アルフレット・フォン・ランズベルク(Alfred von Landsberg)もしくはランズベルク伯アルフレットとは、『銀河英雄伝説』の登場人物である。CV.塩屋翼(石黒監督版OVA)、菅原雅芳(Die Neue These)。
概要
ゴールデンバウム朝銀河帝国伯爵、銀河帝国正統政府において軍務省次官。帝国暦489年時、26歳。「美男子と称するほどではないにせよ、品性と家門を感じさせる」風貌の青年。
門閥貴族の一員とはいえ、居丈高に振る舞って他人から悪意を受けるような人物ではなく、ごく凡庸ではあるものの善良な教養人。リップシュタット貴族連合にも参加してはいるものの、ことさらに対立者ラインハルト・フォン・ローエングラムを憎悪していたわけでもなく、そのラインハルトにすら「有益でないにせよ無害」と評された。
しかしその彼が、ゴールデンバウム王朝衰亡の危機にあって、最後の忠臣として名を残すことになるのである。
経歴
リップシュタット戦役
すばらしい!
シュターデン提督の作戦案の壮大にして華麗なること、このランズベルク伯アルフレット、感嘆の極み。
貴族社会の中で、ごく普通の文学系青年貴族として過ごしていたアルフレットがリップシュタット貴族連合に参加したのは、前述のように、けしてラインハルト・フォン・ローエングラムを敵視していたからではなかった。むしろラインハルトを敵視しないような純朴さ故に、門閥貴族こそが帝室の藩屏であるという保守的な思想を信じこんで疑いを持たなかった、という程度の理由であった。
特に軍事的才能も権力も有していないアルフレットが貴族連合内で大きな立場を占めることは無かったが、一度だけ、状況を動かす発言をしている。開戦前の軍議において、シュターデンが総司令官ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツの案に加えて「別働隊によって帝都を直撃し、皇帝を確保する」という作戦案を示した際、項目冒頭に引用したように[1]賞賛し、ごく無邪気に付け加えたのである。「で、誰が別働隊の指揮をするのです?大変な名誉と責任ですが」と。これによって、別働隊を指揮し皇帝を手に入れたものが次の最高権力者になりうるという政治的問題が露呈され、結局この別働作戦は行われなかった。
幼帝救出
リップシュタット戦役が貴族連合の敗北に終わると、アルフレットはフェザーンへと逃れた。彼はそこで恩賜の宝物を売って当座の生活費を作ると、『リップシュタット戦役史』の著作を思い立ち、冒頭部を出版社に持ち込んだ。しかしその提案は無碍に断られ、ショックを受けたアルフレットは記録者たるより行動者たるべしと奮起する。そこに現れたのが、フェザーン自治領主補佐官ルパート・ケッセルリンクだった。
ルパートの提案を受けたアルフレットは、前フェザーン駐在帝国高等弁務官伯爵ヨッフェン・フォン・レムシャイドを盟主とする帝国の再興計画に参加。レオポルド・シューマッハとともに、ラインハルト・フォン・ローエングラムの傀儡とされている幼帝エルウィン・ヨーゼフ2世”救出”のため、フェザーンの手引きでオーディンへと戻った。
そして彼は、先祖から受け継がれた新無憂宮からの秘密の地下通路の知識を活かして皇宮へと侵入。みごと、エルウィン・ヨーゼフ2世の救出を果たしたのである。アルフレットとエルウィン・ヨーゼフはフェザーンを経由して同盟へ亡命。レムシャイド伯を首相とする銀河帝国正統政府が成立すると、アルフレットも軍務省次官の地位を与えられた。とはいえ、明確にその職務を果たしていた様子はない(もっとも、すべき職務が存在するような組織ではなかった)。
正統政府の崩壊
”神々の黄昏”作戦とバーミリオン星域会戦の結果、自由惑星同盟は銀河帝国に事実上降伏し、侵攻開始以来ほとんど崩壊しつつあった銀河帝国正統政府も完全に解体された。閣僚たちが逮捕され、レムシャイド伯も自宅を包囲され自殺した中で、ただアルフレットだけは皇帝に忠誠を尽くす路を選び、幼帝を連れて何処かへと逃げ延びた。
その行方が知れるのは、新帝国暦2年11月のこととなる。ロイエンタール元帥叛乱事件のさなか、新領土総督府の官憲がハイネセン辺境クラムフォルスの町で挙動不審な若い男を発見、逮捕したところ、ランズベルク伯アルフレットであることが明らかになったのである。彼の所持品の中には、毛布で包まれミイラ化した子供の遺体があった。そして尋ねられたアルフレットいわく、それは「ゴールデンバウム王朝の皇帝陛下である」と。その記述は、彼の手記によっても確かめられた。
叛乱終結後、彼は精神病院に送り込まれた。しかしそれから半年程度のうちに、さらなる衝撃の事実がもたらされる。アルフレットとともに幼帝を誘拐したレオポルド・シューマッハが逮捕され、その証言によりエルウィン・ヨーゼフが新帝国暦2年3月にアルフレットのもとから逃げ出していたことが明らかになったのである。忠誠を尽くした相手の逃亡により精神のバランスを崩壊させたアルフレットは、死体収容所から盗みだした死体を皇帝として奉っていたのだ。そしてその”死”にいたるまで、完璧かつ克明な「手記」を作り上げ、信じ込んでいたのだった。
人物
ロマンチシズム
ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフによれば、アルフレットは「かなりのロマンチスト」であったという。
ヒルダの考察する限りにおいては、彼が亡命先のフェザーンに腰を落ち着けることなくゴールデンバウム朝の再興を志して敵地となったオーディンという危地に帰還したのも、この「行動派ロマンチスト」としての理想によるものであった。すなわち、強者に対するテロリズムを敢行することにより、忠誠心と使命感を満足させんとしたものだというのである。
そのロマンチシズムゆえに、アルフレットがか弱い女性――グリューネワルト伯爵夫人アンネローゼのような――をそのテロリズムの対象とすることは考えにくく、むしろより実行が困難な相手を選ぶのではないか、というのがヒルダの考えであった。そして、この二点を満たし、加えて彼が王朝の忠臣としてむしろ当然の行為とすら考えるであろう相手はただひとり、皇帝エルウィン・ヨーゼフ2世のみ。
かくして、ヒルダはみごとにアルフレットの心中を洞察してのけたのであった。
文才
本来アルフレットは、詩作や小説に精力を傾ける文学青年であった。ラインハルトに「へぼ画家へぼ詩人」と罵倒されたように、その文学的才能は大したことはなかったものの、貴族たちのサロンでは好意的な評価を受けていた。
しかしそれはフェザーンの出版社には通じなかった。アルフレットが編集者に見せた『リップシュタット戦役史』の冒頭の評価はこうである。
……しかし、あまりにも主観的で、不正確で、記録としてはいささかその価値に疑問が……情熱とロマンチシズムのおもむくままに美文調でお書きになるのではなく、もっと筆致をおさえて、冷静に、客観的にですな……
とまあそんなところで、へぼ画家と違って文章自体に評価すべき点はちゃんとあったようではあるが、全体としては散々な評価であった。あるいは手記のたぐいであれば門閥貴族側がリップシュタット戦役をどう見ていたかを示す貴重な史資料になったかもしれないが、まっとうな歴史書とするにはどうやら装飾過多であったようだ。
そしてこの数年後、彼は「ランズベルク伯アルフレットの生涯で、最高の創作品」をものにすることになる。エルウィン・ヨーゼフ2世の死を記録したという手記がそれであった。精神を病んだアルフレットが妄念によって生み出したその『手記』は、実際には記録どころかまったくの創作であったにも関わらず、その精緻な描写によって帝国の治安関係者を完全に騙し抜くほどに仕上がっていたのだった。
親族
酒宴と狩猟と漁色で一生を終えた曾祖父がおり、100歳ごろまで生きたという。
また、彼が幼帝救出の際に使用した地下通路は、アルフレットの5代前の先祖が当時の皇帝より密命を受けて建造したものである。これは帝国博物学協会の倉庫から新無憂宮へと通じ、ジギスムント一世の銅像の下まで12.7kmの延長を持つものであった。この功績によりその先祖は寵姫をひとり下賜され、「後世、皇帝の身に危急のことあるときはこの通路を使って救出せよ」という命を受けたという。アルフレットはこのことに、ランズベルク伯爵家にまつわる運命的なものを感じていたようである。
関連動画
関連項目
脚注
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