JRAから金沢に移籍して素質が開花、金沢競馬の一時代を築きまたナムラダイキチとの死闘で有名な金沢の名馬である。
最終戦歴は82戦39勝。主な勝ち鞍は百万石賞(10~12,15~16)、イヌワシ賞(11,15)、北國王冠(11,15)、オグリキャップ記念(12)等。他2010年白山大賞典2着、金沢JBCクラシック4着などがある。
概要
父:ジャングルポケット 母:サトルスマイル(母父バブルガムフェロー)の血統。母はマンハッタンカフェの半妹で血統的に見込まれてたが、骨折などの怪我によりデビューが遅れ、3歳夏の新潟でデビューするも17着。次のレースも14着に大敗して金沢に移籍。
金沢に移籍してからは連戦連勝。冬季休みを含めても半年ちょっとで上位クラスに進出。A2を6馬身差で圧勝して10連勝で迎えた2010年百万石賞、金沢で長年活躍してきたビッグドンら相手に7馬身差の圧勝。金沢競馬の新王者誕生の瞬間だった。その後12連勝で途切れるが、同年白山大賞典では当時の金沢競馬、地方競馬のレベルでは・・・という懸念からJRA勢から離れた5番人気だったが、レース前からの豪雨の中でジャングルスマイルは逃げに打って出て、残り800mから突き放しにかかるとJRA馬の手応えが怪しくなる。金沢馬の初制覇なるかと実況も観客も興奮する中、1頭パワーストラグルが迫ってきた。直線手前で並び交わすとそのまま突き放して6馬身差の圧勝。だがジャングルスマイルも2着に粘り、大健闘した。その後JBCクラシックに挑戦したが、スマートファルコンが覚醒したレースで成す術なく9着に敗れる。その後中日杯は元JRAのOP馬タートルベイに交わされ2着。
2011年は初戦こそ馬体が出来上がっておらず敗れるもののその後イヌワシ賞まで7連勝。特に百万石賞は敵なしの状態で3コーナーで突き放すと、そのまま最後まで大差を広げて2着に2.9秒の大差勝ちを収めた。イヌワシ賞も圧勝していざ白山大賞典・・・と思いきやオータムスプリントCに出走。ここでライバルであるナムラダイキチに7馬身差突き放され、2着がやっとの競馬になってしまった。この影響か白山大賞典は4着に敗れる。
この後の北國王冠はナムラダイキチとの再戦。ジャングルスマイルが逃げ、ナムラダイキチが並び、向正面で他の馬が脱落し早くも2頭の戦い。2頭とも全く譲らず最後の最後まで並んでゴールした。結果はクビ差でジャングルスマイルに軍配が上がった。3着は2.4秒離れておりいかにこの両横綱の争いのすさまじさを物語った。中日杯もまた死闘になったが、ナムラダイキチに軍配が上がった。2012年初頭で川崎の報知オールスターカップに挑戦。3番人気に支持されるも初ナイター、左回りなどが悪かったのか13着に大敗してしまった。
3月のA1戦は完勝するも、スプリングCではナムラダイキチに完敗し、実況も「ナムラダイキチの1年か」と語るほど両横綱の時代の終焉を思わせるレースだった。その後のオグリキャップ記念で堂々逃げ切りで他地区重賞を制覇、百万石賞に進めた。3連覇を賭けたレースだったが、すでにナムラダイキチ1強の雰囲気で、二番人気だったが単勝6倍と人気を落とした。しかし高速馬場を味方に逃げて、ダイキチに最後まで並ばせず3連覇達成。しかもレコードのおまけつき。しかしこれがナムラダイキチに勝った最後のレースとなる。イヌワシ賞、白山大賞典はともにナムラダイキチに完敗。もはな金沢競馬はナムラダイキチの時代となった。
2013年、7歳となりこの頃から衰えが著しく表れる。名古屋大賞典ではJRA勢から大差離され7着。オグリキャップ記念、(この年だけ春開催の)北國王冠、百万石賞、いずれのレースでもナムラダイキチに2秒前後離されてまた他の馬との差も詰まっていた。A1戦で2勝したりJBCクラシックでは後方からのレースとはいえ4着に大健闘しダイキチ不在のときは健在ぶりをアピールしたが、今度は中日杯で後に浦和記念等を制覇するサミットストーンに大差負けした。いずれの重賞も2着(北國王冠は3着)、ではあるため、金沢No.2として頑張っていた。
2014年は加齢による衰えの上に調子を落とし春夏は4戦1勝。放牧でリフレッシュして秋に復調してA1を2勝するが、重賞では3歳の新鋭ケージーキンカメに2連敗。それでも2着に粘った。
その後も2015年には4勝、2016年には2勝を上げるも2017年4月の金沢スプリングカップ8着が最後のレースとなり、同年6月に引退を発表した。この時11歳であった。
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