アルテ高崎とは、群馬県高崎市を本拠地としたサッカークラブ、及びサッカーチームである。
概要
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1996年に「マッキーFC」として創設される。
その後、2000年に、「群馬FCフォルトナ」に改称するが、商標権の問題もあって2002年に「群馬FCホリコシ」に改称し、このときからクラブはJリーグ参入を目指すことになる。
その後、高崎市のチームとして定着するため、2005年に「FCホリコシ」に改称、同年にJリーグ加盟申請書を提出するも、必要書類が不十分であると判断され見送られた。
なお、その後に導入されたJリーグ準加盟制度への申請もしておらず、参入実現計画はは実質白紙に戻ってしまったものと観られる。
この翌年から3年間、クラブは暗黒の時代を経験することになる。
2006年、クラブは現在の「アルテ高崎」に改称するも、シーズン終了後には監督のアマラオ及び多くの選手が退団してしまい、選手層が薄くなってしまう。
翌2007年は、それが響いたか、ロアッソ熊本とFC岐阜のJ2昇格、及びYKK AP FCとアローズ北陸の対等合併(⇒カターレ富山の誕生)によるリーグのチーム数減少により、辛うじて地域リーグ降格を免れたが、特にFC岐阜のJ2昇格はリーグ最終節でアルテに勝てば決まったため、逆にアルテにとっては勝つと入れ替え戦に回ってしまうため、「負けて残留を決める」形となった。
2008年は最下位(18位)こそはならなかったものの、(1シーズン)リーグ失点107というリーグワースト記録を打ち立て、また、最終節のHonda FC戦では(1試合)11失点というリーグワーストタイ記録も残してしまった。
それでも、栃木SC・カターレ富山・ファジアーノ岡山のJ2昇格によりJFL残留となったのが不幸中の幸いと言えよう。
そんなこんなで迎えた2009年は、スタートダッシュの成功もあって奇跡の6位で前期を折り返すが、後期は失速してしまい、最終順位は14位となった。2010年は本来なら自動降格となる17位に終わるも、ガイナーレ鳥取のJ2参入により入れ替え戦に回る。これに勝ってこの年もなんとかJFL残留を決めた。
2011年は16位に終わり、本来であれば入れ替え戦に回るはずであった。しかし、松本山雅FCと町田ゼルビアのJ2昇格、ジェフリザーブズの解散に伴い、またしてもぎりぎりで残留を決めた…と思っていた。そう、2012年1月13日が来るまでは。
アルテ高崎の年末恒例となっていたのはぎりぎりでのJFL残留だけではない。親会社である学校法人堀越学園の経営難である。創造学園大学の決算書や設立時の申請書類などに虚偽記載が見つかり、県や共済からの助成金・補助金が打ち切られ、学校職員への給料すら遅配する始末。そんな状況ではJFL加盟金1000万円の支払いすら困難になるのは当然のことである。結局2011年も期限を大幅に遅れて12月に支払ってはいるのだが、創造学園大学の給料未払いは続いているため当然ブーイングが出た。そして経営を続けることができないと移管先を探したのだが結局見つからず、2012年1月13日にJFLからの退会が発表された。
その他
- 末期はこんなクラブだったが、過去は天皇杯でJリーグクラブを倒したこともあるだけあって、それなりの力を要していた。その後の資金不足さえなければ、今頃強豪クラブに成り果てていたはずである。そういうこともあって一部のサッカーファンからは当時、「ザスパ草津のライバル」と言われていたが、それは今では黒歴史となっている。
- 現在の運営元である学校法人の堀越学園は、東京都の堀越学園とは全く関係無い。ちなみにユニフォームの胸には、堀越学園が運営する創造学園大学のロゴが掲載されている。
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そういうのはありませんでした。
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