オールナイトニッポンは、ニッポン放送をキー局に全国ネットで放送されている深夜ラジオ番組である。
略称は「ANN」。BITTERSWEET SAMBAのテーマソングで親しまれている。
この記事ではオールナイトニッポンと名の付く番組すべてを一まとめにして紹介する。
変遷
放送開始から2012年で45周年を迎える大長寿番組である。様々な変遷を経て今日まで続いている。
勃興期~全盛期
1967年放送開始。当初は局アナメインの音楽番組だった。この頃は深夜1時から5時までの4時間生放送。この頃の代表的パーソナリティーは糸居五郎、亀淵昭信(カメ、元:ニッポン放送社長)、斉藤安弘(アンコー)など。当時、深夜に流す番組がないローカル局に積極的に働きかけ、ネット局を増やすことに成功した。
開始から1970年代まではTBSラジオの裏番組「パックインミュージック」と同様、月曜深夜の放送を「火曜日」と明けの曜日呼称を用いていた。土曜深夜に放送されていた笑福亭鶴光のオールナイトニッポンが「サンデースペシャル(サンスペ)」と呼ばれていたのはその名残である。
1972年7月。前半2時間と後半2時間をそれぞれ帯番組にするなどてこ入れを行うが、文化放送「セイ!ヤング」や「パックインミュージック」に苦戦する。1973年7月改編でアナウンサーからタレント主体のラインナップに変更。1974年7月改編では前半と後半が分割され2部制が導入され、1999年までこのおなじみの体制が続くことになった。
放送番組が増えた分パーソナリティーも積極的に開拓されるようになり、70年代~90年代前半に人気番組となった。この頃の代表的パーソナリティーは笑福亭鶴光、タモリ、中島みゆき、ビートたけし、とんねるず、伊集院光、ウッチャンナンチャン、電気グルーヴ、松村邦洋、福山雅治など。
1994年には現在も続く「ナインティナインのオールナイトニッポン」がスタートしている。
迷走期
1998年にそれまでの1部・2部の呼称から、2部を「オールナイトニッポンR」に変更。
そして1999年4月改編にはニッポン放送の夜の放送枠を「LF+R」と総称することとなり、それまで1部で放送された番組を夜10時台の夜ワイド枠に新設された「allnightnippon SUPER!」に移動。旧1部を「@llnightnippon.com(オールナイトニッポン・コム)」、そして旧2部の「allnightnippon-r」と、3部制に移行した。
しかし、「SUPER!」は当初関東ローカルでそれをインターネットのストーリミング放送で未ネット地域に補完するというシステムを敷く、「com」「r」も番組内に箱番組を乱立させるなど、改悪ともいえる編成を行ったため低迷。半年ほどで「ナインティナインのANN」の「com」への移動、「SUPER!」の全国ネット拡大などを行ったが、その隙にライバルのTBSラジオが「UP's」~「JUNK」で足場を固めて形勢を逆転される。22時台もTBSラジオは「バトルトークラジオ・アクセス」が大ヒット番組となり、「SUPER!」も大苦戦を強いられることになる。秋田放送、新潟放送、南日本放送といったJRN寄りの編成を行う局が「アクセス」をネットしていたため、「com」に比べて「SUPER!」のネット局は少なかった。(皮肉にもTBSラジオの深夜枠の足固めに貢献した番組の一つが「オールナイトニッポン」出身の伊集院光が始めた「伊集院光 深夜の馬鹿力」であった)
「第2の開局」と称し、大幅なイメージ変更をするに当たり、LF+Rのカラーに合わないという理由で貢献者であった松任谷由実、松村邦洋のオールナイトニッポンを人気があったにも関わらず打ち切った事もリスナーの怒りを買う結果となった。
21世紀以降
LF+R末期は初期の「com」のような箱番組乱立状態ではなくなり、結局元の鞘に収まる形で2003年に「LF+R」が消滅、「com」を再び「オールナイトニッポン」に戻し、半年後には旧2部の「R」の月曜~木曜を中高年向けの「オールナイトニッポンエバーグリーン」に転換した。2004年には夜ワイド枠で放送されていた「オールナイトニッポンいいネ!」(「SUPER!」の後継番組)を終了させ3部制も撤退したものの低迷は続き、かつて十数社もあった協賛スポンサーが激減し、3~4社ほどとなってしまった。
2009年11月30日から22時台に5年8ヶ月ぶりにオールナイトニッポンのブランド名をレギュラーで冠する番組「オールナイトニッポンGOLD」がスタート。これにより実質的にANNの3部制が復活。ただし以前のSUPER!、いいネ!とは異なり、GOLDはヤングタイム番組としてではなく主要ターゲット年齢層を30代から40代と高めに設定した番組として構成されている。
2012年4月改編において、2003年以降中高年向けに方向転換していた旧2部枠を若手育成枠に再び戻すこととなり、「オールナイトニッポン0(ZERO)」がスタートした。
初代パーソナリティに選ばれた面々は公募によって選ばれた。選考に於いてはYouTubeに自身のトークを録画した動画を投稿した上で応募するという形が取られたのも特徴的である。
なお、旧2部枠が全曜日生放送に復帰するのは1998年の改編以来14年ぶりである。「オーナイトニッポンR」という名称は土曜日のみ残される形で継続する。
ネット局の関係性
一番最初にオールナイトをネットしたのは北海道のSTVラジオである。開局が遅れ、先発のHBCラジオに大きく水をあけられていた上、夜間のプログラム不足を補うために1968年に24時間放送に踏み切りネット開始。当時、HBCは自社制作深夜番組「オールナイト北海道ミッドナイトスパーク」を放送していた事。当時のSTVはフジテレビ系列局(正確には日本テレビ系列とフジテレビ系列のクロスネット)であり、フジサンケイグループ(ニッポン放送)との関係が非常に強かったことから北海道地区はSTVがネットする事になった。
その後もネット局は拡大するが、東海地区において大問題が発生する。
東海地区では本来NRN系列局である東海ラジオがネットするのが筋である。しかし当時、25時から27時にかけて大人気自社制作番組「ミッドナイト東海」が放送されていた。「ミッドナイトの放送を打ち切ってまでオールナイトは放送できない」とネットを断られてしまう。
そこで深夜枠、ミッドナイトに人気を取られていたJRN系列の中部日本放送がネットに名乗りを上げる。しかし中部日本放送はJRN単独系列。ニッポン放送が所属するNRN系の送出マスターは文化放送にあるため、同時ネットが厳しいという問題が出る。そこでニッポン放送は中部日本放送に直接回線を通すという異例の形でネットを行った。これにより、東海地区のオールナイト腸捻転体制が確立した。
1983年にミッドナイト東海は終了。しかしネットは東海ラジオに移らず、現在も中部日本放送がネットを続けている。そのためTBSラジオ制作の深夜番組「パックインミュージック」「スーパーギャング」「up's」「JUNK」といった番組は東海地区では全く放送されないという問題も抱えている。同時に中部日本放送は3時以降TBSラジオの「歌うヘッドライト」「あなたへモーニングコール」といった音楽情報番組をネット。東海ラジオは文化放送の「走れ歌謡曲」をネットしているため、オールナイト2部も東海地区では土曜を除きネットされていない状態になっている。
土曜日夜の「福山雅治のオールナイトニッポン」に関しては北海道地区はSTVラジオがネットを打ち切ったため、HBCがネット。福岡地区ではKBCラジオではなく、JRN系列のRKBラジオがネットする腸捻転状態となっている。
大半の地域では1部で放送終了し飛び降り。よって2部から1部へ異動したパーソナリティーは「2部から聞いている皆さんこれからもよろしく、1部から聞き始めた皆さんはじめまして」というような2地域に向けた挨拶を行うのも慣例化していた。
フィラー 1部飛び降り
基本的に時間ごとに6つのCM枠が存在する。1部の場合、各時前半2.5枠は全国スポンサード枠。後半3.5枠はローカルCM枠となっている。後半のローカルCM枠は各ネット局がセールスで取ってきたCMや番宣を流せるのだが、流せるCMがない(つまりCM枠が埋まらなかった)局のため、フィラーとして各パーソナリティごとに決められた8曲(1部の場合)のBGMが流れる。ニッポン放送でCM明けに10秒足らずのBGMが流れるのはこのフィラーである。
STVラジオ、ニッポン放送、中国放送、KBCラジオのように10秒も流れない地域もあれば、CMタイムが丸ごとフィラーとなる局。東北放送や中部日本放送のように頭にコールサインだけ入れ、残りはフィラーという局もあり、対応はまちまちである。松任谷由実はパット・メセニー。松村邦洋は大映ドラマの主題歌。谷山浩子はCOSMOSなどパーソナリティーの趣味嗜好が大きく反映されることが多く、フィラーのためにCM中、ローカル局をチューニングして曲を楽しむコアなファンも存在する。
1部は全国放送だが、2部はTBSラジオや文化放送にネットを切り替えるため、放送しない局が多い。1部の放送が2時58分ごろをめどに終了するのは切り替えの時間を残しているためである。
1980年代までは飛び降り地域は2時58分30秒に全国共通でビタースィートサンバが流れ、「ではこれで、オールナイトニッポンを終わります」のアナウンスで終了となっていた。
1990年代以降は各局に委ねられ、たいていの局は2時59分で番組が終了し、ヒッチハイクCMやクロージングが流れる形となる。
オープニング・エンディング
1999年のLF+Rスタートまでは1部のオープニングは全曜日共通でBITTERSWEET SAMBAが流れる。エンディングは各パーソナリティにより決められた曲が流れる。ビートたけしは「ハイサイおじさん」、松任谷由実は「STAY WITH ME」、電気グルーヴは「We Are」(後に「N.O.」)、ナインティナインは「月夜の星空」とフィラー同様、パーソナリティーのカラーが出た選曲となっていた。
2部の場合は1部と逆になり、オープニングはパーソナリティーが決めた曲が使われ、エンディングはBITTERSWEET SAMBAが流れ、曲が終わると同時に放送終了となっていた。
これは、前述の通り、元々4時間番組と始まったことに由来するものだが、中には電気グルーヴのように2部時代からOPがBITTERSWEET SAMBA、EDがパーソナリティ選定曲を使用したパーソナリティも存在する。
1998年頃からはパブリシティとして、ニッポン放送の推薦曲が1部のエンディング曲として流れる事が多い。
現在放送中の番組
現在、オールナイトニッポンと呼ばれる番組は放送時間によって4種類存在する。
夜10時~
かつては「夜ワイド」と呼ばれた若者向けワイド番組の放送枠を転換。
オールナイトニッポンGOLD
毎週月曜~金曜夜10時~11時50分まで放送。全国18局ネット(金曜日のみABCラジオ未ネットのため17局ネット。同じく金曜日のみIBC岩手放送は夜11時から飛び乗り)。
パーソナリティ
深夜1時~
オールナイトニッポン
毎週月曜~土曜深夜1時~3時まで放送されている、言わば「本家」。全国36局ネット。いわゆるかつての『第1部』がこれにあたる。
パーソナリティ
深夜3時~
元々は「オールナイトニッポン第2部」という主に若手育成枠だった時間帯を1998年に別番組として独立。
しばらくその流れで若者向け番組を編成していたが、2003年に月曜~木曜日が中高年向けの「オールナイトニッポンエバーグリーン」となり分離。金曜日と土曜日のみに縮小された。
その後、2009年に再び「エバーグリーン」を吸収して元の編成に戻った。しかし、月曜~木曜日は「エバーグリーン」と同じ中高年向けの内容となったため、かつての若者向けの番組は金曜日と土曜日に縮小された形となった。
オールナイトニッポン0(ZERO)
毎週月~金曜の深夜3時~5時に放送中。一度途絶えてしまった「若手育成枠」としての『第2部』の復興を目指して14年ぶりの生放送番組として復活を遂げた。
パーソナリティ
オールナイトニッポンR
毎週土曜の深夜3時~5時まで放送中。一部の放送局は午前4時で飛び降り。ニッポン放送は午前4時30分で飛び降り。全国22局ネット。
パーソナリティ
オールナイトニッポンエバーグリーン
2003年~2009年に毎週月曜~木曜深夜3時~5時まで放送。ニッポン放送のみ午前4時30分で飛び降り。全国10局ネット。
そのほかのオールナイトニッポン各番組とは異なり、大人向けで音楽中心の内容になっている。
実は放送開始当初のオールナイトニッポンはこの番組に近い雰囲気。
当時の若者も今や中高年になった証であるかもしれない。
2009年に再び「R」に吸収される形で終了。しかし、番組のコンセプトは実質的後継番組の「くり万太郎のオールナイトニッポンR」に継承された。エバーグリーンの終了は人気低迷が原因ではなく、斉藤の「1000回まではやります」という意思に沿ったものであった。結果的に6年間、1200近くに渡り放送は行われた。
パーソナリティ
土曜夜11時30分
こちらもかつては「夜ワイド」と呼ばれた若者向けワイド番組を転換。
福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル“魂のラジオ”
毎週土曜日よる11時30分~深夜1時まで放送中。全国32局ネット。
歴代最長放送期間
| 順位 | パーソナリティ | 放送期間 | 開始年~終了年 | 備考 |
| 1位 | ナインティナイン | 18年 | 1994年~ | 2012年4月現在 2010年5月~11月までは岡村隆史の病気休業のため矢部浩之のみ担当 |
| 2位 | 福山雅治 | 17年10ヶ月 | 1992年~1998年、2000年~ | 2012年4月現在 「魂のラジオ」以降も含む |
| 3位 | 笑福亭鶴光 | 11年9ヶ月 | 1974年~1985年 | ピンチヒッター期間含む |
| 4位 | 松任谷由実 | 11年 | 1988年~1999年 | 女性では1位、LF+R移行のため打ち切り |
| 5位 | 斉藤安弘 | 10年9ヶ月 | 1967年~1972年、 1973年~1974年、 2003年~2009年 |
元・ニッポン放送アナウンサー 「オールナイトニッポン」放送開始時の初代パーソナリティの一人 「オールナイトニッポンエバーグリーン」のパーソナリティも担当 |
| 6位 | 糸居五郎 | 9年6ヶ月 | 1967年~1972年、 1975年~1981年 |
元・ニッポン放送アナウンサー 「オールナイトニッポン」放送開始時の初代パーソナリティの一人 |
| 7位 | ビートたけし | 9年5ヶ月 | 1981年~1990年 | 1986年12月~1987年7月まではフライデー襲撃事件による芸能活動自粛のため、代理パーソナリティが担当 |
| 8位 | 西川貴教 | 8年9ヶ月 | 1994年~2005年 | |
| 9位 | 中島みゆき | 8年 | 1979年~1987年 | 女性では2位 |
| 10位 | とんねるず | 7年 | 1985年~1992年 | |
| 10位 | タモリ | 7年 | 1976年~ 1983年 |
「笑っていいとも!」の専念のため惜しまれつつ終了 |
ちなみに笑福亭鶴光は放送累計時間では最長記録である。これは放送時間が4時間であったからである。
また有楽町の旧社屋時代から放送開始し、建替中は「お台場・フジテレビ」の社屋を借りて放送し、有楽町新社屋まで引き続いて放送を続けられたのはナインティナイン・福山雅治・西川貴教だけである。
2部を最も長く担当したパーソナリティーは谷山浩子で1982年~1986年の丸4年、木曜2部のパーソナリティーを務めた。木曜深夜はビートたけしから谷山浩子と連続して聴取するリスナーも非常に多かった。
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関連項目
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読み:オールナイトニッポン
初版作成日: 08/08/05 00:16 ◆ 最終更新日: 12/05/09 17:46
編集内容についての説明/コメント: 2部最長パーソナリティー 谷山浩子追加
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