「アヴローラ、着任しました。暁の光とともに、あなたに勝利を」
アヴローラ(アズールレーン)とは、STGアプリゲーム『アズールレーン』に登場する、ロシア帝国海軍のパルラーダ級防護巡洋艦3番艦「アヴローラ」をモチーフとしたキャラクター(KAN-SEN)である。
あ、指揮官、おかえりなさい。概要でもどうです?
KAN-SEN名 | |
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アヴローラ SN Avrora, Аврора |
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基本情報 | |
所属 | 北方連合 |
艦種 | 軽巡洋艦 |
レアリティ | SSR |
CV | 三宅麻理恵 |
イラスト | 夢咲楓 |
艦歴 | |
国籍 | ロシア(ソビエト連邦) |
出身地 | サンクトペテルブルク |
造船所 | アドミラルティ造船所 |
艦級 | パルラーダ級(ディアーナ級) 防護巡洋艦3番艦 |
進水日 | 1900年5月24日 |
就役 | 1903年-1957年(ソビエト軍) |
最期 | - |
備考 | |
北方連合所属の軽巡洋艦。かつて日本版アズールレーンのβテスト参加者特典として先行実装されていたKAN-SENである。
当時βテスターの当選者は1000人しかいなかったため、後に開催された2018年9月の1周年記念イベント「再誕の暁」で任務報酬として解禁されるまではかなり希少な艦だった。持っているだけで自慢できるほどのものであり、アズールレーンの関連スレにおいては未所持者に対する煽りである「おりゅ?」と掛け合わせて「おりゅローラ」と呼ばれたことも。当然図鑑をコンプリートするためには必須であるため、1周年記念でコンプリートを達成した指揮官の人数を公表した際、その人数は僅か17名しかいなかった。
現在は再び入手不可能となっているため、取り逃した指揮官は次の復刻を待とう。
2020年2月27日のアップデートで、イベントの期間限定としてピックアップ建造となり、その後は小型艦建造に常設実装となった。
お疲れ様、ヴォッカ一本開けて体を温めます?(容姿・性格)
北方連合(現実で言うところのソビエト連邦)に所属しているKAN-SEN。その容姿は北方の極寒に耐えるべく厚着をしている……というわけでもなく。肩と豊満な胸元を曝け出したローブ調の白色ドレスに、下はストッキングとブーツという些か寒そうな出で立ちである。
性格は全体的に気さくで、ボディタッチにも寛容。お国柄を反映してか非常にアルコールに強いらしく、指揮官にヴォッカを勧めてくる一面もある。ちなみに建造された時系列順で考えると、あの三笠おばあちゃんよりも年上だったりする。三笠とは日本海海戦で砲撃を交わした仲であり、退役後は共に博物館になるなど共通点が多い。
2020年2月27日のアップデートで、イベント「凍絶の北海」が開催され、数多くの北方連合の仲間が加わることになった。同時に、監獄(演習?)着せ替え「囚われた曙光姫」が販売されている。
ツイートを読み込み中です
https://twitter.com/azurlane_staff/status/1230311105928585218
鎖に繋がれたいたいけな姿に感じ入ってしまった指揮官は、ショップにいらっしゃいにゃ。イベント終了後は入手不可となっているので、復刻を待つべしにゃ。
戦士だけとして振る舞うのはなんだか新鮮ですね(性能)
βテスト特典であるためか、所持するスキルは優秀を通り越してチート級。しかしその反面ステータスは軒並み低く、耐久と雷装以外は軽巡洋艦ワースト1という有様。更に速力に至っては前衛艦全体で最下位タイであるため、補助無しだと移動速度が遅く、敵の砲撃を物理的に回避できない。そのため運用する際は最大まで限界突破することがほぼ必須であり、追加で速力を向上させる設備を持たせることが必要となる。
魚雷型の巡洋艦としては珍しく、限界突破で主砲砲座+1を獲得するのに加えて軽巡では希少な中装甲を持つため主砲の撃ち合いに強い反面、魚雷で思わぬ大ダメージを受けやすい点には気を付けよう。
彼女が所持するスキル「レヴァリューツィヤ(ロシア語で"革命"を意味する)」は、前衛艦隊の与ダメージを無条件かつ永続的にアップさせる事ができるチートスキル。条件を選ばないというだけでも強力なのだが、この他にも
- 他の前衛艦バフスキルの殆どが「15%アップ」であるのに対し、こちらは「35%アップ」。
- 火力値ではなく与ダメージに直接加算されるため、火力の上昇幅が段違い。
- 攻撃方法(砲撃・雷撃)、艦種(駆逐・軽巡・重巡)問わず効果がある。
- アヴローラが沈んでもその戦闘中に限り効果を発揮し続ける。
といった優れた効果が満載であるため、きちんと育てれば編成を選ばないオールラウンダーの艦として運用が可能となる。スキルのおかげで基礎性能の貧弱さに反して火力は高いため、速力の問題さえ解決してしまえばSSR艦として恥のない活躍が可能である。「ビーバーズエムブレム」や「改良型缶」等を装備して速力を確保したいところ。
編成に関してはどのような相方でも問題はないのだが、スキルの効果を十全に発揮したいのであれば火力や雷装が高い艦が望ましい。またスキルの効果は他のバフ・デバフスキルと重複するため、それらのスキルを持つ艦を編成するとさらなる火力の向上が見込めるだろう。
革命は歩みを止めませんわ(史実)
元ネタはロシア帝国海軍のパルラーダ級防護巡洋艦の3番艦アヴローラ(Аврора)。名前はローマ神話における夜明けを司る女神「アウロラ」にちなむ。姉妹艦には1番艦パルラーダと2番艦ディアーナがいる。
パルラーダ級という呼び名は進水・就役順での一番艦の名を取った海外での呼び方であり、ロシアでは二番目の艦の名を取ってディアーナ級と呼ばれている。1897年6月4日起工、1903年7月29日に就役。「防護巡洋艦」とは機関部周りに限定的な装甲を施した軽装甲の巡洋艦を指す。19世紀末から20世紀初頭にかけて多く建造された艦種であり、後に軽巡洋艦・重巡洋艦へと発展していった。
アヴローラは就役後、日本に対抗するため極東のロシア太平洋艦隊への編入を命じられる。しかし極東へ航行する途上、いくつかの機械的故障が発生したため、一度バルト海へ引き返すことになる。
そうこうしている内に1904年2月8日、ついに日露戦争が勃発。故障を修復したアヴローラは、今度はバルチック艦隊へ編入されることに。日本海軍と決戦を行うべく、再び極東への航海を命じられることになる。アジアを目指すバルチック艦隊だが、1904年10月21日、北海にてイギリスの漁船団を日本艦隊と誤認。砲撃によってイギリスの漁民を殺傷してしまう。同士討ちも発生し、アヴローラは僚艦の戦艦オリョールから砲撃を受け、死傷者を出す事態に発展してしまう。
この『ドッガーバンク事件』によりイギリスは大激怒。日本とイギリスは事前に日英同盟を締結してロシアに対抗していたこともあり、バルチック艦隊は世界中に存在するイギリス影響下の港から締め出されてしまう。石炭や食料の補給が困難になったバルチック艦隊は、極東まで苦難の航海を行うことに。
1905年5月27日、ウラジオストクを目指すバルチック艦隊と、日本海軍の連合艦隊が対馬沖で邂逅。日本海海戦の戦端が開かれる。欧州から極東への航海で疲弊していたこともあり、その結果ロシア・バルチック艦隊は日本海軍に完敗。アヴローラも砲撃を受け損傷し、艦長が死亡する。その後ウラジオストクへ向かうことを諦め、南シナ海へ逃走。連合艦隊の追撃を振り切り、中立国であるアメリカ領フィリピンに到着。1906年にようやく本国へと帰還した。
その後はバルチック艦隊の練習艦として運用されるも、1914年に第一次世界大戦が勃発すると巡洋艦として再就役。1916年末、アヴローラは改装のためペトログラード(現サンクト・ペテルブルグ)に回航する。しかしペトログラード市内は革命の気運に満ちており、1917年2月23日、ついに帝政打倒を目的としたロシア2月革命が勃発する。
2月革命では多くの兵士が皇帝を見限って革命に参加したが、アヴローラも例外ではなかった。手始めに反乱を鎮圧しようとした艦長を射殺し、艦内にソヴィエト(評議会)を結成、ボリシェヴィキ(後のソ連共産党)に合流し、艦と乗組員全員で2月革命に参加。最終的に皇帝を打倒し、革命を成し遂げた新生ロシアであったが、新たに成立した臨時政府の中枢を担ったのはボリシェヴィキではなく、ブルジョワを主体とした資本主義者達であった。これに対して、共産主義を奉じるボリシェヴィキは再度の革命を計画する。
1917年10月25日、アヴローラの砲声を合図に10月革命の火蓋が切って落とされる。アヴローラは臨時政府が置かれていた冬宮殿を砲撃し、それと同時にボリシェヴィキが宮殿内に突入、臨時政府のメンバーを逮捕した。こうして臨時政府は崩壊し、ボリシェヴィキによる社会主義体制『ロシア・ソヴィエト連邦社会主義共和国(通称ソ連)』が成立した。ソヴィエト連邦の出発点たる10月革命、その開始の合図を放ったことにより、アヴローラはソ連において極めて重要な『革命の象徴』となった。ソ連成立後、アヴローラを主役とした映画や著作物が数多く作られている。
10月革命の後にアヴローラは再び練習艦となるが、1923年にまたもやバルチック艦隊へ編入。その後1930年代まで北欧諸国などを訪問し、「10月革命の出発点」として共産主義の思想を喧伝した。
1941年に独ソ戦が勃発。その際アヴローラの船体からは砲塔が取り外され、レニングラード(現サンクト・ペテルブルク)防衛戦に用いられたと言われている。船体も同市内のドックに収容されていたが、ドイツ軍による攻撃を受け大破、1941年9月30日に湾内で着底する。アヴローラが引き揚げられたのは1944年7月、ソ連がドイツを押し戻しつつある時期だった。引き揚げた直後は船体も酷く傷んでいたが、海軍学校の校舎として利用された。戦後の1945年から1947年にかけて、ようやく改修工事が行われ、その後レニングラードに係留、練習艦としての役目を務めた。
1957年、退役。サンクトペテルブルク市内を流れるネヴァ川に係留され博物館船となる。ソ連が崩壊した現在においても変わらず博物館船として公開されており、日本海海戦から始まる同艦の歴史を見学することが出来る。また退役後も入念にメンテナンスが行われたため、艦齢100歳を越えていながら、現在でも他船に曳航される形で航海が出来る。
関連動画
関連静画
関連項目
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