シャルル=ヴァランタン・アルカン(Charles Valentin Alkan、1813年11月30日 - 1888年3月29日)とは、フランスのロマン派の作曲家。
概要
本名をシャルル・アンリ・ヴァランタン・モランジュ (Charles Henri Valentin Morhange) といい、ユダヤ系の家庭に生まれた。
アルカンはショパンと同様にほとんどピアノ作品のみを書き、リストと同様にピアノによる交響的表現を追求した。ちなみに両者とは親交があったことでも知られる。
代表作には練習曲「鉄道」 (Op.27) 、大ソナタ「四つの時代」 (Op.33) 、練習曲(長調のOp.35と短調のOp.39)などがある。Op.39ではピアノ一台で交響曲や協奏曲を表現している。ハンス・フォン・ビューローは、2つの練習曲集を見てアルカンを「ピアノのベルリオーズ」と称した。
ショパンやベートーベンなどに比べると一般的にはマイナーな作曲家であることは否めないが、彼の曲は非常に演奏困難な超絶技巧を要する曲やスケールの大きい曲(曲自体が長い)が多く、また超絶技巧とは裏腹に繊細なメロディーも持ち合わせており、コア層には一定の人気があるらしい。
近年では、マルカンドレ・アムランやジャック・ギボンズなどのピアニストたちによって取り上げられ、知名度が上がりつつある。そのため、日本でもピア…森下唯といったように彼を取り上げる若手も増えてきている。
アルカンの生涯
上記の通りパリのユダヤ系フランス人の家に生まれた。父親が音楽教師であり、幼いころから才能を見出された彼は、6歳でパリ音楽院に入学。ソルフェージュ、ピアノ、オルガン、和声のクラスで1等賞を次々に取得し、優秀な成績をおさめていった。
しかしそんな彼も1848年に挫折を味わう。パリ音楽院ピアノ科教授・ピエール・ジメルマンの退任が決まった際、誰もが後任にはアルカンが選ばれると思っていた。しかし、そのポストを実際に射止めたのは、後輩のアントワーヌ・マルモンテルであったのだ。さらに翌年には友人だったフレデリック・ショパンが亡くなり、以降彼の後半生はほとんど隠遁生活を送るものとなった。
彼の死因については本棚の一番上にあるユダヤ教の聖典をとろうとして、倒れてきた本棚につぶされたというものが一般的には流布している。この死因ははっきり確定したものではなく、あくまでも伝説なのだが、そのような話が人口に膾炙するほど、彼の後半生は謎に包まれているのだ。
アルカンの音楽性
全部通すと演奏時間が50分を超える「協奏曲」を含めた「すべての短調による12の練習曲」から、1分未満の曲も多い小品集「エスキス」まで幅広い曲を作っている。
特筆すべきは、独特の運指法や、句読点のように曲中でたびたび用いる終始線・複縦線などで、アルカン演奏の際には注意すべき点となっている。
ニコニコ的には
演奏困難さゆえかアマチュアの人がアルカンの演奏動画をうpするとそれだけで凄いと賞賛される傾向にあるようだ。
中には、マックの人のように既存の曲をアルカン風に難しくアレンジした動画もうpされている。ただし、まず人間には演奏不可能であるため、自動演奏によるものが多い。
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関連項目
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