カチューシャ(露語:Катюша)とは、ロシアの歌曲である。
ロシア民謡として紹介されることが多いが、作詞者・作曲者がはっきりしているので正確には歌謡と言う方が正しい。
作詞:ミハイル・イサコフスキー(Михаил Исаковский)/作曲:マトヴェイ・ブランテル(Матвей Блантер)
概要
カチューシャ(エカテリーナの愛称形)という女性が川辺で戦争に行った兵士である恋人を想う姿を描いた曲。1938年11月27日、ヴィクトル・クヌシェヴィツキー(Виктор Кнушевицкий)率いるオーケストラの演奏でワレンチナ・バチシェワ(Валентина Батищева)によって歌唱され、この曲は世に出ることになった。
1941年6月に独ソ戦が勃発すると、多くの兵士が自分の境遇とこの歌を重ね合わせ、赤軍兵士の間で広く歌われるようになった。ロケット砲の「カチューシャ」はこの歌から名付けられたという説もある。
カチューシャは第二次世界大戦後もロシア人のみならず世界中の人々に愛され、ソ連・ロシアを代表する愛唱歌として親しまれている。
歌詞
Расцветали яблони и груши,(若いカチューシャは歩み行く)
На высокий берег на крутой.(彼女は歌い始めた)
Про степного, сизого орла,Расцветали яблони и груши,(若いカチューシャは歩み行く)
На высокий берег, на крутой
ソ連・ロシア以外のカチューシャ
その他、カチューシャは様々な国で歌われている。また、カチューシャをアレンジした楽曲も多くある。
1941年には、イスラエルでカチューシャをアレンジした「לבלבו אגס וגם תפוח」が歌われている。
イタリアでは1943年の連合国への無条件降伏後に歌われた「Fischia il vento」が知られる。カチューシャの曲にパルチザンの蜂起を呼びかける詩をつけて歌われたもので、イタリアでは有名なパルチザンの愛唱歌として知られる。
ギリシャでは1946年から1949年のギリシャ内戦ではやはりカチューシャの曲を借りた「民族解放戦線(ΕΑΜ)の賛美歌」というような意味の「Ο ύμνος του ΕΑΜ」が歌われた。
1968年には欧州でロシア系ドイツ人のイワン・レブロフ(Ivan Rebroff)がロシア語で歌唱した「カチューシャ」を始めとした数々のロシア民謡・歌曲がヒットし、欧州にロシア風の音楽が流行し始める。
流れに乗るように1968年、フランスでイスラエル人のリカ・ザライ(Rika Zaraï)が、イタリアでドリ・ゲッツィ(Dori Ghezzi)が「Casatschok」を歌唱し、ヒットする。これはカチューシャをアレンジしたもの(「ヴォルガの舟歌」の曲も組み入れられている)でブルガリア出身のボリス・ルバシュキン(Boris Rubaschkin)によって作曲された。日本では「恋のカザチョク」として知られる。なお、ルバシュキンはCasatschok以外にもロシア民謡をパクった風の曲を幾つか作曲している。
Casatschokは欧州で広くヒットし、各国の歌手にカバーされている。
日本のカチューシャ
日本では「林檎の…」から始まる関鑑子の訳詞で歌唱されることが多い。戦後のいわゆる「うたごえ運動」の中で広く歌われた。ダークダックスやボニージャックスなどのロシア民謡を得意とするボーカルグループによるものがよく知られている。
1988年発売のファミリーコンピュータ版テトリスやファミリーコンピュータ版熱血高校ドッジボール部ではともにロシア(ソ連)をイメージする曲として使用されている。
お笑いコンビのラーメンズは『プーチンとマーチン』というコントで当曲をアレンジした歌ネタを披露した。『プーチンとマーチン2』もありそれぞれ公演「FLAT」「桜前線345」で披露。
プロ野球では千葉ロッテマリーンズの西岡剛などの応援歌に採用されていた。
最近では2012年12月3日初放映のガールズ&パンツァー第8話において、プラウダ高校隊長・カチューシャ(金元寿子)と副隊長・ノンナ(上坂すみれ)がロシア語で歌唱したカチューシャが挿入された。
関連動画
Casatchok
ゲーム音楽
カチューシャ特集
関連商品
関連項目
- 8
- 0pt
- ページ番号: 5008912
- リビジョン番号: 2664840
- 編集内容についての説明/コメント: