ある!ある!ある!ある!
クイズ100人に聞きましたとは、1979年4月2日から~1992年9月28日にTBS系で放送された名クイズ番組である。タイトルが長めゆえ、「100人に聞きました」や「クイズ100人」とも略された。
概要
前身番組として1978年4月から日曜14時台にて1年間TBSほか一部地域で放送された「家族対抗クイズ合戦」があり、これを1979年4月に月曜19時台前半の全国ネットに移動させ、タイトルを変えた上で放送開始したのがこの番組である。
ある特定のジャンル100人に聞いた質問の答えを当てる、視聴者参加型のクイズ番組。時折芸能人によるゲスト大会も行われていた。
毎週5人一組のチーム(家族や親類同士)が2チーム登場。勝利チームがハワイ旅行を賭けた「トラベルチャンス」に挑戦でき、獲得得点によってハワイに行ける人数が変動し、行けなかった人は「見送り」という三角形の旗を降らされた。勝利チームが誰もハワイ旅行に行けないケースもあり、勝者・敗者共に「見送り」旗という寂しい画になってしまったのは言うまでも無い。
解答者が解答を述べた後に観客から「ある!ある!ある!」と歓声が挙がるのが番組最大の名物となっていた。
司会(「進行役」と呼ばれていた)は関口宏。また、「屋根裏のアナウンサー」という肩書で橋本テツヤがナレーターを務め、オープニング、エンディングのナレーションや各種説明を担当していた。
関口が解答を聞く際は解答者席の机にひじを立てて寄りかかるポーズが名物となっており、「下品だ」という視聴者からのクレームも多数寄せられたようだが、番組終了までこのスタイルを崩すことは無くやがて定番の風景となった。
あと、百太郎という番組独自のマスコットキャラクターがあった。よくイヌなどに間違えられたが、実はホッキョクギツネである。出題時の空きパネルには百太郎の顔が描かれていたほか、着ぐるみが時々アシスタント的にスタジオに登場していた。また、視聴者プレゼントとして百太郎のぬいぐるみがプレゼントされていた。
長年に渡り、TBSの月曜夜を象徴する番組として「ナショナル劇場(『水戸黄門』・『大岡越前』等)」「月曜ロードショー」と共に人気を維持していたが、1992年10月に突如当時の社長の鶴の一声で平日夜7時台にバラエティ帯番組「ムーブ」を開始することとなったため、夜7時台の全ての番組が総替えされることとなり、惜しまれながらその13年半に渡る歴史に幕を閉じた。
皮肉にも「ムーブ」は歴史的な大失敗をしてしまったのだが、この月曜日担当で引き続き関口宏が司会をした「関口宏の東京フレンドパーク」は好評を博し、後に独立番組化した。以来、2009年度に「総力報道!THE NEWS」の編成に伴い一度木曜夜に引っ越した1年間を除き、2011年3月まで続く長寿番組となった。後番組も関口宏司会の「世紀のワイドショー!ザ・今夜はヒストリー」となり、同年10月に同番組が水曜20時に移動するまでの通算31年半もの間TBS月曜夜の顔として関口宏が君臨していた。
番組終了後も特番やバラエティー番組のワンコーナーとして復活することが何度かあり、特に2000年の年末番組「SAMBA・TV」で復活版を放送した際(関口が司会をしたのはこの時が最後)に1984年頃のセットを忠実に再現してセットを作り直しており、その後の復活版もそれを再利用していた。
ルール
- 100人に対する質問に対し、2人以上の回答があったもの最大9つまでの回答が正解として設定されており、最も多い回答から順に1番、2番…と番号が振られている。なお、回答が1人だけのものは正解に入らないため(「少数意見」として小ネタ的に紹介される場合があった)、答えを全部当てても100点になるケースは多くなかった。
- はじめは両チームの代表者(1問目はキャプテン、2問目以降は隣にずれていく)同士が握手をしてから関口が出題。早押しで解答権を得る。先に答えた方が1番の答えを当てればそのチームが先攻。2番以下の場合は相手も答え、回答数がより高い答えを当てればそちらが先攻となった。なお、同じ回答数の答え同士だった場合は答えの番号に関わらず早押しの早い方が先攻となった。一方、両方間違えた場合は交互に答え、正解を出した方が先攻となった。
- 先攻チームは早押しの隣のメンバーから順に解答していく。3回不正解を出すまでにすべての答えを当てればその時点で先攻チームの勝ち。3回不正解の場合は後攻チームに「逆転のチャンス」が与えられる。なお、不正解の場合は「×」の札を持たされるが、解答権が無くなることはない。そのため、2周回ってきて2度とも不正解を出し両手で2枚の「×」の札を持たされるケースが時々あった。また、なかなか答えが出て来ない時は「ブ、ブ、ブ、」とブザーで促され、それでも出なければ不正解扱いとなった。
- 「逆転のチャンス」は後攻チーム内でまとめて1つの答えを解答。正解なら後攻チームの勝ち、不正解は先攻チームの勝ちとなり、両チームの当てた答えの回答数の合計がそのまま得点として勝った方が総取りした。
- これを5問行う(前番組「JNNニュースコープ」が19:20まで放送され、本番組が19:20~20:00の放送となっていた頃は6問、一方一時期4問だけの時期もあった)。最後の問題(40分時代は5問目から)は得点が倍になった。合計得点の高いチームが勝利となり「トラベルチャンス」に挑戦する。なお、同点になったことがあり、その際は代表者同士での早押しで上位を答えた方が勝利チームとなった。
- 勝敗に関わらずチームには賞金が贈られた。(1点につき500円→700円→1,000円→700円)
- 「トラベルチャンス」は1つのテーマに基づいた5問を勝利チームのメンバーが1人ずつ答え、その合計得点で何人ハワイ旅行に行けるかが決まる。120点以上なら5人全員、100点以上で4人、80点以上で3人、70点以上で2人、60点以上で1人、59点以下の場合は0となる。0というケースも年に何度かあった。ちなみに、聞いた対象をあらかじめ5つ提示して選んでもらい、それにちなんだ問題を答える「えらべるトラベル」という形式を用いることもあった。
- トーナメント形式で行われる特番でのトラベルチャンスは決勝戦を兼ねて行われることが多く、2チームが1対1の早押しで答えを当て合い、最終的に獲得得点の高いチームだけが得点に応じた人数分のハワイ旅行を獲得した。
元ネタ
本番組はアメリカで1976年にABC系列で放送を開始し、途中中断期間はあるものの、現在は放送局単位で購入して放送(シンジケーション番組と呼ばれる)している人気長寿クイズ番組「Family Feud」の番組フォーマットを正式に購入し、日本向けにアレンジしたのがこの番組である。本番組のフォーマットは世界50か国以上に輸出されており、本家と同タイトルで放送された国や、英語圏でもイギリスの「Family Fortunes」のように独自にタイトルを付ける版もあるなど様々である。
1985年まで司会を務めた本家初代司会者である俳優のリチャード・ドーソンは回答者の家族とフレンドリーな感覚で接していたのが大きな特徴で、関口宏の解答席に肘を立てるスタイルも元々は彼が行っていたものである。また、アメリカのクイズ番組は進行役と顔を出さず進行役の登場をアナウンスしたり、賞品や出場者の紹介をするナレーターが分かれているスタイルが一般的で、本番組における橋本テツヤや、同様にアメリカの「The Price Is Right」をフォーマット購入したTBS「ザ・チャンス」における小川哲哉などはそのスタイルに倣ったものと推される。
セットの雰囲気も特に初期は「Family Feud」に近くそこからリニューアルを加えていった。しかし、アメリカの本家はじめ、日本以外は番組セットの中央に鎮座する、解答を表示するセットに絵を表示する機能は付いておらず、文字だけで正解を表示している。
このシステムは、朝日放送で放送されていたクイズ番組「霊感ヤマカン第六感」のセットをヒントに日本独自で追加されたものである。制作に当たり、「100人に聞きました」の美術スタッフが「第六感」のセットの作り方を教授してもらったそうである。
また、勝利チームが挑戦するコーナーも、本家アメリカではチームの代表者2人が15秒(のち20秒)の制限時間以内に同一の5問に答えて合計得点が200点を越えればボーナス賞金を獲得する形式で、この方式をそのまま使っている国が多く、本番組の「トラベルチャンス」は日本独自のオリジナルであるなど、「クイズ100人に聞きました」は比較的独自性が多く入っていた。
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番組初期から問題集が毎年のように出版されていたほか、タカラからボードゲームが発売されていた。両者とも比較的ネットオークション等で目にすることが多い。
関連項目
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