ジントシオとは、東北楽天ゴールデンイーグルスの応援プロデューサー。
かつては千葉ロッテマリーンズの応援団員であり、『マリーンズファイティングバンド』のボーカルであった。
概要
パリーグの応援団員の中では有名らしく、他球団の選手別応援歌(ヒッティングマーチ)を手掛けるほど。かつては日本ハムファイターズの応援団員だったが、後にマリーンズ応援団員となる。
一時、応援団を脱退し、韓国に留学後、球団職員として活動。しかし、2009年にMarines Victory Productionsが引き起こした騒動により、2010年3月3日の千葉マリンスタジアムにて復活。2015年シーズンまで応援リードを担当した。
『U.N.オーエンは彼女なのか?』、『キラメキラリ』を選曲した事は、あまりにも有名。
2018年に東北楽天ゴールデンイーグルスに応援プロデューサーとして入団、2019年の新応援歌導入や「スピーカー応援」など、新たな応援スタイルを根付かせようと活動している。
千葉ロッテマリーンズとの関係
上記の通りジントシオ氏は、ロッテ応援団(演壇)関係者として知られている。
もともとは日ハムの応援団関係者で、小笠原道大の応援歌は彼が手がけたものとも言われている
所謂、MVP以前からロッテの応援団として活動。2005年以前に一時応援団活動を休止する。
以降は韓国でバンド活動を展開していた。
その氏がいなくなったロッテは、MVPが主体となって応援活動を展開。
しかし2009年度終了間際に、ボビー解任騒動から発展した所謂MVP騒動が勃発。これに連座し応援団も解体された。
彼らがすかしっぺのつもりなのかそれともロッテ球団側が嫌ったかこれ以前の応援歌が使用できない状況になり、作曲作詞能力に優れまたファンの信頼も厚い氏に白羽の矢が立った。
その期待に応え、応援歌ほぼすべてを一新もしくは歌詞の追加歌詞変更などを行い、これが2010年以降のロッテ応援の基礎となっている(最終的には翌2011年に歌詞変更程度に留まっていた今江、サブロー、福浦の応援歌が変更され、MVP時代に演奏されていた応援歌は完全に一掃された)。
また、復活後の活動は応援歌のみならず、球場でのOPテーマにまでなった「マリンに集う我等」なども手がけている(同じく2011OPテーマ「マリンフィールドの風」「野球があるから」なども彼の作曲と言われているがソースはない)
人柄としては、人見知りで、あんまり人付き合いは得意ではないと言われている。曲の特徴としては、穏やかなものから激しいものなどとにかく多種多様。ジャンプをする目的の応援歌とそうではないのとくっきり分かれるという特徴と転調を使うものが多いという特徴もある。
またゴテゴテした歌詞を最初は付けるものの最終的にはつけた歌詞の大半を削ったり(2010OP時の今江)、歌詞そのものを変えたり、追加したりと応援歌の発表後、応援歌を修正することがよくある(有名なものに岡田幸文。大ブレイク後に応援歌をまるまる一つ追加、最初につけられた応援歌は前奏となった)。
また球団職員であるため彼が作成発表したものはロッテ球団公式の応援歌であることも特徴の一つである。
ロッテ球団の公式HPに応援歌の歌詞が載っていたり、試合後のイベントとして応援歌発表会がQVCマリン球場外のステージで行われたりする。
特に応援歌発表会は、よく行われている。また彼はそのイベントの様子をネットによくアップされていることも知っており、それが前記の応援歌変更のためらいのなさにつながっているのかもしれない。
なお余談だが、氏の再退団後の2016年、一部(チャンステーマの「スキンヘッドランニング」や得点時の「エリーゼ」など)ではあるが、MVP時代を含めた旧応援歌が復活することになった。
2015年にロッテの応援団を去った後はしばらくYouTuberのようなことをしたり、早稲田佐賀高校にチャンステーマを作曲し提供したりしていたが、2018年に楽天球団に請われ再びプロ野球の応援に携わることに。
翌2019年から本格的にジンが主導する体制となり、冒頭で書いた「新応援歌の導入(実際には前年度に発表されていたオコエ瑠偉の応援歌と外国人汎用応援歌のみ残る形での変更)」「スピーカーを用いた応援の導入」を行ったが、前者はほぼすべての応援歌をガッツリ変えることが抵抗された結果、ゼラス・ウィーラーや渡辺直人など一部変更以前の応援歌が残存し、後者は基本的にトランペットの使用ができない楽天生命パーク宮城ということもあり「不公平」の声が出るなど、批判にさらされている。
関連動画
関連商品
関連コミュニティ
関連項目
- 3
- 0pt