アルベルト・ザッケローニ(Alberto Zaccheroni)とは、イタリアのサッカー指導者である。サッカー日本代表監督を務めた事で有名。(2010年-2014年)
概要
1983年にセリエC2のチェゼナティコの監督となり、その後はウディネーゼ、ACミラン、ラツィオ、インテル、トリノFC、ユヴェントスとセリエAの常連クラブを指揮。1998-1999シーズンにはACミランでスクデット(セリエA優勝)を獲得、年間最優秀監督にも選ばれた。
2010年に日本代表の監督となる。それまではクラブチームのみを指揮していたため、ナショナルチームの監督就任はこれが初めてである。
監督デビュー戦となったアルゼンチンとの親善試合では1-0で勝利。AFCアジアカップ2011では日本を優勝へと導いた。これが自身初の国際大会でのタイトルでもある。
2014 FIFAワールドカップにサッカー日本代表を出場に導いた。
しかし、本大会グループリーグ第1戦、コートジボワール戦、前半に本田圭佑のゴールで先制するも、後半に、ディディエ・ドログバの投入で流れが変わり、わずか2分で逆転を喫し敗北。第2戦のギリシャ戦では、相手が1人退場という数的優位を得ながら、堅守の守備陣を崩せずスコアレスドロー。グループリーグ突破の可能性を信じ、第3戦のコロンビア戦は既にGL突破を決めていたコロンビアは主力を温存。支配率や、シュート数を上回ったが決定力に欠き1-4で大敗。グループリーグ最下位という結果で、敗退という結果で終わってしまった。
日本代表監督就任後、細かいパスワークを中心とする攻撃サッカーを掲げ強化に努めてきたが、長年の課題である決定力不足が露呈。また、劣勢時にはDF吉田麻也をパワープレイ要員として前線に上がるなど多用していない戦術を使い、采配のブレが目立った。
トリビア
イタリアではザック(Zac)の愛称で親しまれている。これまで「○○(監督名)ジャパン」と呼んでいる日本のマスコミは「ザックジャパン」と報道している。
イタリアのメディア内では、「堅実」「温厚」と評価しながらも「地味」との辛口意見もある。また、ACミラン以降ぱっとした成績を残せなかったことから一部では「過去の人」とも揶揄されている。
「3-4-3システム」を好むことで知られ、それが原因で4バックシステムを好むACミランオーナーのシルヴィオ・ベルルスコーニ会長と対立。チーム低迷も相まってシーズン途中で解任されたことがある。彼自身は3-4-3に固執していることはあまりなく、ラツィオ、ユヴェントス時代には4バックを用いたことがある。そのため、決して単純な攻撃偏重というわけでは無く「攻撃のための守備」にも力を注いでいる。(実際、就任会見で求めるものとして「バランス」と発言し、日本代表合宿では守備の指導を真っ先に取り組んでいた。)
趣味は絵画鑑賞。実家はペンション経営。「アンブロジアーナ」という名前で営業している(病気と怪我で20歳目前に選手生活から引退した後、家業を手伝ったり、保険代理店を行ないながらコーチ業をしていた)。
チューブ入りのワサビが大好物。白米にワサビをかけるほどである。日本サッカー協会の小倉会長曰く「すったわさびではなくスーパーで売っているチューブ入りのわさびでないとだめ」だそうだ。しかし2014 FIFAワールドカップ3次予選での北朝鮮戦では北朝鮮入国時に没収されてしまった。
小史
- 1983年 - 1985年 チェゼナティコ
- 1985年 - 1987年 リッチョーネ
- 1987年 - 1988年 ボカ・サンラッツァーロ
- 1988年 - 1990年 バラッカ・ルーゴ
- 1990年 - 1993年 ヴェネツィア
- 1993年 - 1994年 ボローニャ
- 1995年 - 1998年 ウディネーゼ
- 1998年 - 2001年 ACミラン
- 2001年 - 2002年 ラツィオ
- 2003年 - 2004年 インテル・ミラノ
- 2006年 - 2007年 トリノ
- 2010年 ユベントス
- 2010年 - 2014年 サッカー日本代表
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関連項目
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