サディオ・マネ(Sadio Mané, 1992年4月10日 - )とは、セネガル出身のサッカー選手である。
サウジアラビアのアル・ナスルFC所属。サッカーセネガル代表。
175cm69kg。ポジションはFW(主に左WG)。利き足は右足。
概要
爆発的なスピードで知られる世界屈指のサイドアタッカーであり、ユルゲン・クロップ監督率いるリヴァプールFCではモハメド・サラーとのコンビでUEFAチャンピオンズリーグ優勝、プレミアリーグ優勝と数々の栄冠を手にしている。得点力も高く、PK無しでプレミアリーグ通算100ゴールを記録。2019年にはプレミアリーグの得点王を獲得。PFA年間ベストイレブンには4度選出されている。
セネガル代表の歴代最多得点記録保持者であり、2022年にはセネガルにとって初の国際タイトルとなるアフリカネーションズカップ優勝をもたらしている。
2019年にはアフリカ年間最優秀選手賞を受賞。サラーと共にアフリカでも最高峰のアタッカーと評されている。
2023年1月には31歳にして18歳のセネガル人女性と結婚している。
経歴
プロ入りまで
セディウという小さな田舎の町に生まれ、両親は彼を育てる十分な資金が無いほど実家の経済は非常に困窮していた。学校に入る資金すら無いほどだった頃から幼くして両親と離れ、叔父のもとで暮らすことになる。そんな過酷な境遇だった彼の心の支えになっていたのがサッカーだった。誰かがサッカーボールを蹴っているのを見つけては参加し、毎日ストリートサッカーに明け暮れる日々が続いた。
2002年日韓ワールドカップにおいて母国セネガルが初戦で強豪フランスを破り、ベスト8進出という快挙を成し遂げ、自分も母国のヒーローになりたいと思ったことからプロサッカー選手を目指すことを決意する。父親が厳格なイスラム教徒だったこともあり当初は両親から反対されるが、最終的に息子の強い決意を理解した両親と叔父は農場の作物をすべて売り払い、夢を叶える資金を用意した。さらに、町の住人たちも彼のことを支援した。
15歳のときに叔父と共に故郷から800km離れた首都ダカールを訪れ、サッカークラブのトライアルを受けるための会場へと向かう。貧しかったためサッカー用ではないボロボロの靴とショートパンツでテストを受けようとしたことから場違いのように扱われるが、「僕は僕が持っている一番いいものを着てきた」と言い返して怯まなかった。結果、彼の才能は関係者の目にとまり、セネガルのエリート養成アカデミー「ジェネレーション・フット」と契約。ここで19歳まで在学し、最先端の理論、戦術、スタイルを学び、欧州のフットボールに挑戦する道が開かれることになる。
メス
2011年にアカデミーと提携を結んでいたフランス・リーグ・ドゥに所属するFCメスへ入団し、念願であったプロサッカー選手としてのデビューを実現させる。プロ初ゴールも決めるなど、出場機会も得られてはいたが、2011-12シーズンのメスは18位と低迷し、3部へ降格することになる。
ザルツブルク
2012-13シーズンには、メスでのプレーがスポーツディレクターのラルフ・ラングニックに評価され、オーストリアの名門レッドブル・ザルツブルクへと移籍する。すると、たちまちその才能が開花。ストリート仕込みのテクニックとスピードがラングニックが掲げるエクストリーム・フットボールにフィットし、監督のロジャー・シュミットから攻撃の核として重用される。試合を経験するたびに成長を見せ、リーグ戦では16ゴールを記録する。
背番号が「10」に変わった2013-14シーズンに入っても勢いは止まらず、コンスタントに結果を残す。国内ではリーグ戦で2試合連続での二桁ゴールを記録するなど、オーストリア・ブンデスリーガとオーストリア・カップでの国内2冠に貢献。さらに初の欧州での舞台となるUEFAヨーロッパリーグでもスタンダール・リエージュやアヤックスなどを破っての10連勝に貢献。公式戦50試合23得点という数字を残し、さらなるステップアップが期待されるようになった。この頃、当時ボルシア・ドルトムントの監督だったユルゲン・クロップから関心を持たれるが、ザルツブルクとの交渉は決裂し、移籍は実現しなかった。
サウサンプトン
2014年9月1日、イングランド・プレミアリーグのサウサンプトンFCへ4年契約で移籍。移籍金はクラブ史上最高額となる1500万ユーロとなった。9月23日のEFLカップ アーセナル戦でデビューを果たすと、爆発的なスピードを生かしてすぐにチームの主力となる。同時期に加入したグラツィアーノ・ペッレ、ドゥシャン・タディッチと共に攻撃陣を形成し、プレミアリーグ初年度にして二桁ゴールを記録する活躍を見せる。特に2015年5月16日のアストン・ヴィラ戦ではわずか3分間でハットトリックを決めるという偉業を成し遂げ、大きなインパクトを残す。加入当初はイングランドではまだまだ無名のプレイヤーだったが、シーズンが終わる頃にはプレミアリーグでも屈指のアタッカーとして名を馳せることになる。
プレミアリーグ2シーズン目となる2015-2016シーズンでもチームの切り札的な存在として暴れ、イングランドの屈強なDFにとっての悩みの種となる。この年6位という好成績を残したセインツの躍進の最大の立役者となった。プレミアリーグでは2年連続での二桁ゴールを決め、チーム最多となる公式戦通算15ゴールという成績を残す。いよいよ名だたるビッグクラブがその触手を伸ばすほどの存在となっていた。
リヴァプール
2016年6月21日、プレミアリーグの名門リヴァプールFCへ移籍。移籍金はアフリカ人選手としての史上最高額となる3400万ユーロとなり、背番号は「19」。このとき、マンチェスター・ユナイテッドなど他のビッグクラブもマネの獲得を狙っていたが、リヴァプールを選んだ決めてとなったのは憧れだったクロップ監督の存在だった。クロップも2012年からマネに注目していたと発言し、ようやく共演が実現することになった。加入してすぐにチームにフィットし、クロップの期待に応える活躍によってチームは一時プレミアリーグ首位に立つ。しかし自身が1月にアフリカネーションズカップに出場するために離脱するとチームは失速。それでもシーズン13ゴールを決めてクラブ年間最優秀選手とリーグの年間ベスト11に選出される。
2017-18シーズンには、モハメド・サラー、ロベルト・フィルミーノと共に強力なトリデンテを結成。サラーとのバランスで守備の負担が増えるが、それでもチームでの役割を十分にこなす。初出場となったUEFAチャンピオンズリーグでは、ラウンド16 1stレグのFCポルト戦でハットトリックを達成したのを皮切りに準々決勝のマンチェスター・シティ戦、準決勝のASローマ戦で4試合連続ゴールを決める大活躍を見せ、チームをファイナルへと導く。決勝のレアル・マドリード戦でも一時は同点となるゴールを決めるが、後半にチームは崩れて惜しくもビッグイヤーを逃す。それでもCLで10ゴールという成績を残し、欧州最高峰の舞台でも存在感を見せつけた。
2018-19シーズンからは背番号を「10」に変更。プレミアリーグ開幕戦となったウェストハム戦で2ゴールを決める最高のスタートを切る。リヴァプール自慢の3トップはもはや欧州中の脅威となっており、このシーズンはこれまで以上のハイペースでゴールを量産。自身のキャリアハイとなる22ゴールを記録し、チームメイトのサラーと共に初のプレミアリーグ得点王の座に就く。リーグでは惜しくも優勝を逃したが、CLではラウンド16のバイエルン・ミュンヘン戦で2ゴールを決め、ベスト8進出に貢献。2シーズン連続で決勝のピッチに立つと、トッテナムを相手に果敢な仕掛けからPKを獲得し、先制ゴールを演出。最終的にリヴァプールは2-0で勝利し、14年ぶりとなるビッグイヤーを獲得。欧州フットボールの頂点に立った瞬間となった。この活躍が認められ、2019年のアフリカ最優秀選手賞を受賞する。
2019-20シーズンもチェルシーとのUEFAスーパーカップで同点ゴールと勝ち越しゴールの2ゴールを決め、PK戦の末にタイトルを獲得する順調なスタートを切る。プレミアリーグでもチームの核弾頭として決定的な仕事を次々とこなし、開幕8連勝、前半戦18勝1分という脅威的なペースでの勝ち点の積み重ねに貢献。2019年12月22日に開催されたFIFAクラブワールドカップ決勝ではCRフラメンゴを相手にフィルミーノの決勝ゴールをアシスト。CLではラウンド16でアトレティコ・マドリードの堅守の前に敗れ連覇の夢は絶たれたものの、プレミアリーグではコロナ渦における変則日程の中でも勢いを保ち続け、献身的な働きを見せながら18ゴールという数字を残し、リヴァプールに30年ぶりとなるリーグ優勝をもたらす。このときのマネの貢献度は大きく評価されており、ファンが選出するPFA年間最優秀選手賞に選ばれている。
2020-21シーズンは、シーズン前半戦に守備陣を中心にチームに怪我人が続出。加えて攻撃のスイッチ役であるフィルミーノが深刻な不調に陥り、その影響を受けて自身も調子を落とし、例年のようなパフォーマンスを見せられなくなっていた。チームも2021年に入ってから勝利に見放され、一時はCL出場権獲得が危ぶまれるほど低迷。最終節のクリスタル・パレス戦で2ゴールを決め、3位フィニッシュに貢献するが、身体の検査を受けるほどの不振に悩まされ、「キャリアで最悪のシーズンだった」と振り返っている。
2021-22シーズンは、サラーの爆発的な活躍の影に隠れがちではあったが、コンスタントにゴールを決め、リヴァプール自慢の両翼が復活したことを印象付ける。プレミアリーグ第8節のワトフォード戦ではPK無しでのリーグ100ゴール目というメモリアルゴールを決める。ちなみにPK無しでの100ゴール達成はリーグ史上3人目の快挙である。シーズン後半戦はルイス・ディアスの加入もあって3トップの中央でプレーする機会が増えるが、偽の9番の役割を問題なくこなし、優勝を争ったマンチェスター・シティとの直接対決では3試合で4ゴールを決める勝負強さを見せている。
一方、残り1年となったリヴァプールとの契約を延長せず、シーズン終了後にバイエルン・ミュンヘンへ移籍話が浮上する。
バイエルン・ミュンヘン
2022年6月22日、ドイツ・ブンデスリーガのバイエルン・ミュンヘンへ移籍することが発表される。契約期間は3年、移籍金は4100万ユーロ(約57億円)とされている。背番号は「17」。
デビュー戦となったDFLスーパーカップのRBライプツィヒ戦で早速移籍後初ゴールを記録し、タイトルを獲得。8月5日のブンデスリーガ開幕戦フランクフルト戦でも公式戦2試合連続ゴールを決め、幸先の良いスタートを切る。しかし、11月8日の第14節ヴェルダー・ブレーメン戦で腓骨を負傷し前半21分に途中交代となり長期欠場を余儀なくされ、直後の2022 FIFAワールドカップも欠場となる。2023年2月27日、第27節ウニオン・ベルリン戦で戦線に復帰するが本来のパフォーマンスとは程遠く、スタメンから外れることも多くなっていた。そして4月11日CL準々決勝第1戦でマンチェスター・シティに0-3で完敗した試合後、口論となったチームメイトのレロイ・サネの顔面を殴るという事件を起こす。期待外れの補強ランキングにたびたび上がるなど、厳しい移籍1年目となり、早くも放出の噂が出るようになる。
アル・ナスル
2023年8月1日、サウジアラビアのサウジ・プロフェッショナルリーグ(SPL)に所属するアル・ナスルFCへの完全移籍が発表される。背番号は「10」。加入からわずか2日後のアラブカップで早速デビューを飾ると、8月14日のアル・エティファク戦で初ゴールを決めている。
セネガル代表
2012年にU-23代表としてロンドンオリンピックに出場。ゴールを決めることができず、準々決勝でメキシコに敗れたものの、この頃のプレーを見たユルゲン・クロップが心酔したと言われており、後のリヴァプールへの移籍に繋がる大会となった。
フル代表には2012年にデビューしており、以降定着している。もっともセネガル代表は大躍進した2002年ワールドカップ以降は低迷期に入っており、2014年ワールドカップは予選で敗退となり、2015年のアフリカネーションズカップでもグループリーグでも敗退となった。それでも2017年のアフリカネーションズカップでは3試合で2得点を決め、ベスト8進出に貢献。
そして2018年には自身初の出場となる2018 FIFAワールドカップに出場。第2戦の日本戦では前半11分にワールドカップ初ゴールとなる先制ゴールを決めている。しかし、セネガル代表は前評判は高かったものの1勝1分1敗でフェアプレーポイントで日本よりも下回り、グループリーグで敗退となる。
2019年6月のアフリカネーションズカップ2019では、グループリーグ第3戦のケニア戦で2ゴールを決め、決勝トーナメント進出に貢献。その後もエースとして攻撃陣を牽引するが、決勝のアルジェリア戦で敗れ、惜しくも準優勝に終わっている。
2022年1月にカメルーンで開催されたアフリカネーションズカップ2021にも出場。初戦のジンバブエ戦では0-0で迎えた試合終了間際に劇的なPKによる決勝ゴールを決めている。すでに世界的なスター選手となっていることで厳しいマークに苦しむが、その中で輝きを放ち随所にらしさを見せていく。準決勝のブルキナファソ戦では1ゴール1アシストの活躍でセネガルを2大会連続での決勝へと導く。決勝はリヴァプールのチームメイトであるサラーを擁するエジプトとの対戦ということで注目を集める。前半7分に得たPKのチャンスで失敗をするが、PK戦では最後のキッカーとして成功させ、セネガル代表史上初タイトルとなる優勝を果たし、大会のMVPに選ばれる。試合終了後、サラーと肩を抱き合い互いの健闘を称える姿が全世界で大きな反響を呼んだ。
初のアフリカ王者となってからわずか1か月後の2022 FIFAワールドカップ・アフリカ最終予選でまたもやエジプトと本大会出場を争うこととなり、PK戦にまでもつれ込んだ激闘の5人目のキッカーを務め、チームを2大会連続のワールドカップ出場へ導く。しかし、大会直前のブンデスリーガで右腓骨を負傷。本大会のメンバーに選出されたが、間に合わないということで無念の欠場となった。
2023年6月20日に開催されたブラジルとの親善試合では2ゴールの活躍によってブラジルを破る大金星をもたらす。
個人成績
シーズン | 国 | クラブ | リーグ | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|
2011-12 | メス | リーグ・ドゥ | 19 | 1 | |
2012-13 | メス | ナシオナル | 3 | 1 | |
ザルツブルク | ブンデスリーガ | 26 | 16 | ||
2013-14 | ザルツブルク | ブンデスリーガ | 33 | 13 | |
2014-15 | ザルツブルク | ブンデスリーガ | 4 | 2 | |
サウサンプトン | プレミアリーグ | 30 | 10 | ||
2015-16 | サウサンプトン | プレミアリーグ | 37 | 11 | |
2016-17 | リヴァプール | プレミアリーグ | 27 | 13 | |
2017-18 | リヴァプール | プレミアリーグ | 29 | 10 | |
2018-19 | リヴァプール | プレミアリーグ | 36 | 22 | |
2019-20 | リヴァプール | プレミアリーグ | 35 | 18 | |
2020-21 | リヴァプール | プレミアリーグ | 35 | 11 | |
2021-22 | リヴァプール | プレミアリーグ | 34 | 16 | |
2022-23 | バイエルン・ミュンヘン | ブンデスリーガ | 25 | 7 | |
2023-24 | アル・ナスル | SPL |
個人タイトル
- アフリカ年間最優秀選手賞 :(2019年, 2022年)
- プレミアリーグ得点王:(2018-19)
- PFA年間ベストイレブン:4回(2016-17, 2018-19, 2019-20, 2021-2022)
- アフリカネイションズカップ最優秀選手賞 (2021年)
プレースタイル
最大の特徴は何といっても圧倒的なスプリント力。ドリブルでのチャンスメイクがプレーの基盤で、加速力はもちろん一瞬のクイックネスもずば抜けており、スピードに乗ったプレーはもちろんのこと、DFと互いに制止した場面でも鋭いボディフェイントでぶち抜いてしまう。1から100まで一瞬で動作を終わらせてしまうので、手練れのDFでもどうしても足を出すのが遅れてしまう。加えて相手のファウルを誘う技術にも長けている(ダイバーと揶揄されることもあるが)。
幼い頃にストリートサッカーでスキルを磨いていたこともあり、足下の技術も高い。なので、スペースでボールを受けて背後を取るプレーはもちろん、足下でボールを受けて個人で打開するプレーも得意としている。シュート技術も高く、身体能力の高さもあってどんな体勢からもシュートに持ち込むことができる。左サイドからカットインして右足で巻いたシュートを決めるのが定番だが、状況に応じて味方のゴールをお膳立てする冷静さと視野さの広さも特徴。
リヴァプールでは、サラーよりも守備の負荷がかかる役割を与えられているが、90分間アップダウンを繰り返せるだけの無尽蔵のスタミナの持ち主で、前線からの守備において重要な役割を果たしている。プレスバックで自陣まで戻ることも多く、対人守備においてもフィジカルの強さとスプリント能力が役立っている。
弱点はトラップがやや大きくなりがちな点で、ボールロストに繋がる場面がしばしばみられる。また、スプリント系の選手にありがちなハムストリングの故障に悩まされている。
エピソード
- フランスへ移籍する際、家族にはフランスへ旅立つことを告げず、現地に到着してから母親に電話で告げるというサプライズを起こしている。
- 貧しい暮らしを余儀なくされる母国の人々へのサポートに熱心で、故郷の病院の建設費用を負担し、中学校にも資金を提供。CL決勝に勝ち進んだ際には、地元の人々に300枚のユニフォームを提供。現在猛威を振るっている新型コロナウイルスに関しても、セネガルの保健当局に500万円を超える金額を寄付している。
- 世界的なスター選手でありながら贅沢な生活に興味がなく、自分にとって重要なのは人々を助けることだと語っている。
- 地元に病院が無かったことから7歳のときに父親と死別。そういった悲しい過去があったため、サッカー選手として成功した後に故郷に病院を作っている。
- セネガル代表のスタッフがウォーターボトルを運んでいた際、バスから降りると足を止めてスタジアムに持ち運ぶのを手伝っていた。
- 厳格なイスラム教徒であり、酒は飲まず、ピッチ上では神に祈りを捧げている。
- サウサンプトン時代に同僚だった吉田麻也と仲が良く、在籍時はよく一緒にジムでトレーニングをしていた。リヴァプールへ移籍する際も吉田に相談をしていた。
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