アンドレア・ドヴィツィオーゾは、イタリア・フォルリンポーポリ出身のMotoGPライダーである。
1986年3月23日生まれ。
2002年からMotoGP125ccクラスへのフル参戦を開始した。
2004年に125ccクラス世界チャンピオン。
2005年からは250ccクラスに移り、いきなりランキング3位。
2006年と2007年は2年連続で250ccクラスランキング2位となった。
2008年から最大排気量クラスへの参戦を開始。
2017年と2018年は2年連続で最大排気量クラスランキング2位となった。
2019年もドゥカティワークスから最大排気量クラスに参戦する。
略歴
デビュー~125cc・250cc時代
アンドレア・ドヴィツィオーゾは、イタリア、エミリア・ロマーニャ州フォルリ=チェゼーナ県フォルリンポーポリにて、1986年3月23日に生まれた。
4歳の時からモトクロスバイクに乗り始め、7歳からミニバイクのイタリア国内レースに参戦するようになった。2000年には125ccクラスのレーシングバイクに本格的に跨ることになり、翌年ヨーロッパ選手権チャンピオンとなる。
2002年からはロードレース世界選手権(MotoGP)の125ccクラスにデビュー。3シーズン目に同クラスチャンピオンに輝いた。
2005年には250ccクラスにステップアップし、その年にランキング3位でルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得。その後も2シーズン継続参戦したが惜しくも連続ランキング2位に終わり、中量級でのチャンピオンは取れなかった。ちなみにこの時に連続250ccチャンピオンを取ったのが、ホルヘ・ロレンソである。
MotoGP~ホンダからヤマハ(テック3)へ
遂に2008年から最高峰のMotoGPクラスにホンダのサテライトチームであるチーム・スコットからデビュー。シーズン終盤にして初表彰台3位に登り、ランキング5位となった。
翌年はホンダのファクトリーチームに抜擢。レプソルホンダのファクトリーライダーとなった。当時のチームメイトはダニ・ペドロサ。雨のレースとなった第10戦イギリスGP,スリックタイヤで走るかレインタイヤにするか微妙な判断を迫られるコンディションの中、スリックタイヤのまま走りきり初優勝。この年のランキングは6位だった。
翌年2010年はランキング5位、更に翌年にはランキング3位と成績は良好ながらも、あの後優勝が無かったドヴィツィオーゾは、安定性はあるものの決め手に欠ける地味なライダーとの評価が固まりつつあった。
レプソル・ホンダは、更なる勝利を挙げるためにドゥカティからチャンピオンライダーのケーシー・ストーナーを招聘。その体制変更の中で2012年にシートを喪ったドヴィツィオーゾはヤマハのサテライトチームであるモンスター・ヤマハ・テック3に移籍。カル・クラッチローとコンビを組んでまたも堅実な戦いを見せてランキング4位に入る。しかし、やはりサテライトチームでは優勝はなかなか望める状況ではなかった。
MotoGP~ドゥカティでの苦闘
勝つためにはファクトリーライダーである必要がある。それを求めてドヴィツィオーゾはドゥカティに移籍。チャンピオン経験者のニッキー・ヘイデンとコンビを組む。だが、当時のドゥカティはまさにどん底の状態。全盛時代を作ったケーシー・ストーナーの移籍後にイタリアチームでの勝利を求めてやってきたバレンティーノ・ロッシが2年間の苦戦の末にサジを投げてヤマハへ出戻ってしまったのである。ドヴィツィオーゾには迷走したマシン開発を一から立て直すという重責がかかることになった。この年は表彰台にも上がれずにランキングは8位に沈んだ。
チームは再び栄光を取り戻すために改革を断行し、ジジ・ダリーニャをゼネラルマネージャーとして迎え、長年未勝利のチームに与えられるシーズン中のエンジン開発などの優遇措置をフル活用しつつマシン開発を進める。こうしてドヴィツィオーゾはコツコツと自らのバイクを作り上げていくのである。
2014年にはテック3時代以来のカル・クラッチローとのコンビとなったが、ジョンブル気質全開のクラッチローはこのチームの空気に馴染めず1年で去る。新たにサテライトチームからの昇格でやって来たアンドレア・イアンノーネはこれまた熱血系イタリアンであり、やはりドヴィツィオーゾはチームメイトに比較されると地味な印象を拭えなかった。こうして、2014年は2度の表彰台でランキング5位、2015年は5度の表彰台に登るがシーズン後半に失速してランキング7位。
2016年、開幕戦カタールで2位表彰台と幸先良くスタートを切ったが、チームメイトのイアンノーネの無茶なレースに度々悩まされ、チーム同士討ちなどのアクシデントで取れるポイントを落とすなどもあった。そして、オーストリアGPでチームの数年ぶりの優勝を先にイアンノーネに取られてしまう。この時2位に入ったドヴィツィオーゾはさすがに悔しさを隠せなかった。しかし、シーズンも終盤のマレーシアGPでなんと7年ぶりの優勝を果たした。この年は9人もの優勝が出る稀有のシーズンとなり、彼はその9人目だったのである。しかし、これは長年ドゥカティ機を開発し続けてきたドヴィツィオーゾがその苦労へのご祝儀をもらったようなものという雰囲気が強く、翌年にはイアンノーネに代わってヤマハのチャンピオン、ホルヘ・ロレンソの移籍が決まっていた中、彼はやはり話題の中心からは離れた存在だった。
MotoGP~覚醒と躍進
そして2017年、地元イタリアGPで優勝し、何かを掴んだドヴィツィオーゾはそのまま2連勝。一時はランキングトップに浮上した。その後もレプソルホンダのマルク・マルケスとランキング争いを繰り広げることになる。圧巻はオーストリアGPでの最終ラップ。最終コーナーで強引にインに飛び込んで激しいアタックを掛けてきたマルケスを、冷静にストレートへの立ち上がりでかわしての優勝だった。こうして前年までの長い最高峰クラスでのキャリアでたった2勝しかしていなかった男は目覚ましい覚醒を見せた。チームメイトのロレンソがある程度予想されていたとは言えマシンの特性に苦しみ、勝利を挙げられない中、彼は実に日本GP前までに4勝、堂々のランキング暫定2位となった。
ウィークを通しての雨に見舞われた日本GP。MotoGPクラスの決勝は強い雨の中のレースとなった。やや後方からのスタートだったドヴィツィオーゾは早い段階でトップグループに加わり、マルケスと一歩も引かないマッチレースを展開。残り数周の間、何度もトップを入れ替えながら雨のリスクも感じさせないドッグファイトを繰り広げた。最終ラップにはマルケス先頭、ドヴィツィオーゾ2位のまま突入。コース途中のマルケスのワンミスをきっかけに追いつき、バックストレートエンドで抜き去るドヴィツィオーゾ。だがマルケスは諦めずにまたも最終コーナーでアタックを仕掛ける。やはり冷静なドヴィツィオーゾはドゥカティ機の立ち上がりパワーを最大限に活かして、僅差でマルケスを降しシーズン5勝目を挙げた。まさに歴史に残るバトルに観衆は二人への賛辞を惜しまなかった。
結局、ワールドチャンピオンはマルケスのものとなったが、ドヴィツィオーゾはシーズン合計6勝をあげ、過去のイメージをひっくり返してみせた。今後のシーズンでの活躍にも期待が集まる。
2018年はドゥカティファンからの期待を背に臨んだが、シーズン序盤に3回の転倒を喫した。
そのうち2回は彼らしくもない単独の転倒で、これによりチャンピオン争いから脱落してしまう。
シーズン後半になって次第に調子を取り戻し、シーズン通算4勝でランキング2位の座を確保した。
ゼッケン、ヘルメット、ライダースーツ、通称
ゼッケンは04を使用している。
2002年の125ccクラス初参戦の時から2007年の250ccクラスのときまで、ゼッケン34番だった。
1993年最大排気量クラスチャンピオンのケヴィン・シュワンツを尊敬して彼と同じ34番を選んでいた。
ところが最大排気量クラスでは34番がシュワンツの功労を讃えるために永久欠番になっている。
しょうがないので、2008年に最大排気量クラスに参戦するとき、ゼッケンを4に改めた。
2013年にドゥカティワークスへ移籍してから04と表示し始める。
「本当は34と付けたいんだよ」という意思が感じられる。
ヘルメットはイタリアのSuomyと契約している。
ライダースーツは星のマークでおなじみのアルパインスターズと契約している。
通称はドヴィ(Dovi)で、インタビューでもそう呼ばれる。
デスモ・ドヴィ
ヘルメットの後ろや、ライダースーツの尻や、サインボードに「DESMO DOVI」と書かれている。
ドゥカティのマシンはデスモドロミック(Desmodromic)という名前のエンジンを積んでいて、
ドゥカティのマシンはデスモセディチ(Desmosedici)と呼ばれる。
デスモドロミックのエンジンを好き好んで採用するのはドゥカティぐらいなので、
デスモドロミックは同社の代名詞である。デスモ(DESMO)というと誰もがドゥカティを連想する。
「DESMO DOVI」でドゥカティの一員になりきっていることを表している。
白馬・黒馬
2014年から、ヘルメットの左側に白馬、右側に黒馬がデザインされるようになった。
白い馬は理性・計算・冷静を象徴し、黒い馬は不合理・感情・猪突猛進を象徴する。
MotoGPにはクリニカ・モビレという移動診療車が毎戦帯同していて、その総責任者を2014年2月まで
務めたのがクラウディオ・コスタという外科医である。
そのコスタ先生がドヴィにしょっちゅうこう言っていた。
「自分はいつも理性と感情の両方を使って患者に説明をしてきた。ところが君はどうだ。
君はあまりにも理性的であることを重視しすぎている。頭ばかり使って感性を感じ取っておらん!」
コスタ先生にそう活を入れられたドヴィは、白い馬(理性)だけでなく黒い馬(感情)も
大事にするべきと考えるようになり、ヘルメットにそれを描くようになった。
お医者さんに気合いを入れられるというのが、いかにもドヴィらしい。
ライディングスタイル
強烈なハードブレーキング・レイトブレーキングを得意としている。
レイトブレーキングはlate brakingという意味で、ブレーキングのタイミングが遅く、
コーナー入口の寸前になってやっとブレーキングし始め、短い制動距離で一気に急減速する、
そういう強烈なブレーキングを指す。
レイトブレーキングの使い手なので、非常にバトルに強い。
ドヴィツィオーゾが先行している場合は後続ライダーがなかなかブレーキングで前に出ることができない。
ドヴィツィオーゾが後を追っている場合は一気にインを付いてくるドヴィツィオーゾを阻止できない。
2011年のレプソルホンダ時代や2012年のヤマハtech3時代は非常にバトルに強かった。
ケーシー・ストーナー、ホルヘ・ロレンソ、ダニ・ペドロサ、といった3強には敵わないが、
それら以外のライダーとのバトルには非常に強かった。
マルコ・シモンチェリやドゥカティのヴァレンティーノ・ロッシ、カル・クラッチロー、
こういった面々をことごとく完封していのである。
特に、前に出て非常に粘っこく走って相手にパッシングさせなかった姿が印象深い。
2017年にドヴィツィオーゾは一気に覚醒し、マルク・マルケスとの一騎打ちを繰り返すようになった。
あのバトル上手のマルク・マルケスに対しても全く引かず、そして貫禄の勝利を収めるドヴィの姿に
驚きを覚えた方も多かっただろうが、2011~2012年の頃の彼を憶えている人は驚かなかっただろう。
昔っからバトルが強かったのである。
2017年オーストリアGPでのマルケス対ドヴィツィオーゾのバトル、
2017年日本GPでのマルケス対ドヴィツィオーゾのバトル、
どちらも2017年シーズンを代表するような素晴らしいバトルだった。
ドヴィツィオーゾのSNSを見てみると、太い腕が写る写真が多い。
画像1(ミラニスタのドヴィ)、画像2(娘と戯れるドヴィ)、画像3(ゴルフが上手くないドヴィ)、
画像4(サンマリノGP事前イベントのドヴィ)、画像5(氷の風呂に入るドヴィ)
ハードブレーキングは非常に筋力を使うので、これぐらい太い腕じゃないと耐えられないのだ。
ドヴィツィオーゾは極めてクリーンなライダーとしても名高い。
危険なパッシングを一切せず、安全に上手にパッシングする点においては他の追随を許さない。
2015年のマレーシアGPではマルク・マルケスとヴァレンティーノ・ロッシの接触事件があったが、
その裏でカル・クラッチローとドヴィツィオーゾが接触していた。
このことについて、カル・クラッチローはホンダ公式サイトで次のように述べている。
「ドヴィには申し訳ないです。僕が彼を転倒させてしまいました。
彼は最もクリーンな走りをするライダーだったので、絶対に転倒させたくはなかったです。
彼に謝罪し、彼はそれを受け入れてくれました」
ちなみにカル・クラッチローは決してお世辞を言うタイプの人間ではなく、
思ったことを率直に口にする直言タイプである。
そのクラッチローから「最もクリーンなライダー」と評されている事実は大きい。
モトクロスのトレーニングを好むライダーは多いが、ドヴィツィオーゾはその筆頭格である。
青山博一は2010年シーズンオフにこんな発言をしている。
「ドヴィツィオーゾはモトクロスをやっているからか、かなりバイクを傾ける走りをする。
あれだけ寝かすのはコントロールが大変だが彼はそれをやってのけている。
これはモトクロスのトレーニングを重ねているからだろう。
一方でダニ・ペドロサはバイクをあまり傾けない。ドヴィとダニは走りが違うので、
2人に合わせなければいけないレプソルホンダのスタッフは大変だろう」
開発能力が高い
アンドレア・ドヴィツィオーゾは開発能力が高いライダーとして有名である。
マシンの状態を的確に把握し、とても分かりやすくメカニックやインタビュアーに伝える。
彼の開発能力を賞賛する関係者は多い。
彼の開発能力の高さは2016年シーズン中にレプソルホンダが引き抜きを画策していたことでも分かる。
ダニ・ペドロサがヤマハワークスに移籍する事態に備え、レプソルホンダとドヴィが接触していた。
このことはレプソルホンダのリヴィオ・スッポ監督とドヴィの両方が認めている。
2009年から2015年までの7年間で合計1勝のドヴィをわざわざ引き抜こうとしたのだから、
レプソルホンダがドヴィの開発能力を高く評価していたと推測できる。
得意なサーキット、不得意なサーキット
ドヴィツィオーゾはインタビューのたびに「このサーキットは苦手なんだ」「ここは得意じゃないんだ」
と弱音発言することで知られている。
そんな彼だが、珍しく「ここは得意なコースなんだ」というサーキットがある。
それはツインリンクもてぎとセパン・インターナショナルサーキットであった。
その言葉通りに、2016年はセパンで7年ぶりに優勝。2017年はもてぎとセパンで連勝。
どちらもハードブレーキングのサーキットで、彼のライディングスタイルにぴったり合うのである。
こちらの画像は、2018年チェコGPのレース前記者会見で「好きなコースは?」と聞かれて描いたもの。
この動画の1分15秒あたりで流れている。ツインリンクもてぎと似た形をしている。
「ここは特に苦手なんだ」と答えるのはヘレスサーキットとザクセンリンクである。
この2つは旋回性を問われるコースであり、そしてコース幅が狭い。
コース幅が狭いことにより1つのコーナーでミスすると次のコーナーに大きく響くので、
どのコーナーも上手く旋回しなければならない。
旋回に自信があるライダーには天国だが、旋回に自信がないライダーには厳しいサーキットである。
一匹狼
イタリア人ライダーには「ロッシを支持するライダー」と「ロッシを批判するライダー」の
2種類が存在する。
ロッシを支持するライダーはすなわちロッシの舎弟なので、ロッシに付き従い大集団になる。
ロッシの私設トレーニングコースに集結し、毎週そこで合同練習する。
ロッシを批判するライダーは段々と孤立し、舎弟を持たない一匹狼になる。
誰もロッシに睨まれたくないので、アンチ・ロッシのライダーには若手が寄りつかないのである。
アンチロッシの孤立した一匹狼ライダーの典型は、マックス・ビアッジ、マルコ・メランドリ、
そしてアンドレア・ドヴィツィオーゾの3人である。
マックス・ビアッジは言うまでもなくロッシと犬猿の仲で、取っ組み合いの喧嘩をしたこともある。
マルコ・メランドリはロッシに対抗できるという自負があるのか(実際、2005年シーズンは凄かった。
全盛期のロッシ相手にサテライトマシンで何回か勝っている)たまにロッシを批判するコメントを出す。
「ロッシはミシュランに自分専用のタイヤを用意してもらっていた」
「ロッシはマスコミに贔屓されすぎだ」
ドヴィツィオーゾはビアッジやメランドリみたいに露骨な批判はしないのだが、ところどころで
チクリチクリとロッシを皮肉るコメントを出しており、ロッシとはそんなに仲が良くない。
「どこかの誰かさんはマンガ絵をヘルメットにデザインしてカメラの前で人気を取るのに忙しいけど、
俺はそういうのに興味ないんだよね」とか、そういうことを言う。
それゆえ、ドヴィツィオーゾはあまり舎弟がいない。一匹狼で孤独にトレーニングに励むことが多い。
チームメイトと争う
ドヴィツィオーゾはチームメイトと仲良くするタイプではなく、あまり話しかけることをしない。
競争相手として強く対抗意識を燃やすタイプである。
2008年にヤマハワークスはピットに壁を作ったことで話題になった。
ロッシがブリヂストン、ロレンソがミシュランを使うので、機密保持を理由に壁ができたのだ。
2009年にブリヂストンのワンメイクになったのだが、ピットの壁は取り払われなかった。
そしてなんと2010年にはロッシ側がデータの公開を拒否し、2人のライダーがお互いの走行データを
見ることができない状況になった。メディアは「ヤマハワークス、内戦が勃発」と騒いだものだった。
しかしながら、レプソルホンダは2009年のころから2人のライダーでデータ共有していなかった。
ダニ・ペドロサとドヴィが互いにデータ公開を拒否していた。
レプソルホンダのスタッフは「ウチの方が先に冷戦してたんだよ」とメディアに答えていたものである。 そのときのドヴィの口から出る言葉はこういうものばかりだった。
「ダニより速く走って結果を出さないと、自分の意見が通らなくなるし、パーツももらえなくなる」
2012年にTech3に移ったときもカル・クラッチローと手加減無用のガチバトルを繰り返していた。
両者の実力が伯仲していたからか、レース中は引き込まれるように同じ位置を走る。
カタールGP、スペインGP、ポルトガルGP、フランスGP、カタルーニャGPと、
開幕から5戦続けてバトルを展開した。そしてアメリカGP、チェコGPでも接近戦を展開。
特にアラゴンGPでのバトルは激しく、ドルナ公式が特別に動画を作っている。
2012年最終戦後に作られた動画で「ベストバトル賞」を贈られている。
2013年にドゥカティワークスへ行ったときもニッキー・ヘイデンとしばしばバトルをしている。
アメリカGPではチームメイト同士で接触しつつガチバトル。
インディアナポリスGPで激しくバトルして、2人揃ってコースアウトしたのは有名である。
2014年にドゥカティワークスはドヴィとカル・クラッチローのペアになった。
バレンシアGPでやっぱり激しく争っている。
2018年ホルヘ・ロレンソとの舌戦
2018年はホルヘ・ロレンソとの舌戦が話題となった。記事を紹介しつつ振り返りたい。
4月 ホルヘ・ロレンソが重い口を開く
4月6日に、スペインのテレビ局Movistar TVのインタビューで、ホルヘ・ロレンソがこう述べた。
「ドヴィがカタールGPの後に『ホルヘが上手く走れない理由は分かっている』と言っていたが、
彼はいつもそうだ。今までずっと、僕の心をすこし弱体化させようと努めてきたんだ」
スペイン語記事はこちらで、ホルヘの喋った言葉は「minarme un poco la moral」で、
これを英訳すると「undermine my moral slightly」となり、心を少し弱体化させる、という意味。
日本語記事はこちら。「モラルを少しほじくり返す」という面白い訳になっている。
誤訳といえば誤訳だが、ほじくり返すという語感が面白すぎる。
ドヴィがいつもの癖でライバル心をむき出しにして、「あいつは上手く走れないけど
俺は上手く走ってるんだよね」と気分良く喋っていたのに対し、
ホルヘが「そういうのはやめてくれ」といった具合に牽制をした、というわけである。
ちなみに、ホルヘはライダーが不調に陥っていても全くと言っていいほど言及しない。
2012年にチームメイトのベン・スピーズが絶不調に陥っていた時は、一切何も言わなかった。
2011~2012年のドゥカティ時代のヴァレンティーノ・ロッシに対して一切何も言わず、
ロッシに「ホルヘは俺に優しくしてくれた」と言われたほどである。
意外にもホルヘは不調のライダーに対して気を遣うタイプである。
そういうホルヘからすると、ドヴィのお喋りは受け入れがたいものだったようだ。
5月 ドヴィがガソリンを床にばらまく
5月にドヴィはホルヘの牽制を完全無視し、ニュースサイトで「ホルヘはある種のバイク(ヤマハ風の
バイクのこと)に慣れすぎていて、それと同じように乗ろうとしている。それじゃダメだ。
ドゥカティのマシンでは通用しない」と語った。
それについての記事はこちら。
このドヴィ発言の後、イタリアGPとカタルーニャGPでホルヘが圧倒的な勝利を収めることになる。
8月 再び火花が散る
8月にドヴィはスペインのニュースサイトでホルヘについて発言。
それに対してホルヘは「うんざりしている。もういい加減にしてくれ」と反応。
2人の間にパチッ・・・パチパチッと火花が散る風景になった。
この舌戦を伝える日本語記事はこちら。とても簡潔にまとまっている。
この直後のチェコGPでホルヘが勝利。パルクフェルメでホルヘは機嫌良さそうにドヴィに話しかけたが、
ドヴィは少しよそよそしい感じであった。
10月 大爆発
10月5日のタイGP練習走行でホルヘは激しい転倒を喫した。
この転倒の原因はマシントラブルだったらしく、ドゥカティの首脳がそれを即座に認めている。
ホルヘは左手首を強打し、こんな具合にフラフラになりながらレースを欠場することになった。
10月21日の日本GPも欠場。ホルヘは「左手首がやけに痛むと思って精密検査したら、
左手首が骨折寸前だった」と語った。タイGP直後の検査では僅かなヒビだったと診断されたが、
日本の病院で精密検査したら思ったよりひどい状態だったという。
こちらの日本語記事で詳しく語られている。
こちらの日本語記事では「トレーニング再開が早すぎたのかも・・・」と語っている。
現在のMotoGPはレベルがとても高いのでトレーニングを怠るわけにいかないのだが、
それが裏目に出てしまったのかも、とホルヘは疑っている。
10月22日に病院で左手首を手術し、10月28日のオーストラリアGPも欠場。
11月2日(金)のマレーシアGP1日目だけ走り、「いかん、やっぱり左手首が痛む」と欠場を決めた。
セパン・インターナショナルサーキットはブレーキングがハードなので、手首に強い負担がかかり、
手術明けの状態ではとても厳しい。
そんな風に、ホルヘは逐一情報を開示し、手首の痛みのことを正確に伝えていた。
そこに、ドヴィがマレーシアGP予選後のイタリアメディアの取材に対して、皮肉たっぷりに
「ホルヘについて詳細は知らない。それに、これは少し奇妙な状況だね」と言ったのだ。
あれだけ詳しく情報公開したのに「詳細は知らない」と言い、しかも「奇妙だ」という。
「ホルヘは嘘を言ってズル休みしてるんじゃないのか?」と言わんばかりの皮肉の効いた発言である。
これに対してホルヘはついに大爆発し、Twitter上で猛反撃を開始したのだ。
「ありがとう!ドヴィ、君は本当の紳士だよ!」とドヴィの「奇妙だね」発言の載った記事への
リンクを貼り付けてツィート。
「ドヴィは模範的な同僚だね(勲章のアイコンを貼り付ける)」とツィート。
「嫉妬深くて、日和見主義者だ」とツィート。※文脈からして、ドヴィのことを指している
「(『ドヴィってどういう人?』と尋ねてくるリプに対して)125ccクラスのチャンピオンさ」
※ホルヘは常々、「僕は最大排気量クラスのチャンピオンを3回獲得している」と言っている
舌戦を取り上げることが大好きなMotorsport.comとGPoneは即座にこれを取り上げた。
特にGPoneは、ツイ消しされても構わないようにスクショをしっかりとって記事にしている。
以上が、2018年アンドレア・ドヴィツィオーゾ対ホルヘ・ロレンソ舌戦事件のあらましである。
ドヴィの、ライバルに対する刺すような性格がよく表れている事件と言えるだろう。
ドヴィというのはライバル以外の人に対してはとても気の良いナイスガイなのだが、
ライバルに対しては一転してこんな調子の小姑みたいな性格になるのである。
ミラノショーでも握手せず
2018年11月3日のホルヘ大噴火を見て、ドゥカティワークスのパオロ・チャバッティがコメントした。
この人はドゥカティワークスの人事を担当する人で、首脳の1人である。
「ミラノショーで2人と話し合いをする。喧嘩をやめさせなければいけない」という内容のコメントで、
こちらの日本語記事にコメントが載っている。
ちなみにミラノショーとはEICMAのことで、毎年11月、バレンシアGPの直前あたりに行われるバイクの展示会で、日本の4メーカーやドゥカティ・アプリリア・KTM・BMWといった欧州のメーカーがこぞって参加する。世界有数の大規模展示会なので、各メーカーは社長がやってきて新製品をアピールする。
こちらのイタリア語版Wikipediaを見ると、2010年以降は11月開催で定着していることが分かる。
2018年は11月6日から11月11日にかけて行われた。このように検索すると、その様子がうかがえる。
そのミラノショーでパオロ・チャバッティがホルヘとドヴィそれぞれと個別面談したという。
ただ、ミラノショーの最中でホルヘとドヴィが仲直りの握手をするシーンはついに見られなかった。
ライダー同士のイザコザを追いかけることが大好きなGPoneがそのように報じている。(記事はこちら)
お別れの前の最後の一言 「ホルヘはstrangeだね」
最終戦バレンシアGPは11月16~18日に行われる。その前の11月11日頃にMotorsport.comが
ドヴィに取材を申し込み、ドヴィのコメントを貰ってきた。
そのインタビューでドヴィは、「彼は奇妙な人だね(He is a strange person)」と言った。
ここでドヴィも「いやぁちょっと言い過ぎちゃったよ」だとか「怒らせちゃったね、そんなつもりはなかったのに」とか言えばいいのに、そんな言葉を一切言わず、出てきた言葉は「strange」であった。
この「strange」という言葉は決して良い意味を持つ言葉ではなく、負のイメージが強い言葉である。
「奇妙な、おかしい、不審な、変な」と日本語訳される。つまり、喧嘩を売るときに使う言葉である。
2018年シーズンは最後の最後までドヴィの性格がはっきり表れた1年となった。
2019年 ダニロ・ペトルッチとの関係
2019年はダニロ・ペトルッチがドゥカティワークスにおけるチームメイトとなる。
相手がダニロでもドヴィの調子はあいかわらずで、「ダニロは世界チャンピオンになれないと思う」と
快調に飛ばしている。(ライディングスポーツ2019年1月号)
普通のライダーなら不協和音が高まり始めるのだが、ダニロは水が流れるかのごとく受け流した。
ここらへんは、コミュ力の高さに定評のあるダニロらしい。
もともとダニロはドヴィとかなり仲が良い方で、しばしば一緒にトレーニングしていた。
ドゥカティワークス入りを機に、ダニロはドヴィの住むフォルリンポーポリに引っ越ししたという。
また、ドヴィにスポーツ心理学者を紹介してもらったらしい(この記事で語られている)
ドヴィはダニロと一緒にトレーニングして、ダニロに「トレーニングというのは量より質が大事だ。君は1日3時間トレーニングしているって言うけど、そんなに長時間トレーニングしてどうするんだ?オリンピックにでも出るつもり?」とアドバイスしたという。その言葉を受けてダニロも素直に感心している。
(この記事で語られている)
今のところは、理想的な協調関係となっている。
人柄、言葉遣い
ドヴィツィオーゾはそれほど激しく怒るタイプではなく、いつも冷静なタイプである。
これは2013年アッセンでバルベラの悪質なコバンザメ走行に怒って蹴りを入れた動画である。
このときは両者にペナルティが課せられた。 ただ、こういうことをするのは極めて珍しい。
怒りを露わにしたのは彼の現役生活でこれぐらいしか見当たらない。
メカニックにも一切怒鳴らないし、ライダーを怒鳴りつけることも本当に少ない。
イタリア人にしては汚い言葉を一切使わず(ロッシは汚い言葉をよく使う)、
婉曲な言い回しを好み(マティア・パシーニはどぎついことを直接的に言う典型的イタリア人)、
品行方正で落ち着いた人物であるという評価が定着している。
マシンの解説も非常に知的で分かりやすく、開発能力も高い。
これだけ並べると育ちのいい家庭の出身というイメージになりやすいが、
彼自身はそんなに裕福な家庭の出身ではなく、育ちがいい感じではない。
表彰台で国歌が流れているときお行儀が悪かったこともあり、(2011年オランダGP)
「下町の気の良い兄ちゃん」という感じ。
会計士(税理士)
ドゥカティワークスのジジ・ダッリーニャに「ドヴィは本物の会計士だ」とこの記事で褒められている。
vero ragioniereと書いてあり、veroは本物の、ragioniereは会計士とか税理士、という意味。
ragioniereはイタリアのメディアがよく使う表現で、しっかり頭を使ってポイントを獲得すると
そう呼ばれる。マルク・マルケスやホルヘ・ロレンソもそう呼ばれたことがある。
イタリアにおいては会計士・税理士は尊称であり敬称である。
イタリアというのは所得税を始めとした税金が非常に高く、国民全員が苦しんでいる。
そのため「脱税は一種のゲーム」という雰囲気になっており、立派な職業の人も気軽に脱税する。
私立病院を調べてみるとそこに勤務していた医師の大半が脱税していた、というニュースも流れていた。
このため帳簿を作成して税務署と戦う会計士や税理士はイタリア人にとって尊敬の対象になる。
トレーニング
ジム
ジム通いしてトレーニングに励んでいる。画像1、画像2、画像3、画像4、画像5
自宅近くのこの場所にあるテクノジムに通っているらしい。
自転車
自転車好きなのでその画像もある。画像1、画像2、画像3、画像4、画像5、画像6
モトクロス
ドヴィといえばモトクロス。それも、ぴょんぴょんとかなり過激に飛び跳ねる。
やたらと高く派手に飛んでいる。静止画1、静止画2、静止画3、静止画4、静止画5、静止画6
動画1、動画2、動画3、動画4、動画5、動画6、動画7
こうしたトレーニングは、彼の自宅があるフォルリンポーポリから北西に155km離れたこの場所にある
リヴァローロ・マントヴァーロで行われることが多い。この画像やこの画像にそう書いてある。
自宅からちょっと遠いのに、わざわざここへ来る。
リヴァローロ・マントヴァーロの公式チャンネルでドヴィの動画が作られた。鮮明な画質で必見。
年末年始や、MotoGPのアメリカ大陸ラウンドがある4月に、アメリカ合衆国カリフォルニア州を訪れ、
各地のモトクロス場へ出没して走ったり観戦したりすることがある。
以下の画像に出てくる地名がことごとくカリフォルニア州のもの。
画像1、画像2、画像3、画像4、画像5、画像6、画像7
ドヴィはトニー・カイローリとしばしば会って一緒にトレーニングしている。
トニー・カイローリはイタリアのモトクロス選手で、9回の世界チャンピオンを獲得した。
2人の2ショット写真は多い。
モトクロス愛好会 テン・ボタ
ドヴィツィオーゾはテン・ボタというアマチュアのモトクロス愛好会に所属している。
テン・ボタのFacebookにドヴィの姿が出てくる。画像1、画像2、画像3、画像4、画像5
どうやらテン・ボタはドヴィツィオーゾのファンクラブをも兼ねているらしい。
こちらはドヴィのロゴ、こちらはテン・ボタのロゴ。青・白・赤を使う点で一緒である。
このテン・ボタは先述のリヴァローロ・マントヴァーロを本拠地にしている。
ドヴィがわざわざ遠くからリヴァローロ・マントヴァーロへ通うのはこのため。
家族・マネージャー・心理学者
父親。
2011年の動画では「今年で56歳だ」と語られている。2017年の記事では62歳と報じられている。
アンドレアが4歳のとき、マラグッティの小型モトクロスバイクを与えた。
補助輪付きの自転車ばかり乗っていたアンドレアはずっとバイクを欲しがっていたのだが、
アントニオが奮発して買い与えた。アンドレアはそのときのことを鮮明に覚えているという。
そのときの小型モトクロスバイクはまだ家の小屋に残っている。これがそのバイクの画像。
アントニオはアマチュアのモトクロス愛好家で、日曜日になったら近所のモトクロス場へ行き、
ぴょんぴょんと起伏を飛び越えて走って楽しんでいた。その生活を2011年になっても続けていた。
アマチュアで、情熱だけはあるがまるきり無知で、バイクを分解したり洗浄したりすることがなかった。
このためアンドレアは整備されていないバイクを無理矢理走らせる技術が発達していった。
こちらの記事では、2017年シーズンにおいて全てのレースで息子のキャンピングカーを運転していた、
と報じられている。
2017年11月、バンに積んでいたカワサキ製モトクロスバイクを盗まれてしまった。記事1、記事2
この動画は40分以上のインタビュー動画である。
母親。
アンドレアがレースをすることを嫌がっている。
「自分の世界しか知らないような人」だとか、「僕の10,000倍以上プライベートを大事にするタイプ」
などとこの記事でアンドレアに評されている。
アンドレアの娘サラを養育している。
元・嫁。
かつては観戦しにやってきていた。画像1、画像2、画像3、画像4、画像5
これがアンドレアのSNSに映る最後の姿である。このあと別れたらしい。
デニサとの間に生まれたアンドレアの娘。
こちらのページやこちらの動画は小さいころの写真が多い。
アンドレアのSNSに頻出する。画像1、画像2、画像3、画像4、画像5
2013年末頃からアンドレアと付き合い始めた。1988年3月25日生まれ。
アンドレアのSNSでよく出てくる。画像1、画像2、画像3、画像4、画像5、画像6、画像7
もともとオーストラリアのMotoGPライダーであるアンソニー・ウェストと6年ほど交際していた。
モンスターエナジーの傘持ちを務めていたことがある、とこの記事で報じられている。
アレッサンドラ自身はスポーツ大好きで、モータースポーツも好きである。
ドゥカティワークスの中のサッカー親善試合にも参加している。
アレッサンドラのInstagramはこちら。バイクや4輪を乗り回す動画も上がっている。
アンドレアのマネージャー。マネージャーは契約交渉の代理人である。
アンドレアのSNSにしばしば登場する。画像1、画像2、画像3、画像4
毎戦アンドレアに帯同し、パルクフェルメやピットでその姿を見かけることができる。
普段はイギリス・ロンドンに住んでいる。
アンドレア以外には、アルヴァロ・バウティスタのマネージャーを兼任している。
こちらはイタリア語で喋っている動画。
イタリアの心理学者。2016年中頃にドヴィはこの学者のメンタルコーチを受けるようになり、
「人生が変わった」とまで言うようになった。
マッフェイ先生はスポーツ選手のみならず、ビジネスマン、政治家、ローマカトリックの宗教家、
刑務所収監中の囚人などにもメンタルコーチをする人である。こちらの記事で紹介されている。
チリのスポーツ心理学者。1978年頃生まれの若手で、オランダやイタリアで働いていた。
ドヴィとは2009年頃、マネージャーのシモーネ・バティステラを介して知り合った。
2011年頃から2019年現在まで、チリ大学で教鞭をとっている。
ドヴィの他にはアルヴァロ・バウティスタにもメンタルコーチをしていた。この記事で紹介されている。
2019年にはダニロ・ペトルッチにもメンタルコーチをするようになったとこの記事に出ている。
スポーツ心理学者。2017年頃からドヴィにメンタルコーチをするようになったとこの記事に登場する。
サッカーの世界では有名なスポーツ心理学者で、ACミランやチェルシーにメンタルコーチをしている。
カタカナで検索すると、日本の欧州サッカーファン向け記事が多数ヒットする。
かつてヴェネツィアのガラス工場で働いていて、ヨーロッパの空手チャンピオンを2回獲った。
息子はオペラ歌手。1947年9月20日にヴェネツィアに生まれ、現在はイタリアのミラノに住んでいる。
個人スポンサー
オーストリア西部のザルツブルグ近郊にあるフシュル・アム・ゼーに本社を持つエナジードリンク企業。
2004年から2011年まで8年連続で個人スポンサーを務めた。
「Andrea Dovizioso 2004」と画像検索するとヘルメットにレッドブルの模様が見える。
2012年にライバル企業モンスターエナジーが支援するTech3に移籍したのに伴い、支援を打ち切った。
2016年まで支援がなく、パルクフェルメには自分用のボトルを持ち込んでいた。
2017年になってパルクフェルメにレッドブルの缶を持ち込むようになり、
2018年からヘルメットにレッドブルの模様が入るようになった。
イタリアのレストラン・チェーン。アメリカ合衆国の西部の古い時代を再現したような店舗で、
ステーキとかハンバーガーといったアメリカ風の食事を提供する。2002年創業。
公式サイトはこちら。イタリアで188店舗、フランス3店舗、ベルギーとスイスで1店舗ずつ展開。
ドヴィが出てくるCM動画がある。動画1、動画2、動画3、動画4、動画5
最後はスポーツ選手らしくオレンジジュースで乾杯している。
その他の雑記
2018年最終戦バレンシアGPを終えた時点で294戦連続出場となった。
これは歴代単独トップの鉄人記録である。
2015年イタリアGPで日曜朝のウォームアップの最中に転倒した。
コレンタイオ(このコーナー)にはドゥカティ専用席があり3,000人のドゥカティファンがいた。
そのファンたちに手を振ったあと、次の周回でもうひと頑張りしようとした途端に、
高速S字コーナーのビオンデッティで転倒してしまった。
スポーツ大好きで朝起きたら「今日はモトクロスをしようか、サッカーをしようか、自転車に乗ろうか」
と考えるほど。この3つは4歳の頃からずっと楽しんでいるという。
サッカーはACミランのファン(ミラニスタ)であろうと思われる。
この画像で嬉しそうにしている。ただ、これ以外にはACミランに関してのコメントが見られない。
2018年5月に『アスファルト』という名前の自伝を出した。なぜこの題名にしたのかというと、
ルカ・カダローラ(ドヴィの約23歳年上のMotoGP250ccクラスチャンピオン)に
「お前はアスファルト路面の色をしているな(灰色で地味だな)」と言われたことがあるから。
この画像では、キミ・ライコネンの俳句集を読んでいる。この俳句集の内容は画像検索で少し分かる。
『ノーマル 皆普通 友達全て ノーマルでない』
『静かなラジオ 音でない 当たり前だが 必要ない』
MotoGP最大排気量クラスでは2台のマシンを用意する。
ドヴィはその両方に名前を付ける。この画像では「ジジア」「アズーラ」と名付けている。
アイスバケツチャレンジに挑むドヴィ。動画1
四輪レースが好きでしばしば参戦している。
2016年12月(画像1、画像2、画像3、画像4)、2016年9月(画像1、画像2、画像3)、
2016年5月(画像1、画像2)、2015年2月(画像1)
自宅のあるフォルリンポーポリからアドリア海まですぐそばなので、マリンスポーツをたしなむ。
とくにジェットスキー(水上オートバイ)が好き。画像1、画像2、画像3
関連動画
関連商品
関連リンク
- アンドレア・ドヴィツィオーゾ公式Twitter
- アンドレア・ドヴィツィオーゾ公式Instagram
- アンドレア・ドヴィツィオーゾ公式Facebook
- アンドレア・ドヴィツィオーゾ公式Youtubeチャンネル
- アンドレア・ドヴィツィオーゾ公式サイト
- テン・ボタ公式Facebook(モトクロス愛好会であり、ドヴィファンクラブでもある)
- テン・ボタ公式Instagram
関連項目
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- 0pt
- ページ番号: 5505633
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