オルフェーヴル単語

オルフェーヴル
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黄金色の芸術

を見る強さでライバルたちを圧倒しながら、
史上7頭の快挙となる三冠達成。
抜群の持久力を兼ね備えた栗毛の雄姿は、
まさに芸術のターフを色に染める。

JRA「ヒーロー列伝」No.72 オルフェーヴルexit

オルフェーヴルとは、2008年生まれの日本競走馬種牡馬である。 ディープインパクト以来6年ぶり7頭クラシック三冠馬ナリタブライアン以来17年ぶり3頭の3歳四冠となった。

な勝ち
2011年: クラシック三冠[皐月賞(GI)東京優駿(GI)菊花賞(GI)]、有馬記念(GI)スプリングステークス(GII)神戸新聞杯(GII)
2012年: 宝塚記念(GI)フォワ賞(FRAG2)
2013年: 有馬記念(GI)産経大阪杯(GII)フォワ賞(FRAG2)

曖昧さ回避 この記事では実在競走馬について記述しています。
このを元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクターについては
オルフェーヴル(ウマ娘)を参照してください。

概要

オルフェーヴル
Orfevre
生年 2008年5月14日
サラブレッド
性・毛色 栗毛
生産 日本JPN
生産者 老ファーム
(北海道老町)
馬主 (有)サンデーレーシング
調教師 池江泰寿(東)
名意味 細工師(フランス語)
抹消 2013年12月23日
戦績 21戦12勝[12-6-1-2]
獲得賞 15億7621万3000
受賞歴
JRA賞
年度代表馬 (2011)
最優秀3歳 (2011)
最優秀4歳以上 (2012-2013)
顕彰馬 (2015選出)
メモリアルヒーロー
日本ダービー部門5位
菊花賞部門5位
宝塚記念部門4位
有馬記念部門1位
心に残る有馬記念
2010年代2020年代部門1位
(2013年が選出)
競走馬テンプレート

: ステイゴールド
: オリエンタルアート(: メジロマックイーン)
GI3勝ドリームジャーニーがいる。

名の意味はフランス語で『細工師』(orfèvre)。
ステイゴールド」及びオリエンタルアート(東洋の芸術)から連想されるネーミングである。

当初オリエンタルアートの交配相手はディープインパクトの予定だったのだが、3度に渡り受胎に失敗。胎を避けるため再度ステイゴールドと交配されて生まれたのが同である。
交配の遅れによる遅生まれ、の疝痛手術に伴う開出産という背景ゆえその体は小さく、育成時は同年代の達に追いまわされるいじめられっ子であった。最終的には並程度の体にはなったが、この幼少時代が彼の性格形成に大きなを及ぼしたのは想像に難くない。
ちなみに同年代のボス的な立場にいたのは同・同であるフェイトフルウォーであった。 

ドリームジャーニーと半ジャポニズム(:ネオユニヴァース)と同じく池江泰寿厩舎に入厩。
二頭が大変な気性難であったことから厩舎側はどんなが来るのかと身構えていたのだが、実際来た大人しく本当に兄弟なのかと皆首をひねったらしい。 

2010年 (2歳)

2010年8月14日ドリームジャーニーと同じく新潟競馬場デビュー。体重の方も同じく軽く、450kg前後[1]
騎手もこれまたと同じく、池添謙一

出走前の営はおっとりした気性なので初戦向きではないと思っていたが、競馬場に到着すると
デビュー戦で初勝利は挙げたものの、出走前の装所では立ちあがり、直線では大斜行、挙句ゴール後には池添騎手を振り落として放するという暴れっぷりを披露。勝利の記念撮を中止させる事態になった。このイレ込みのしさから、当時は競走馬として大成出来ないと思われていた。

ちなみに、ステイゴールドレース中に逸走した挙句熊沢重文騎手を振り落とたことは有名なエピソードだが、エレクトロアートもレース前に放事故を起こしている[2]

この気性難ゆえに2歳時は苦戦。特に京王杯2歳ステークス(GII)では、終始折り合いを欠いて10着に敗退している。これが結局、皐月賞直前まで「左回りが苦手」というイメージが付きまとう一因となる。

2011年 (3歳)

年が明けて3歳。シンザン記念(GIII)きさらぎ賞(GIII)と、折り合いにした競馬を続けて惜敗するが、皐月賞トライアルスプリングステークス(GII)でようやく重賞を制覇。皐月賞の優先出走権を獲得し、なんとか皐月賞出走にこぎつけた。

皐月賞(GI)

この年の皐月賞は、東日本大震災で開催コース右回り中山2000mから左回りの東京2000mに変更。さらにこの時点での2011年クラシック世代は勢図が混沌としており、オルフェーヴルは前述の通り左回りに対するイメージも相まって、単勝オッズ10.8倍の4番人気に甘んじていた。

しかしいざレースが始まると、最後の直線で群から抜け出してそのまま独走。1番人気サダムパテックを突き放して見事優勝を決めた。2着サダムパテックには3身差をつける圧勝劇で、オルフェーヴルは一躍世代の中で一つ抜けた存在と見なされるようになった。

東京優駿(日本ダービー)(GI)

日本ダービーでは、400m伸びての距離不安、また例年より梅雨により不良馬場になったことで馬場対応への不安も囁かれた。1番人気に推されながらも単勝オッズは結局3.0倍。

しかし、不安は杞憂であった。
直線では2頭のに挟まれるが、それをものともせず振り切り、残り200mで末脚を炸裂。
その時、後方からウインバリアシオンが同じように末脚を爆発させていたのだが、差を縮まらせることなく1+3/4身差をつけて優勝。2~3着との間は7身ちぎっていた。

不良馬場のため2分305とタイムは遅かったが、不良馬場の中を34台の上がりを使い、他に挟まれてもそれを押し切るという根性の走りは圧巻。池添騎手ドリームジャーニーから続く兄弟の縁で、晴れダービージョッキー仲間入りを果たした。

神戸新聞杯(GII)菊花賞(GI): 第七の三冠馬誕生

休み明け初戦には勝利した神戸新聞杯を選択。これまでと違った好位からの競馬をし、直線の勝負に持ち込んで圧勝。2着ウインバリアシオンには2身半差をつけた。
ちなみにこの日の体重は前走+16kgの460kgと大幅な増加であったが、この結果とこれ以後体重が460kg前後で安定しているのを見るに成長分だった模様。
また、オルフェーヴルは調教によりこの頃からではなく舌打ち2回による合図で加速の示が送れるようになっていたという[3]

三冠が懸かった菊花賞は、京都競馬場での勝ちがないこと、神戸新聞杯を勝ちながら本番は勝利できなかったことから不安説もあった。最終的には単勝1.4倍の圧倒的1番人気レースに臨む。

序盤こそ引っかかるそぶりを見せるが、中段後方から前にを置いて折り合いに専念。みない流れを追走し、2週の4コーナーを回るところで一気に前を捉えると、後は後続を突き放して独走態勢に。最後方から追い上げたウインバリアシオンに2身半差をつける圧勝劇で、見事史上7頭となるクラシック三冠を達成した。走破タイムは3分28とレコードに0.1迫るものだった。

ところが菊花賞ゴール後、またしても池添騎手を振り落とすというやんちゃぶりを発揮。[4]実況アナウンサー岡安譲には「こんな三冠馬は初めてです」ウイニングラン出来るかなぁ?」と言われ、史上最年少三冠ジョッキー(32歳3ヶ1日)となった池添騎手インタビューで「とオルフェーヴルらしい」と苦笑いする羽になった。
そしてこのレースたまたまカメラが向いた時に他をにらみ、まるで噛み付きに行こうとしているかのような素振りが見えたことや、レース後にジョッキーを振り落とすその気性の荒さから、オルフェーヴルは金色の暴君」「暴れん坊将軍というあだ名がこの頃からささやかれ始める。

有馬記念(GI): 17年ぶりの3歳四冠

2011年の締めくくりとして、有馬記念に出走(ファン投票2位)。

戦前は古との初対決及び、古勢がブエナビスタを筆頭とした強メンバーであることを心配された。それでも単勝1番人気に推されたが、オッズは2番人気(3.2倍)とさほど差がい2.2倍に留まる。

レースは69番から出遅れ気味にスタートし、後方からレースを進めたが、前走とは打って変わってのスローペース。しかもオルフェーヴルは掛かり気味で、位置取りにいたっては2コーナー付近で最後方のインという、危ない展開だった。しかし向こう正面から3コーナーにかけて外に出してまくり上げ、4コーナーで先頭に並びかける。後は直線で並み居る古たちを競り落とし、1着でゴールシンボリルドルフ(1984年)、ナリタブライアン(1994年)に続く3頭の「3歳三冠馬有馬記念制覇」を成し遂げた。それと同時に、ドリームジャーニーと史上初の「有馬記念兄弟制覇」も達成した。

三冠に加えて有馬記念も制したこれらの成績から、オルフェーヴルは2011年JRA賞の最優秀3歳、そして年度代表馬に選出された。

2012年 (4歳)

阪神大笑点賞典(GII)

2012年天皇賞(春)し、阪神大賞典(阪神3000m)からスタート

阪神大賞典コースを約1周半する長距離戦。しかし、スタートからかかりっぱなしで1周で先頭に立ってしまう。このため池騎手はずっと手綱を抑えていたがそれでも止まらず、第3コーナーも曲がりきれずに直進、池添が慌てて手綱を引いたため失速してしまう
まるで故障したのようにズルズル後退していくので場内騒然となるが、再び加速して追い込んできた。まさかの逃げ差しで、再度すごい勢いで追い込んでくるも、さすがに疲れたようで2着に敗れる。

21世紀の競馬において、漫画みどりのマキバオー」のベアナックルのようなレースを披露し、阪神大笑点と呼ばれるように。この外ラチへの逸走により、GIとしては前代未聞の調教再審となった。

詳しくは該当記事も参照 → 阪神大笑点

天皇賞(春)(GI)

その後、調教再審事合格。なおダートコースでの審だったのだが、天皇賞(春)の2週前追い切りを兼ねていたとはいえ抜群にタイムが良く、「一度ダートも走らせてみたい」と池江調教師が話すほどであった[5]。これが後のオルフェーヴルの種牡馬生活伏線になるとは、当時は当然も思っていなかったが…。

そして人々の期待と不安を背負って天皇賞(春)(京都3200m)に出走。前走敗れたものの、パフォーマンスが評価され単勝オッズ1.3倍の圧倒的1番人気に支持される。

スタートも問題なく群後方ですんなり折り合ったが、4コーナーから池添必死に追うも何故かいつものようには伸びず11着に惨敗。京王杯2歳ステークス以来の二桁着順となってしまった。
惨敗の原因はメンコや調整過程等色々あるが、未だ不明。このの事だし走る気分じゃなかったのかもしれない。この時溶けた馬券は実に149億4219万8400円(枠連除く)と後の白いののやらかしをも上回る惨状だったが、出遅れでやらかすいのとは異なり持ちネタにはならなかった模様。

宝塚記念(GI)

2012年三戦宝塚記念(阪神2200m)にファン投票1位にて出走決定。
レース前に「体重が戻ってきていない」「出来としては7割程度」と池江師が不調を明言し、前走の敗走も重なって単勝オッズは1番人気ながら3.2倍とオッズをかなり下げる。

スタートは全それ程大きく出遅れることもなく、下評通りネコパンチハイペース逃げを計る。オルフェーヴルは中盤やや後方辺りの混みの中を追走。3コーナーネコパンチの脚が止まり、後続のが押し上げる中でオルフェーヴルも伸びてきて、最後の直線では中2番手を走っていたスマイルジャックを交わし、追走の後続に2身の差を付け先頭でゴールイン。五冠GI勝利となった。
池添騎手勝利騎手インタビューの中でしながら「色々あったが、この最強だと信じていた」と答えた。

情の覇王

荒ぶる
己を引き裂いてしまうのか
あるいは敵を蹴散らすのか。
うさの中にこそ
強さは潜むとするならば
それがまさしく彼の姿。

人々を魅了し続ける
表裏一体の王者よ
その情と共に
世界へと続く覇を往け。

JRA「名馬の肖像」オルフェーヴルexit

フォワ賞(仏G2)

凱旋門賞フランス遠征する。この遠征では上が池添からクリストフ・スミヨンに交代され物議を醸した。

そして2012年初戦となったG2フォワ賞
アヴェンティーノが本番を見据えたスローペースを作ると、普段スローには慣れているはずの欧州勢が皆引っかかった様子。当然のようにオルフェーヴルも首を何度も振るなどしく行きたがるそぶりを見せる。しかし、スミヨン必死な制御で直線まで足を貯めると、アヴェンティーノのアシストで最内を突き抜け快勝。

2着にはサンクルー大賞、ベルリン大賞と2012年に12ハロンG1を2勝しているフランス12ハロン路線の大将格のミアドルエルコンドルパサー以来となる日本調教、初の内によるフォワ賞勝利となった。

凱旋門賞(仏G1)

フォワ賞での勝利が評価され、オルフェーヴルは凱旋門賞の大手ブックメーカーの予想オッズで前年の覇者デインドリームと同率の1番人気となった。

前年の優勝デインドリームは、2012年KGVI&QESバーデン大賞を制してなお健在。前年2着のシャレータは、前戦のヴェルメイユ賞勝。そして日本でもエリザベス女王杯への遠征などでおなじみだった前年3着のスノーフェアリーも前戦の愛チャンピオンステークスコースレコード勝利と、前年の1・2・3着の強が順調に進んできた。
また古でも、欧州史上最強と言われるフランケルこそ英チャンピオンステークスに回ったものの、エクリプスステークスを勝ち、KGVI&QESデインドリームハナ差2着のナサニエルを筆頭に実勢が顔をえていた。
ところが、凱旋門賞の週になって、スノーフェアリーが脚部不安を発症して年内休養を発表。ナサニエルも熱発で回避。デインドリームも、ドイツ内で伝染性貧血(伝貧)が発生したため、その巻き添えで3ヶドイツ外に出できなくなり、そのまま引退。戦わずして強敵が次々と消えてしまった。

一方で3歳からは、42年ぶりの英国クラシック三冠を有視されながらセントレジャーで2着に敗れた二冠馬キャメロット上に名手ランフランコ・デットーリを迎えて参戦してきた。また、レース直前には10万ユーロの追加登録料を払ってフランスダービーのサオノアと、ナサニエルの全アイルランドオークスを圧勝したグレートヘヴンズの2頭が出走を表明。当初は軽視された3歳にも役者った。

そして迎えた2012年10月7日凱旋門賞
オルフェーヴルは不利とされる18番定され、「さすがに厳しいか?」という評価の中でも、単勝オッズ4.5倍の1番人気に支持された。レースは18番だけあって中は最後方から2、3番手に待機。途中からアヴェンティーノが、オルフェーヴルの横につけて逸走を阻止する。最後の直線から大外に持ち出す。残り200mで物凄い末脚を見せ、いったんは独走態勢に入る。

「勝てる」

日本もが一、そう思った。

しかし、残り100mで一度かわしたソレミア」が再度差し返す。
オルフェーヴルはゴール直前、クビ差で2着に敗れた。

勝ったソレミア4歳のフランスで、これがG1勝利。12番人気大穴であった。スミヨン騎手は「追い出してから内にもたれてしまった」と唇を噛み、ソレミヤに騎乗していたペリエは、「勝てる確信がなかったが、オルフェーヴルはトップに立ってから全で走るのをやめた」と首をひねっていた。

「一体いつになれば、どのなら凱旋門賞を勝てるんだろう……。」
日本競馬の悲願はまたも高いによって阻まれたのであった。

ジャパンカップ(GI): 三冠馬VS三冠馬

オルフェーヴルは日本への帰後、入検疫のためノーザンファームしがらきへ放牧に出された後、上を池添騎手に戻しジャパンカップ出走を正式に表明。池江調教師くデキは8割ほどと、調ではないにしろ調子は良さそうであったが、調教でも右へ行ったり左へ行ったり斜行が酷くなっている場面を見せ、これが後にフラグになってしまう。

この年のジャパンカップはオルフェーヴルが凱旋門賞で敗れたソレミアを筆頭に、牝馬三冠ジェンティルドンナルーラーシップエイシンフラッシュフェノーメノと好メンバーう中、オルフェーヴルは堂々の1番人気に支持される。しかし肝心の順は、この年6戦中5度の大外というJRAフランスギャロの陰謀か?と勘ぐりたくなるクジ運の悪さだった。

レース群後方から少し行きたがるような仕を見せてはいたが、池添騎手がうまくなだめ4コーナー辺りからゴーサインを出されると彼はあっという間にまくり上げ、先頭集団に並びかけ直線へ向かう。直線では勢い良く伸びるが、凱旋門賞と同じように内へ斜行する悪が出てしまい、ジェンティルドンナの進路を一杯になり後退するビートブラックと挟むような形で塞いでしまう。しかしジェンティルドンナは、とは思えぬアメリカ競馬もかくやの快なタックルでオルフェーヴルを外へふっ飛ばして進路変更すると、競り合いから一歩抜け出す。思わぬ反撃を食らい態勢を崩したオルフェーヴルだったが、一で態勢を立て直しジェンティルドンナを猛追、ジリジリと差を詰めてはいたがハナ差迫ったところでゴールとなり、三冠馬対決は惜敗してしまった。

ラフプレーによりジェンティルドンナ岩田康誠ペアは審議になったが、長い審議の末に降着にはならず[6]当時の現地の様子exitからも伺えるように、このレース展開と結果は後々まで両者のファンに深い禍根を遺すものとなった。

ただ負けはしたが、ジェンティルドンナとの斤量差、明確な展開の不利、悪の発露など敗因ははっきりしており、帰初戦としてはオルフェーヴルも十分にを示した一戦だった。

2013年 (5歳)

産経大阪杯(GII)

2013年度は前年2着に敗れた凱旋門賞に再び挑戦するため、営は内戦に専念することを発表。

初戦は産経大阪杯(阪神2000m, 当時はGII)に出走。この年の大阪杯エイシンフラッシュショウナンマイティヴィルシーナと中距離の実が顔をえ、「コレなんてGIレース?」と言われてもおかしくないメンバー構成だった。そんなメンツでもオルフェーヴルは当然圧倒的な1番人気。状態も体重が戻り、パドックは気合い乗りも充分と死は見当たらなかった。

スタートはやや出負けした感はあったが、すぐに群の後ろに付け、スローペースいつものように行きたがるような素振りは見せるもののリズム良く、課題であった中の折り合いをこなす。
3コーナーから徐々に進出を開始し、4コーナーでまくっていき直線勝負の追いべへ。抜群の切れ味で先頭に躍り出ると内で懸命に追いすがるエイシンフラッシュ、後からスゴイ勢いで追い込んできたショウナンマイティを抑え、先頭でゴールを駆け抜け大事な初戦を勝利で飾った。

去年のような圧倒的な強さは見せなかったため物足りなさを感じるレースぶりではあったが、見ていたファンのほとんどの気持ちがインタビューでの池添騎手の一言に集約されている。

ホッとした。

全く難儀な三冠馬である。

おこ勝利により、ステイゴールド産駒は偉大なる祖サンデーサイレンス産駒でも成し得なかったGII3週連続勝利阪神大賞典(ゴールドシップ)、日経賞(フェノーメノ)、産経大阪杯(オルフェーヴル)】を達成し、さらにナカヤマナイトが中山記念勝利GII4連勝も達成した。なおサンデーサイレンス産駒2004年に4戦中3勝を挙げたが、日経賞を2着で取りこぼしている。

幕間: 池添、フランス遠征

大阪杯の後、池添騎手は昨年のフランス遠征において乗り替りの原因となったロンシャン競馬場の経験不足を補うため、約2ヶ間のフランス遠征に向かった。しかし、その内容は約1ヶが経過した時点で騎乗できたのはわずか5戦、しかもうちロンシャンでの騎乗は1戦のみ、着順の方も着外だらけという惨憺たるものであった。
外国人騎手がやたら重宝される日本と違い、海外では余所者に良いは集まってこないので着順の方は致し方ないが、昨年同じくフランスに遠征した騎手が1ヶに30戦騎乗出来たことを考えるとやはり酷いと言わざるを得ない内容である。

この体たらくがしたのかどうかは判らないが、結局この年もフランスではスミヨン騎手が騎乗することが営から発表された。なおこの発表直後、池添騎手が騎乗した名前ウルトラアピール……なんとも皮名前である。 池添騎手梯子を外すような行いは前年同様物議を醸したが、渦中の本人は素直に遠征を切り上げ日本に帰することになった。

宝塚記念へ向けて、しかし……

大阪杯の次走は、行きたがる気性を懸念して天皇賞(春)を回避。連覇をして宝塚記念一本に絞った。

オルフェーヴルはファン投票では昨年同様1位選出。同レース出走予定のジェンティルドンナとの再戦、同じステマ配合ゴールドシップとの初対決が期待されていたが、1週前の追切において出血を発症してしまう宝塚記念は回避となり、一旦、今後の予定も白紙に。

の結果、出血は軽度であることが判明し、彼自身も「へー、出血、そうすかー。」という感じでそこまでダメージになっていないようであった。順調に治療と調整は続けられ、営は2度フランス遠征を決断。昨年同様にフォワ賞から凱旋門賞へ挑むローテーションでフランスへ飛び立つことになった。

フランスリベンジ: フォワ賞連覇!……だが凱旋門

2013年8月24日成田空港から出し、翌25日にフランスに到着。帯同ブラーニーストーンと共に調整。調整途中、ブラーニーストーンのっ跳ねがオルフェーヴルの突。外傷性出血を発症するも軽いものに治まり、予定通りフォワ賞に出走。

レースは3番手につけ、去年とは違い折り合いがついていた。直線に入るとすぐに先頭にたち、後続を突き放した3身差の圧勝。去年とは違うレースが見ることができた。

そして2013年10月6日、いよいよ2度凱旋門賞に挑む。 中も問題なく進み、最後の直線。「今度こそ」と応援するファンも多かったであろう。しかし「こりゃアカン」と々に感じてしまった人も多かった。何故なら、前を行くトレヴの伸びが良すぎたのだ。これは…追いつけない……。オルフェーヴルも直線伸びるも、5身差の敗北。3歳との斤量差もいたようだ。オルフェーヴルは「2年連続凱旋門賞2着」という成績を残し、フランスを後にすることになった。

幕間: ラストランと小さなファン[7]

した営はジャパンカップは回避し、次の有馬記念をもってオルフェーヴルが引退することを発表。営もそれに向けて万全の調整を進めることになった。

この年のダービー凱旋門賞でも4着となったキズナ菊花賞エピファネイアオークスメイショウマンボ秋天覇者ジャスタウェイ、3年前のダービー・前年の秋天覇者エイシンフラッシュ、そしてこの年のジャパンカップを制したジェンティルドンナといった有が次々と有馬記念回避を表明し、この年の有馬記念はオルフェーヴルと挽回を期すゴールドシップとの一騎打ちの様相になっていく。

そんな中、ラストランへ向けて静かに準備を進めていた池添騎手騎手クラブを通じて「オルフェーヴルの大ファンで、池添たちに会いたいという男の子が居る」という知らせが届く。ここまでならよくあるファンレターと変わらないが、そこから先の話に池添騎手を疑った。

「僅か5歳のその子は難病に侵されていて、余命幾許もない」

事情を聞き、自身も幼い(当時4歳)を持つであった池添騎手は「自分達でになれることならなんでもしてあげたい」と考え、彼をなんとかオルフェーヴルに会わせてあげようと、池江厩舎だけでなくオーナーサンデーレーシング、そして当時オルフェーヴルが放牧されていたノーザンファームしがらきなどへ連絡し、段取りを整えたという。そして池添騎手許可をもらった上でその男の子牧場へ招待。さらに当日は勝負服を着て三冠馬に跨り、「あのオルフェーヴルと池添謙一」を彼に会わせてあげたのだった。

(普段は関係者でも)撫でようとすると噛み付こうとする面のあるオルフェーヴルが、この子の手は噛もうとしませんでした。いつまでも撫でさせてあげていたんです。

池添謙一

そのを見るうちに、池添騎手は「この子のためにもラストランを勝たなければ……」という想いが強くなったという。

しかし、現実は残酷だった。

有馬記念が僅か2週間後に迫ったある日、池添騎手らに一本の連絡が入った。

「あの5歳男の子有馬記念を待つことなく亡くなってしまいました」

3年後のインタビューくようにこの件を明かした池添騎手は、その後を詰まらせたという。
オルフェーヴルのラストランは、彼を慕ってくれた小さなファンへの弔いのレースともなったのだった。

ラストラン・有馬記念(GI): 届け、空のあの子へ……

迎えた2013年12月22日有馬記念。オルフェーヴルはも36番と良いを引き、単勝オッズ1.6倍の圧倒的1番人気に支持される。対抗とされたゴールドシップは714番、単勝4.4倍の2番人気となった。

そして出走。オルフェーヴルはそつなくスタートをこなし、後団に構える。稍重寄りの良馬場ルルーシュ逃げ、前半はスタート1000m608と淡々とした流れ。オルフェーヴル&池添ペアは3コーナーで仕掛け始め、4コーナーを大外からまくり上げると直線入りで既に先頭。そこから競り合いになるどころか、みるみる後続を突き離していくではないか。

抜けた抜けた抜けた抜けた!
強い!6番オルフェーヴル!あっという間にリードを広げました!

ラジオNIKKEI山陽アナウンサー

1身、2身、3身……人一組はまだ足りないと言わんばかりにさらにリードを広げていく。そしてゴールを過ぎる頃には、その差はたとえからこのレースを見ていたとしてもはっきり「勝った」と認識できるほどにまで広がっていた。

これだ!これだ!に焼き付けよ!
これが、"オルフェーヴル"だぁぁぁぁあああ!!!

フジテレビ 青嶋達也アナウンサー

現地だけで11万6596人の大観衆が見守る中、オルフェーヴルはどのよりもく、あまりにも強い走りでゴールを駆け抜けた。つけた着差は圧巻の8。最後の直線でもう中山競馬場拍手采。各競馬場WINS采(多分)。もが彼の最後の走りに酔いしれた。そしてオルフェーヴルは最後まで相変わらず池添騎手を振り落とそうとしていた。

弔いの有馬記念からであろうとも見える大圧勝で終え、有終の美を飾ったオルフェーヴル。レース後、池添騎手はターフを進むオルフェーヴルの上から空を見上げて

「勝ったよ。」

と、立ってしまった小さなファンへ静かに報告をしたのだった。[8]

そして池添騎手勝利騎手インタビューで「オルフェーヴルという、人を魅了する強い走りをするがいたことを、り継いでほしい」と清々しくり、相棒の餞のスピーチと、その圧倒的な強さと共にオルフェーヴルは々しくターフを去っていった。

競走馬引退後

競走馬引退後は社台スタリオンステーション種牡馬入り。

さっそく初年度産駒2017年7月9日に初勝利を挙げ、さらにロックディスタウン札幌2歳ステークス重賞勝利。順調な滑り出しとなった……かに見えたのだが、その後はなかなか勝ち上がる産駒恵まれず、「こりゃヤバイんじゃないの?」と囁かれた矢先に、2頭重賞勝利となったラッキーライラック阪神ジュベナイルフィリーズ勝。初年度産駒から2歳女王を輩出してしまった。とりあえず三冠馬としてのプライドは保ったと言っていいだろう。

そのラッキーライラックチューリップ賞勝し、本命として2018年桜花賞に臨むも、もう1頭の大物種牡馬世界ロードカナロアァァァァ!産駒アーモンドアイ脚に屈し2着。やっぱりダメか……と思ったその1週間後の皐月賞で、スプリングステークス2着のエポカドーロがあっさり勝。何と2歳女王に続いてクラシックホースまで初年度から現れるということに。なにこれ、普通に名種牡馬じゃね?それにしても、絶対的本命が取れなかったのにその翌週にクラシック取ってしまうあたり、さすが人間の思う通りにはいかない彼らしいといえば彼らしい。

一方で、JRA最低体重勝利記録を保持するちっちゃすぎるメロディーレーンを世間に送り、新潟ジャンプステークストゥルボーが勝ったことによりステイゴールドと同じく障害重賞勝ちになるなど、個性的なも輩出している。

2020年代に入ってからは産駒ダート路線での活躍が立ち始め、2021年にはマルシュロレーヌダートの本場アメリカGI競走ブリーダーズカップ・ディスタフに(ステイゴールドドバイ遠征を彷彿させる同厩舎僚馬の帯同としての渡で)出走し、日本はおろか世界中を驚かせるジャイアントキリングを起こした。

そして内のダート路線でも、2022年ショウナンナデシコ相手にかしわ記念を圧勝して大金星と共に産駒初の交流JpnI勝利を挙げている。更に地方でも名古屋所属のタニノタビトが史上五頭東海三冠を達成。片方が地方ながら子で三冠馬となる快挙を見せた。また、ギルデッドミラー2022年に芝からダートに転向、ダート初戦のNST賞を制した後、ダート3戦武蔵野ステークス初の優勝となった。

年末には同じく芝からダートに転向、初戦を上がり34で圧勝し、そこからダート4戦3勝と底を見せていなかったウシュバテソーロGI東京大賞典に出走。これまで重賞未出走ながら2番人気に押され、直線ではいつも通りの末脚を見せて快勝。勢いそのまま翌2023年川崎記念でも勝利を収めると、こちらも世界最高峰レースとして名高いG1ドバイワールドカップに出走し、日本としてはヴィクトワールピサ以来12年ぶり2頭の同レース制覇を達成。ダート競走での相次ぐ産駒歴史的快挙に、調教再審時のエピソードも合わせてファンの間では「オルフェって実はダートの方が向いてたんじゃね?」「強すぎて芝三冠も取れちゃったダート」と囁かれる始末。これもありとあらゆるレースを経験してきたステイゴールドの血統ゆえか。

デビューから7年連続で産駒GI級競走を制するなど種牡馬としても存在感を強めているオルフェーヴルであるが、一方で2歳戦を中心に産駒全体の勝ち上がり率が非常に低く、「三振ホームラン」とも言うべき当たり外れの大きさがネックになっている。事実マルシュロレーヌBCディスタフ制覇以降も種付料は350万円で据え置かれており、生産者からすれば「芝かダートかの適性も良く分からない上に、『重賞か未勝利か』のギャンブル性が強すぎて容易に手を出せない」ということなのだろう。また自身がパワーの要る馬場や中長距離を得意としたこと、成長傾向が遅めであることなどもしっかりと受け継がれているようで、これが2歳戦との相性の悪さにつながったとも言われている。ともあれ、当たった時に大物を出す可性については初年度に2頭もGIホースを出したこと、そして何よりBCディスタフドバイWCの制覇によって明されたのだから、長いで見守っていきたいところだ。

2022年にはとしてドゥラエレーデ(ドゥラメンテ)がホープフルステークスを制覇し、2023年にはコラソンビート(スワーヴリチャード)が京王杯2歳ステークスを制覇。ブルーメアサイアーの方面でも今後が楽しみな存在となっている。

血統表

オルフェーヴルの五代血統表
サンデーサイレンス系
クロスノーザンテースト 4×3(18.75)
輸入基礎グランマスティーヴンス()~
ステイゴールド
1994 黒鹿毛
北海道老町
*サンデーサイレンス
Sunday Silence

1986 青鹿毛
アメリカ
Halo
1969 黒鹿毛
アメリカ
Hail to Reason
1958 黒鹿毛
Turn-to
Nothirdchance
Cosmah
1953 鹿毛
Cosmic Bomb
Almahmoud
Wishing Well
1975 鹿毛
アメリカ
Understanding
1963 栗毛
Promised Land
Pretty Ways
Mountain Flower
1964 鹿毛
Montparnasse
Edelweiss
ゴールデンサッシュ
1988 栗毛
北海道老町
*ディクタス
Dictus
1967 栗毛
フランス
Sanctus
1960 鹿毛
Fine Top
Sanelta
Dronic
1960 栗毛
Worden
Dulzetta
ダイナサッシュ
1979 鹿毛
日本
*ノーザンテースト
1971 栗毛
NorthernDancer
Lady Victoria
*ロイヤルサッシュ
1966 鹿毛
Princely Gift
Sash of Honour
オリエンタルアート
1997 栗毛
北海道老町
FNo.8-c
メジロマックイーン
1987 芦毛
北海道浦河町
メジロティターン
1978 芦毛
日本
メジロアサマ
1966 芦毛
*パーソロン
*スヰート
*シェリル
1971 鹿毛
*スノツブ
Chanel
メジロオーロラ
1978 栗毛
日本
*リマン
1965 栗毛
Alcide
Admonish
メジロアイリス
1964 黒鹿毛
*ヒンドスタン
アサユリ
エレクトロアート
1986 栗毛
北海道来町
*ノーザンテースト
Northern Taste
1971 栗毛
カナダ
Northern Dancer
1961 鹿毛
Nearctic
Natalma
Lady Victoria
1962 黒鹿毛
Victoria Park
Lady Angela
*グランマスティーヴンス
Grandma Stevens
1977 栗毛
アメリカ
Lt. Stevens
鹿毛 1961
Nantallah
Rough Shod
Dhow
芦毛 1968
Bronze Babu
Coastal Trade
競走馬の5代血統表

カタカナ表記の、つまり日本生まれだったり日本に輸入されたりと日本に縁があるが多い[9]

ステイゴールド、*サンデーサイレンス、*ノーザンテースト、*ディクタス、*パーソロン、*リマンド、*ヒンドスタンといった日本競馬を支え続けてきた大種牡馬たちの名前血統表にちりばめられている。

メジロマックイーンメジロオーロラから牝系をさかのぼっていくと、*アスニシメントというに辿り着く。このは「小岩井農場の基礎輸入」の中の1頭である[10]小岩井農場の基礎輸入から生まれた多くの子孫が日本競馬で大活躍している。

さらにメジロマックイーンメジロティターンメジロアサマという3頭の天皇賞が名を連ねている。オルフェーヴルはまさしく日本近代競馬の結晶といってよいだろう。

主な産駒

太字ニコニコ大百科に記事あり。

2015年産

2016年産

2017年産

2018年産

2019年産

関連動画

ゴール後も気を抜けない

とんでもレース                          

ステイゴールドの血が(ネタ的に)騒ぐ

最後のレース
 

関連静画

関連コミュニティ

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関連項目

JRA顕彰馬
クモハタ - セントライト - クリフジ - トキツカゼ - トサミドリ - トキノミノル - メイジヒカリ - ハクチカラ -
セイユウコダマ - シンザン - スピードシンボリ - タケシバオー - グランドマーチス - ハイセイコー -
トウショウボーイテンポイント - マルゼンスキー - ミスターシービー - シンボリルドルフ - メジロラモーヌ -
オグリキャップメジロマックイーン - トウカイテイオー - ナリタブライアン - タイキシャトル - エルコンドルパサー -
テイエムオペラオー - ディープインパクト - ウオッカ - オルフェーヴル - ロードカナロアジェンティルドンナ -
キタサンブラック - アーモンドアイ
競馬テンプレート
中央競馬の三冠馬
クラシック三冠 牡馬三冠 セントライト(1941年) | シンザン(1964年) | ミスターシービー(1983年) |
シンボリルドルフ(1984年) | ナリタブライアン(1994年) | ディープインパクト(2005年) | オルフェーヴル(2011年) | コントレイル(2020年)
牝馬三冠 達成
変則三冠 クリフジ(1943年)
中央競馬牝馬三冠 メジロラモーヌ(1986年) | スティルインラブ(2003年) | アパパネ(2010年) |
ジェンティルドンナ(2012年) | アーモンドアイ(2018年) | デアリングタクト(2020年) |
リバティアイランド(2023年)
古馬三冠 春古馬 達成
秋古馬 テイエムオペラオー(2000年) | ゼンノロブロイ(2004年)
競馬テンプレート

脚注

  1. *ちなみにドリームジャーニーは426kgでのデビュー
  2. *馬場を一周してしまったのだが、そのまま出走。結果は2着に6身差をつけての逃げ切り圧勝だった。
  3. *netkeiba 「競馬対談with佑【池添謙一×藤岡佑介】第3回『口での合図でビューン!オルフェーヴルの最強馬伝説』」exitより。
  4. *とはいえ新馬戦時と違って振り落とした後は落ち着きを取り戻しており、精面でだいぶ成長していることがわかる。
  5. *ラジオNIKKEIオルフェーヴル、平地調教再審査に合格(池江泰寿調教師のコメント)exit』より。
  6. *ただし岩田康誠騎手には危険騎乗による2日の騎乗停止処分が下った。
  7. *平松さとしオルフェーヴルが有馬記念を制した時の、池添謙一をめぐる裏話exit』 および2016年JRA有馬記念展「絶対王者」』より
  8. *脚注7に同じ。
  9. *ただのカタカナ表記なら日本生まれので、カタカナの前に*が付いている表記なら外で生まれて日本に輸入されたである。
  10. *1907年(明治40年)に三菱財閥系の小岩井農場がイギリスから輸入した20頭の繁殖牝馬のことを「小岩井農場の基礎輸入牝馬exit」という。
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オルフェーヴル

1218 ななしのよっしん
2024/02/24(土) 02:03:14 ID: rkumWeWPLo
池添と合わせてまさしく名コンビって感じなのがインタビューやら引退後の動画を見るとひしひしと思う
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1219 ななしのよっしん
2024/02/24(土) 10:10:39 ID: ZLUBw7ZRxK
あんよブンブンは危なっかしいけどはピンと立ててるしも触らせようと近づけてるからちゃんと信頼されてるんだなぁってなる
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1220 ななしのよっしん
2024/02/24(土) 23:03:24 ID: 73uRNW+4DY
池添乖離す開闢の』で草生えた
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1221 ななしのよっしん
2024/02/25(日) 09:00:16 ID: HZBQ6MtzIX
まさか息子までサウジの大舞台凱旋門賞と似たような負け方するとは思わなかった
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1222 ななしのよっしん
2024/02/25(日) 11:33:01 ID: SMNUJ8jbG2
ウシュバさん、そんな所まで父親に似なくてもいいのに…。
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1223 ななしのよっしん
2024/02/25(日) 19:40:32 ID: yTwyHSm6m1
池添さんと再会して蹴りいれてたけど本当に嫌ってるわけではないんだよな・・・?

兄貴も含めてやっぱりカレンチャン以外引退後も危険だなw
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1224 名無しさん
2024/02/26(月) 17:17:34 ID: QPbpkiO+Bj
頭撫でようとすると撫でて撫でてとばかりに顔寄せてきてるしお気に入りなのは間違いないと思うよ
ガチで攻撃する気なら前蹴りでももっとガッといけるはずだし
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1225 ななしのよっしん
2024/02/26(月) 21:46:41 ID: XJ9uj/sKTn
前脚のアレは引き寄せようとしてる
気に入ってるっちゃあ気に入ってるが相棒と言うよりお気に入りのぬいぐるみ的な気に入り方なんだろうな
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1226 ななしのよっしん
2024/02/27(火) 08:04:41 ID: q89JaAYLiz
ダート三冠オルフェ産駒来ると思ってたけど一頭も出走してないとは…有な子はいないの?
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1227 ななしのよっしん
2024/03/02(土) 10:51:46 ID: MTQGiyJg1b
ダートG1級勝ってる子は皆古になってからだから三冠に間に合わないのかも
エポカドーロみたいにめに仕上がる子がまた出てきてくれればいいんだけど
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