カペー家とは、ユーグ・カペーを祖とするパリ周辺を起源とする一族である。
概要
ロベール家の後身。ロベール家の時代からフランス王を輩出し、ユーグ・カペー以後はフランス王位を独占。更に、分家からはフランス国内の諸侯や欧州諸国の君主も輩出した。現在でも、スペイン王国及びルクセンブルク大公国の君主はカペーの男系子孫である他、他の分家にも多くの国の王位請求者がいる。
保持した諸称号
君主号 | 期間 | 家系 | 備考 |
フランス王 | 987-1328 | カペー家本流 | ユーグ・カペーからジャン1世まで13代329年にわたる直系相続は神話時代を除き世界最長。 |
1328-1498 | ヴァロア家 | ||
1498-1515 | ヴァロワ=オルレアン家 | ||
1515-1589 | ヴァロワ=アングレーム家 | ||
1589-1795 | ブルボン家 | ||
1814-1830 | 復古ブルボン家 | ||
1830-1848 | ブルボン=オルレアン家 | ||
ナヴァラ王 | 1285-1349 | カペー家本流 | |
1328-1441 | エヴルー家 | フアナ2世とフェリペ2世の共同地により1349まではカペー家と期間がかぶる。 | |
1572-1620 | ブルボン家 | 称号としては1620以後も使用されている。 | |
ポルトガル王 | 1143-1383 | ブルゴーニュ家 | |
1385-1580 | アヴィス家 | ||
1640-1853 | ブラガンサ家 | アヴィス朝初代ジョアン1世の庶子アフォンソの子孫。 1853年のペドロ5世即位以後はザクセン=コーブルク=ゴータ家の分枝ブラガンサ=コブルゴ家が王位についた。 1910年に王制が廃止され、マニエル2世が1932年に死亡すると、王位請求権はミゲリスタ系ブラガンサ家のドゥアルテ・ヌノに移り、以後ブラガンサ家が請求している。 |
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ブラジル皇帝 | 1822-1899 | ブラガンサ家 | 帝位は同じくカペー家のオルレアンス=ブラガンサ家が請求中。 |
シチリア王 | 1247-1382 | アンジュー=シチリア家 | 1282以後、事実上ナポリ王国のみを統治 |
1734-1816 | シチリア=ブルボン家(ボルボーネ朝) | ナポリ王国と共に両シチリア王国へ統合。 | |
ナポリ王 | 1734-1816 | シチリア=ブルボン家(ボルボーネ朝) | シチリア王国と共に両シチリア王国に統合。 |
両シチリア王 | 1816-1860 | 両シチリア・ブルボン家(ボルボーネ朝) | 現在も、カストロ系とカラブリア系の2家に分かれながら王位を請求中。 |
ハンガリー王 | 1290-1395 | アンジュー=シチリア家 | |
ポーランド王 | 1370-1399 | アンジュー朝 | |
スペイン王 | 1700-1808 1813-1868 1875-1931 1975-現在 |
スペイン・ブルボン家(ボルボン朝) | |
ラテン皇帝 | 1216-1261 | クルトネー家 | |
ルクセンブルク大公 | 1964-現在 | パルム=リュクサンブール家 | ルクセンブルク大公家としてみたときは、ナッサウ家の分家のナッサウ=ヴァイルブルク家とも見れる。 |
関連項目
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