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オリックス・バファローズとは、日本プロ野球のパシフィック・リーグに所属する球団。
概要
親会社はオリックス。現在の監督は岡田彰布(2010年~)。本拠地は大阪市の京セラドーム大阪。神戸市のほっともっとフィールド神戸は準本拠地。
略称は「オリックス」「オリ」。アルファベット表示は「Bs」。ネット上では「檻」と略されることも多い。パ・リーグでは唯一、球団名に地域名が入っていない。二軍の球団名は2008年まで「サーパス」だったが、ネーミングライツの契約終了により2009年からはオリックスに戻っている。
2004年にオリックス・ブルーウェーブと大阪近鉄バファローズが合併することで誕生したチームであるが、ブルーウェーブの存続チームとして認識されている。だがその一方、「バファローズ」の名前を用い、神戸での主催試合を年々減らし大阪の球団としてアピールしていることは、旧オリックスファンからも近鉄ファンからもわりと複雑な感情をもって受け止められている。
なお、ブルーウェーブ時代についてはオリックス・ブルーウェーブ、さらにそれ以前の阪急時代については阪急ブレーブスの項目を参照。また近鉄に関しては大阪近鉄バファローズの項を参照。
非常に伝統ある球団で勝ち数は4500を越え歴代3位を誇るが、昔から人気は微妙。本拠地の近い阪神タイガースの煽りを受けてのことだと思われる。また近年は毎年のように監督交代が繰り返されているのが、長期的なチーム作りを阻害し、低迷の遠因になっている節もあった。
しかし2008年以降、金子千尋、T-岡田、坂口智隆などの若手が台頭し、積極的な戦力補強もあって、2007年以前とはほぼ別のチームと言っていいほどに戦力が入れ替わった。
2011年からはチームカラー、球団旗、ユニフォームデザイン、ロゴ、マスコットなどを一新し、「新・黄金時代へ」を掲げ、チーム全体の大幅なリニューアルを敢行。言葉通りに新たなバファローズの黄金時代が幕を開けるのか、岡田監督の手腕が問われるところである。
年表
2005年(62勝70敗4分、4位) 「Bsの幕開け、最後の仰木マジック」 監督:仰木彬
合併初年度は監督にブルーウェーブ黄金期の名将・仰木彬を迎える。分配ドラフトによって(岩隈久志などが入団拒否したものの)2球団の戦力をいいとこ取りしたため、ブルーウェーブ末期の絶望的な戦力から大幅に層が厚くなった。
西武と終盤までプレーオフ争いを演じ、最終的には4位に終わったが、前年までの底の見えない暗黒っぷりからは比べものにならないほどの戦いぶりを見せた。とはいえ合併してもAクラスに入れなかったあたり、いかに前年までのオリックスの戦力が貧弱そのものだったかが伺える。広島東洋からトレードで獲得した菊地原毅が最優秀中継ぎ投手に輝き、怪我から復帰した加藤大輔、同じく怪我から復帰の守護神大久保勝信とともに阪神の「JFK」に倣って「KKO」と一瞬だけ呼ばれた。他にも2年目の歌藤達夫や、香月良太、萩原淳などリリーフ陣の健闘が光った。
しかし、ガンに冒されながら指揮を執り続けた仰木の体力は既に限界を迎えており、シーズン終了後に仰木は退任。そのまま12月に帰らぬ人となった。代わって中村勝広が監督に就任する。
2006年(52勝81敗3分、5位) 「暗黒ふたたび」 監督:中村勝広
前年、仰木監督の置きみやげとして巨人から清原和博を獲得。さらにメジャーで挫折した中村紀洋を獲得し大きな話題を呼ぶ。しかしシーズンに入るとどちらも故障が原因で大きく期待を裏切る結果に。
ルーキーの平野佳寿は前半戦こそ新人王を争う活躍を見せるが、疲れで後半戦に失速。清原と中村の不振でチームは絶対的な柱を欠き、リリーフ陣も前年ほどの働きは出来ず、終盤はあわや東北楽天に追い抜かれるかというところまで落ちぶれ、勝率.391の5位に終わる。
オフに中村監督は低迷の責任をとって辞任。代わってテリー・コリンズが監督に就任。また中村紀洋が故障の扱いを巡ってフロントと大揉めして自由契約となり、ブルーウェーブ時代からの主力であった谷佳知をトレードで巨人に放出した。
2007年(62勝77敗5分、6位) 「雌伏の時」 監督:テリー・コリンズ
前川勝彦の無免許ひき逃げ逮捕という不祥事で幕を開けた2007年。
開幕直前、既に一度引退して1年のブランクがあったタフィ・ローズを獲得。実績は歴代最強クラスだが既に高齢でありブランクがあったこともあって、誰もが「働けるのか?」と首を傾げた。しかし蓋を開けてみればローズは年齢もブランクも感じさせない、往年と変わらぬ打棒を発揮し不動の4番に。終盤の離脱でタイトルは山崎武司に譲ったが、42本塁打、96打点と文句なしの成績を残した。
しかし、シーズンを通しての明るい話題といえばそのぐらいで、チームは川越英隆、吉井理人、ダン・セラフィニなどの先発陣が不振にあえぎ、打線も1、2番が固定できず序盤から苦戦。GWに記録的な大失速をするとその後はAクラス争いもできず、東北楽天の躍進もあって合併3年にして最下位まで転がり落ちた。二軍との選手の入れ替えが少なく、二軍で活躍していた選手から不満の声があがることもあった。
その一方、シーズン後半戦では金子千尋、岸田護などが台頭して希望の星となる。また坂口智隆やルーキーの大引啓次などが積極的に起用され、低迷の中にも翌年への種はしっかりと撒かれていた。
オフ、西武ライオンズを退団したアレックス・カブレラを獲得したほか、濱中治、古木克明と長打力のある選手を次々とトレードで獲得し、「いったいオリックスはどんな打線を組む気なんだ?」と誰もが首を傾げた。
2008年(75勝68敗1分、2位) 「新生バファローズ」 監督:テリー・コリンズ→大石大二郎
1月11日、ジェレミー・パウエルを獲得との報道が出るが、月末に福岡ソフトバンクホークスがパウエルの獲得を発表。二重契約が発覚し大揉めとなり、結局パウエルは福岡ソフトバンクに入団することに。色々と物議を醸したが、よもやこれがフラグになろうとは、この時は誰も予想していなかった。
前年の最下位もあって前評判は低く、平野佳やデイビーらローテ候補が次々と戦線離脱し開幕からローテが組めないという暗黒展開で開幕を迎える。急遽リリーフ陣から小松聖や山本省吾がローテに入ることになり、開幕直後はカブレラの不振もあって苦戦が続いた。カブレラの復調とともにチームは多少上向きになるが、5月21日にはコリンズが「野球に対する全ての情熱を失った」と突然辞任。急遽ヘッドコーチの大石大二郎が代行として指揮をとることになる。
ところが、この監督交代が契機となり、カブレラとローズの大暴れに引っぱられてチームはぐんぐんと上昇気流に乗る。先発陣は小松聖を筆頭に、夏場から金子千尋、山本省吾、近藤一樹の4本柱が確立。坂口智隆、後藤光尊らが覚醒してレギュラーを掴み、加藤大輔は劇場しつつ守護神として奮闘する。
北京五輪代表に誰も選ばれず戦力ダウンが一切無かった恩恵もあってか、みるみる順位を上げAクラス争いに参戦し、9月に大失速した福岡ソフトバンクを蹴落として最終的に9年ぶりのAクラスとなる2位へ駆け上がった。小松聖が15勝を挙げ新人王、ローズが打点王、加藤大輔がセーブ王、坂口智隆がゴールデングラブに輝いた。
だがクライマックスシリーズでは北海道日本ハムに経験の差を見せつけられ、1stステージで敗退。
オフにはホセ・フェルナンデスを獲得しさらに重量打線化を目論む。またトレードで大村直之を獲得した。
2009年(56勝86敗2分、6位) 「またしても下位に終わる檻」 監督:大石大二郎
ローズ、カブレラ、ラロッカ、フェルナンデスと並ぶ超重量打線「ビッグボーイズ」を売りに、開幕前は優勝候補にも挙げられた。キャンプでは野茂英雄を臨時コーチに招聘。
しかしカブレラ、ローズが相次いで故障で離脱、ラロッカ、フェルナンデスも故障して、ビッグボーイズ全員が揃うことは結局無かった。さらに後藤、日高、大引といったレギュラー陣までもが次々と離脱する極端な故障禍に泣かされる。
投手陣も小松がズタボロに打ちこまれたのを筆頭に、正捕手日高の不在もあってか、守護神・加藤大輔以下それまで比較的安定していたリリーフ陣が崩壊。シーズン終盤には11勝していたエースの金子が抑えに回る事態になった。
結局、開幕前には充実と評されていたはずの戦力が全く整わず、歯車が狂ったまま千葉ロッテとともに低空飛行が続き、最終的には最下位に返り咲いてしまう。オフには責任を取って大石監督が辞任。後任に前阪神監督で球団OBの岡田彰布の就任が決定した。また球団本部長の中村勝広がシーズン中に解任された。
なおフェルナンデスは解雇され、ローズも契約が難航し結局退団。ビッグボーイズは解体となった。一方、トレードで巨人から木佐貫洋、阪神を戦力外になったアーロム・バルディリス、そしてメジャーから日本に復帰した田口壮を獲得。
2010年(69勝71敗4分、5位) 「(来年に)期待してもらって結構です」 監督:岡田彰布
宮古島キャンプ中、小瀬浩之がホテルで転落死するという悲報に見舞われる。再出発を目指す矢先の、若手野手のホープだった小瀬の突然の死に、チームとファンは深い悲しみに包まれた。なお、小瀬の死を受けて開幕前に埼玉西武からトレードで赤田将吾を獲得。
東北楽天との開幕3連戦を3連勝と幸先のいいスタートを切る。しかし大暴れしていたカブレラがまたも戦線離脱、投手陣も安定感を欠いて次第に連敗が目立つようになり、4月の終わりには4位に転落。そのまま交流戦を迎える。が、交流戦に入ってから岸田護がリリーフに回ったことで平野佳寿と必勝リレーが形勢されリリーフ陣が安定。打線はT-岡田やバルディリスの覚醒、カブレラの復帰に北川博敏の好調、シーズン中にトレードで獲得した荒金久雄も活躍し、勢いに乗って16勝8敗で交流戦初優勝、6あった借金を完済する。しかしこの年の交流戦はパが上位を独占したため、ほとんど差を詰められず順位は4位のままだった。
そのまま波に乗れるかとおもいきや、レギュラーシーズン再開直後の北海道日本ハム3連戦で3連敗すると、再び勝ったり負けたりを繰り返して5割前後をうろうろし、調子を上げてきた北海道日本ハムと4位争いをしながら上位3球団に追いすがる展開になる。金子千尋が3試合連続完封を皮切りに13連勝を果たし、途中加入のフランシスコ・カラバイヨや外野にコンバートされた森山周の台頭、ルーキー比嘉幹貴が故障から復活、鴨志田貴司やバーニング中山慎也についに覚醒の兆しなど明るい材料も多かったが、山本省吾や近藤一樹らの先発陣が相変わらずピリッとせず、比較的安定感のあった木佐貫洋は援護に恵まれなかった。
それでも終盤戦まで千葉ロッテ・北海道日本ハムと三つ巴のCS争いを繰り広げ、残り10試合の時点ではまだ優勝の可能性さえ残っていたが、最後に堪えきれず脱落。2試合を残してBクラスが確定、最後は消化試合モードで千葉ロッテのCS進出を華麗にアシストし、岡田政権1年目は69勝71敗4分、借金2の5位で幕を閉じた。
金子千尋が最多勝、T-岡田がベストナインと本塁打王、カブレラがベストナイン、坂口智隆がゴールデングラブを獲得。しかしオフにはカブレラの残留交渉が決裂、退団となる。代わりに巨人から李承燁を獲得。またMLB通算124勝の韓国の英雄・朴賛浩を獲得し、投打に韓国のスター選手を揃えた。トレードでは山本省吾、一輝らを放出して、横浜から寺原隼人・高宮和也などを獲得。ドラフト会議では岡田監督がくじを3回連続で外す史上初の珍記録を作ってしまった(外れ外れ外れ1位指名は駿太)。なおドラフトでくじ運が悪いのは昔からである。
2011年(69勝68敗7分、4位) 「おんなじこと(連勝と連敗)の繰り返しよ」 監督:岡田彰布
「新・黄金時代へ」のキャッチコピーを掲げ、チームカラーやロゴ、マスコットの変更など大幅なリニューアルを敢行した岡田政権2年目。だが、春季キャンプで金子千尋がと近藤一樹が戦線離脱という、いきなり暗雲ただようスタートとなる。
キャンプ、オープン戦で活躍した高卒ルーキーの駿太を開幕スタメンに抜擢して話題を呼ぶ。しかし開幕直後は統一球の影響もあってか後藤光尊やT-岡田、李承燁ら中心打者の不振で打線が機能せず、西勇輝の台頭だけが明るいニュースという状態で苦戦が続いた。
それでも前年優勝した交流戦に入ると徐々にチームは上向きはじめる。坂口智隆と田口壮の1・2番コンビが打ちまくり、6月には金子と近藤が復帰し7連勝。交流戦を15勝7敗2分の2位という好成績で終えて最下位から一気に3位へ駆け上がった。が、7月は3試合連続サヨナラ勝ちのあと7連敗、8月には6連勝のあと7連敗。勝ちだしても負けだしても止まらなくなる波の大きさで、3位から5位の間を上下し続ける展開が続く。
8月の終わりから9月にかけて9連勝すると、3連敗のあと5連勝、1敗を挟んでまた5連勝と快進撃。10ゲーム以上離されていた2位日本ハムに一気に肉薄し、あわや逆転2位かというところまで迫った。が、10月に入ると再び連敗モードに入ってしまう。同く9月以降猛烈に追い上げてきていた西武にぴたりと背後に張り付かれ、引き分け以上でCS進出だったソフトバンクとの最終戦にエース金子千尋で敗戦。同日に日本ハムに勝った西武に僅か勝率1毛差(西武:勝率.5037、オリックス:勝率.5036)でかわされ、最後の最後で4位に転落、掴みかけていたCS進出を逃した。
寺原隼人が12勝を挙げ復活、西勇輝は先発と中継ぎを往復しながらも10勝を挙げ、中山慎也がついに先発ローテに定着。リリーフでも吉野誠の復活など、投手陣は新戦力の台頭や今までくすぶっていた選手の復活が見られた。一方打線はアーロム・バルディリスがシーズン通して勝負強い打撃で牽引、坂口や後藤もしっかり巻き返したが、T-岡田の不振や北川博敏の離脱などで安定した破壊力は発揮できず、層の薄さを選手のやりくりで乗り切っていたが、最後に地力の差で力尽きる格好になったシーズンだった。
オフ、李承燁が退団。代わりに韓国の三冠王・李大浩を獲得。また西武からFA宣言したミンチェと、巨人を退団した高橋信二を獲得。金子圭輔とのトレードで高橋秀聡を獲得し、田口壮や加藤大輔が戦力外となった。
応援歌
マスコット
ネッピー&リプシー(2005~2010)
ネッピーは海神ネプチューンの息子として1991年、「ブルーウェーブ」へのチーム名変更に伴い誕生。背番号111。阪急ブレーブスのマスコット「ブレービー」の中の人であった島野修が引き続きスーツアクターを務め人気を博した。
リプシーは1998年に、ネッピーに助けられた海賊の娘として登場。背番号222。
キャラクターデザインは「ファミ通」の表紙でおなじみのイラストレーター・松下進。
近鉄と合併し「バファローズ」となってからも引き続きマスコットを努めていたが、チームカラーの刷新に伴い、2010年をもって2人とも引退、故郷の海へ帰っていった。
なお同年、ネッピーのスーツアクターであった島野修が死去している。
バファローブル&バファローベル(2011~)
ネッピー&リプシーに代わって登場した新マスコット。チーム名の「バファローズ」に合わせて牛キャラとなった。
キャラクターデザインの公開時から「かわいい」と評判だったが、実際にマスコットの人形が登場すると、「二次元より三次元の方がかわいい」とバファローベルの虜になる人が続出、野球ファン以外の層まで取り込む人気に。そのかわいさからか、他球団マスコット(主に某鬼畜ペンギン)からセクハラされる始末。
公式で写真集
まで発売されたり、薄い本が出たり、バファローベル人気は留まるところを知らない。でもたまにはお兄さんのことも思い出してあげてください。
詳細はそれぞれ「バファローブル」「バファローベル」記事を参照。
ファンサービス
前述の通り人気の高い球団とは言い難い面がある。年々観客動員数自体は増えており、2010年はホームゲームの平均観客動員数が20000人に乗ったものの、いまだパ・リーグ5位、12球団中9位に甘んじている(ちなみに下は東京ヤクルト、横浜、東北楽天)。ホームゲームでは大阪ドームの観客席にまだまだ空席が目立つことが多い。そのためファンサービスに非常に力を入れている、のだが……。
ウグイス嬢、場内アナウンスに声優を起用したり、レディースデーと銘打って美化200%の乙女ゲーのようなポスター
を製作したりと、何か間違った独特な方向に突っ走ってしまうことが多い。
余談だが、大阪ドームのオーロラビジョンに流れるスタメン発表の映像は毎年非常に凝った作りになっている。
信頼と実績のトレード・放出履歴(2006~2011年)
現在、12球団で最もトレードによる補強に積極的な球団である。オリックス・バファローズとなった2004年オフ以降で、トレードで放出した選手はのべ24人(岩隈久志を除く)、獲得した選手はのべ28人で、トレードに関わった選手のべ52人は同期間内で12球団トップだったりする。
が、実際のところトレードでの選手獲得が補強になっているかどうかは甚だ疑わしい……というかむしろ出された選手の方が移籍先で活躍するというパターンが特に近年は非常に多かった。負広の暗黒パネェッス。
しかし、中村勝広球団本部長が解任された2009年オフからは一転して、木佐貫洋や荒金久雄らトレードで獲得した選手が活躍し、放出した選手(高木康成や金澤健人)も移籍先に貢献するトレード巧者に変貌した。
2006年オフ放出
中村紀洋(契約で揉めて戦力外→中日育成枠)
→2007年(中日) 130試合 打率.293 20本塁打 79打点 日本シリーズMVP
谷佳知(長田昌浩・鴨志田貴司とのトレードで巨人へ)
→2007年(巨人) 141試合 打率.318 10本塁打 53打点 不動の2番レフトとして優勝に貢献
(←長田:一軍出場5試合 鴨志田:一軍登板なし)
早川大輔(辻俊哉とのトレードで千葉ロッテへ)
→2007年(千葉ロッテ) 133試合 打率.283 5本塁打 44打点 2番センターとしてレギュラーに定着
(←辻:一軍出場12試合。日高剛、前田大輔に次ぐ3番手捕手に留まる)
2007年オフ放出
平野恵一・阿部健太(濱中治・吉野誠とのトレードで阪神へ)
→平野 2008年(阪神) 115試合 打率.263 1本塁打 21打点 2番セカンドとして前半戦の快進撃に貢献
→阿部 2008年(阪神) 32試合 0勝1敗1H 防御率2.96 敗戦処理から中継ぎとして活躍
(←濱中 85試合 打率.253 9本塁打 29打点)
(←吉野 43試合 1勝3敗5H 防御率3.66 左の中継ぎとしてそれなりに活躍)
大西宏明(古木克明とのトレードで横浜へ)
→2008年(横浜) 105試合 打率.270 4本塁打 21打点 対左投手時の1番打者として活躍
(←古木 21試合 打率.222 0本塁打 4打点 ほぼ二軍暮らし)
2008年オフ放出(ここまで暗黒)
ユウキ(戦力外、東京ヤクルトと育成契約)
→2009年(東京ヤクルト) 19試合 5勝6敗 防御率3.40 支配下登録され先発ローテの一角として活躍
加藤康介(戦力外、横浜に移籍)
→2009年(横浜) 31試合 1勝0敗13H 防御率3.68 勝ちパターンの中継ぎとして活躍
2009年オフ~2010年シーズン中(ここから巧者)
高木康成 ⇔ 木佐貫洋(巨人)
←木佐貫 2010年(オリックス) 28試合 10勝12敗 防御率3.98 先発ローテ入りし2桁勝利を達成
→高木 2010年(巨人) 21試合 1勝1敗3H 防御率1.09 8月に一軍昇格し11試合連続無失点
阿部真宏 ⇔ 赤田将吾(埼玉西武)
←赤田 2010年(オリックス) 79試合 打率.217 8本塁打 34打点 前半戦で低打率ながら何故か本塁打を量産
→阿部 2010年(埼玉西武) 64試合 打率.256 1本塁打 10打点 貴重な内野のスーパーサブとして貢献
金澤健人 ⇔ 荒金久雄&金子圭輔(福岡ソフトバンク)
←荒金 2010年(オリックス) 64試合 打率.269 3本塁打 16打点 一時は外野のレギュラーを手中に
←金子圭 2010年(オリックス) 31試合 打率.217 0本塁打 2打点 好守と俊足でスタメン出場の機会も掴む
→金澤 2010年(福岡ソフトバンク) 38試合 1勝1敗1H 防御率2.89 強力リリーフ陣の一角として優勝に大きく貢献
2010年オフ~2011年シーズン中
山本省吾&喜田剛 ⇔ 寺原隼人&高宮和也(横浜)
←寺原 2011年(オリックス) 25試合 12勝10敗 防御率3.06 1年間ローテを守り完全復活
←高宮 2011年(オリックス) 20試合 0勝0敗1H 防御率3.97 それなり程度には戦力に
(→山本 2011年(横浜) 21試合 2勝11敗 防御率5.92 開幕投手を任されるも散々な結果に)
(→喜田 2011年(横浜) 一軍出場無し オフに戦力外通告)
ホークスとの因縁
同じ関西に本拠地を構えていた阪急・南海時代から、ホークスとの間には不思議と因縁がついて回っている。
2度の球団身売り・合併がともに同年(1988年、2004年)
1988年10月1日、南海ホークスはダイエーへの球団譲渡を発表。福岡ダイエーホークスが誕生。
同年10月19日、阪急ブレーブスはオリエント・リースへの身売りを発表。オリックス・ブレーブスが誕生。
2004年6月、オリックスと近鉄の合併計画が報道される。、紆余曲折を経て9月8日のオーナー会議で球団合併が承認され、選手会のストライキや分配ドラフトを経て12月1日、オリックス・バファローズが誕生。
同年10月18日、ダイエーの存続問題でソフトバンクが球団買収に乗り出すことを表明し、11月30日に買収が正式発表。12月24日のオーナー会議で承認され、福岡ソフトバンクホークスが誕生。
二度に渡って球団の身売りや合併が同年に重なったのは、無論のことバファローズとホークスのみである。
入れ替わる黄金時代
パ・リーグ元年の1950年から60年代半ばまで、鶴岡一人監督のもと南海ホークスが黄金時代を誇ったが、67年、南海が初のBクラスに転落するとともに、西本幸雄監督に率いられた阪急ブレーブスは悲願の初優勝を果たす。ここから78年までの12年間で阪急は実に優勝9回という圧倒的な強さで黄金時代を築いた。
1989年にオリックスとなってからはAクラスを維持し、1995年にオリックスとして初優勝。1996年には日本一に輝き、以降1999年までAクラスを維持し続けた。一方この間、福岡ダイエーはお荷物球団として常にBクラスにあったが、ブルーウェーブ最後のAクラスとなった1999年に福岡ダイエーが初優勝。以降ダイエー→ソフトバンクは毎年優勝争いを繰り広げ、一方オリックスは戦力がガタ落ちしブルーウェーブ末期には3年連続最下位になるなど暗黒時代に突入していた。
2008年、バファローズが2位へ躍進するとホークスはその年最下位。2009年はホークスが3位、バファローズは最下位。1989年以降、両チームがAクラスかBクラスのどちらかに揃って入ったのは1999年のみである。
阪急のフルボッコとダイエーの逆襲
戦前の1940年4月6日、阪急軍対南海軍の試合は32-2というプロ野球記録の32得点・30点差で阪急が勝利した。
それから63年後の2003年、ダイハード打線を擁し圧倒的な強さを誇ったホークスの前に、投壊状態のオリックスは為す術もなく蹂躙され、8月1日には1-29という2リーグ制以降の最多記録となる29得点・28点差で福岡ダイエーが勝利。ちなみにこの4日前のホークス戦では7-26で敗れており、2試合で55失点というプロ野球記録も作っている。この年オリックスはホークス戦で20失点以上を4回記録するなど見るも無惨なほどにフルボッコにされた。
パウエル二重契約事件と2008年の明暗
2008年の戦績にも記したが、2008年1月、バファローズが一度は獲得を表明したジェレミー・パウエルがその後ホークスと契約を結び、二重契約として問題に発展した。結局パウエルはホークスに入団することになる。
しかしこの年、王監督最終年のホークスは故障者の続出とリリーフの崩壊で最下位に転落。一方バファローズは新戦力が次々と台頭し9年ぶりのAクラスとなる2位に躍進。パウエル騒動が誰も予想だにしないフラグになる格好になった。
なお、ホークスに入団したパウエルはこの年、1勝4敗に終わり1年で退団。唯一の白星を挙げたのは大阪ドームでのバファローズ戦であった。
大百科に記事のある所属選手・関係者
現所属
| 監督・コーチ | 球団スタッフ | ||
|---|---|---|---|
| 一軍 二軍 | |||
| 投手 | 捕手 | 内野手 | 外野手 |
球団マスコット
OB・関係者
※2005年以降に所属した選手・首脳陣のみ。阪急時代の選手に関しては阪急ブレーブスの項を、ブルーウェーブ時代の選手に関してはオリックス・ブルーウェーブの項を参照。
| あ行 | か行 | さ行 |
|---|---|---|
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| た行 | な行 | は行 |
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| ま行 | や行 | ら行 |
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| わ行 | ||
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関連項目
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http://dic.nicomoba.jp/k/a/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BA


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読み:オリックスバファローズ
初版作成日: 08/09/22 11:38 ◆ 最終更新日: 12/05/21 01:56
編集内容についての説明/コメント: 川端崇義追加
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