サイテーション単語

サイテーション
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サイテーション(Citation)とは、以下のものをす。

  1. 「学術論文の引用」「表状」等を意味する英単。詳しくは辞書参照。
  2. 1945年生まれの米アメリカ合衆国競走馬
  3. 2から名前を取ったセスナ社のビジネスジェットアメリカお金持ちの足。
  4. 2から名前を取ったパワービルト社のゴルフクラブブランド。昔、青木功とかが使っていた。

ここでは2について述べる。

概要

海外競馬にはすごく詳しいんだ(キリッ」という人でも良く知らない事が多い、不思議。それがサイテーションである。どれくらい名かというと、1999年ブラッドホース誌が選定した「20世紀のアメリカ名馬100選」でマンノウォーセクレタリアトに続く3位ランクインするレベルである。

しかしながら他2頭にべると日本での知名度は驚くほど低い。海外を扱った本に出ていない事の方が多いくらいである。

血統・出自

Bull LeaHydroplane、Hyperionという血統で、名門カルメットファームの生産所有馬ブルリーはアメリカリーディングサイアーに5回き、サイテーションを含めて7頭の殿を輩出した名種牡馬は不出走だがその英オークスハイペリオンは言うまでもなくイギリス歴史的名である。かなりの良血だと言えよう。

さいころは見栄えがしなかったらしいが成長後は堂々たる体となっている。見るからに筋肉ムキムキ。スピードがありそう。実際、彼は4回もレコード勝ちを収めているし、騎手を務めたエディ・アーキャロ騎手は「乗っていて怖いほどだった」とっている。

反面、神経質なところがあったらしく身食い(自分の身体を噛む)があったそうである。このため、いつも口に籠を被せられていたのだという。頭が良いで、調教師は「どんなレースでも出来た」と言っている。気性も素直だったのだろう。

2歳時~3歳前半

さてこのサイテーション、デビューから物凄く強いであった。何しろ2歳4月デビューからあっという間に5連勝。6戦で初を喫したものの、この1敗は、同・同厩・同馬主ウィッチ(こちらも7戦敗だった)に勝ちを譲ったのだという。その後は再び3連勝を挙げ、9戦8勝で最優秀2歳に選ばれたが、後から考えると6戦勿体無い負けであったと言える。

3歳時は古相手の始動戦でいきなり前年の年度代表馬アームド(こちらも同・同厩・同馬主だった)を倒し、そこから4連勝して連勝を7に伸ばしたのだが、7連勝の直後、戦を務めていたアルスナイダー騎手釣りに出たフロリに遭って急死するというアクシデントが発生。急遽エディ・アーキャロ騎手に乗り替わったのだが5戦で2着に敗れてしまう。アーキャロ騎手レース後に「8300ドル(ケンタッキーダービーの1着賞の1割程度)程度のために、不良馬場の中で本気で追ってに悪を残すつもりはなかった」と言ったのだが、結果的に後世から見ると「2歳時の負けとこの負けがなければ……」と言いたくもなる敗戦だった。

3歳中期以降・三冠達成と連勝街道

というのは、サイテーションはここから破の16連勝を飾るのである。そのどうとでもなったような2敗がなければ30連勝になるところであったのだ。まあ16連勝でも恐るべき記録であることには違いない。何しろこの記録は、1996年シガーに並ばれるまで米国近代競馬における不滅の大記録として君臨し続けたのである。現在ではゼニヤッタがこの記録を一応抜いてはいるが、サイテーションの連勝記録は数以上に内容が凄いのである。

2連勝で出走したケンタッキーダービー(6頭立て)では、同・同厩・同馬主コールタウンを3身半差の2着に破って勝利コールタウンが短距離路線に行ったため不在となったプリークネスステークス(4頭立て)では逃げなりのまま5身半差で圧勝。ベルモントステークスまでの叩きで出走したジャージーSでは11身半差でレコード勝ちを決めた。

そして3冠ベルモントステークスでは、アーキャロ騎手が「落でもしない限り、三冠々のものだ」と言い放ち、大逃げを打ってそのまま8身差で勝利。2年ぶり8頭アメリカ三冠馬となった。

続けて出走した古相手のスターズ&ストライプスHでは、レース中に脚を捻挫しながら2身差で勝利。療養を経て復帰した一般競走から更に5連勝を上積みすると、10月ピムリコスペシャルSでは他が全て回避したために単走で「勝利」した。

これでシーズンを終えても良さそうなものだが、馬主はサイテーションをタンフォラン競馬場(カリフォルニア州)に遠征させて、もう2連勝を積み重ねた。

こうしてサイテーションは20戦19勝(15連勝含む)ステークス競走17勝(現在もこの年間記録は破られていない)という成績で3歳シーズンを終えた。あまりの衝撃に「マンノウォー以来の偉大な」としてマンノウォーニックネームビッグレッド」をもじった「ビッグサイ」という渾名がついたほどである。マンノウォーは当時既にアメリカ神話と化しており、そのと並び称されるというのは余程のことであった。

年間獲得賞記録も打ち立てて3歳シーズンを終えたサイテーションは当然年度代表馬・最優秀3歳に選ばれた。

4歳以降

しかしながら、栄に包まれ前途洋々だったサイテーションに突然試練の時が訪れる。4歳になってすぐ、左前脚に球節炎を患ってしまうのである。

実は年末に遠征したタンフォラン競馬場は、コンクリート級の硬さと言われるほど馬場の評判が悪かったのだ。18戦もした上にそんな競馬場で走ったせいもあってか故障は長引き、4歳シーズンを丸々棒に振ってしまう。これほどの名であるから引退して種牡馬入りしても不思議ではなかったのだが、世界初の獲得賞100万ドル突破をしてサイテーションは現役を続行した。

5歳1月、1年ぶりにサイテーションは競馬場に帰ってきた。そして復帰戦を勝利し、20世紀以降のアメリカ競馬における最高記録となる16連勝の大記録立したのだった。

ところが、流石にこれで勝ち続けられるほど競馬はそんなに甘くない。5戦連続で2着。2着を外さないのは流石だったが、イギリスからやってきた快速ヌーアがアメリカで本格化して立ちはだかり、なかなか勝てない。ゴールデンゲートマイルハンデキャップ世界レコード叩き出して復活したかと思いきやまだ調子ではなく、次走のフォーティナイナーハンデキャップでヌーアに敗退。ゴールデンゲートハンデキャップでは最初で最後の2番人気に甘んじ、レースでも3身差で敗れた挙句、レース後に再び左前脚の状態が悪くなり、長期休養を余儀なくされた。ヌーアとの対戦では5回中3回で世界レコードが飛び出すというしい競馬が続いており、流石に3歳時に20戦をこなしたサイテーションといえども厳しいものがあったのだ。結局5歳時は獲得賞の北記録更新したものの、9戦2勝2着7回の成績で終わった。

その上6歳初戦で、デビュー以来38戦連続で続けてきた連対も途切れてしまい、次走も3着に終わった後、6歳3戦では遂に最初で最後の着外となる5着に終わってしまう。しかしその後、2着を挟んで出走した6歳5戦でようやくサイテーションは本来の走りを取り戻す。そこから3連勝を飾り、ハリウッドゴールドカップで10万ドルを獲得。生涯獲得賞額を108万5760ドルとしたことで念願の100万ドルの大台に乗せ、これを手土産引退した。

通算45戦32勝2着10回。三冠・16連勝・38連続連対・ステークス競走年間17勝の記録然といている。まさしく名と言うに相応しい戦績である。しかし、サイテーションが現在でもアメリカで不滅の名と評価される理由の一つとしては、当時の時代背景も考慮に入れる必要があるだろう。

彼が走った1940年代後半というのは、実はアメリカ競馬全盛期である。当時、アメリカで観戦スポーツといえば断然競馬野球だったのである。人気が高い時代のそのスポーツの選手への評価は高くなる。野球選手を評価する際、現在の選手より、王・長嶋時代の選手を高く評価する傾向があるのと同じことである。いわゆる思い出補正というもので、サイテーションはまさにアメリカ競馬全盛期の栄徴するなのである。

その後

サイテーションは種牡馬入りして、数頭の一流を出してはいるものの、全体的には低調に終わった。サイアーラインはほぼ壊滅状態にあるが、*アフリートや古くは*コインシルバー(アサエンペラーなどの)、海外ではExceed and Excel(豪州リーディングサイアー)の血統に入っているため、現代でも時折名前を見かけることができる。

1959年殿堂入りを果たし、1969年種牡馬引退した後、その翌年の1970年死亡遺体はカルメットファームに埋葬された。3歳シーズンの始まりの地であるフロリダ州・ハイアリアパーク競馬場にはサイテーション像が建っている。

ちなみに、アメリカスポーツチャンネル・ESPNで行われた「20世紀のトップアスリートベスト100」という企画で、人間に混じってなんと97位に選出されている(マンノウォーセクレタリアトランクインしている)。それを聞けば、サイテーションらがアメリカでどんな存在なのか、なんとなく想像出来るだろう。

血統表

Bull Lea
1935 黒鹿毛
Bull Dog
1927 黒鹿毛
Teddy Ajax
Rondeau
Plucky Liege Spearmint
Concertina
Rose Leaves
1916 黒鹿毛
Ballot Voter
Cerito
Colonial Trenton
Thankful Blossom
Hydroplane
1938 栗毛
FNo.3-l
Hyperion
1930 栗毛
Gainsborough Bayardo
Rosedrop
Selene Chaucer
Serenissima
Toboggan
1925 鹿毛
Hurry On Marcovil
Tout Suite
Glacier St. Simon
Glasalt
競走馬の4代血統表

クロスSt. Simon 5×5×4(12.50%)、Bay Ronald 5×5(6.25%)

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1 ななしのよっしん
2012/09/04(火) 02:38:40 ID: xV39B0s8Ca
記事乙
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2 ななしのよっしん
2013/08/19(月) 01:09:06 ID: 0yVfoApCPX
2歳時に勝ちを譲ったとされる同馬主(カルメットファーム)・同厩のは、ビウィッチと言って、こちらも当時敗だった。
サイテーション引退レースとなったハリウッド金杯で2着に入り、当時の賞女王いている。

また、サイテーションの前に賞王の座についていたスタイミーと言って、カルメットファームが生産した名、アームドの記録を塗り替えてのものだった。

サイテーションが仮に3歳時点で引退してしまうと、スタイミーの賞額には15万ドル程度及ばず、引退を伸ばしてまで賞王をしたのは、当時の大牧場・カルメットファームの意地があったのかもしれない。

以上、憶測も混じりの補足でした。
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3 ななしのよっしん
2016/10/04(火) 03:37:32 ID: AsdPhPxvF4
3歳時「だけ」で20戦19勝とか頭おかC
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