サガン鳥栖とは、1999年よりJリーグに所属しているプロサッカーチームである。2012年シーズンはJリーグ1部(J1)所属、1999年~2011年は2部(J2)所属。
概要
- 親会社:サガンドリームス(2005年-)
- 本拠地:ベストアメニティスタジアム(2008年に命名権取得。)
- 住所(事務所・本拠地):佐賀県鳥栖市京町812
- 収容能力:24,490人
- マスコット:ウィントス
『サガン鳥栖』の名前の由来は小さな砂が固まって岩となった『砂岩』で、『佐賀の』という佐賀弁が掛っている。『ユベントス』に発音を似せている所もあったりする。1997年、鳥栖フューチャーズ解散後のチーム名公募により名付けられた。
鳥栖市だけではなく、佐賀県各所や県を越えて福岡県筑後地方からの観戦者も多く、鳥栖市民以外にも愛されるように、と『サガントス』表記で活動したりする。筑後地方ではアビスパ福岡とのサポーターの取り合いとなるが、久留米市の企業(ブリヂストン、ベストアメニティなど)はサガン鳥栖に出資していたりする。
ホームタウンはあくまでも鳥栖市。佐賀市、久留米市など各地から観客が訪れるが、練習は概ね鳥栖市内限定で活動している。(練習は鳥栖市北部グラウンド、鳥栖市陸上競技場。かつては福岡県小郡市で練習したりもしていたが。)そのため、サガン鳥栖の強化による行政事業はほとんど鳥栖市に委ねられており、佐賀県からの支援については鳥栖市を介さないと成立しないのが現状。
試合はホームゲームのほとんどを鳥栖スタジアムで行っているが、10月は芝の張り替えの為、1試合ないし2試合は佐賀市にある佐賀県総合運動場陸上競技場を使用する。(2011年シーズンは改修により鳥栖スタジアムで10月開催。)大型ビジョンの設置は鳥栖スタジアムが2007年からで、佐賀は1998年から既に導入されていた。
キャンプ地は大分県日田市中津江村などで行われる。雪の中の鯛生金山で練習したり、朝から登山をさせられたりと、キャンプ中の練習は過酷といっていい。
1995年~2005年
1994年、PJMフューチャーズが鳥栖市に移転することを決め、1995年シーズンに鳥栖に移籍。1年目は鳥栖スタジアムが建設中で、佐賀県総合運動場で主に試合を行っていた。1996年、解散騒動が勃発。12月25日に解散を発表した。
「鳥栖フューチャーズ」が解散後、鳥栖市民の力により復活した。 旧JFLで2年連続4位と言う好成績を挙げ、1999年、J2開幕10チームの一チームとなる。 しかし、J2で毎年のように不甲斐ない成績を残すばかりで、挙句の果てに2003年に最下位。この時代は2002年に問題行為を起こしまくった女社長・古賀照子によりどんどん暗黒化していった。
2004年は「プリンセス天功」とユニフォームスポンサー契約するも、ブービーに。 やがて第二次解散騒動がやってきて、前親会社が解散。2005年初めに現在の親会社となる。
2006年~2009年
2006年にユニフォームとチームフラッグ、チームカラーを一新した際、順位が4位に急上昇する。 しかし、シュナイダー潤之介や新居辰基といった主力を次々と放出し、翌年は8位に低迷。
2008年、いきなり開幕ダッシュに成功し、2006年同様終盤までJ1昇格争いをする。 天皇杯4回戦にナビスコ杯優勝のJ1大分、5回戦にJ1の神戸にそれぞれ圧勝し 「これ、J1も行けるんじゃね?」とファンに思わせておきながら、残り2戦を残して最下位・徳島に惨敗。 この瞬間、J1昇格の夢が断たれたため、未だに"お荷物チーム"のイメージから抜けられない。
2009年、チームの一員だった藤田祥史が大宮に移籍した為に、練習試合で当時JFLのニューウェーブ北九州(現:J2ギラヴァンツ北九州)に負けてしまうという波乱の出来事が起こった。その為、2009年のサガン鳥栖は2003年以来の最下位になるかが心配されていたが、何とか開幕3連敗の落ち込みから脱却し、苦しい戦いが続いているが、横浜Mから山瀬弟とハーフナーを期限付きではあるが獲得することができ、得点力が急上昇し、シーズン途中には元・アビスパ福岡のホベルトが加入。切り札的存在のトジンもここ最近活躍し、遂には5位まで順位を上げた。が、その後、J1争いに失速し、上位対戦を0勝1分3敗と、散々な結果で調子を落とし、結局5位どまりでJ1昇格に届かなかった。監督である岸野靖之はこのシーズンをもって退団。
2010年~第二次松本体制~
2010年、2006年まで監督として指揮した松本育夫ゼネラルマネージャーが監督として復帰し、元韓国代表で元鳥栖DFの尹晶煥(ユン・ジョンファン)がヘッドコーチに就任する。選手面では、武岡優斗、渡邉将基ら、4選手を鳥栖前監督、岸野靖之率いる横浜FCに奪われ、『Mr.サガン鳥栖』こと、高橋義希がベガルタ仙台に移籍するなど、シーズンオフから波乱のシーズンとなってしまったが、山瀬幸宏の完全加入での残留、京都サンガから豊田陽平を獲得、ジュビロ磐田から萬代宏樹の獲得など、着々と攻撃陣を補強し、MF陣、DF陣も、前シーズン並の補強をした。序盤は安定した滑り出しを見せたサガンだったが、W杯終了後からじわじわと低迷してしまい、勝ちが遠くなってしまう。次第に下位に下がって行き、一時期2ケタ順位まで落としてしまったが、最終的に9位となった。選手の入れ替えが激しく、交換トレードのような形で野崎陽介が横浜FCへ、横浜FCから田中輝和を獲得。更に、金民友が韓国代表に選出され、長期離脱するなど、選手編成が固定できなかった。得点面でも首位柏と比べて25得点以上差が付いた。
激動の2011年~遂に悲願達成~
飯尾和也が明らかに敵を作るかのようなコメントを残し、横浜FCに移籍。そして、野崎陽介が完全移籍、特別指定選手の森本良までもが横浜FCに移籍し、横浜FCは追い打ちをかけるかのように大宮の藤田祥史(2008年までサガン鳥栖在籍)を獲得。これにより、サガン鳥栖の一層の『第2横浜FC化』が進んだ一方のサガン鳥栖サイドは何故か期待されるFW萬代宏樹をザスパ草津に期限付き移籍させたり、衛藤裕を徳島ヴォルティスに放出、日高拓磨をコンサドーレに放出するなど、また選手面で波乱を生んだ。一方の補強は広島から岡本知剛甲府から國吉貴博をそれぞれ期限付きで獲得、横浜Mの大量解雇組から浦田延尚、湘南から永田亮太を獲得。特別指定選手だった野田隆之介を早々加入を内定させ、どうにか補強を進める。
前半戦は水戸ホーリーホックに5-0で勝利するなど、序盤こそ好調だったものの、愛媛FC戦の敗戦を境に京都サンガ戦で2-1で勝った以外は勝利を逃し、順位も2位だったのが9位に下がってしまった。しかし、8月14日から伝説が始まった。ホーム・ベアスタのガイナーレ鳥取戦で1-0で勝利すると、チームの勢いは止まらない。東京ヴェルディ、水戸、鳥取のガイナーレ鳥取戦(特にこの時は6-3で勝利)にも勝ち、4連勝を飾る。ベアスタのファジアーノ岡山の6-0での勝利の前後に引き分けるものの、そこからまた4連勝を飾り、順位は一気に2位にまで上がるようになった。10月23日のFC東京戦ではFC東京の猛攻に遭うが、何とか耐え0-0のスコアレスで終了した。その後は最下位FC岐阜に引き分けるなど、アウエーで中々勝点を取る事ができずにいた。そしてついにホーム・ベアスタのギラヴァンツ北九州戦に2-3で敗れ、無敗記録が16で止まってしまった。勝点65同士で迎えた徳島の『鳴門決戦』(詳細は該当記事参照)で、金民友のゴールなど3得点を取って快勝し、大一番を3-0で勝利した。
そして迎えた最終節。ロアッソ熊本とホーム・ベアスタでの対戦。今年最後の九州ダービー、J1を賭けた大一番なだけに、観客は鳥栖スタジアム過去最高の22,532人がスタジアムに集まった。前半は先に攻められ0-1で終わるものの、後半に早坂のゴールで追いつく。しかし更に点を取られ、絶体絶命になったが、木谷がゴールを決め、2-2とした。結果、このまま引き分け、サガン鳥栖は勝点69、札幌がFC東京に勝利したため勝点68と、勝点1差で2位となり、創設15年目、Jリーグ参戦13年目で初めてのJ1昇格を決めた。この年は豊田陽平の23ゴールを筆頭に、赤星拓の好セーブや藤田直之のロングスローなどがこの年のサガン鳥栖の象徴となった。
アビスパ福岡との因縁
サガン鳥栖とアビスパ福岡の因縁はJFLでそれぞれ鳥栖フューチャーズ、福岡ブルックスの時代からあった。1995年にブルックスが福岡に移籍すると、鳥栖フューチャーズの主力選手をごそっと抜きだされ、1995年に先にJリーグに昇格され、鳥栖フューチャーズは1996年にPJMが撤退して解散となったことがある。『サガン鳥栖』誕生後、福岡と対戦する場合は福岡サポーターから「田舎でもサガン鳥栖は弱い」、「飛ばない奴はサガン鳥栖」と言われる始末だった。J2では順位が鳥栖と福岡で逆転した年が2度ほどあったが、2011年に鳥栖がJ1昇格し、福岡がJ2に降格したため、遂にカテゴリでも逆転することとなった。サポーター同士でも小競り合いが起き、2007年には福岡サポーターが鳥栖勝利の際に鳥栖駅を占拠して問題となった。なお、サガン鳥栖のアンチテーマは福岡サポーター(ウルトラオブリなど)以外にもFC東京や浦和レッズなどで歌われている。
横浜FCとの因縁
2007年-2009年にサガン鳥栖を率いた岸野靖之率いる横浜FCに何故かサガン鳥栖在籍経験者が大量にいることから、2ch界隈では『赤帽ダービー』と呼ばれる。最大10人ものサガン鳥栖経験選手が岸野らの手により横浜FCに移籍したため、2010年以降のサガン鳥栖VS横浜FCでは鳥栖側のブーイングが絶えなかった。ちなみに、その選手の活躍度はというと・・・渡邉将基と高地系治がスタメンに出るだけで、後は2011年シーズンを見るとほとんどの選手が活躍できなかった。ただ引き抜いただけでは勝てない、ということか。(これで横浜FCに上回れたらサガン鳥栖は『第2横浜FC』になりかねなかった。)
胸スポンサー
歴代監督(J2開幕後~)
- 楚輪博(1999) ※旧JFL時代(1997年)~
- 高祖和弘(2000-2001)
- 副島博志(2002)
- 千疋美徳(2003)
- 松本育夫(2004-2006) ※第1次
- 岸野靖之(2007-2009)
- 松本育夫(2010) ※第2次
- 尹晶煥(2011-)
大百科に記事のある選手
監督・コーチ
所属選手
元所属選手・OB
マスコットキャラ
「ウィントス」。
2006年にチームカラーが変更となった際に、このキャラのカラーも変更。 現在は水色とピンク色の鳥の形をしたキャラクターとなっている。 モチーフは佐賀に住む「カチガラス(カササギ)」。 「カチカチ」と鳴くこのカラスは佐賀県の鳥である(※補足:本来は朝鮮半島原産) その鳴き声、「カチカチ」を英語読みにし、「鳥栖」をくっつけて「ウィントス」という名がついた。
関連動画
関連商品
関連コミュニティ
関連項目
- 鳥栖市
- Jリーグ
- 古賀照子 - 株式会社サガン鳥栖時代の社長で、2003年のサガン鳥栖最下位などに加担した元凶
- 九州ダービー
- アビスパ福岡
- ギラヴァンツ北九州
- ロアッソ熊本
- 大分トリニータ
- Jリーグチーム一覧
http://dic.nicomoba.jp/k/a/%E3%82%B5%E3%82%AC%E3%83%B3%E9%B3%A5%E6%A0%96


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リビジョン番号: 1420310
読み:サガントス
初版作成日: 08/11/23 15:04 ◆ 最終更新日: 12/01/25 07:02
編集内容についての説明/コメント: 所属選手に木谷追加。
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