ゴールデンフェザント(Golden Pheasant)とは、アメリカ合衆国の元競走馬である。フランス、アメリカ、日本と3ヵ国で芝路線の大物を破った馬である。
馬名は「黄金のキジ」の意。芦毛だけど。
主な勝ち鞍
1989年:ニエル賞(G2)
1990年:アーリントンミリオンステークス(GI)、ジョンヘンリーハンデキャップ(GII)
1991年:ジャパンカップ(GI)
1992年:イングルウッドハンデキャップ(GII)
血統
父Caro、母Perfect Pigeon、母父Round Tableという血統。
父Caro(カロ)は、現役時代はプール・デッセ・デ・プーラン(仏2000ギニー)、ガネー賞などを制した一流馬。種牡馬としては更に成功し、芝の中距離を中心に世界中で多くの活躍馬を輩出している。*シャルード(ビワハヤヒデの父)、*クリスタルパレス(プレクラスニーの父)、Cozzene(アドマイヤコジーンの父)など、代を経て日本の芝に適応する産駒も多く、後にゴールデンフェザントがジャパンカップで活躍する下地の1つと言えたのではないだろうか。
母Perfect Pigeon(パーフェクトピジョン)は13戦未勝利だが、ゴールデンフェザント以外にも重賞馬を2頭産んでいる。後に牝系の末裔からベッラレイアやグランアレグリアが出ている。
母父Round Table(ラウンドテーブル)は66戦43勝のうち16回がレコード勝ちという名馬で、リーディングサイアーを獲得したこともある。
欧州時代
本馬の生産国はアメリカだが、1歳時にキーンランドのセリに出され、欧州で走ることとなった。
デビューは3歳の4月と遅かったが、ここを快勝すると2戦目にいきなり重賞のチェスターヴァーズ(GIII)に出走。流石に勝つには至らなかったものの、この年の仏・愛ダービーを制するOld Vicの2着に入る上々の内容で、続くリス賞(GIII)も2着と、遅いデビューで浅いキャリアながらも高い潜在能力を見せていた。
そして4戦目にしてGI、それも古馬相手のサンクルー大賞に出走。流石にここでは6頭立ての5番人気であったが、最後方から猛然と追い込み、*シェリフズスター(セイウンスカイの父)をアタマ差まで追い詰める2着に大健闘する。
古馬相手でも勝負になる事を証明したゴールデンフェザントの次走は、凱旋門賞トライアルのニエル賞(GII)であった。ところがこのレースには、史上初めて英2000ギニー・英ダービー・エクリプスステークス・「キングジョージ」を無敗で制し、ニジンスキーの再来とも称されたNashwanが、凱旋門賞でのニジンスキー越えを目指して出走していたのである。
この馬の前では、如何にここまで安定した成績を収めていたとは言え、ゴールデンフェザントは脇役の一頭に過ぎなかった。しかし最後の直線、Nashwanは先行した*フレンチグローリーを捉えに行くも、いつものような伸びが見られず叩き合いになり、そこへ後方からレースを進めたゴールデンフェザントが残り50m近辺で強襲。ゴールでは*フレンチグローリーに1馬身半の差をつけて初重賞制覇を挙げた。
Nashwanはニエル賞を最後に凱旋門賞に出走することなく引退してしまった為、万全の状態ではなかったとも言われるが、ニジンスキーの再来とまで言われた馬を差し切った衝撃は大きく、ゴールデンフェザントは本番の凱旋門賞でも6番人気と穴人気を集めた。ところが今度は末脚が不発に終わり、*キャロルハウスの14着と大惨敗を喫してしまう。
これで終わってはよくいる善戦マンもしくは一発屋扱いになりかねなかったが、ここで転機が訪れる。凱旋門賞の後、ゴールデンフェザントの馬主はアメリカ人に変わっており、このタイミングで拠点を欧州から馬主の地元であるアメリカに移すことになったのである。それに伴い、サンデーサイレンスの調教師として有名なチャールズ・ウィッティンガム厩舎に転厩し、新たな馬生がスタートした。
アメリカ時代からジャパンカップに至るまで
アメリカでの初戦は4月の一般戦。ここを最後方から追い込んで快勝すると、続くジョンヘンリーハンデキャップ(GII)では、前年の最優秀芝牡馬であるSteinlenを抑えて1番人気に支持される。 僅か5頭立ての少頭数ながら、ここでも最後方から追い込んでSteinlenを含む4頭を差し切って勝利し、北米芝路線に新星誕生!……かに見えたものの、続くハリウッドターフハンデキャップ(GI)ではSteinlenの返り討ちに遭って4着。エディ・リードハンデキャップ(GI)では大外を回るロスが響いて3着と中々GIには手が届かず、もどかしい競馬が続く。
夏の最大目標として、ゴールデンフェザントはアメリカ芝路線でBCターフと並んで格が高いアーリントンミリオンに出走した。1番人気は前年のBCターフを制し、目下3連勝中のPrized、2番人気にSteinlen、3番人気にはGI未勝利ながらここまで13勝を挙げているWith Approvalが続き、ゴールデンフェザントは4番人気であったが、道中Steinlenの後方につけて足を溜め、残り400mで前が空くと豪快に伸び、Steinlenを競り落として逃げ込み体勢に入っていたWith Approvalを1馬身1/4差し切ったところがゴールであった。
北米芝路線の強豪をまとめて下し、トップクラスの一頭に躍り出たゴールデンフェザントであったが、次走であるBCターフへ向けての調教中に右前脚の管骨にヒビが入る故障を発症して、約1年の休養を余儀なくされる。
復帰後初戦の一般戦は10着と惨敗してしまうが、続く一般戦では勝ち馬から3/4馬身の2着と良化の兆しを見せたゴールデンフェザントは、BCターフの前哨戦の一つであるバドワイザー国際ステークス(GI)に出走。前走の内容から3番人気に支持されるが、稍重馬場で思ったような走りが出来ず7着完敗。ゴールデンフェザントは重馬場では自慢の切れ味が発揮できない馬だったのである。
この結果を受け、ウィッテンガム調教師はBCターフを回避して、例年良馬場で開催される事が多いジャパンカップへの出走を選択。軽い馬場での瞬発力勝負が自慢と、近年ジャパンカップで好走する馬の条件を備えていたのだが……。
ジャパンカップ
この年のジャパンカップは、メジロマックイーンが1.9倍の断然人気を集めていた。単勝支持率41.9%はシンボリルドルフを超えるジャパンカップ史上最高(当時)の数字であった。
メジロマックイーンがここまでの人気を集めた背景として、前走の天皇賞(秋)で降着にはなったが6馬身差をつける程の強さを見せた自身の実力もさることながら、前年に所謂「平成三強」こと、オグリキャップ・スーパークリーク・イナリワンが揃って引退して以降、オグリキャップの一つ下の世代は最弱世代パッとせず、メジロマックイーンと同世代のメジロライアンやホワイトストーンは故障中だったりイマイチ街道驀進中だったりと精彩を欠き、メジロマックイーンの一つ下の世代の二冠馬トウカイテイオーは骨折で休養中、菊花賞を制したレオダーバンも回避と、メジロマックイーン以外の日本馬は極めて手薄な状態であった。何しろ日本馬の2番人気がカリブソング(全体で9番人気)だったし。
加えて当時は外国馬の方が優勢の状況であり、シンボリルドルフ以降、日本馬の優勝は途絶えていた。タマモクロスやオグリキャップほどの馬でも勝てなかったレースであり、シンボリルドルフ以来の日本馬の勝利がメジロマックイーンには期待されていたのである。
対して外国馬の出走馬は9頭であったが、例年に比べると小粒との評価(日本馬も大概だけど)で、ヴェルメイユ賞(仏GI)を制し、凱旋門賞で2着したマジックナイト(マグナーテンの母)が外国馬最上位の2番人気に推され、ゴールデンフェザントは近走不振の上に芝の本場でないアメリカの馬とあって7番人気であった。一応騎乗が無かった岡部幸雄騎手が「乗ってみたい馬」として名前を挙げていたのだが、どこ吹く風だった人も多かったようだ。
レースは大井の雄・ジョージモナークが果敢に逃げ、メジロマックイーンは好位の4、5番手。対してゴールデンフェザントは後方の12、3番手と、こちらもいつも通りの位置取り。そのまま淡々とレースは流れるが、ゴールデンフェザントは3コーナーから徐々に前との差を詰めると、直線入口でマジックナイトと共に仕掛けるや否や凄まじい末脚を繰り出し、既にバテていたジョージモナークだけではなく、メジロマックイーンをも一気に抜き去ったのである。メジロマックイーンも伸びてはいるのだが脚色が違い過ぎ、唯一食らいついたマジックナイトも残り100m辺りで振り切って、見事1着でゴールした。
7番人気だったとはいえ、血統面や馬場状態など、好走する要因は揃っていたゴールデンフェザントだったが、このジャパンカップはゴールデンフェザントが勝ったレースと言うよりも、「天皇賞(秋)で歯車が狂ったメジロマックイーンが、格下の外国馬相手に瞬発力不足でまさかの完敗を喫したレース」と伝えられている側面が多いように思う。
しかしこれは額面通り受け取っていいものだろうか。ゴールデンフェザントは北米芝路線の馬とは言え、前述のようにアーリントンミリオンを制していた。他の出走馬の中でマジックナイトやテリモン(英ダービーでNashwanの2着など)は欧州の一流馬と言って差し支えない成績であったし、3着に入線したシャフツベリーアヴェニューはオーストラリアでGIを6勝したトップホースであった。
メジロマックイーン自身も次走の有馬記念でダイユウサクに負けているように、まだ超一流馬の域に達しておらず、後年、大阪杯の際に武豊が「三強のような凄味が出てきた」と語ったように、この時点では実力と評価にズレがあり、結果としてゴールデンフェザントもメジロマックイーンも、やや不当な評価を受けてしまったのではないだろうか。
ちなみにアーリントンミリオンの勝ち馬がジャパンカップも勝ったということで、JRAからアーリントンパーク競馬場に桜の木が寄贈され、この木はパドックに植樹されている。
その後
ジャパンカップでの見事なレース振りに、社台グループの総帥、吉田善哉氏は種牡馬としての価値を見出し、翌日にゴールデンフェザントを購入。以後は社台の勝負服で走ったゴールデンフェザントだったが、元々展開に左右されやすい追い込み脚質に加え、ハンデの増加にも苦しむようになり、ジャパンカップ以降はGIIを1勝するに留まった。それでも安定した成績は残しており、善哉氏の意向で2年連続ジャパンカップに参戦する予定であったが、直前に故障を発症し引退となった。
引退後は予定通り社台ファームで種牡馬入りしたが、初年度産駒に青葉賞を制したトキオエクセレントを出した以降は伸び悩んでしまう。自身と同様の芦毛の追い込み馬ヤマニンアラバスタが新潟記念・府中牝馬Sを制したのがせめてもの慰めであったが、これが種牡馬としての最後の重賞勝利となり、2002年に中国に寄贈された。
ジャパンカップであれほどの衝撃を与えた馬の道程としては寂しいものがあるが、現地で元気にしていて欲しいものである。
血統表
Caro 1967 芦毛 |
*フォルティノ 1959 芦毛 |
Grey Sovereign | Nasrullah |
Kong | |||
Ranavalo | Relic | ||
Navarra | |||
Chambord 1955 栗毛 |
Chamossaire | Precipitation | |
Snowberry | |||
Life Hill | Solario | ||
Lady of the Snows | |||
Perfect Pigeon 1971 鹿毛 FNo.3-o |
Round Table 1954 鹿毛 |
Princequillo | Prince Rose |
Cosquilla | |||
Knights Daughter | Sir Cosmo | ||
Feola | |||
Pink Pigeon 1964 芦毛 |
T.V. Lark | Indian Hemp | |
Miss Larksfly | |||
Ruwenzori | Oil Capitol | ||
Ruanda | |||
競走馬の4代血統表 |
主な産駒
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関連項目
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