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単語記事: イチロー

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 「気持ち良かったですねえ。ほぼイキかけましたえぇ、サーセン 日本のすべての方に感謝したい。」

キラッ☆

イチロー(本名:鈴木一朗すずきいちろう)は、シアトル・マリナーズに所属するメジャーリーガー(外野手)である。

それは野球された男、

 プロ野球界の至宝、そして日本人の誇りである。

概要

走攻守の三拍子が高いレベルで揃っているプレイヤーで、特に守備における強肩には日本プレイしていた頃から定評があった。

ニコニコ動画で見られるレーザービームMADの元になったプレイはその最たるもので、MLB1年の「新人」イチローが見せた強肩ぶりは、彼がMLBでもオールスターの常連になるほどの人気を得るきっかけになったと言える。

以下はWikipediaからの引用である。

レーザービーム』は2001年4月13日オークランド・アスレチックス戦で、ライトヒットで三進を試みた一塁走者のテレンスロングを、正確且つ強い送球で三塁補殺した際、実況アナウンサーであったリック・リズが「イチローからのレーザービーム攻撃だ!」と叫んだことに所以する。
Wikipedia イチローより)
シアトル・マリナーズ #51
イチロー
基本情報
出身地 愛知県
生年 1973年10月22日
身長
体重
5' 11" =180.3cm
170 lb =77.1kg
選手情報
投球・打撃 右投左打
守備位置 外野手
プロ入り 1991年
経歴
愛知工業大学名電高校
オリックス・ブルーウェーブ(1992年-2000年)
シアトル・マリナーズ(2001年-)
プロ野球選手テンプレート

2009年に行われた第2回WBC決勝戦で決勝点となる2点タイムリーヒットを放ち、韓国からのサイバー攻撃ですら落ちる事が無い2ちゃんねるサーバーが5つ落ちた。

この事により同年の4月5日ひろゆき達がイチロー実家に生取材し、ヒット1本でサーバーを5つ落とした事を表する様子(ついでにハハローのカレーも食べる予定)をニコニコ生放送で配信するはずだったが、WBC後のオープン戦でイチローは体調不良を訴えていため精密検を行った結果、出血性胃潰瘍であることが判明。
初の故障者リスト入りし、メジャー開幕戦出場が絶望的になってしまったため、ご家族の心配を運営が考慮した結果、生放送は中止となり表状を渡すのみとなった。
しかしその後、その様子を配信する事を予告し、4月22日に実際に配信された。表状はイチロー記念館にキチンと飾られているようである。

人物像

バッティング

ICHIRO
バットを掲げるイチローイチロー独特の行為の1つ。

とにかくヒットを打つ事にこだわりがあり、加算される打数に対して、数値が上下に変動する打率には特に拘ってはいない。

「四球は審判の判定に左右される(≒自分自身でコントロールできない)」という考えを持っているため、四球は少ない。四球の数は出塁率の上昇に繋がるため、このスタンスは普段1番という打順上、「自分勝手なプレーだ」という批判の声も多少あるようだ。ただイチローの実際の出塁率はむしろ高い方である。

また打ちで尚且つバットコントロールも上手い為に三振も少ない(三振の少なさは高校時代から知られており、高校3年の時の三振僅か3つである。また、216打席連続無三振日本記録も持っている)


また、高校時代からその打撃センスは現われており、三年時の県大会打率は7割えている。高校通算で570打数279打の打率.489を記録している。

NPBの生涯通算打率の公式な記録となる4000打数には到達していないため参考記録となっているものの、NPB通算打率は.353を記録しており、これは公式のNPB生涯通算打率であるレロン・リーの.320を大きく上回っている。また、2000年にはシーズン打率.387を記録しており、これはランディ・バースが記録したシーズン打率.389に次いでNPB歴代2位パ・リーグ記録となっている。MLB通算打率でも.3262011年シーズン終了時点)という高い数値を記録している。
レギュラーに定着した94年から2010年に至るまで17年間打率3割以上をマークしていた。特にNPBに在籍していた2000年までは94年から毎年シーズン打率.340以上を記録して首位打者のタイトルを獲得していた。MLBでも2度の首位打者にいており、シーズン打率.350以上を3度記録している。

1994年にはNPB初となるシーズン200本安打を達成。最終的にNPBシーズン打数の記録を210本までに伸ばした。後にマット・マートンによってこの210本という記録は破られるものの現在でもNPB歴代2位パ・リーグ記録である。
MLBでは2001年~10年にかけて10年連続200本安打を達成しており、これはMLB記録となっている。単年の記録でも10回のシーズン200本安打達成はピートローズに並んでMLBタイ記録である。2004年にはジョージ・シスラーシーズン257本打という記録を84年ぶりに更新するシーズン262打を記録した。

※前述の打数の記録に関して、マートンは144試合制の144試合出場で214打、イチローは130試合制の130試合出場で210打という記録である。またジョージ・シスラーは154試合制の154試合出場で257打、イチロー162試合制の161試合出場で262打という記録である。それぞれの記録には多少疑問が残るかもしれないが、それぞれ条件が異なるため一概に較することは無意味であることを付け加えておく。

オリックス時代のイチロー。左は仰木彬監督(当時)

オリックス時代には一軍定着後、毎年2桁本塁打(シーズン最高は25本塁打)を記録しており、パンチも兼ね備えている。だがヒットを多く打つがためにわざと単打や内野打狙いのバッティングをしている。
実際に試合前の練習などではかなりホームラン性の打球をかっ飛ばしている。
本人も「(打率が).220でいいなら(ホームランは)40本と言っておきましょう」とっており、元同僚の佐々木主浩も「試合前の練習ではめっちゃホームランを打ってるけど、イチホームランは誰よりも滞時間が長くて綺麗。打率を気にしなければ40本は絶対打てる」と言うほどである。

現在は打順で1番が定位置となっているがチャンスに滅法強く、打順に対して割と多い打点を記録している。オリックス時代の96年には3番を打ち、オリックス最終年の00年には4番を打っていた。95年には1番を打ちながら80打点で打点王を獲得(初芝清田中幸雄と同時受賞)、97年にはシーズン17本塁打ながら自己最高の91打点を記録している。
しかしこれだけの打率の高さ、加えて得点圏の強さが逆に敬遠に繋がる事が多い。日通算で240敬遠、日本通算でも歴代13位となる98敬遠を記録している。

打ってからのスタートがとても速い独特のバッティングフォームであり、打球が詰まってもボールヒットゾーンへ運ぶ技術を持っている。スタートの速さとメジャー内野が深めの守備を敷く事が手伝って、MLBに移籍してからは内野打の数が非常に多い(概ね、毎年シーズン打の20%~25%)。普通、詰まった打球がヒットになったり、テの内野ゴロが内野打になったりするのは「たまたま」だということが多いが、イチローの場合は狙って打っている。つまり状況に応じて「芯を捉えて打球を飛ばすバッティング」と「芯を外されてもヒットにするバッティング」を使い分けている。

しかし甘い球を打ち損じる傾向が強いという弱点を持つ。普段厳しいコースばかり攻め続けられるため、突然甘い球が来ると対応ができない、という理屈である。オリックス時代にはダイエーから西武に移籍した木村恵二(イチロープロ打を放った相手)にこの弱点を見抜かれ、見事に抑えられたという。

先は打撃の調子が悪く、5月になると一気に調子が上がる傾向がある。

2011年シーズンは開幕こそ好調だったものの、本来調子が上がる5月6月半ばにかけて不調に陥った結果、規定打席に始めて到達した94年以降では始めてシーズン打率が3割を割り込み、シーズン200本安打の記録も10年連続で途切れた。

守備

スーパーキャッチ
フェンス際のボールをキャッチするイチロー

に外野の右翼を守ることが多い。2006~2007年は中堅をに守っていた。ちなみにオリックス時代には1度だけ公式戦でサードの守備に就いた事がある。
守備も打撃に劣らず定評があり、俊であるため守備範囲が広く、肩も強いので(遠投は130m前後)毎年多くの補殺を記録する。
打球判断も良く、落下点への最短距離を常に素く移動しているため、普通の選手では取れないようなボールでも取ってしまう事もよくある。
MLB移籍後はスタンドインギリギリのホームランボールをキャッチした事が何回かある。
ゴールデンラブ賞(ゴールドラブ)はオリックスの一軍に定着した1994年から2010年まで17年連続で受賞した。
オリックス時代は田口壮、本西厚博(後に谷佳知)と共に外野を守り、球界一の守備とまで言われ黄金期オリックス・ブルーウェーブを支えた。
イチローの特技として、背面キャッチがある。その名の通り、飛んできたフライを自分の背後でキャッチするものなのだが、見たと違って相当難しい技である。
一見、これはパフォーマンスの様であるが、飛んできた打球から線を外して捕球するというイチロー独特の守備練習の1つでもあるという。
オリックス時代には自身がフライアウトで3アウトを取った時、よくボールスタンドに投げ込んでいた。パワプロではイチローのみに、これが再現されていた。

走塁

三塁に滑り込むイチロー
(第2回WBC強化試合日本vsオーストラリア戦にて)

走攻守の内、イチローが最も難しいというのが走塁である。
理由は「バッティングの成功率は良くて3割強だけど、走塁の成功率は10割じゃなきゃならないから」。
その日のグラウンドコンディションを考慮し、走塁をするということは判断が必要とされ非常に難しいのだという。
通算600盗塁を記録しており、マリナーズ移籍後は2009年を除いて毎年30盗塁以上を決めている。
盗塁技術は高く、盗塁成功率は日それぞれで通算8割をえている。渡前あたりでは中軸を任される機会が多かったため盗塁企画数は減少傾向にあったものの、MLBではクイックの甘い投手が多いため30歳後半を迎えても定した盗塁数を決めている。だが盗塁の多さにもこだわりを持っていないため盗塁王は日共に1回のみである。
怪我のリスクを最小限に抑えるため、ヘッドスライディングはまずやらない。

ちなみにとびっきりの走があるというわけではない。走なら田口の方が上らしい。

投手として

高校時代のイチロー
愛工大名電時代のイチロー

高校時代は投手外野手エースで4番だった。しかし投手としての評価は低く、更に高校在学中に怪我をした事が原因で投手を断念せざるを得ず、ドラフト名された際には外野手での名だった。

1995年パ・リーグ東西対抗戦でプロ入り後初登をし、広瀬哲朗をピッチャーゴロに打ち取った。本来この時は清原和博打順だったが清原が「が打席に入って三振でもしたらどうするんだ。広瀬さん、行ってくれ」と言い、代わりに広瀬が打席に立った。

1996年オールスターでは9回2死から登した。この時対戦する打者は松井秀喜の筈だったが、代打高津臣吾が送られてしまい、結局イチロー高津と勝負、高津ショートゴロに打ち取った。ちなみにこの時に野球中継のゲスト解説をしていたのは前述の広瀬だった。

近年では2009年自主練習でプルペンに入り、投球練習をした事もあった
投手としては最高球速は140km/h後半、決め球は本人によるとフォークとの事。
投手を辞めた理由が理由なだけあって、現在も投手への未練は本人く相当あるという。

道具

「バットやグラブ具じゃない。体の一部」と言しており、野球具をとても大切にしている。
使用しているバットは篠塚和典モデルのバットをベースヘッドを軽くしたものであり、このバットは普通のバットとはかなり細く、芯の場所が極端に狭い。そんなバットを使用してる理由は、プロ1年オフにバット工場へ行った時に「このバットだけ遠くから見てもチカチカっていた。実際に持ってみたら自分にしっくりきた」と言い、それ以降現在に至るまでそのバットを使っている。
ラブは紐を解いて使用している。理由は紐を結んだままだとグラブが固い状態になり、ボールを捕球したときの感覚が手に伝わりにくくなるからだという。
また、マリナーズチームメイトジョージ・マッケンジーく、「イチローさんは絶対他人の野球具は触ろうとしない。それは他人の野球具を触ると、その感覚が手に残るのが嫌だから」。

背番号

セーフティバントを決めるイチロー
(第2回WBC東京ラウンド2回戦、日本vs韓国戦にて)

背番号はオリックスマリナーズWBC日本代表で一貫して51でイチロートレードマークとも言える。
イチローに憧れる野球選手はこの51に因んだ背番号を付ける事があり、川崎宗則は「イチローのひとつ後」という理由で一貫して背番号52を付けている。
これは内選手だけに留まらず、他の選手にも見られる。韓国の奉重根やキューバのヨエニス・セスペデスはイチローへの憧れから背番号51を背負っている。イチローの影が伺える。
逆にイチロー較される事を嫌い、小関也は入団当初51だった背番号を変えている。
背番号51に拘る理由は諸説ある。

などが挙げられるが何れも噂程度であり、確はない。イチローオリックス退団後、51番は誰も付けていない準永久欠番扱いである。2005年オリックス・バファローズ監督に就任した仰木彬イチローが51番を勧めたというが、仰木は「そんな番号は恐れ多くて絶対つけられん」と固辞したエピソードがある。また、マリナーズ移籍後は51の前任者が後に通算300勝を達成する、当時通算179勝、かのビッグユニットの異名を持つランディジョンソンマリナーズ在籍時に130勝、4年連続最多奪三振、最優秀防御率1回)ということもあって、イチローが51番を背負う事にかなりの反発があったというが、イチローが後に多大な成績を挙げたことでその反発を黙らせた。

国際大会

五輪に対しては「オリンピックアマチュアの大会」という理由で消極的だが、WBCに対してはテンションが上がるほど積極的である。
その積極性は「対戦した相手が向こう30年手を出せないな、という勝ち方をしたい」という発言や「(同じ対戦相手に2度負けた事は)野球人生で最も屈辱的な日」という発言から見てとれる。
また、「WBC世界最高の大会に育てていきたい」という意図もあるようである。 

性格

マスコミメディアに対して冷たい当たり方をする事が多いため、一般的にとてもクールイメージが強いイチローだが、第1回WBCチームメイトになった上原浩治に「あの人は普通の“隣のあんちゃん”」と言われる程、普段はとってもひょうきんな性格である。
物の言い方がとても独特で、例えば自身の知名度を言い表す時には「(アメリカの)レストランで食事してたら10人中11人に話しかけられますねと言った。プレーだけでなくジョークも一流である。
マスコミメディアに冷たい当たり方をするようになった背景に、過去事実無根の事を書かれた事があるからである。それ以前はよくTV出演とかしていた。
近年になって拒絶の傾向は弱くなっており、記者会見などではたまにユーモラスな答えが返ってくる事も増えてきた。
しかしやはりマスコミメディアとは一定の間隔を置いている。
当のイチロー「ユニフォームを着ているときだけ『鈴木一朗』ではなく『野球選手のイチロー』になれる」という趣旨の発言をしている。

意外な事に本人く、とってもプレッシャーに弱いとの事。近年ではシーズン200本安打が近くなるとプレッシャーのあまり、体調を崩してしまう事がよくあるんだとか。
実際、2009年にはWBC中の不振によるストレスWBC後に体調が悪化。出血性胃潰瘍と診断され初の故障者リスト入りしたと同時に開幕戦出場も無理となってしまった。

ゲーム漫画も少々嗜んでいるようで、第2回WBC日本代表メンバー片岡易之の速さをファミスタの『ぴの』っぽい」と例えたり、2009年3月7日の第2回WBC東京ラウンド日本vs韓国戦後のインタビューではチームの雰囲気と打線爆発について「(ゲームソフトの)『ドラゴンクエスト』はテンションが上がって強くなるでしょう。ああいう感じでしょうね」と答えたり、王貞治第1回WBC日本代表監督カリン様(ドラゴンボール)に例えたりしている。特にドラゴンクエストシリーズ一通りをクリアしている程で、イチロー記念館にはイチロー少年時代に遊んだというドラクエソフトが飾られている。

プレーだけでなく、社会活動にも積極的で、1992年のフレッシュオールスターに出場し、MVP100万円を手に入れたが全額施設に寄付した。他にもオリックス・ブルーウェーブが消滅するまで神戸総合運動公園野球場(現:スカイマークスタジアム)にイチローシートを設置し、2011年東北地方太平洋沖地震の際には個人で1億円を寄付する等、熱心さが伺える。

自身く、組織の中で自分を殺していけないタイプの性格という。チチローことである宣は「物事に囚われない、破りな事をしなさい(もちろん人のを外さない程度で)」という教育方針でイチローを育てたという。

かなりの偏食である。好物はカレーライスでシアトルの自宅にいるときはほぼ毎日食べていたが、現在は毎日カレーは止めたという。に関してらせたら「(テレビの)収録1日で終わらない」との事。過去にはカレーライスとんがりコーンのCMに出演していたこともあった。

ユンケル 

ユンケルパワード・バイ・ユンケル
my condition my YUNKER

佐藤ユンケルのCMに出演している、プロ入り前からユンケルを飲していたのを知った社員がオファー。同社によると、イチローが試合前に飲むのはシリーズ33種類のうち2番に高価な「ファンティ」(税込み3150円)。

ユンケルは遠征に持って行く事もあってか、オーダーメイド製のユンルケースを持っている。
ユンケルは基本的に試合の1時間前に飲む(川崎宗則談)。
しかしそれだけユンケルを飲んでいるにも関わらず、TV番組の企画で「利きユンケル」たるものではユンケルの品種を当てられなかった。

師・仰木彬との出会い

オリックスイチロー」が「世界イチロー」となるまで順調なを歩んで来たのかというと、実はそうではない。
むしろ困難なを歩み、多くの事を経験してきたからこそ、今のイチローがある。

イチロー1991年ドラフト4位でオリックスに入団。
入団当時は特に注を浴びている選手ではなかった。

1992年から1993年まではほぼ2軍暮らしで、一軍で試合をする機会はほとんどなかった。
2軍時代も首位打者に近い打率を打ちながらも、昇格することはなかった。
これは当時のオリックス監督であった土井正三と打撃コーチ山内一弘に「振り子打法」などの導面で衝突があったからとされている。

イチローが世間に注を浴びるようになったのは1994年プロ野球生活3年からである。
イチローはこの年、その後一の師と慕うようになる仰木彬との出会いにより、才を世に知らしめる。
仰木はイチローの振り子打法を否定せず、イチロー野球センスそのものを評価した。
そしてイチローも自分をらせてくれた仰木の思いに応え、その年に210本ものシーズン最多打を打ちMVPを獲得した。
その後も95年のリーグ優勝や96年の日本一などを、仰木と共に迎えている。
ポスティング制度を利用してのメジャー挑戦も、仰木の「もう一年やろう」の言葉により、挑戦を一年遅らせるなど、仰木がイチローに対して大きな影を持っていたのは間違いない。

仰木は、「鈴木一朗」ではすぎて埋もれてしまうとの理由により、登録名を「イチロー」に変更した。
この登録名は仰木が付けたと思われがちだが、実際は当時のオリックス打撃コーチ新井アイデアでつけられた(同年にはイチローのみが立つことがないように、という仰木の考えから佐藤和弘も「パンチ佐藤」に登録名を変更している)。

イチローは、仰木が当時監督をしていたオリックスキャンプ場を訪れたり、仰木が野球殿堂入りした時はアメリカから駆けつけ授賞式に参加している。
また晩年仰木が体調を悪くして入院した時は、無理を言って面会をさせてもらった。
その仰木が2005年に逝去した時には、言葉を失い、しばらくの間気持ちの整理が付かず、部屋にこもっていたそうである。

イチローというスターが誕生したのは、イチローが良き師、良き理解者である仰木彬と巡り会えたからである。

 

ただし、94年の躍進までには少しばかり裏話があったりする。

  • イチロー自身、プロ入りから2年間は二軍で自分の打撃のをしっかり作り、3年に活躍しようというビジョンを描いていた。これはイチロープロ入りした時、4年後に同い年の大卒選手がプロ世界に入った時に自分がその選手たちより上の地位にいたいという思いから、確実に自分が活躍するための計画であった。その為、練習が二軍にべて制限され、試合に出られるかわからない状態が続く一軍は眼中になく、1年に初めて一軍昇格を知らされた時には相当渋り、昇格を断ったという(もちろん聞き入れられず)。
  • 上記の通り、2年まで自分の打撃のを作り上げようとしていたイチローだが、2年イチロー自身印深い出来事があった。それは山内打撃コーチに「お前はの言う事を聞くのか?聞かないのか?」と迫られたことだった。
    もちろん一軍コーチの言う事を聞かない事は二軍落ちを意味するが、導法も合わなかった事もあってイチローは前述の理由で「聞きません」と回答した(もちろんその後直ぐに2軍落ち)。イチローはこの判断を間違ってはいなかったという。
  • 実は当時のオリックス監督土井イチローを高く買っていた。現に93年には開幕戦でスタメン起用し、その後も積極的に起用し続けたが、結果打率1割台とまだ一軍で通用するは無く、92・93年のオリックス外野は層が厚かったためイチローレギュラーから弾き出される形となってしまった。そのためただ一軍のベンチに置いておくよりも二軍の試合でより多くの打席に立たせて経験を積ませた方が良いという計らいもあって2軍落ちをさせた。これは前述のイチローの思想と偶然にも一致する。また、当時のイチローはわがままで、チームスポーツである野球において協調性の大切さを学ばせるというもう1つの理由が2軍落ちにはあったという。土井は93年オフファンの反発もあって監督を辞任。更に94年は前述のイチローが活躍を計画していた3年で、この年はオリックス外野の退団や出遅れが相次いだ事で仰木監督イチロー抜擢に繋がり、極めつけがイチローのNPB初のシーズン200本安打達成という事が重なり、土井導者としての資質、評価はガタ落ちしてしまった。
    しかし、当のイチローは日3000本打達成の際、当時で闘病していた土井を気遣うコメントをしたり、土井が死去した時は自身を見出せなかったことに関して「そんなつもりじゃなかったのにね…」とコメントしており、イチロー土井の事を悪くは思っていなかった。
  • 尚、土井は振り子打法に関してはイチローの飛躍後も否定をし続けた。イチローの振り子打法を否定した理由を要約すると、「あれはイチロー野球センスが高いからできる打法であって、本来は実践的な打法ではないから」。

その他

 

福島弓子一弓
子夫人(左)と一(右)

妻は元TBSアナウンサー福島子。余計なお節介だが2人の間にはまだ子供はいない。
柴犬を1匹飼っており、名前はイチロー子夫人の名前から一文字ずつ取った「一」。

ドラマ古畑任三郎」に本人役で出演した事がある。その時のイチロー殺人を犯し、古逮捕された。ちなみに元々出演の予定はなかったのだが、イチロー本人の希望で出演することになり、撮影ではほとんどNGを出さなかったんだとか。
共演した田村正和く、「役者の鑑」。野球選手だけでなく役者としても一流である。

愛知出身という事もあって中日ドラゴンズファン。憧れた選手は田尾志。そのため中日入りを望んでいたというが、当時オリックスのスカウトだった三輪田勝利に説得されてオリックスに入団した。

寝る時はが2つ無いと寝られない。理由は1つは頭の下に、もう1つは股の間に挟んで横を向いた状態という独特のスタンスでないと寝られないからなんだとか。その為遠征では自前のを1個持って行く。

本名は「一」であり、「一」ではない。長男ではなく、歴とした次男である。
「一朗」という名前の由来はチチローが兄弟の名前に順番を付ける事を嫌い、尚且つイチローの祖の名前の「一」の「一」を取った。更に「朗らかであってほしい」という意味を込めた「朗」が合わさって「一朗」となった。イチローの名前は、「一」でイチロー同様に「一」という漢字が入っている。

今後の野球人生は「50歳で4割打ってやめる」だそう。まだ引退する気はさらさら無いようである。

運営の話によるとニコ動を見ているらしい。

東京事変の楽曲「スーパースター」は、イチローイメージして作られた楽曲。
作詞した椎名林檎との対談によれば、最初はあまり良い印を持たなかったが、「私のスーパースター」と歌っている事に感銘を受け、印が変わったと言う。

イチロー伝説 

テンションが上がると分身したり、何度も人類を滅亡させるほどのを秘めているイチローだが、その才は日米野球界で明されている。

 レーザービーム

レーザービーム
外野から送球するイチロー。(第2回WBC宮崎合宿にて)

日本が誇る技、SUMOUと並んで日本が核を持たない理由がこれである。
に敵チームの攻撃時、ランナーの三進の時やホーム突入の時によく見られる。

このレーザービームが放たれると、大抵ランナーはアウトになるが同時に着弾点を中心として地殻津波が発生。この時点で地球の人類の半分が滅亡するがこれだけにとどまらず、舞い上がった地殻がファールボールとなって地球に着弾するというセカンドインパクトが発生する。これにより残りの地球の人類の半分が滅亡する。

これだけの大被にも関わらず、年に何回も発生することなので各界の著名人はこのレーザービームが発生する度に「またイチローか」コメントすることが自然となりつつある。また、人類滅亡が発生すると同時に踊りだす黄色い人たちがいるとかいないとか。

イチローの調子が良い時は宇宙滅亡、調子が悪い時は山の地滑りが起こる程度である。また、レーザービーム亜種としてレートービームたるものも観測されている。

人類滅亡後の地球マツケンが元に戻しているらしい。

レーザービームを放った試合は不思議とマリナーズは試合に負ける事が多い。
この逆の事例として、マーティー・レオ・ブラウン(広島監督時代・元楽天監督)のベース投げがある。

しかし2009年の第2回WBCではテンションが上がり過ぎた結果、を抑える事が出来なくなり、レーザービームではなく高校時代以来となるバッティングで人類を滅亡させてしまったため、再びイチローに注が集まっている。
日本が核を持たない理由がまた1つ増えた間でもあった。

ちなみに2009年イチローによる人類滅亡は予想されていた。
Ω Ω Ω <な、なんだってー!!
詳しくは↓の画像をクリック

全盛期のイチロー伝説  

テンション上がってきた
テンションが上がって
しまい、分身した。
ほぼイキかけました
ほぼイキかけそうに
なり、スタンドが少し
出かけた事も。

関連動画

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関連コミュニティ

関連項目

ニコニコ動画関連
携帯版URL:
http://dic.nicomoba.jp/k/a/%E3%82%A4%E3%83%81%E3%83%AD%E3%83%BC
ページ番号: 115652 リビジョン番号: 1403565
読み:イチロー
初版作成日: 08/05/21 00:37 ◆ 最終更新日: 12/01/08 19:29
編集内容についての説明/コメント: 加筆&修正
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イチローについて語るスレ

933ななしのよっしん :2012/01/01(日) 22:24:45 ID: PaEopgq5ig
何かが特別変わるわけではなく、
マズローで言う自己実現に邁進してくれると思う。
今年のイチローのMAXがどんなものなのか、かなり味深い。
934削除しました :削除しました ID: 0QnT3Fy6EJ
削除しました
935名無しのドーパント :2012/01/10(火) 19:35:20 ID: sliPX8Ar4I
イチロー伝説はまだあるぞ

初回先頭打者でバットを構えたら4点入った
イチローの名前がコールされたスタンドイン
ブルペンを見ただけで相手のリリー全員負傷
イチローヒットを打つたびには一人ずつ消え、その座にイチローが座る
無死満塁で三遊間のゴロを右翼から背面キャッチして一人で全員タッチ

イチロー伝説は終わらない
936ななしのよっしん :2012/01/15(日) 17:48:30 ID: huK/K4gxyi
マイクホームラン
937ななしのよっしん :2012/01/21(土) 10:08:40 ID: bJ2xp/11xe
日本チャック・ノリスだな
938ななしのよっしん :2012/01/21(土) 15:54:40 ID: hctjKT7uGH
イチロー兄貴すき
939ななしのよっしん :2012/01/21(土) 15:56:46 ID: 7RW7nmvm+F
http://www.seahawks.com/media-lounge/videos/12th-MAN-Flag-Raiser---Ichiro/1d4c2007-d83b-4fa5-9bc3-6cc800c525f8

やっぱシアトルでの人気は凄いんだな、2007年の動画だけど
来年復活してくれ!
940えd :2012/01/22(日) 02:45:51 ID: VkFdS2na9c
人気なけりゃオールスターに10年連続で選ばれないよ
941ななしのよっしん :2012/01/28(土) 03:01:34 ID: lNYLo0piRK
今年は三番でいくみたいな話になっているようだが
942ななしのよっしん :2012/02/03(金) 08:41:32 ID: 6Kw42jNy+/
イチローって普通野球選手だと思ってたらすごすぎワロタ
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