アフリカメソッドとは、批判の一種である。
例
「アフリカの子供は今この瞬間にでも飢餓と飢えに苦しんでバタバタ死んでいるのに、それに比べればお前は日本に生まれて、両親がいて、ご飯も食べられて、学校に行かせて貰って、一体何が不満なんだ?」
概要
アフリカの子供のように「貧困の中であえぐ弱者」を引き合いに出して、他人を批判するために用いられるメソッド(方法論)である。
なお、引き合いに出した現象が実在するか否かといったデータを提示せずに、ステレオタイプなイメージのみで批判を試みる者も少なくないと思われる。
主に、学校や家庭において教育のために用いられることがあるが、聞き手の健全な人格の形成を阻害する問題があるといわれている(参考資料を参考のこと)。
アフリカメソッドに対する反論としては、「一切皆苦」、どの立場にいる人であっても、何らかの苦しみは付きものであるし、また、立場の違う物を一概に比較することはできないという論が有力であろう。
参考資料
蝉丸Pは過去にニコニコ生放送でアフリカメソッドについての解説を行っている(生放送のURLは関連動画を参照のこと)。 以下は蝉丸Pの古典一日一言第百五十講インド篇(lv55499491)から該当部分を文字起こしした物である。
アフリカメソッドについて
えーま、とにかくですね、ま、そういう風にお釈迦さん、まあ、あー……王族の暮らしに生まれたわけでございますけれどーもー、王族に生まれてもですね、やっぱりこう鬱々と、ね、楽しまない、というような所があるわけでございます。
ね、えー我々も、よくですね、地位の高い人間とかですね、金持ち、とかですね、えーそういうなものを見ますとですね、「あーあの生まれだったらいいよなあ」というようなことを普通に言う人はいるかと思いますけれどーもー、
どんな、境遇に、生まれても、どんな境遇に生まれてもですね、苦しみ、というようなものが付きまとって来るんですよと、いうような事に関しましては、これはまあ散々、話した通りでございますのでですね、えー今更ゴチャゴチャは、あー……言わないわけでございますけれどもですね、はーい。
まあ、我々が……うん、だから、あれなんですよ。
「貧乏人から見れば贅沢な悩みですよねー」というような、あーそういうルサンチマンを抱えている、えー人はかなり多いかと思いますけれども、はい、そういう人は「オネアミスの翼」を見て下さい。
はい、オネアミスの翼を見てですね、一番最初の冒頭のセリフを聴いてですね、「まあー言われてみりゃそうだよなー」と、いうですね、はーい、えーそこをしっかりと、えー実感できないとですね、はい、そこをしっかり実感できない限りですね、そう、「アフリカメソッド」!うん、アフリカメソッド。
と言われておりますけれどもですね、言われませんでしたでしょうか。うん、ねえ、
「アフリカの、子供は、今この瞬間にでも、この瞬間にでも、飢餓と、飢えに苦しんでバタバタ死んでいるのに、それに比べればお前は日本に生まれて、両親がいて、ご飯も食べれて、学校に行かせて貰って、一体何が不満なんだ?」と。
ねえー。さーどうでしょう。うーん。ね、恵まれた、恵まれた、あれですよねーなんて「恵まれた悩みなんですよねー」みたいなことを言ってるあなた!はい、先程そのコメントをしたあなた。あなたもそうですよね?
アフリカメソッドから言えばアフリカメソッドから言えば、あなた非常ーに恵まれてますよね。
はい。恵まれているのに、ねえ、そんなことを、あなたは、「羨ましいですよねー恵まれてますよねー、全く苦しみのない状態ですよねー悩みも無いんでしょうね」と、さあこのように言われたらさあどうする!我が身の事として考えてみろ。
というですね、はーい。
えーというですねーこのアフリカメソッド、というような物に関してましては日本の教育でよく使われておりましてですね、はい、えーこれで、はい、あのー、はん、あのー反論を、全て、封じてしまう。というですね、はい。
えーこの風潮というのは、はい、この風潮というのはですね、非常にこうー悪しき風潮かなーというところもありますしですね、うん。
どこに、どこに、生まれても、どこに生まれても苦しみがある、というですね、人生の苦しみというようなものは必ず付きまとって来るんですよというね、えーこの考え方が理解できないと、いうのであれば、アフリカメソッドを、自分に向けて、やってみて下さい。はい。アフリカメソッドをもし自分が延々と言われ続けたらさあどうでしょうかと、いうですね、はーい。
ねーそういうところでもあるわけでございますけれどもまあ逆にですね、えー……お釈迦さんにしても今の我々にしてもそうでございますけれども、ま、食べたり、飲んだり、生存、というような事に関してですね、はい、生存というような事に関して、脅かされない、というようなことであれば、より深くその、物事について、考えていくことができる、というのはこれは先程も言いました、余裕が無ければ、物事、文化や、その辺りというのをですね、えー進めて行くことができないという、そういうなことでもあるわけでございますけどね、はーい。
うん、まじで、あのーアフリカメソッドはね、あのーこれから、人の親になろう、って言う人は、やめてあげてください。うん、あれは、あのー健全な人格を阻害する、最強のやり方でもありますのでね、はい。
えーそういうところでございますのでねー。
うん、まあ、何に致しましても、はい、えー何に致しましても、うん、学校でよく使われたりとかですね、ご家庭の中で使われたりとかですね、はーい、色々ーこうーありますけれどもねー、うーん。
まあとにかく、そういう風にですね、まあ、あー衣食住の、苦しみが無ければこそ、じゃあ根源的な、部分について、考えていこうと、いうようなところにもなってくるわけでございまして、お釈迦さんは、生まれてからこの方ですね、
亜種
そもそもアフリカメソッドを是とする者は、実は正常な思考ができていない可能性がある。
たとえば、君に行きつけの食堂があったとしよう。
その食堂には美味い飯(A)もあり、不味い飯(B)もある。
ところが、その食堂に第二次世界大戦などの「戦時」を知る老人がやってきて、
「戦時中の食事に比べれば何食べても美味い」と言ったとしよう。
その時君はどう思う?
「戦時中がどうだったか知らないが、実際問題Aの飯は美味いしBの飯は不味い」 そう思わないだろうか?
さて、ここで言う「実際問題」とは何か?
これはAの飯とBの飯に関する相対評価でもあるが、
「世の中の全ての食事をランク付けした時に、平均より下である」という意味での絶対評価でもあるだろう。
恐らく、君でなくても大体似たような評価、「美味い飯もあれば不味い飯もある」と思うはずだ。
(もちろん、具体的にどこからどこまでが美味い飯で、どこからどこまでが不味い飯かの線引きは人による)
ところが、この老人が指す「戦時中の食事に比べれば何食べても美味い」は、相対評価である。
それも、「線引きが一番下にしかない」という、極端に評価基準が偏った相対評価である。
なぜこのようなことになるのか?
それは、戦時中の食事といった、極端な例を経験することによって、極端なものとしか比較ができなくなり、
相対評価の認知に歪みが発生してしまったからである。
これを「戦時中の食事バイアス」と呼ぶ。
極論を引き合いにした比較に意味がないように、アフリカメソッドおよび戦時中の食事バイアスは
相対評価の認知が歪んだ状態での評価なので、同様に「無意味な論法」なのである。
なお「死ぬくらいならブラック企業で働くほどがマシ」論法もこれの亜種である。
ブラック企業で働くことはブラック企業を延命させ、世にのさばらせる原因になるため、世間に迷惑を掛けたくないなら死んだほうがマシである。
無論、「ブラックでない企業を選ぶ」「いっそ起業してブラックじゃない企業を作る」がベストの解であることは言うまでも無い。(それが出来る奴はそもそもこんなこと言わない?うん、まあ……)
関連動画
アフリカメソッドについては、以下の生放送で解説された事がある。
関連商品
アフリカメソッドに関するニコニコ市場の商品を紹介してください。
関連コミュニティ
アフリカメソッドに関するニコニコミュニティを紹介してください。
関連項目
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- 0pt