クラスター爆弾事件とは、毎日新聞社に所属する記者が2003年に起こした事件である。
記者の軽はずみな行動により、1名の尊い人命が失われ、5名が重軽傷を負う深刻な結果をもたらした。
概要
2003年当時、アメリカ同時多発テロを起因とするアメリカの対イラク戦争の最中、毎日新聞写真部記者(当時)の五味宏基は現地入りして戦争取材を行った。五味は2月17日から3月10日まで戦争前のバグダッドを取材しており、4月9日にバグダッドが陥落したことを受けて取材に向かっていた[1]。
この道中で、五味はクラスター爆弾の不発弾を2個拾得した[2]。そして五味はこれを「記念品」として持ち帰ろうと考えた。2つのうち1つは行動を共にしていたヨルダン人の助手に渡し、もう1つを五味が持っていた(ただしヨルダン人助手が持っていたものには火薬は入っていなかった[3])。
5月1日、帰路のヨルダン・クイーンアリア国際空港の荷物検査所でこの不発弾が爆発。1名が死亡、5名が負傷する結果となった。
ヨルダン国家治安法廷は6月1日、五味に対して過失致死・過失致傷として禁固1年6カ月の有罪判決を下し、ヨルダン人の助手は無罪となった[4]。6月17日にはアブドラ国王の政治的配慮による特赦が行われ、日本に帰国。毎日新聞社からは懲戒解雇処分を受けた。
補足
動機
五味は何度も戦場に足を運んだことがあったが、記念品を持ち帰ろうとしたのはこれが初めてだったという[5]。
五味はイラク戦争が自身の一生の仕事の中でとても重要なものだと認識しており、その「証し」「記念」として持っておきたいと考えたという。また、同じものを助手と2人で持ったことで「証し」という認識が強くなったとも話している[6]。
拾得物を「自分の家に置いておけば、(戦争の現場を)いつまでも忘れないだろう」と考えており、「「こういうところで、おれは仕事していたんだぞ」ということを、自分の子供が大きくなった時に見せたいという意識も、正直言ってありました」とも語っている[7]。
写真部の記者でありながら「写真の力をあまり信じていない」「写真というものは、「自分」というフィルターを通った「事実」でしかない」と話しており、そのため手に取れるものを「証し」にしようとしたという[8]。
危機意識の欠如と思い込み
道中で拾ってから空港で爆発するまでに約3週間があったが、その間爆発するようなことはなかった。この事実が五味に拾得物が安全だという思いを強めさせた。
五味は以前カンボジアに取材に行った際に空の薬きょうを手にしたことがあり、空洞のある物体は安全だと認識していた。また不発弾を拾った現場には地面がえぐられたような部分があり、それが空洞のある物体と爆発物を完全に切り離す要因になった[9](使用済みだという認識を強めさせた)。クラスター爆弾がどのような武器かは知っていたが、イラク戦争で使われたものがどの様なものかは知らなかったとも話している[10]。
五味は不発弾を基本的にカメラバッグに入れて携帯し、宿では取り出してテーブルに置いたり付属のボタンや留め金のようなものをいじっていた。いじっても何も起きないために安全なものだと思い込み、次第に意識もしなくなっていったという[11]。他にもアンマンの助手の家を訪れた際に、助手の兄や友人(兵役経験者)が助手の類似品を乱暴にいじくりまわし、五味と同じような認識を示していたこともあったという[12]。
更に空港で警備員(検査官?)に不発弾を見つけられた際には、自らボタンを押して爆発物がもう使えないことをわからせようとしていた[13]。そしてその直後に爆発が起こっている。初めは自分の所有物が爆発したと思わず「ノット・ミー、ノット・ミー」と抗議し、その後検査官に指摘されて初めて状況を理解した[14]。
後に五味から事情を聴いた作家の柳田邦男は、この事件から読み取れる教訓として「欧米諸国のメディアが実践しているような、戦場や紛争地域やテロ現場などにおけるジャーナリストの具体的な被害や失敗をベースにした取材ハンドブックの作成とその実践訓練が必要になってくる」と話している[15]。
関連項目
脚注
- *「[特集]アンマン空港爆発事件(その1) 検証・五味宏基元記者の証言」毎日新聞2003年6月27日東京朝刊12頁
- *「[特集]アンマン空港爆発事件(その1) 検証・五味宏基元記者の証言」毎日新聞2003年6月27日東京朝刊12頁
- *「ヨルダンの空港荷物爆発 毎日記者助手も逮捕 類似金属物「もらった」」読売新聞2003年5月3日東京朝刊1頁
- *「アンマン空港爆発事件 五味宏基被告らに対する判決(要旨)」毎日新聞2003年6月2日東京朝刊7頁
- *「[特集]アンマン空港爆発事件(その1) 検証・五味宏基元記者の証言」毎日新聞2003年6月27日東京朝刊12頁
- *「[特集]アンマン空港爆発事件(その1) 検証・五味宏基元記者の証言」毎日新聞2003年6月27日東京朝刊12頁
- *「[特集]アンマン空港爆発事件(その1) 検証・五味宏基元記者の証言」毎日新聞2003年6月27日東京朝刊12頁
- *「[特集]アンマン空港爆発事件(その1) 検証・五味宏基元記者の証言」毎日新聞2003年6月27日東京朝刊12頁
- *「[特集]アンマン空港爆発事件(その1) 検証・五味宏基元記者の証言」毎日新聞2003年6月27日東京朝刊12頁
- *「アンマン空港爆発事件 「責任、一生背負う」--釈放された五味宏基記者が会見」毎日新聞2003年6月19日東京朝刊26頁
- *「[特集]アンマン空港爆発事件(その1) 検証・五味宏基元記者の証言」毎日新聞2003年6月27日東京朝刊12頁
- *「[特集]アンマン空港爆発事件(その1) 検証・五味宏基元記者の証言」毎日新聞2003年6月27日東京朝刊12頁
- *「ボタン押し「使用済み」を手荷物検査で説明 毎日新聞状況公表」産経新聞2003年5月10日東京朝刊第2社会
- *「[特集]アンマン空港爆発事件(その1) 検証・五味宏基元記者の証言」毎日新聞2003年6月27日東京朝刊12頁
- *「[特集]アンマン空港爆発事件(その2止) 冷静な「プロの目」欠け」毎日新聞2003年6月27日東京朝刊13頁
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