カサブランカ級護衛空母とは、太平洋戦争中アメリカ海軍が投入した空母である。わずか1年の間に50隻もの空母が作られたため週刊空母の異名を持つ。
前史
1940年、時のアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトは海軍に向けて以下の提案を行った。
1939年に始まった第2次世界大戦においてドイツはあっという間にフランスを制圧、ヨーロッパでドイツに喧嘩を売るのはイギリスだけという状況になった。ドイツはUボートをイギリスの大西洋側に多数配置し、アメリカやインド、オーストラリアからくる貨物船を沈めまわっていたのである。イギリスは鉄と石炭こそ豊富にあるが、さすがはメシマズ国家食料とかその他の資源は輸入に頼っていた。このままではイギリスは飢えてしまう、そんな状況だったのである。
さて、1933年ルーズベルトは不景気対策であるニューディール政策の一環として商船法なる法律を成立させていた。ざっくりいうと、
で、この国が定めた規格に従って作られた貨物船を国が買い上げて空母に改装したらいいじゃんという話であった。
アメリカ海軍はさっそく研究を開始し、41年には貨物船改造空母第1号『ロングアイランド』が竣工。ロングアイランドともう1隻作られた試験改造空母『アーチャー[1]』とともに運用を開始したが運用結果は良好であった。
これらの運用データを元に本格的な護衛空母(のちにボーグ級と呼ばれる)の建造に取り掛かったのであるが、なんせ元になるのは民間の貨物船。いくら札束で業者ひっぱたいても捻出できる船には限界があるし、あんまり徴発したらてめえの国の輸送力に影響が出る[2]。おまけに太平洋ではやばいことになっていた。米海軍は太平洋側に5隻の空母を配置していたが、海の向こう側、日本は6隻もの正規空母を持っていることが判明したのである。全然空母が足りんじゃん!……そんな時。
ヘンリー・J・カイザー「こんなこともあろうかと!」
このカイザーという御仁、「ヨーロッパの戦争難民に服を!」とアメリカの国中にキャンペーンを張る一方縫製工場を建てて作った服を国に売りつけてぼろ儲けして得た金を元に建設業に進出、さらに造船所をたくさん作りリバティ船[3]を大量生産してまたもぼろ儲けしていたという人物である。
で、このカイザーが提案したのは商船法規格の船の設計図を流用したうえでリバティ船で採用されたブロック工法と電気溶接を駆使した護衛空母の大量生産だった。海軍はこの提案に飛びつき50隻もの大量発注をカイザーの造船所に行ったのである。
とりあえず性能諸元
全長 | 156.13m |
全幅 | 19.89m |
排水量 | 基準:7,800トン 満載:10,400トン |
乗員 | 860名 |
武装 | |
搭載航空機 | |
レーダー | |
速力 | 19.25kt |
主機 | |
同型艦 | たくさん |
え、たくさんって投げやり? ウィキペ様でも見たらいいやん。50人姉妹だよ? シスプリもべびプリもカラフルキッスも真っ青だよ?! 今聖闘士星矢と言ったやつは表出ろ。
もっとも、フレッチャー級駆逐艦の175人姉妹という、上には上があるんだけどね。
解説
数は力とばかりにわずか1年(正確には13か月)で50隻生まれたカサブランカ級の姉妹たち。「数は力」を象徴するような性能、生産数ではあったが、彼女たちは決して『安かろう、悪かろう』な船でもなかったのだ。
建造について
建造はワシントン州のタコマやバンクーバー(※カナダのバンクーバーとは別の都市)にあったカイザー造船所のドックで作られた。建造は1隻あたり大体4か月ぐらいを要しており、そこから逆算すると大体16~17か所もの船台[4]があったことになる。建造に際して、可能な限り生産性を挙げるために、『ブロック工法』と『溶接』が多用された。ブロック工法とは、船体をいくつかの『ブロック』に分け、それを複数の工場で同時に製造、最後に船台の中でつなぎ合わせるというものである。利点としては、巨大な建造施設のない、比較的小規模な工場でも建造可能なこと、一つの部品を一つの工場もしくは場所で作り続けるので、作業を単純化しやすく、従って製品の品質管理がしやすいこと、なにより建造期間の大幅な短縮が可能なことなどが上げられる。また溶接工法の利点は当時の鋲打ちによる接合は鋲打ち機がでかくて男しか扱えないが、溶接なら女性でもできるやろということである。実際カイザー造船所では女性の溶接工が多数いたとのこと。これは女性を労働力として使えるということで男を戦争に取られても製造力が低下しないことを意味した。あと、溶接とブロック工法はリバティ船の建造でノウハウが蓄積されておりカイザー造船所としても慣れていたということもあった。
飛行機とカタパルト
艦載機として主にF4Fワイルドキャット戦闘機16機とTBFアベンジャー攻撃機12機を積んでいた。日本でいうと同じく護衛空母である大鷹(24機)と同じぐらい。ところが船のサイズは大鷹と比べても半分しかない。なんでこれで同じ能力なんだよというと、これはアメリカが空母用カタパルトを実用化していたからである。
当時のカタパルトは油圧式で、カサブランカ級に搭載されたH-4カタパルトは7.2tの物体を時速137㎞まで加速することができた。アベンジャーは限界まで爆装すると8トンを超えたというが、風上に向かって全力で空母を走らせれば合成速度で何とか発艦できたのだろう。
機関
よくネタにされる『蒸気タービンや一般的な膨張式往復動蒸気レシプロ機関ではなく、ユニフロー蒸気レシプロ機関なんてものを積んで機関要員泣かせであった』というくだりだが、実はこれもカイザー造船所がこの機関の取り扱いに慣れていたから採用しただけであった。
採用された『スキナー式ユニフロー型蒸気レシプロ機関』とは実はリバティ船に採用されていたエンジンで、当時デトロイトにあったスキナーエンジン社が大量生産していた。本来は主に五大湖や沿岸航路の貨物船に使われていたもので、当時最高の効率を持つ機関とされていたものである。
リバティ船はこれを2基積んでいたのだがそれをどうもチューンナップしたものをカサブランカ級で積んだものであるらしい。機関要員泣かせだったのは扱い慣れた蒸気タービンや膨張式往復動蒸気レシプロ[5]とは似ても似つかぬ民生品のエンジンかつチューンナップされた代物による不慣れさが問題だったのではないだろうか。
あと、実はエンジンについては選択肢がなかったというのもあった。蒸気タービンは他の軍艦用で製造がいっぱいいっぱい、膨張式往復動蒸気レシプロは出力不足、ディーゼルエンジンは実は船用としてはまだまだ実用化されたばかりな上、出力の大きいものは潜水艦用や護衛駆逐艦用としての需要でいっぱいいっぱい。そこそこの出力でたくさん確保するには選択肢がなかったのである。
なお、軍艦らしく2基のエンジンはシフト配置。縦に2基エンジンを置くことで横から攻撃されたとき片方にダメージを食らって動かなくなっても、もう片方が動くので生残性が上がるのである。
レーダー
この記事を読む前に言っておくッ!
おれは今カサブランカ級を調べててほんのちょっぴりだが体験した
い…いや…体験したというよりはまったく理解を超えていたのだが……
,. -‐'''''""¨¨¨ヽ
(.___,,,... -ァァフ| あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!
|i i| }! }} //|
|l、{ j} /,,ィ//| 『全艦が対空レーダーと
i|:!ヾ、_ノ/ u {:}//ヘ 対水上レーダーを標準装備していた』
|リ u' } ,ノ _,!V,ハ |
/´fト、_{ル{,ィ'eラ , タ人 な… 何を言ってるのか わからねーと思うが
/' ヾ|宀| {´,)⌒`/ |<ヽトiゝ おれも何をされたのかわからなかった…
,゙ / )ヽ iLレ u' | | ヾlトハ〉
|/_/ ハ !ニ⊇ '/:} V:::::ヽ 頭がどうにかなりそうだった…
// 二二二7'T'' /u' __ /:::::::/`ヽ
/'´r -―一ァ‐゙T´ '"´ /::::/-‐ \ 催眠術だとか超スピードだとか
/ // 广¨´ /' /:::::/´ ̄`ヽ ⌒ヽ そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ
ノ ' / ノ:::::`ー-、___/:::::// ヽ }
_/`丶 /:::::::::::::::::::::::::: ̄`ー-{:::... イ もっと恐ろしい米国面の片鱗を味わったぜ…
マジである。アメリカ軍はすでに1940年には各種レーダーを実用化しており、1941年より建造されたカサブランカ級にも当然のように搭載されていた。
対空レーダー『SK』は約5m四方のでっかい正方形状のアンテナで、最大半径185㎞の空域を走査できた。対水上レーダー『SG』は戦艦なら41㎞先に、低空を飛ぶ爆撃機なら28㎞ぐらいで探知できたという。
確かに商船規格の船体で、まともな軍艦よりも遥かに脆弱な船ではあったが、レーダーの搭載とシフト配置の採用など、最低限やるべき事はしっかりとやっている事が分かる。何より、艦載機の運用能力に関しては軽空母にも匹敵する能力を確保しており、可能な限り生産性を高めつつ、空母として最低限の性能を確保した非常に優秀な兵器と言う事も出来る。決して『安かろう、悪かろう』な船ではないのだ。
…まぁ、以上は用兵側のお話で、現場の兵士たちは「ベビー空母」「ジープ空母」「カイザーの棺桶」「燃えやすい(Combustible)、壊れやすい(Vulnerable)、消耗品(Expendable)、略してCVE(※本当の意味はCarrier Vessel Escort)」と散々な評価だったりするのですが。
戦歴
元々はボーグ級が足りないってことで計画されたカサブランカ級であったが、彼女たちは数隻が大西洋戦線や地中海に送られただけで残りはすべて太平洋戦線に放り込まれ、日本海軍と激闘を繰り広げた。上記のように防御力には難があり、1943年11月24日に伊175から雷撃を受けたリスカム・ベイ(CVE-56)がたった1本の魚雷で撃沈された。これは爆弾庫への誘爆が原因であった。燃えやすい、壊れやすい、消耗品の悪印象を植え付ける一助となったのは想像に難くない。アメリカ海軍は全カサブランカ級の爆弾庫を重油タンクで囲み、爆発の衝撃を和らげる対策を採った。軽空母並みの搭載量と私が死んでも代わりはいるもの的精神ヤンキー魂のもと、船団護衛から艦隊防空、上陸支援、航空機輸送など地獄の最前線から天国の後方まで太平洋のありとあらゆる場所で活躍し、勝利に貢献した。
50人姉妹のうち5隻が太平洋戦争中に失われているが、うち3隻が特攻機によって沈められている。最初の犠牲艦となったのは2番艦『リスカム・ベイ』で、先述の通り1943年11月24日に伊175の雷撃で沈没。爆弾庫への引火があったため大爆発が起こり、第52.3任務群司令ヘンリー・M・ムリニクス少将や艦長ウィルトジー大佐を含む644名が死亡する大惨事を招いた。次は1944年10月25日、神風特別攻撃隊の最初の犠牲者となった9番艦『セント・ロー』であった。また、同じ日に19番艦『ガンビア・ベイ』が戦艦大和以下戦艦・巡洋艦10隻以上に袋叩きにされ、撃沈。『砲撃で沈んだ米海軍唯一の空母』として知られている。4番目の犠牲艦は、1945年1月4日に九九式襲撃機もしくは一式戦闘機に突入・撃沈された25番艦『オマニー・ベイ』となった。陸軍の特攻機による攻撃だったため、世にも奇妙な『陸軍に撃沈された唯一の空母』に。1945年2月21日、硫黄島近海で特攻機の突入を受けて沈没した41番艦『ビスマーク・シー』が最後の犠牲艦となった。
太平洋戦争終了後はすぐにスクラップになった艦もあったが大抵は保管され、中には航空機輸送艦とかヘリコプター空母として再度現役に戻った艦もいた。カサブランカ級は1隻の例外[6]をのぞき1960年にすべて姿を消した。
関連動画
その他カサブランカ級護衛空母に関するニコニコ動画の動画を紹介してください。昔MMDで作った方がいたらしいのですが。
関連商品
袋叩きと自らを犠牲にして米軍の勝利に貢献したことに定評があるガンビア・ベイがプラモ化されている。お値段が高い(汗)
関連コミュニティ
カサブランカ級護衛空母に関するニコニコミュニティを紹介してください。
関連項目
外部リンク
脚注
- *この空母はイギリスに渡されイギリス軍が運用している。
- *結局4隻ほど不足したため、ボーグ級の元になったC3型輸送船ではなく国が所有していたC2型タンカー(これも商船法による規格品)を元に空母に仕立てた。これがサンガモン級でのちにコメンスメント・ベイ級護衛空母の元ネタになる。
- *Uボートに連合国の貨物船が沈められまくったため、その穴埋めで建造された1万トン級の貨物船。とにかくたくさん作りたかったため作りやすさ優先で設計された。1941年から45年までの間に2,710隻もの数が建造された。そのためこの船にも「三時刊規格型輸送船リバティ」なる異名が付いている。文字通りの『安かろう悪かろう』で日本の戦時標準船よりはだいぶマシではあったものの、当時の溶接技術の未熟さから航行中に船が真っ二つになる事故が相次ぎ200隻以上が沈んでいる。
- *船を作る穴ぼこ。普通造船所では1~5つぐらいの船台がおかれている。普通船台1つで1隻作るものだが、住友重機械工業追浜工場のようにバカでかい船台で2隻いっぺんに作るとかということもある。
- *同じ蒸気レシプロでも膨張式往復動機関とスキナー式機関は構造も動作方法も全く異なる。
- *36番艦『セティス・ベイ』は強襲揚陸艦に改装され1964年まで現役で働いた。
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