エリック・シンセキ将軍とは、元アメリカ陸軍大将・陸軍参謀総長。現退役軍人長官である。
概要
広島出身の祖父母をもつ日系三世の出自で、アメリカ陸軍士官学校(ウェスト・ポイント)出身。
ベトナム戦争に参加(負傷経験あり)。その後、ヨーロッパ方面で勤務。順調に昇進を重ね、1999年、陸軍参謀総長に就任。このポストは統合参謀本部に属し、大統領軍事顧問の役目を負う(よって、陸軍の指揮系統のラインからは、はずれている)。
陸軍参謀総長に就任後、ストライカー戦闘旅団(SBCT)構想を提唱。これは、地域紛争などの事案に対して従来の緊急展開部隊、機甲部隊の中間に属するC-130戦術輸送機に搭載可能な装輪装甲車ファミリーにより編成された戦略・戦術的機動力に優れた部隊にもって対応するというアイデアだった。以後アメリカ陸軍はストライカー装甲車による戦闘旅団の編成を進めることになる。
2003年、イラク戦争勃発時、湾岸戦争と同様に大規模兵員の動員を唱えたシンセキ将軍と、ラムズフェルド国防長官との間で意見の対立が発生。ラムズフェルド国防長官は自らが唱えたトランスフォーメーションを行った軍編制であれば最小限の兵力でイラク陸軍を撃破することが可能と唱え、従来通り大規模兵員の動員を行うことを提言したシンセキ将軍と内部対立が発生する。
イラク戦争開始後の2003年6月にラムズフェルド国防長官は、シンセキ参謀長の任期満了による退任を認め、後任にピーター・スクーメーカー(Peter J. Schoomaker)退役大将を選んだ。シンセキ参謀長を再任せず、事実上の解任と言えた。[1]
イラク戦争ではアメリカの軍事技術によりイラク軍の指揮系統を壊滅させ、早期の政権打倒につながったものの、指揮系統がなくなっただけで実体としての軍兵力・治安組織が地下に潜伏、あるいは諸外国からの武装集団の導入を招き、国内統治システムの空白とともにアメリカ軍は治安の回復のためにかなりの犠牲を払うことなった。
結果的にはシンセキ将軍が唱えた大規模動員と同じだけの兵員をりイラクに派兵する羽目になり、当初から大規模動員を唱えたシンセキ将軍の見識が正しかったことが明らかになる。
退役後、第2次大戦の欧州戦線で勇名を馳せた第442連隊戦闘団(日系人部隊)などに参加した日系アメリカ人についての歴史教育を行うNPO"ゴー・フォー・ブローク"教育センターに勤めていたが、2008年オバマ政権下における退役軍人長官に任命された。
関連項目
脚注
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