シルエットフォーミュラとは、以下のようなものである。
- かつて存在した、FIAの定めたグループ5に属するレーシング車両。本記事で解説
- 「機動戦士ガンダム」シリーズの宇宙世紀の世界観において、アナハイム・エレクトロニクス社がサナリィに対抗すべく行った小型MS開発プロジェクト。詳細は→機動戦士ガンダム シルエットフォーミュラ91、シルエットガンダムの記事を参照。
概要
1976年に、FIAがそれまでのスポーツカー(旧規定グループ5)に代わって、「メイクス世界選手権」の主力車種とすべく定めた。「メイクス世界選手権」とは、スポーツカーによる耐久レースを中心とした選手権レースであり、21世紀の現代で言えばスーパーGTやWECのLMGTEクラスに近い存在であった。
市販乗用車のボディをベースとしていながら、ルーフやボンネットなどの一部を市販車のものを残せばよく、他はサスペンション、エンジン共に大改造またはレース用オリジナルパーツの使用が認められていた。また、ボディも大きなスポイラー・ウィング・オーバーフェンダーなどが取り付けられ、独特の迫力を醸し出す姿となっていた。
こうして中身はほとんどフォーミュラカー同然のレース専用マシンでありながら、ボディの「シルエット」だけは市販車の面影を残していることから、「シルエットフォーミュラ」と呼ばれることになった。またプロダクションカー(市販車)をベースにした特殊なマシンという意味で、「特殊プロダクションカー」という呼び名もある。
このグループ5にはベース車の生産台数の規定は設けられなかったが、ほとんどが下位のグループ1~4のマシンをベースとしたことから、それらにかけられた生産台数規定が事実上の枷であった。グループ4の場合、24ヶ月の間に400台の生産が条件となっていた。
ヨーロッパのメイクス世界選手権においては、このシルエットフォーミュラに多くのメーカーが参戦してレースが賑わうことが期待された。実際にはポルシェが911をベースとした935で上位を独占してしまうことになり、主催者側の思い通りにはならなかった。
メイクス世界選手権は世界耐久選手権(WEC)に名称変更の上で1981年からより上位のグループ6プロトタイプカーに移り、さらに翌1982年にはFIAの競技車両規定が全面的に改正されて市販車ベースのマシンはグループA・グループBの時代となり、シルエットフォーミュラは終焉することになった。
日本におけるシルエットフォーミュラ(スーパーシルエット)
日本のレース界においては、1979年から富士スピードウェイの主力イベントであった富士グランチャンピオンレース(通称グラチャン、GC)のサポートイベントとして「富士スーパーシルエットシリーズ」が始まった。このことから、日本独自の呼び名として「スーパーシルエット」が定着することになる。
1982年には日産がR30スカイライン・S110シルビア・910ブルーバードをベースにしたシルエットフォーミュラを投入。「日産ターボ軍団」と呼ばれ、同社の市販車でのターボ乗用車のプロモーションも兼ねていた。これらマシンは大人気を博し、80年代後半から日産がNISMOを設立してメーカーとしてワークス活動を本格再開するきっかけとなり、やがてグループAでのR32GT-Rの大活躍につながることにもなる。また、当時のチューニングカーの世界で「出っ歯チンスポ・大形オーバーフェンダー・竹槍マフラー」といったいわゆる「チバラギ仕様」が大流行したのもだいたいこいつのせい。
ミニカーやプラモデルの方面でも、これらスーパーシルエットマシンは大人気となった。ちょっと時代が逆上るが、70年代後半にはスーパーカーブームも手伝ってヨーロッパのポルシェ935、BMW320i、ランチア・ストラトスターボなどが人気となり、ついにはランボルギーニ・カウンタックやトヨタ2000GTをベースにした架空のシルエットフォーミュラがプラモデル化されたりもした。
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