ビル・フィリップスことアルバン・ウィリアム・ハウスゴー・フィリップス(Alban William Housego Phillips、1914〜1975)とは、ニュージーランド生まれの経済学者である。
概要
ニュージーランド出身者では恐らく史上最高の経済学者であろう。だが生涯のほとんどを過ごし業績を為した場はイギリスのロンドンである。また残念ながらネガティヴな方向でではあるが、日本とも浅からぬ縁をもつ人物である。
1958年に発表した「フィリップス曲線」(Phillips curve)は同時代の経済学者や政治学者に多大な影響を及ぼし、また現在に至るまでマクロ経済学における重要な基礎理論のひとつとなっている。
生涯
- 実家は北島南部の酪農家。若い頃はワニハンターやら職を転々、中国に渡るが日本軍侵攻のため英国へ避難
- 第二次世界大戦では空軍に従軍。ところが配属先のシンガポールが日本軍によって陥落、ジャワへと避難する
- ジャワもあえなく陥落し捕虜となる。その間に英国で修めた電気工学で収容所をこっそり電化、復員後叙勲される
- 捕虜の経験からロンドン大学経済政治学校(LSE)に入り社会学を志すが数年で飽き、ケインズ経済学に転向
- 電気工学的発想から、マネーの流れを水流に置き換え所得を計算する水力コンピュータ・モニアックを設計・製作
- ちなみにモニアック=貨幣的国民所得自動計算機(Monetaly National Income Automatic Computer)
- これが学校側に大受けし講師の職を得る。それから10年足らずで教授に昇進した年にフィリップス曲線を発表
- さらに9年後、戦後間も無い創立の豪州国立大学の教授に就任するが、健康上の理由でわずか2年で退官
- 故国の北島北部のオークランド大学で教鞭を執りつつ療養を始めてから6年後、脳卒中で死去。享年60歳
- 晩年は経済学の他に、戦時に捕虜仲間から習った中国語を活かして中国研究にも同じ位の時間を割いていた
- 晩年の健康不良の理由は、戦争時の栄養不足による身体虚弱化と往年の喫煙によるものとされている。が、
- もうしばらく長生きしていればノーベル経済学賞(受賞開始: 1969年)は確実であったとも言われている・・・・・・
フィリップス曲線
一言で言えば、インフレ率と失業率がトレードオフの関係にあることを示す図である。
トレードオフとは2つのうち、どちらかを上げるともう一方が下がる関係である。例えば、遊ぶ時間を増やせば勉強する時間が減る。勉強する時間を増やせば自由に使える時間が減り、両方を同時に増やすことはできない。なので自由時間と勉強時間はトレードオフの関係にあるといえる。
これは正確には「物価版フィリップス曲線」という。インフレ率が高くなると失業率が高くなってしまうことが分かる。
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関連項目
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