インディ500とは、アメリカのインディアナポリス・モーター・スピードウェイで開催される北米最大のモータースポーツイベントである。正式名称は「インディアナポリス・500マイルレース」。
350km/hオーバーで空気を切り裂いて繰り広げられるサイドバイサイドの攻防と、緻密な燃料計算をもとに展開されるピット戦略が醍醐味である。
概要
世界三大レースの1つに数えられる(他はF1モナコGP、ル・マン24時間レース)、「インディカー」の起源といえるイベント。1911年に第1回が開催され、100年を超える歴史を持つ。現在はインディカー・シリーズの1戦に組み込まれている。
1周2.5マイル(約4km)の長方形に近いオーバルコースを200周(500マイル/約800km)走行して競われる。最高速度は390km/hに達し、決勝レース中の周回速度は350km/h前後、ピットインやコーションによるスロー走行を含めても平均速度は250km/hを超える。レースの所要時間は3時間前後。参考まで、東京~広島を自動車で移動する場合の距離とほぼ同じである。
注目度、開催日数、賞金額をはじめとしたあらゆる規模が別次元で、レース当日は30万人以上の観客が押し寄せる。この伝統と格式から、インディ500の1勝はシリーズ王者と同じくらい価値があると言われている。
日本人では1990年にヒロ松下が初挑戦(予選落ち。決勝出走は翌91年から)して以来、多くの選手が参戦しており、高木虎之介と松浦孝亮がルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得している。2017年には佐藤琢磨が日本人初の優勝を達成し、2020年に2度目の優勝を果たしている。
インディアナポリス・モーター・スピードウェイ(IMS)
1909年に完成した、世界最古の現存するサーキット。オーバルトラックに分類されるが、上述の通り四角に近いレイアウトはオーバルの中でも特殊な形状である。各ターン(コーナー)のバンク角は他のオーバルと比較して浅く(約9度)、コーナリングの難易度を上げている。
1911~35年は路面がレンガ敷きであったため、その名残で「ブリックヤード(レンガの庭)」とも呼ばれる。マシンの高速化に伴い死亡事故が続発したため(1929~35年の間は毎年発生し、同期間の犠牲者は18名)1936~61年にかけて段階的にアスファルトで舗装され、2024年現在はスタート/フィニッシュライン部分のみコースを横断するように1mほどの幅で当時のレンガが残されている。
マシン
「スタッガー」と呼ばれる左回りに特化したセッティングが施され、ハンドルを切らずに加速すると左に逸れていくためストレートを走る時はわずかにステアリングを右に切り続ける必要がある。詳細はインディカー#マシンを参照。
イベントの流れ
ルーキー・オリエンテーション・プログラム
4月後半に行われ、初参加の「ルーキー」および1年以上オーバルレースのブランクが空いた「リフレッシャー」を対象として、高速走行に耐えうる技術を備えているかの確認が行われる。
ここで合格しないとインディ500への参加資格は得られない。
練習走行
5月第3週の火曜日から金曜日までは、全ドライバーによる練習走行が行われる。特に金曜日は「ファスト・フライデー」と呼ばれ、練習走行ながら最速タイムを出したドライバーに賞金が与えられる。
予選
予選方式は過去に何度か変更されている。ここでは最新版(2023年度)について説明する。
決勝へ進出する33台を決める。1台ずつコースイン(アテンプト)して4周の平均速度を競い合う、スーパーポールに近い方式が採用されている。
また、インディ500を含むオーバルでは速さの記録はタイムでなく時速(mph)で表記される。(この項目では説明の都合上「タイム」表記を使う。)
予選1日目
エントリーした全車がタイムを競う6時間50分のセッション。長く思えるが、1台のアテンプトで5分程度かかるため絶え間なくアテンプトが続いたとしても80~90回程度で時間切れとなる。これを33台、あるいはそれ以上の台数が分け合うため、1台あたりの平均アテンプト回数は3回に満たない。刻々と変化する路面状況(温度やタイヤラバーの乗り具合)を読みながら、いかにタイムを出しやすいコンディションでアテンプトできるかが重要である。
2度目以降のアテンプトは時間内であれば、ピットレーンに並んだ順に何度でも行える。ピットレーンは2列に分けられ、自身のベストタイムを取り消す代わりに優先的にアテンプトを行える「LINE1」、タイムを保持したままアテンプトが行える「LINE2」が存在する。ドライバーは自身のタイムが予選通過に十分かを見極め、安全策を取るかリスクを冒してでも攻めるかの選択を迫られる。
予選2日目
- トップ12・クオリファイ
1日目の上位12台が、前日のタイムが遅い方から順に一発勝負のアテンプトを行う。ここで7~12位のグリッドが確定する。 - ラストチャンス・クオリファイ
予選落ちを決める1時間のセッション。
前日の30位以下のマシンがタイムを出し合い、上位3台が31~33位グリッドを確定させる。4番手(=全体の34位)以下は予選落ち。 - ファスト6
トップ12・クオリファイの上位6台が、タイムが遅い方から順に1度ずつアテンプトを行う。ここで1位(ポールポジション)~6位のグリッドが確定し、予選は全て完了する。
予選上位の12台には、上位から順に12, 11, ..., 1ポイントが与えられる。
カーブ・デイ
第4週の金曜日に行われる最後の練習走行。ここで決勝に向けたセッティングを固める。
決勝
第4週(または最終週)の日曜日に行われる。
スタート前のセレモニーの流れはおおむね以下の通り。メインストレート上で行われる。
- ドライバー紹介。グリッド下位から3人ずつ登場し、妻子を連れてくる者もいる。
- 戦没者への黙祷。翌日が戦没将兵追悼記念日(メモリアルデー)のため。
- 「God Bless America」およびアメリカ国歌の歌唱ののちドライバーはマシンに乗り込む。続いて開催地であるインディアナ州を題材とした「Back home again in Indiana」が歌われる。演奏後にアメリカ空軍の戦闘機などが上空で派手なデモフライトを行うのも恒例となっている。
- スタートコマンド
サーキットにゆかりのある人物(2020年以降はIMSオーナーのロジャー・ペンスキー)が挨拶を行い、「Drivers, start your engines!」と号令をかけて全マシンのエンジンを一斉に始動させる。 - 数周のパレードラップののち、3列の編隊が作られローリング・スタートでレースの幕が上がる。33台のマシンがターン1になだれ込む光景は圧巻。
スタート後
3時間に及ぶ長丁場のため、先頭集団から遅れることなく最後のスティントをいかに良いコンディションで迎えられるかが勝負の鍵を握る。
観戦の際に押さえておくべきポイントとしては以下が挙げられる。
乱気流との戦い
マシン(オープンホイールカー)の特性上、前方の空気の流れが挙動に影響しやすい。単独走行の予選とは異なり、決勝では周囲の車も350km/hで動き回り空気をかき乱すため、ライン取りをほんの少し誤っただけで挙動を乱しクラッシュを引き起こすケースが後を絶たない。ドライバーはわずかなミスも許されない緊張感・プレッシャーと戦いながら、3時間通して精密な操縦を完遂する精神力が試される。
ドラフティング(スリップストリーム)と燃費
オーバルを走るマシンに立ちはだかるのは空気の壁。空気抵抗は速度の二乗に比例するため、350km/hで先頭を走るマシンは他のどのレースカテゴリよりも大きな抵抗[1]を一身に受けて速度が伸びず、アクセルは全開のため燃費が悪化する。
ドライバーはドラフティングと呼ばれる戦術で対策する。他のマシンの後ろにつき空気抵抗を減らす事で、アクセル全開にせずとも速度を伸ばせるため燃料の節約が可能となる。燃料を使いすぎてピットストップ(燃料補給)が増えると1周40秒ほどのオーバルでは致命的な順位低下に繋がるため、先頭を走る時間はできるだけ短くしたい。
よって序盤~中盤はチームメイト同士で先頭を交代し合う光景や、ライバル同士で誰も前に出ようとせずにペースが落ちる「譲り合い」がしばしば見られる。(他車の後ろに留まりすぎると風が当たらずエンジンやブレーキ、タイヤの冷却不足を招くので、わざと真後ろから外れたラインを選ぶ場合もある。)
しかし燃費を抑えるあまり下位に沈んでしまえば元も子もない。燃費とポジション争いの両立が、勝利へのポイントである。
ピット戦略とコーション
フューエルウィンドウ(燃料満タンで走り切れる距離)はおよそ30~35周。200周を走るには単純計算で5, 6回程度のピットストップが必要で、これらをどのタイミングで行うかによって順位が大きく変わる。ピットインに大きく関係するのは、事故が起こった際に発令されるコーション(フルコースイエロー/FCYとも)と呼ばれる指示である。
コーション発令と同時にピットへの進入は禁止され[2]、コースの安全確保のためペースカー先導によるスロー走行に切り替わる。後方のマシンを追いつかせ、隊列が揃ったのちピット進入・作業が許可される。
コーション中のピットは他のマシンとの差が開きにくいので、この間に済ませてしまうのが定石。ピットが開くと同時に大勢のマシンが一斉に飛び込む光景が見られる。
一方で燃料やタイヤに余裕がある選手はコースに留まる場合もある。本来のピットタイミングまでにもう一度コーションが出れば、高順位を維持したままタイムロスの少ないピットが可能なためである。ただしコーションが出ない場合は他車が全開走行する中でのピットを強いられて大きく順位を落とすため、相応のリスクを背負う選択である。
ほとんどのマシンにとっては本来の予定からずれたタイミングでピットインするため、作戦の立て直しが必要。ゴールまでのピット回数や次に入るタイミング、どの程度の燃費で走るべきかをチームが再計算し、ドライバーにペースを指示する。コーションは一度で済まない場合が多いため、チーム側はその都度レース展開に合わせた柔軟な対応が求められる。
最終決戦へ
残り30周前後で最後のピットへ向かう選手が出始める。おおむね全員がピットを終えた時点の位置関係で実質的な勝負が幕を開けるため、「インディ500の170周までは予選のようなもの」とも言われる。選手によっては燃料が足りないのを承知で、コーションによる燃費節約を期待して最後まで走り切る賭けに出る者もいる。
決着
接近戦の場合、ファイナルラップをトップで迎えるのは不利とされる。空気の壁に阻まれて、長いストレート後のターン1もしくはターン3で抜かれる可能性が高いためである。
ターン3を1位で回っても油断はできない。過去には最終ターンでクラッシュしたり、フィニッシュ1秒前の残り十数メートルの地点で抜かれて優勝を逃した例が存在する。
これらの激闘を乗り越えてトップチェッカーを受けた者が、晴れて勝者として表彰台へ向かう。他のレースと異なり1位以外に表彰台は用意されておらず、勝者ただ1人を称えるインディ500の特殊性がうかがえる。
優勝者の恒例行事
レースの規模に漏れず、勝者に対する扱いも別格である。
- 優勝者は表彰台で大きなボトルに入った牛乳を飲む。発祥は1933年、優勝したルイス・メイヤーはレース後に「今度優勝した時は大好きなバターミルクを用意してほしい」とリクエストした。3年後に再び優勝したメイヤーはバターミルクをボトルごと渡され、それをゴクゴク飲んだ。この光景を目撃した牛乳会社が宣伝効果を見込んで、翌年から勝者に牛乳が渡される慣習が始まった。
- ボルグワーナー・トロフィーと呼ばれる、歴代優勝者の顔のレリーフが埋め込まれたトロフィーが贈られる。ただし高さ1.6m, 重さ約70kgと巨大なため持ち帰れず、実際は小さなレプリカを渡される。
- 表彰後はチームスタッフと共に、フィニッシュラインに埋め込まれたレンガにキスをする。
- 1976~2023年の48年間にわたり、自らもレーサー経験を持つジャネッタ・ホールダーなる女性から手作りのキルトが贈られていた。ホールダーは2023年末に91歳で逝去。
- 優勝者としての「仕事」の量も段違いで、レース終了後は休む暇もなく様々なメディアやセレモニーに出演し、アメリカ国内を飛び回ってナスダックの始業ベルを鳴らしたり、NFLのトップチームを訪問したりと多忙な日程をこなす。詳細はこちらを参照。
次のレースに向けた休養や準備ができるはずもなく、インディ500と次戦を連勝した例は2001年以降存在しない[3]。
日本での放送
有料配信
GAORA SPORTS
インディカー・シリーズの一戦として予選・決勝を独占生中継している。決勝の実況は村田晴郎が務める場合が多く、解説は松田秀士を中心にインディカーへの参戦経験を持つ日本人ドライバー(武藤英紀、松浦孝亮など)が務めている。
2013年には佐藤琢磨の日本人初優勝による盛り上がりに応え、GAORA協力のもとニコニコ生放送での有料生中継が行われた。2014年以降はニコニコ公式チャンネルを開設し配信を継続している。
IndyCar Live
INDYCAR公式の配信プラットフォーム。日本ではGAORAと被らないセッション(練習走行など)が視聴可能。実況は現地音声(英語)のみ。(公式サイト)
無料配信
2023年までは上述のIndyCar Liveでライブ配信の無料視聴が可能だった。有料化に伴いリアルタイムで視聴できる手段は無くなり、レース後に公式Youtubeチャンネルに投稿されるハイライト動画でレースの雰囲気を窺い知れる。
スマートフォン用アプリ
INDYCAR公式が提供するアプリケーション。レース中の各車の動きを確認できるライブタイミングに加え、1台ごとのアクセル・ブレーキ開度のリアルタイム表示やエンジンサウンド、マシンは限られるがオンボード映像も見る事が可能。
ダウンロードはこちらから。App Store / Google Play
地上波・BS放送
2019年からはNHK BS1が開催翌日に録画放送を実施。実況は日本国内のサーキットでの場内実況等でお馴染みのピエール北川、解説は中野信治が務めている(中野もインディ参戦経験あり)。
F1との関わり
1950~60年
- インディ500はF1世界選手権の一戦に組み込まれていた。ただし実態は選手権の発足当時、欧州のレースだけで構成されていたF1が「世界」選手権を名乗る目的で形式的に追加されたにすぎず、実質的な交流は無いに等しかった。同時期の「世界選手権でもあるインディ500」勝者10人のうち他のF1選手権に出場したのは2人だけ、合わせて3戦のみである。
1960年代
- F1チャンピオンのジム・クラークやグラハム・ヒルがシーズン途中にインディ500に参戦し優勝している。
- オール・アメリカン・レーサーズ[4]がF1に参戦。ダン・ガーニーが1勝を挙げている。ガーニーはインディ500でも2度の2位を記録するなど勝利に迫っていた。
1970年代
- マクラーレンはインディ500に参加し、10年間で3勝を挙げている。
- ペンスキーはF1に参加し、4年間で1勝を挙げている。
- マリオ・アンドレッティは78年にF1王者を獲得。インディ500は69年の優勝を含む29回の出走経験を持ち、歴代2位の多さ。
1980年代
- 80年代後半にフェラーリはインディ500(およびCART)への参戦を計画しマシンを作製、テスト走行まで進めたが実現には至らなかった。当時のF1で起きたレギュレーション変更を巡る駆け引きの一環ともされる。
- 1989年のインディ500で元F1チャンピオンのエマーソン・フィッティパルディが優勝している。
1990年代
2010年代
- 2012年にグループ・ロータス(94年限りでF1から撤退したチーム・ロータスとは別物)がエンジン供給で参戦。しかし戦闘力は皆無で、決勝では「遅すぎて危険」としてレース途中に失格を宣告される憂き目に遭った。 1年限りで撤退。
- 2017年に現役のF1ドライバーであるフェルナンド・アロンソがインディ500に出場。F1のモナコGPと日程が被ったり、F1チームが事故を懸念して他カテゴリとの掛け持ちを制限する風潮が高まっていた背景から、参戦は難しいと思われていた中での挑戦であった。アロンソは予選5番手を獲得し決勝では首位に立つ場面を見せ、同レースのルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得した。
その他
豆知識
- 予選を突破し決勝に進出するだけでも賞金が出る(松田秀士によると90年代後半で最下位でも2000万円程)ため、賞金目当てでインディ500のみスポット参戦するケースも少なくない。
ファステストラップやラップリードに加え、最後に予選を通過した選手や節目の周回(50周, 100周など)でトップを記録した選手、最も順位を上げた選手にボーナスがつくなど賞金の種類も多彩。 - マシンがイコールコンディションに近く技術や経験を生かして戦えるため、女性や高齢ドライバーも参戦する。
- トランスミッションは6段変速。通常時は5速、前車に詰まったら4速、追い風やスリップストリームで速度が伸びる場合は6速、と使い分ける。これらのギア比のセッティングも重要である。
- 高速でのレースゆえにクラッシュが多発するが、死亡事故は1996年を最後に発生していない。107回の開催で事故による死者は累計で53人[5]。うち49人は1973年以前に集中しており、近年の安全対策の成果が見て取れる。
- 2012年まで、ターンの内側に引かれている白線は滑りやすいため踏むのはタブーとされていた。2013年にカルロス・ムニョスが白線の内側まで大きく踏み超える走法(通称「ムニョス・ライン」)で2位に食い込んだため、翌年から真似する選手が出始めた。2023年現在は大幅なインカットが定着している。
歴史こぼれ話
- 初開催の1911年は自動車史上初めてのバックミラーが登場したレースとされる。当時のレースの常識では、マシンにはドライバーとは別に後方確認とマシン修理を行うメカニックが乗り込んでいた。しかしレイ・ハルーンは軽量化や空力を追求し1人乗りのマシンで参加する。他の参加者から安全性を懸念する声が上がったため、ハルーンはコックピットの真正面にミラーを設置し決勝に参加。トップチェッカーを受け記念すべき第1回目の勝者に輝いた。(参考)
- 過去にはレース中のドライバー交代が行われていた。1953年は気温30度を超える猛暑の中で開催され、あまりの暑さに交代が多発。リタイア済みのドライバーや予選落ちした者が後を継ぎ、10台のマシンでドライバーの交代が記録された。1台のマシンを3人でシェアしたり、1人で3台のマシンを駆った例も存在する。
- 1964年、スタート直後の事故で満タンのガソリンが爆発して2人が亡くなる惨事が発生する。この事故をきっかけに、翌年から燃料がメタノールへと変更された。
- 1993年に優勝したエマーソン・フィッティパルディは、表彰台で牛乳より先にオレンジジュースを飲んだ。自身がオレンジ農園を経営していたためであったが、この行為で牛乳会社からの賞金を貰えなかったうえ謝罪する羽目になった。
- 武藤英紀はチームから指示された増量に失敗したため、ゴム紐の部分に鉛を入れたパンツをチームから渡されて体重測定に臨み、マシンに積めるバラスト量を誤魔化した事があるという。武藤曰く、このパンツは当時チームメイトだったマルコ・アンドレッティと共用した。
- 2011年、ルーキーのJR・ヒルデブランドが終盤にトップを快走。インディ500でのデビューウィンが目前だったが、ファイナルラップの最終ターンを曲がりきれずクラッシュ。惰性でストレート上を滑走してフィニッシュするも直前で抜かれ、優勝を逃す珍事が発生した。
- アンドレッティ家の呪い
レース一家として名高いアンドレッティ家はインディ500をなかなか勝てず、マリオ、マイケル、マルコの親子3代で延べ63回出走して優勝は1969年の1勝(マリオ)のみ。特に2006年は最終盤にマリオ・マルコの親子1-2体制を築くも最後の最後でサム・ホーニッシュJr.に抜かれ、0.0635秒差(史上2番目の僅差)で優勝を逃す劇的な幕切れであった。
関連項目
外部リンク
- INDYCAR公式サイト
- インディアナポリス・モーター・スピードウェイ公式サイト
- ルールブック(2023年度版) ※リンク先でPDFが開きます
脚注
- *周回するレースに限る。非周回ではドラッグレースなどが上回る。
- *ピットの入口直前で発令されるなど、やむを得ず進入してしまった場合はピットボックスに立ち寄らず通過しなければならない。
- *2000年以前は12例ある。インターバルはおおむね1 or 2週間。
- *F1でのエントラント名は「アングロ・アメリカン・レーサーズ」に変更。シャシー名の「イーグル」が知られる。
- *観客やチーム関係者、救助活動中の二次災害なども含む。
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