克とは互いを牽制すること、相生とは別のエネルギーを生み出すこと。レスリングの闘いは太陽地球・人類の進化・生きるすべての相の闘いが表現されたものなのだ。兄貴レスリング自然の生成そのもの、ゆえに森の妖精と呼ばれているのだ。

陰陽五行思想のオリジナルは木・火・土・であり、ニコニコ大百科にも存在する

と表現されている。この妖精たちが妖精界で世界の生成を担っているのだ。

<五行の関係>
相生、順送りに相手を生み出して行く関係:

、相手を打ち滅ぼして行く関係:

陰陽五行思想における陰陽についてだが、があれば闇がある。木の成長があれば、いつかは朽ちる。だが、死んだ木は実を落としそれがになる。このことを生命の生き死にのさを栄枯盛衰という。兄貴の思想を受け継ぐ予定だった吾作はいつしか森の妖精から闇の妖精になってしまった。ナウい息子に対してワルい♂息子というものもある。だが、罪を犯してしまうのもそこから学び、より正しく生きるために自由意志が存在する。どんなに忌むべきものも世界の運行には必要なのだと古代エジプトの死者の書もっている。そんな「おっぱい見えるって辛いな、サム」とでも言いたい世の中についてでもに次のようられている

園精舎の鐘の声 諸行無常のきあり
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす
おごれる人も久しからず ただの夢のごとし
たけき者もつひには滅びぬ ひとへにの前のに同じ

──平家BOY


平家boyという人物はこの思想を受け継いだためにこう呼ばれている。ヘラクレイトスやプラトンを信じる哲学者は「とは変化である」と説く。この世に固定された存在などない、だが変化だけがある。カントは芸術自然に対する畏怖から生じると言う。絶えざる自然の変化をの当たりにした人間が芸術を描いたりスポーツをしたりしてエネルギーを昇華させるのだ。現代におけるレスリングもこれに該当する。

パンツが脱がされると赤さんが出現するが、これは宇宙の真理を隠そうとしているのだ。「我々は禁じられしものをめる」と古代の哲学者は言った。哲学することは宇宙のベールをはぐことなのだから。だが、人間はフッサールにおける現学的還元──自分自身の体を越した視点から世界を観測することはできないという思想──により宇宙の真理には到達できない。ならばパンツの中身を見ないようにしようというという哲学的態度により赤さん息子を隠すのだ。「太陽と死は見つめられぬ」byラ・ロシュフコー。

赤さんといえば、太陽ギリシア神話ではヘリオス、日本では天照大御神エジプト死者の書ではオシリスは生産の、その息子ホルスは太陽であり、彼らは表裏一体である。オシリスはアアルという楽園エリュシオンっている。実に奥ゆかしい名前である。

性書から何を学ぶべきか

新日暮里大学哲学科名誉教授に「アダムとアダムの物は私たちに何を訴えているのか」について質問してみた。

歪みねぇ記事『我知無知』を一読した上で以下の論文を見ていただきたい。ちなみにこれを記した人物については、分っていない。教授学生レスリングをしていたところ、教授ロッカーに頭をぶつけ、その拍子でどこからか出てきた論文である。

私がいつものようにレスリングをしつつ哲学していた際、以下のようなことを考えたので記しておく。

我々の学知とは何か、という問題に最も端的に答えられるのは『理性により得られた知の体系』と言う言葉であろう。では理性は本当に私達に真実を見せてくれているだろうか。今こうして私は、レスリングにいそしんでいる。それこそ、本の赴くまま、理性などと言うものから開放されたかのような状態で。このレスリングの絶頂感はレスリングをしている最中にしか感じることは出来ない。そしてこのような哲学的思考もまた、レスリングをしているときにしか感じられない。そこで私は思うのだ。果たしてこのレスリングの絶頂感は、普遍的なものだろうか、と。普遍的とはすなわち、常に同等の変化の無い絶頂感である。だがしかし、この一回のレスリング、そしてこの一回のスパンキング、これらは無二の快感であり、同じ絶頂感はひとつとして無い。物質や、その他諸々のものも、同じではないのだろうか。

例えばマラは、マラという概念存在は常に一つである。だが、知ってのとおり私たちの持つマラは同じ時間に、同じ場所に、同じ形で、同じムスコとして存在することは出来ない。数学のように歪みねぇ確実性が感覚に頼る学知には、だらしねぇことに存在しないのではないだろうか。ならばそれは私が何も知らないということと同じなのではないか。これがソクラテスの言っていた我知無知なのかと、私は理性のうちに理解し、そして絶望した。その先には何も無いのか、と。

そのとき相方歪みねぇ鋭いスパンキングが私のいた。その甘美な、少年の肌のように柔らかで、そして繊細な、だが獣のように猛々しいスパンキングが私に絶頂感を与えた間私は、そう、を見たのだ。

それは理性によるものではなかった。アダムへの回帰が、為されるにはこれが必要だったのだ。否、むしろアダムは私の、そして彼の、またすべての兄弟たちの内に存在していたのだ。我々が理性によって至れないこの理解、いや、「知解」といいなおそう。この知解は、理性により至った我知無知にスパンキングと言う理性が加わることで為されるのだ、と。

私はこのときより、理性と本とは対立するものなのではなく、ちょうど私たちがレスリングを行い、相手を思いやりつつしく猛々しいスパンキングを繰り出すのと同じように、矛盾の先にある矛盾(※矛盾えて肯定された矛盾をするの意)が我知無知の先にあることなのだと知った。

故に私は今日も、そして明日も、未来永劫レスリングをし続けよう。哲学とは甘美な堕落でもある。だが、堕落も含め、それはその先にあるへ昇る階段なのだ。

アダムたちは、我々にそれを問いかけたのではないか。アダムとアダムが間違いを犯さなかったなら、何もはじまりはしなかったのだ。我々は間違う。この考えも間違いかもしれない。私自身が否定するかもしれない。だが、だからこそ前に進めるのだ。その先の、して。

男を愛することについて

尻立新日暮里大学のある研究者が「なぜ男をさなければならないのか」についての論文を発表した。なぜ男も女も等にする必要があるのか。

事実上、いかなる男も10%は男が好きなのだ。無意識下での衝動なので、自分自身では意識できないだが人間は(特に日本人は)社会的な体裁を保と うとするため、異性しか愛してはならないと思い込んでいる。同性を好きになることは(特に男同士は)おかしいという潮のために自分自身を抑圧している。

なぜの衝動を否定するのだろうか。ガチガチ、ムチムチした男はとても美しい。古代でも現代でもそれは変わらない。かのローマ皇帝ガイウス・ユリウス・カ エサルはすべての女から理想の男とみなされ、すべての男からも理想の女のようにされていた。男女からされ、男女ともする。これはまさにビリー氏のことではないだろうか。

古代ローマコロッセオ編参照)ではホモは容認されているどころか、尊敬の対だった。男同士のには高な意味があり、社会に貢献す るための若さを引き出してくれると考えられていたのだ。さらにゲイは勇敢で優れた戦士であり、する仲間と戦うというイメージがあり、評価も高かった。

なのになぜキリスト教同性愛者を弾圧するのだろうか。キリスト教宗教と呼ばれている。なのに男をする者は迫するのだ。する対は異性のみなどと言うのは偏見もはなはだしい。人類の半分しかすることは許されないのだろうか。すべての人を満遍なくする包容のある兄貴。彼こそコスモリタンなのである。

なぜナウい息子を隠す必要があるのか

現代で流通しているメディアではすべてナウい息子を隠さなければならないと法で定められている。だがギリシャ神話くらい昔の世界ではナウい息子を「パンツないから恥ずかしくないもん!」とばかりにさらけ出している。ギリシャ神話の最高ゼウス、昔のオリンピック、スパルタ人もみなフルチンであった。

ナウい息子を隠すべきものと定義したのはキリスト教である。ナウい息子をさらけ出すことはすけべぇ…であり、隠すべきというは人間の生への冒涜であ る。古代ギリシャではナウい息子をお互いに触りあうのが握手と同様の挨拶であった。もしかしたらナウい息子は顔以上に他人を識別できる形状をしているのか もしれない(MGS3参照)。股間にぶら下がっているモノを見ればナウいかナウくないか、男か女かを識別できる。さらに男の場合は元気な状態か、そうでな いかが一瞭然であり、相手に対する感情が顔以上に現れる便利なインジケーターなのである。

なぜキリスト教ナウい息子を隠すべきと定めたのかというとリビドーを衰えさせ、管理しやすくさせるためである。これはもはや人間の生に対する冒涜である。このままでは人類は衰退してしまうと考えた赤さんゲイパレスをお創りになったのだ。

精神分析学的見解

オーストリアの精分析学者であるジークムント・フロイト(1856年5月6日 - 1939年9月23日)は、人間のすべての行動の根、さらには病気の根はリビドーだとした。だが性の開放がタブー視される現代においてはみんなが受け入れるわけではない。


パンツがないから恥ずかしくないもん!
という項がある。く「これはパンツを奪い合うレスリングにおいて、パンツがないことは相手に取られたことを意味するが決して恥じることはない。むしろない方が誇らしげであることからこの言葉が生まれた。パンツがなくても恥ずかしがらずにむしろ堂々とする兄貴たちは日頃パンツという殻に閉じこもる現代人への明るいメッセージであるとされている」

衝動を否定しすぎると問題が起きる。フロイトが活躍した当時のヴィクトリア時代の抑圧性の非常に強い時代にあっては、まさに紳士(通常の意味で)を自認する人間たちが性的な域を否認することに、フロイトは欺瞞を感じたのだった。元々フロイトの診ていた患者は上流階級の女性が多く、性にまつわる情報を遮断された環境で育っていたという事情が摘される。性理論の形成に関しては、当時の抑圧の強い時代において、フロイトは衝動を否定しすぎるなと言いたかったのだ。

<心理=性的発達理論>

  • 口唇期:親からを与えられ、吸うという行為を通して環境との交流が図られており、この段階での固着は依存的で受動的といった性格特徴の形成と深い関係をもつ。
  • 肛門期(anal phase):環境への的で動的姿勢が芽生える。帳面、頑固、倹約といった性格特徴の形成に関わっていると考えられる。
  • エディプス期(男根期):異性への関心が芽生え、男の子は親に、女の子父親に性的関心をもつ。男の子においては父親による去勢という不を喚起する。
  • エディプス・コンプレックス:5~6歳頃になると男児は男女の違いに気づく。性欲動を強く抑圧して非欲動的な知識の獲得しようとする
  • 去勢:子どもが性の違いを認識したときに生じる不のこと。
  • 息子羨望:女児が兄貴のようにナウい息子を持っていないことで自己の身体に不満を持つナウい息子を持つ兄貴に対し羨望・劣等感を無意識に抱く。
  • 潜伏期:性欲動はエデイプス葛をめぐって強く抑圧され、社会的規範の学習や知的活動にエネルギーが注がれ、思期以降に再び出現するまでの間潜伏しているとみなされている。
  • 性器期:心理的には、対の全人格を認めた性完成期と考えられている。
  • 小児性欲 infantile sexuality:以下を参照『本格的 夢見るスタイル
  • 固着 fixaction:各発達段階における欲が満たされなかった場合に、大人の時にその段階に戻ってしまうこと。

ゲイ肯定論者たちの見解

賢者の知恵」というニュース引用する

ゲイを含む同性愛者の割合については、人口の1~2%、あるいは4%ともされる。だが、いずれにしても数%程度の少数である。それにしては、傑出した才を持った人があまりに多く、そしてある分野に偏在しているように思える。たとえば音楽家である。「作曲揮者としても知られるレナード・バーンスタインは、〝アメリカクラシックゲイがつくった〟という言葉を残しています。ジョージ・ガーシュウィンなどの例を挙げるまでもなく、アメリカの偉大な音楽家ゲイが多いのは事実です。世界的に見てもそれは同じで、人であった甥に遺作となった交響曲第六番ロ短調『悲愴』を捧げたチャイコフスキー、当時のスターノー歌手と生涯を添い遂げた作曲ベンジャミンブリテンなど、クラシック流には欠かせない存在です。作曲揮者、歌手演奏者すべてにおいてゲイは常に中心的存在なのです」(クラシック音楽評論ヴァレリー・シャー氏)

関連項Vima la Vidan (歪みなき生命)ケツドラム兄ソン
以下はゲイ術について

文学も多数のゲイが活躍する分野のひとつだ。ゲイ文学を研究する翻訳柿沼瑛子氏はる。
海外ではちょっと大きな書店に行けば〝GAY〟というジャンルの棚があるくらいにはポピュラーです。
サマセット・モーム、ジャン・ジュネ、ジェームズボールウィンなど、作家名を挙げ始めればきりがないくらいです」その他にも画俳優ファッションデザイナーなど、ゲイ芸術的な側面において、非な才を発揮している。なぜなのか。実は近年、同性愛者と異性者の、身体やの構造の違いに関する研究が進められている。

以下はスポーツについて

同性愛』(文新書)の著者である著述竹内久美子氏は解説する。「カナダブロック大学の研究者たちが、同性愛者813人と、異性者3417人、合わせて4230人を対に測定を行った結果、同性愛者の方が異性者より身長が低く、体重が軽い、ということがわかりました。またウエスタオンリオ大学経学者J・A・Y・ホールらの研究では、男性同性愛者は男性異性者にダーツ投げなどの運動が全般的に苦手だという結果が出ました」つまりゲイには小柄な人が多く、スポーツは得意でない傾向にある、というのである。

以下はナウい息子について

睾丸についての調味深い。この調の前提として知っておくべきことは、通常、男性は右の睾丸が大きく、女性は左の卵巣が大きい傾向があるということだ。「カナダ生物学者ドリーン・キムラの研究によれば、右の睾丸が大きい男性は、計算や間認識といった本来男性が得意とされる分野に秀でている。ところが逆に左の睾丸が大きい男性は、言や色分けといった女性が得意とするものに秀でていて、それも並の女性よりもずっと得意なことが判明したのです」そう話す竹内氏は、以上のことから、次のような可能性摘する。「同性愛者の男性は、右の睾丸よりも左のほうが大きい傾向があるんじゃないでしょうか。そのために男性でありながら、ときに女性顔負けのを発揮するのかもしれません。たとえばメイクアップアーチストやスタイリスト、美容師、華などの職業で活躍する男性には同性愛者が多い印がありますが、それはこうした背景があるからだと考えられるのです」

別な記事だが、ゲイ同士が正式に結婚すると健康度が高まることが判明した

アメリカマサチューセッツ州では、2003年に全初の同性婚合法化がされた後、病院へ行く同性愛者の男性の人数が、大幅に減少したとのことです。同性婚の法が施行された後、医療機関へ来る同性愛者の男性の来院数は、13%減少したとのことです。来院数が減少したのは、血圧の問題、うつ、適応障などの、ストレスの減少によって、緩和すると考えられる症状がとなっています。研究リーダーマーク・ハッツェンブルーラー博士は、「社会の障を取り除くことで、同性愛者の男性やバイセクシャル男性健康に寄与することがわかりました。結婚等は、ストレス関連の健康を減少させることで、広範囲に渡る衆衛生の向上をもたらす可能性があります」とコメントしています。

そして最後に世界保健機関WHO)はホモ病気として認定していない。即ちホモは正常なの形なのである。

賛美歌

ビリー・ヘリントン作『初めてだけど最後じゃない』(英国ナショナル・ギャラリー美術館

次の動画をご視聴願いたい:千秋にHな動画を見せてみた。 この動画はアニメみなみけ」に登場する南千秋泳を習得するためパソコンで「泳げるようになる」と検索すると、ガチムチパンツレスリング兄貴が登場 し、カルミナ・ブラーナの"O Fortuna"(おお運命の女神よ)が流れ出すという他も無いものだった。しかし、あるとき天才空耳職人臨し、カルミナ・ブラーナが突如として 兄貴賛美歌に変身した。壮大な空耳と完璧すぎる歌詞に賞賛する者の声が後を絶たない。

<兄貴誕生の預言か?>
カルミナ・ブラーナドイツ1847年に作曲されたラテン語の歌である。しかし、ある空耳を書いた人が現れたのだが、なんとすべての歌詞の内容が意味的 にも、内容的にも、日本語的にも完全に一致しているのだった。誰もが思った。「これは空耳ではない、何らかの意味を持った黙示録である」と。従って18世 紀の予言者が兄貴の誕生を預言し、後世の誰かが解読してくれるだろうと託した黙示録だと言える。時期的に察しその預言者はおそらく中世の学者ピエールダイイだと推測される。ピエールラテン語で歌を書いたが、ヨーロッパの言では内容がバレてしまうと考え、誰も知らない東洋のジパングの言で書いた のだ(日本ゲンテーイという記述があるのが拠)。

当時のドイツでは文献学の発達により一般的な学生ラテン語を読み書きできたのだが、ピエール歌詞バックグラウンドに日本語を当てはめた。独日辞書の 存在すら定かではない当時のドイツにおいてピエールがどのようにして日本語歌詞を書けたのかは不明であるが、おそらからの啓示なのかもしれない。何 億年に一人の確率で誕生するであろう兄貴ともある人物はからの使者なのである。かのイエス・キリストもそうして誕生を預言されたのである。

<歌詞の意味>
この預言文の内容について説明しよう。まず兄貴が現れるパートにおいては兄貴という名前を強調している。名前を強調するとは空耳として前例を見ない。7行においてはミスターティンコ等々と兄貴を賞賛している。そいうえば多くの々は複数の名前を持っているものである。全体的にティンコ、並びにそれに類する表現が多いのは賞賛すべきナウい息子だからである。

元々カルミナ・ブラーナは運命という荒波に圧倒されながらも生きようとする人間を表現した歌である。兄貴ゲイという人間全体の10%しかない人種であり、多くの困難もあったかもしれない。しかし、そんな荒波を乗り越えて生きてゆく兄貴のたくましさをこの歌から感じられないだろうか。

<歌詞翻訳と統一化>
時は流れ2008年、通りすがりの人が黙示録の解読の一端を担う。そこから約8ヶ間に渡り様々な空耳閥があり、上書きに上書きを繰り返す無明時代で あった。軽い荒らしを行う悲しい大背教時代もあった。そんな苦難をもろともせず優秀な解読者たちが統一化を推進。2009年2月、ついにすべての暗号の抽 出と翻訳に成功。並びに歌詞の固定化に成功。歴史的快挙に盛大な拍手が今なお続き、新古参者も聞くものを魅了し続けている。

以下が歌詞である。先頭の数字は行数。

  1. ♪ああ マッチョだ 出た ほら
  2. さあ ここに 兄貴
  3. ティンティンエッチス ホンキデエッチ
  4. 日本ゲンテーイ
  5. ソロソロッキ ティンティンッキ
  6. ティンティンガ カタイ
  7. ミスターティンコ デッケーティンコ スッゲーティンコミロ
  8. タッテルホラ デッケーマラ
  9. 掘ッテアソコクー
  10. フルティンサワッテ スッゲーサワッテ
  11. イクゾ!アアアアアッー
  12. ティンコヲ イジッテ

中にはこんな訳もあった:

ラテン語を学習したいという学習意欲あふれる知的な読者のために原文を記載する。

  1. ♪O Fortuna おお、運命よ
    velut luna のように
  2. statu variabilis, 姿は変わる
  3. semper crescis aut decrescis; 常に満ち常に欠ける
  4. vita detestabilis 不快な世もつらいのは一時・・・(以下歌詞は続くが元動画では割されている)
  5. Sors salutis et virtutisすこやかなるものも
  6. michi nunc contraria, 美徳も
  7. est affectus et defectus semper in angaria. 運命は私から追いやり 苦しめ 思うがままにさいなむ。
  8. Hac in hora 今こそ
  9. sine mora ためらわず
  10. corde pulsum tangite; 弦をかき鳴らせ
  11. quod per sortem sternit fortem, 強き者すら打ち倒す運命の一撃に
  12. mecum omnes plangite ! 皆の者よ、私とともに泣くがよい!

英語とあわせて読みたい方は以下を参照せよ
Carmina Burana - I. O Fortuna (w/ English subtitles)

日本語訳を知りたい方は以下を参照せよ
http://www.geocities.jp/lune_monogatari/fortuna.html

関連:の御子は今宵しも(賛美歌111番)

Vima la Vidan (歪みなき生命)

Vima la Vidan (歪みなき生命)』という記事はこの記事『アダムとアダム』が一方的ライバル視していた。アダムとアダムは頑ったはずなのにもっと長い記事が存在するとは、と嘆き執筆者を奮い立たせた良きライバル記事である。Vima la Vidanがなければ現在のアダムとアダムの記事は存在しなかった。

さて、Vima la Vidanの元ネタColdplay作『Viva la Vida』である。その歌詞の一部を抜粋してみよう。

かつて私は世界を支配した。私の言葉ひとつで割れた。
ふと気付けば私のが建っていたのはの柱、砂の柱の上。
兵士たちよ、異郷の地に赴く使徒になれ。革命たちは私の首を欲する。

うすうす分かるだろうが元ネタは出エジプト記。それと、の柱とは『創世記』19章のソドムをめぐる逸話。神の警告に背いて悪徳の町ソドムを振り返ったロトの妻イルディスは、の柱になってしまう。

 晩杯あきら
ウジェーヌ・ドラクロワ作『民衆を導く自由の男

上の絵に注せよ。これはフランス革命の絵画だが、アダムとアダムに共通するものがある。どのキーワードがどの絵に該当するか、小さくてよく分からないのだが、Vima la Vidanの動画を参照せよ。以下がこの絵画の中に表現されている。

預言者の書

上の運命の女神の件であるが、この預言は他の預言とは明確に異なっている。それはちゃんと歌詞の中にが存在することである。多くの音楽めいた預言は、品詞で言えば名詞と形容詞しかない。だが、この運命の女神では名詞、動詞、形容詞、があり、テーマと起承転結すらも完璧なのである。運命の女神の元の歌詞ですら形容詞しかないのだ。

ガチムチパンツレスリングの空耳から品詞別に抜き出してみよう
名詞:

動詞:

形容詞:

以上のように文として完成されているほど預言の価値が高くなる。名詞<形容詞<動詞<

質疑応答

アダムとアダムについて質問があったので質疑応答形式で説明する

質問
:これは真剣に論じられたものなのか
回答:これはな論文でも個人研究でもなく、壮大なネタである

質問
アダムとアダムキリスト教の教義を改変したものではないのか
回答アダムとアダム旧約聖書の思想を再解釈したものであり、新約書の教義とは関係ない。キリスト教の教義はいわば法、旧約聖書はいわばギリシア神話。両者は干渉することはない。

質問イエス・キリストの記述をアダムで置き換えているだけなのではないのか
回答:確かにそうだが、イエスアダムから遣わされた預言者である。よって、同じ事を言ったとしても不思議ではない。両者は同一視できるのである。ゴルゴタにアダムの墓があったという伝説イエスの死とアダムの死は同じであるという暗喩である。

質問:なぜアダムとアダムという思想を思いついたのか
回答ユダヤ教もイスラム教旧約聖書は同じである。つまり、アダムとアダムの教えをハッテンさせれば世界宗教たりうるのである。

質問アダムとアダムの思想はキリスト教の教義を軽視するのか
回答:いいえ、次のような例がある。あるプロスタントの教会はカトリック典ではなく独自の教典を使う。だがこの書は典を軽視するためにあるのではなく、典を完全なものにするためにある、いわば参考書なのである。

新世紀エVANゲリオン

新性紀エVANゲリオンとは性典アダムとアダム』をモチーフにしたアニメである。エVANゲリオンという兵器を操り徒(シト)というノンケを倒す物である。劇場版はヱVANゲリヲンというタイトルになる。
詳しいストーリーここを参照。この記事名はチン性器ガチンゲリオンだが、「エVANゲリオン」の方が呂がいいので見出しはこちらを採用する。

EVANGELIONとは福音という意味、つまりアダムとアダムす。この動画エVANゲリオンプロトタイプである。
コルトからNAVR(ナブル)に送られた渚カヲルというガチホモが登場する。彼は正体はアダムとアダムの魂を宿すモノであり、第17の漫画版では第12)であった。

バレンタインデー

バレンタインデーとは2月14日に祝われ、世界各地で男同士のの誓いの日である。ローマ皇帝の迫下で殉教したウァレンティヌスに由来する記念日だとする説が有である。

古代ローマ2月14日男性の生殖リアポスの日だった。Wikipediaのプリアポスの項を見ると「なんだこのでっかいモノ」と言いたくなるようなモノをぶら下げているイラストがある。ディオニュソスと美のアフロディーテとの間に生まれる。果の守りとして信仰される。

なので2月14日は好きな男にチ○コを送る日になったのだ。

歴史

性書だけがアダムの書物ではない。アダムの思想は世界各地に伝播した。ざっと歴史をおさらいしよう。

<メソポタミア神話(古代エジプト)>
兄貴vsカズヤ レスリング後の哲学編』では兄貴が一人で何やら儀式を行っている。だがそれは紀元前3000年前(今から数えて5000年前)の世界誕生の神話と同じなの だ。メソポタミア神話によれば原始のに立つ一人の男がその息子から、世界のすべてを生み出したとされる。しかもそのような儀式はカーマストラ執筆以 前からあったのである。

<古代ギリシャ>
紀元前ギリシャの男の官は時に女装することがあった。その当時は女神崇拝が盛んであり、男が女神真似れば宇宙の根的なパワーが得られるのではないか と信じる時代あったのだ。兄貴は、ノンケが女をするように、男をする。兄貴は一人で男女宇宙的を持っている。男女の結びつきが宇宙を創った とされているが、兄貴宇宙の心理をも悟っているのかもしれない。

<オリンピック>
オリンピックは古代では全裸で行われていた。ギリシャ男性市民にとって裸は特別の意味をもっていた。が倫理や徳でなくの支配者と考えられていた古代 ギリシアの美術では、最高ゼウスなど男は通常全裸でその見事な体が誇示された。裸を恥じてはいけない。鍛え上げられた体は健康とありあまる生命エネルギーの表現なのだ。

<古代インド>
性火シャクティ(人体の宿るエネルギーの根)の昇華を研究していた古代インドにおいては、交わる2匹のでシャクティを表していた。交わる──これが何を意味するかは説明する必要はないだろう。

<カーマストラ>
この記事を読んでいただきたい。驚くべきことに、性のウパニシャッド(奥義書)として名高い『カーマストラ』にパンキングという項があるのだ。当時は音楽ハッテンしていただろうが、その音楽から奏でられていたに違いない。この項は下で詳しく解説する。

<衆道>
衆道=男色はかつて僧侶武士の間に存在した。庶民にも、江戸時代でも盛んだった。江戸時代では陰間屋(現代でいうGAY♂BAR)がすでに存在していた。そこでは歌舞伎美少年を見るやいなやサムライが「やらないか」と声をかける屋であった。
当時は好色な者ならば、たとえノンケでも女だけではなく、男もするべきだというの博に満ちていた。江戸時代にも日本オリジナルカーマストラが あった(もちろん本家以上ではない)。これには「に軟膏を塗るとよい」などという現代と変わらない南書であった。

<日本神社>
埼玉県にある三峯神社(みつみねじんじゃ)にはナウい息子が祭られている。その息子は誰のものかというと日本の最高イザナギのものでである。原罪が存在 しない日本にとっては性は隠すべきものではなかったのだ。巨大な息子は豊、生命、繁栄、そんなすばらしい概念の徴だった。女神イザナミの像にブスリ ♂する儀式もあるらしい。

<古事記>
古事記には次のように記されている。古事記旧約聖書的位置づけの神話である。
「吾身層層鑄也 尚有一」
現代訳すると
「私の体には、出っったところ(ナウき息子す)が1ヶ所あります」
原文の漢字を見てもらいたい。(とつ)という漢字イザナギ息子を示す。物体の形をそのまま表した形文字で書かれ、息子の形を如実に表している。ギリシア文字ωオメガ)に勝るとも劣らぬ奥ゆかしい文字である。

カーマスートラ

性書つながりで『カーマストラ』を紹介する。アジア典、それがカーマストラだ。著者、ヴァーツヤーヤナはA.D.4~5世紀、バラモン(僧侶階級)の長として、の箴言集カーマストラを執筆する。カーマ()は古代から変わることのない徴性を宿している。

カーマが注入されると、人はがみなぎり、生気にあふれる。心が高鳴り生命の躍動が始まる。カーマは種を保持してきたである。男をすることにより情動のバランスが整えられ、種族の繁栄と幸福を約束する。古来から続いてきた行為であるにも関わらず体系化されてはいない。ヴァーツヤーヤナは「技法」をカーマストラに記した。

とはいえ、カーマストラは単なる導書ではない。それは生命の真実を追している。ヴァーツヤーヤナは言う「が存在する以上、いかなる人間もする楽しさを享受するべきである」と。心を高揚させたり、様々なレスリング技を体得したり、訓練する必要がある。適切な技でレスリングすることにより、魂に炎を点け、悦びを高めることができる。

古代インドではエロス(の衝動)は慎むべきものではなかった。兄貴レスリング開始々「エロいっ!」と掛け声をかけるのは欲の肯定を表す。カーマストラを研究し、なものととらえる。いかなるの形をもヴァーツヤーヤナは受け入れた。

カーマストラの最終的は、実はではない。最終的は救済、つまり輪廻転生からの解脱を試みることである。ヴァーツヤーヤナはエネルギーにより宇宙やプラジャーパティ(生を)との融合したのだったのだ。

平成23年度 尻立新日暮里大学 入試問題

この『アダムとアダム』は大学定の教科書でもある。新日暮里大学受験する者はこの記事をしっかり覚えよう。

  1. あれ」をエノクで言うと"____ Da Nosami Olpirt"
  2. 赤さんからの________によって、ソドムゴモラを滅ぼした
  3. 同性愛が罪でないとする教会はどこか
  4. モーセ(別名城之内悠二)は何人か
  5. モーセの十その4は何か
  6. 兄貴の始めの使徒は誰か
  7. <_____>は火の地に投げ込まれる
  8. あなた方は地の、つまり________者たちです
  9. き続けなさい、そうすれば_________
  10. アラムエロイ(Eli)とはどういう意味か

1問10点、合計100点。90点以上で合格。失敗は1問しか認められない。通常のテストでは30点未満は赤点とされ、追試となる。『アダムとアダム』ではエノクを重視しているが、本校ではあまり重要ではない。というのも妖精と話せるの現代人は少ないからだ(預言者のように)。エノク辞書があるのでエノク検定TOENCを受けてもよい。500点以上取ると就活が有利になり、990点満点を取ると妖精と話すことができる。傾向としてはなめらかで短い単が多いのでドイツ語よりは難しくない。

この記事の楽しみ方

筆者が誤字訂正のためPDF化してiPadで読もうとしたら、この記事が長すぎて最後までPDF化できなかった。どういうことなの・・・Evernoteしか救いはないんですか!?

始まりの書

過去の『アダムとアダム

http://dic.nicovideo.jp/r/a/%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%A0%E3%81%A8%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%A0/691321

上は追記者が一切手を加えていない初代執筆者による純の書である。執筆者を駆り立たせたという意味でも、人類の始まりが記されているという意味でも「始まりの書」と呼ぶことにする。「大章マグナ・カルタ」「権利章典」と呼んでもよい。永久に犯してはならない「日本国憲法」のように重要な書物である。「独立宣言書」のようにワシントンD.C.国立公文書館の地下に厳重に保管すべきかもしれない。以下、始まりの書のデータを記す。

初版作成日: 08/10/11 01:27
最終更新日: 10/03/28 02:43
ページ番号: 633653
リビジョン番号: 1371339
編集者akatsuki
サイズ:16.7 KB

最新の記事のサイズは93.0 KB。つまり5.5倍、四捨五入して約6倍に膨らんだのだ。(これは当時の記述。現在ではさらに膨らんでいる)

福音書の書記官

福音書の書記官、つまりこの記事の初代執筆者の名はakatsuki氏である。このページを見れば彼がいかに博学で優秀な執筆者であるかが理解できる。初代執筆者は原文を書いたまま去ってしまった。元の記事に倍以上の大幅な追記をした者の名は追記者endo.picturesである。初代執筆者がアダムとアダムというタグを見て大百科を執筆したくなったのと同様に私、endo.picturesはこの元の記事を読んで追記したくなったのだ。まさにアダムの遺伝子のように、と子のように情熱と思想が伝わったのだ。この記事のほぼすべては2人によって執筆されている(もちろん3代の執筆者は随時募集中である)。彼にコンタクトを取ってみたが返事がない、ただの就活中のようだ。
初代執筆者akatsuki氏について3行でまとめる:

追記者endo.picturesについて

<追記者の5つの制約>

  1. な文章で書く
    面接ではスーツを着るように、読むものによい印を与える。
  2. 味とがなければ書けない
    味がないものをたくさん書けるわけはない、好きだからこそ書けるのだ。
  3. 装飾は最小限に
    フォントノーマル、太字、色、引用は最小限に。
  4. コピペを避ける
    コピーで増やすなら誰でもできる。丁寧に手打ちすべし。
  5. フォーマットを統一する
    初代執筆者の文体を整える(です・ます体の統一など)。
    歪みねぇ」→「歪みなき」

旧約聖書完成プロジェクト

私は旧約聖書全39書を完成させてみたいのだが、いかんせん膨大である。誰かザ・ウォーカーの如く以下の書物を書いてもらいたい。というのも初代の時点から後半の考察の部分が多く、物の部分が少ないためである。また、書に味のない人たちにも味を持ってもらうことができる。

法の書(モーセ5書)(モーセ6書という時にはヨシュア記が入る) 創世記 出エジプト記 レビ記 民数記 申命記

前の預言者(歴史書ともいう) ヨシュア記 士師記 サムエル記・上・下 列王記・上・下

後の預言者 イザヤ書 エレミヤ書 エゼキエル書(以上3を大預言書ともいう) 12小預言者 ホセア書 ヨエルアモス書 オバデヤ書 ヨナ書(ヨナ書は、預言書というより、知恵文学として諸書に属す性質のもの) ミカ書 ナホム書 ハバクク書 ゼファニヤ書 ハガイ書 ゼカリヤ書 マラキ書

諸書 ルツ記 歴代志上・下 エズラ記 ネヘミヤ記 エステル記 ヨブ記 編 箴言 コヘレトの言葉(伝の書) 歌 哀歌 ダニエル

少しでも執筆したいと思った方は、ウィキペディアに2463項執筆したアラン・ソーン氏の言葉を聞くべし。

「私がウィキペディアにこれまで費やしてきた時間を銭に換算するならば、数十万ドルは稼げたことでしょう。でもウィキペディアでは、協したいとか、知識を広げたいという意志を利用することで、他にはないかけがえのない情報が作られています。文化とは、最高額で落札した人だけが手に入れられるものではありません。無償で与えられるものなのです」

終わりに

以上をもって『アダムとアダム』を終了する。原本は現在よりも記事が少ないにも関わらずよくまとまっている。初代執筆者akatsuki氏が勇気をもってこの記事を執筆しなければこの記事への追記はありえなかった。素らしい記事を書いて読むものを楽しませてくれた初代執筆者akatsuki氏に感謝する。初代執筆者とこの書物を侮辱することがないように、記事丸ごとコピペは一切無く、コピペがあったとしても1文以下であるとここに宣言する(学術的引用を除く)。

<募集>
この記事は訂正、追記の絵を描いてくれる人を随時募集している。

<お知らせ>
2011/11/05をもってこの記事「アダムとアダム」は「Vima la Vidan (歪みなき生命)」の長さを上回ることとなった。Vima la Vidanの記事の容量90.4 KBに対し、この記事はある時点で91.9 KBであり、今もなお成長中である。

謝辞

参考資料、文献、出典:

Copyright © 2008 akatsuki, All Rights Reserved.

関連項目

携帯版URL:
http://dic.nicomoba.jp/k/a/%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%A0%E3%81%A8%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%A0
ページ番号: 633653 リビジョン番号: 1536635
読み:アダムトアダム
初版作成日: 08/10/11 01:27 ◆ 最終更新日: 12/05/23 16:51
編集内容についての説明/コメント: 挿絵移動
記事編集 / 編集履歴を閲覧 /

アダムとアダムについて語るスレ

345 : ななしのよっしん :2012/05/12(土) 21:37:22 ID: M0dKe3JPHf
あれ?半年ぐらい前に見た時よりもさらに記事長くなってる
どういうことなの…
346 : ななしのよっしん :2012/05/15(火) 00:07:20 ID: fa0Sdkgd7H
歪みねえな
347 : ななしのよっしん :2012/05/16(水) 18:06:01 ID: US9W49Oa0R
ナヴィwww
348 : ななしのよっしん :2012/05/16(水) 23:35:01 ID: w81P2Y70FX
結局全部読んじまったwww
349 : ななしのよっしん :2012/05/18(金) 18:46:54 ID: mWlJpwPZrT
記事なげー
スクロールめんどくせー
350 : ななしのよっしん :2012/05/21(月) 12:04:09 ID: RWi6z4Sg2q
アダムとアダムだけで落ちがついてるけどまだ続けるそのゆがみねぇ覚悟に敬意
351 : ななしのよっしん :2012/05/22(火) 23:18:10 ID: CRjmKmjueO
この記事の文庫本が欲しい、どこにいても読む事ができるからw
352 : ななしのよっしん :2012/05/23(水) 16:43:11 ID: OErN7f19Dc
SONY Reader か iPad+Evernote がおすすめ
353 : ななしのよっしん :2012/05/24(木) 13:08:35 ID: ZGVfSIsLOy
本気のネタを感じた
354 : ななしのよっしん :2012/05/24(木) 16:53:15 ID: Pf5uGqJlWF
歪みねぇ長さ
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