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グレッグ・ラロッカ(Greg LaRocca、1972年11月10日-)とは、アメリカ合衆国出身の元プロ野球選手(内野手)である。現在はオリックス・バファローズの駐米スカウトを務める。
日本では広島東洋カープ、東京ヤクルトスワローズ、オリックス・バファローズに所属した。
概要
OB | |
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グレッグ・ラロッカ Greg Larocca |
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基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | ニューヨーク州 |
生年月日 | 1972年11月10日 |
身長 体重 |
181cm 81kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 二塁手、三塁手、一塁手 |
プロ入り | 1994年 |
経歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
マサチューセッツ大学を経て1994年ドラフト4位でサンディエゴ・パドレスに入団。2000年にメジャーレビューし、2001年にクリーブランド・インディアンスに入団。
日本球界時代
2004年に広島東洋カープに入団。打率.328、40本塁打、101打点という大台の成績を叩きだした。
2005年は故障に泣き戦力外通告を受け東京ヤクルトスワローズに移籍した。
2006年はアレックス・ラミレス、アダム・リグスと共に強力な中軸を形成し、F-Brothersというニックネームが付けられた。103試合に出場しそれなりの成績を収めたが、翌年オリックス・バファローズに移籍。
2007年は主に3番三塁手として136試合に出場しベストナインを受賞。また千葉ロッテマリーンズ戦で全球団から本塁打を達成したが、一方でシーズンの死球記録を55年ぶりに28に塗り替えた。
2008年は右肘の手術で28試合に留まった。
2009年は7月28日に歴代13位の通算100個目の死球を受けて74試合に留まった。
2010年はシーズン序盤に右手小指を骨折するも強行出場しつづけたが、背筋痛で登録抹消され、さらにアーロム・バルディリスが活躍したことによって一軍昇格できず42試合の出場に留まり、同年オフに解雇された。
引退後
その他
- 内野ならどこでも守れる。
- 上記の通り死球が多く、清原和博については死球の数で勝負しようかと語っていた。2007年の契約更改では死球による治療費まで盛り込まれた。しかもその年の偉業を称えられ「当てたロッカ」まで発売された。
応援歌
球団 | レス | No | プレイヤー |
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広島 | 応援歌のピコカキコ一覧#652 | 10616 | |
ヤクルト | セントラル・リーグの応援歌のピコカキコ一覧#20 | 14840 | |
オリックス | 応援歌のピコカキコ一覧#378 | 9628 |
成績
通算打撃成績
通算:10年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
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MLB:3年 | 39 | 100 | 88 | 16 | 23 | 6 | 1 | 0 | 6 | 1 | 2 | 0 | 8 | 2 | 11 | 2 | .261 | .337 |
NPB:7年 | 583 | 2375 | 2068 | 322 | 600 | 111 | 3 | 123 | 372 | 15 | 0 | 15 | 183 | 109 | 290 | 47 | .290 | .376 |
タイトル・表彰・その他
タイトル | ||
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最高出塁率 | 1回 | 2004年 |
表彰 | ||
ベストナイン | 2回 | 2004年、2007年 |
その他 | ||
オールスターゲーム出場 | 2回 | 2004年、2007年 |
全球団から本塁打 | - | 2007年4月5日 |
関連動画
関連項目
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