主な勝ち鞍
1983年:神戸新聞杯
1984年:京都大賞典(GII)
1985年:宝塚記念(GI)
1986年:京都大賞典(GII)
生い立ち
父マルゼンスキー、母サリュウコバン、母父ネヴァービートという血統。
父は8戦8勝ながらも最強と名高い良血外車。母は未勝利ながら全兄に天皇賞馬リキエイカンを持ち名門牝系のフロリースカツプ系に属するという、一流の血統背景を有する。
本馬が出生したのは平取町の稲原牧場。後にサイレンススズカやスズカフェニックス、マチカネタンホイザを送り出す牧場である。現在では稲原牧場やダイタクヘリオスを輩出した清水牧場の活躍もあり平取町は有数の馬産地として知られているが、本馬の出生当時は平取町で馬産を行う牧場は少数派であったらしい。
産まれた当初から血統に違わぬ非凡な才能を見せ、各方面から「マルゼンスキーの代表産駒になれる」と太鼓判を押される程に。しかし当歳(0歳)の秋、遊んでいた所電柱の支線にぶつかり、胸の筋肉を断裂する大怪我を負う。この怪我は競走能力喪失の診断を受けてしまう程だった。
当時、スズカ軍団の総帥である永井永一が購買を決めており、稲原牧場は本馬の怪我を報告する必要があった。稲原牧場側はキャンセルも仕方なしの覚悟で連絡したところ、永井は「欲しくて買ったんだから貰っていきます」と明解な返答。
幸い、本馬は競走馬デビューを果たすことができ、「スズカコバン」と名付けられた。
無論、これにはスズカ軍団と稲原牧場の献身的な支えがあってこそである。
現在(2018年)では関西馬が関東馬を蹴散らす「西高東低」が当たり前となっているが、本馬が入厩した当時、1980年代前半までは「東高西低」が常識であった。というのも当時は栗東の代名詞たる坂路はまだ作られておらず、また関西馬が遠征して関東の競馬場にある坂コースに手間取るというケースが目立っていた為である。その為基本的に有力馬は美浦へ入厩していたのである。
小林厩舎は一応関西の有力厩舎として活躍していたが、クラシックや八大競走は制していなかった。
シービー世代
期待馬として1982年11月に中京でデビューするが、ここを11着とほろ苦い結果。それでも翌週の新馬戦で2馬身半つけて快勝し、条件戦を5着して2歳シーズンを終えた。
3歳になったスズカコバンは3月に復帰し条件戦を2着の後に、400万下と矢車賞を連勝して東上。「関西の秘密兵器」とか呼ばれたが、インターネットもない当時、関東にいる人間が関西の競馬情報を知る術はほとんど無かったし、逆に関西の人間は知らせるために少しでも大見得を張る事も必要だった。
東上してオープンを叩き5着。ダービーへ歩を進めるがそこにはえらく煌びやかな男がいた。
ミスターシービーである。21頭立て8番人気に推されたスズカコバンはミスターシービーに2秒離された10着に敗れた。以後ミスターシービー、またこの時6着だったカツラギエースは、以後のスズカコバンの上にのしかかる存在であった。
夏休みを経て、これまで主戦を務めた飯田明弘から、必殺仕事人こと田島良保に乗り替わる。スズカコバンは追っても反応が鈍い、いわゆるズブい馬であった為、剛腕でならした田島騎手に依頼した。
秋初戦の神戸新聞杯では7番人気まで人気を落としたが、直線でカツラギエースとの競り合いを制して重賞初制覇を達成。その後京都新聞杯へ進むがカツラギエースの他ミスターシービーらにも負け5着。更にこのレースでは目に外傷を負い、目標に掲げていた菊花賞を断念。
立て直しの為京阪杯、阪神大賞典と関西の重賞に出るが、立て続けに惜敗する。
関西の善戦マン
年が明けて3月の鳴尾記念から復帰するが2着、続くサンケイ大阪杯3着と相変わらず勝ちに見放されたように負け、大一番に見据えた天皇賞(春)ではモンテファストの7着に敗北。
この年よりグレード制が導入され、GI競走に指定された宝塚記念に出走。このレースから田島騎手から村本善之騎手に乗り替わった。レースではモンテファストやホリスキーを抑えたもののカツラギエースには届かず2着。間違いなく一流の才能はあるのだが、大競走には届かない。宝塚記念の後に高松宮杯、夏休みを挟んで朝日チャレンジカップに出たがやはり惜敗。
10月の京都大賞典では同厩のロンググレイスを4馬身突き放し約1年ぶりに勝利を飾り、打倒シービーを掲げ天皇賞(秋)に向かうが、ミスターシービーのレコード激走の前に7着。天皇賞春秋7着という有り難くも無い記録を残し、阪神大賞典で立ち直りを図るが2着に惜敗。
翌1985年になると、前年に三冠馬となったシンボリルドルフが古馬となって挑戦状を叩き付けにやって来る。無論、年上であるスズカコバンは迎え撃ちたいが、相も変わらず惜敗続き。日経新春杯6着、鳴尾記念4着、サンケイ大阪杯3着、そしてルドルフと初めて相対した天皇賞(春)はシービーと一緒に4コーナー先頭で迎えたが、ルドルフに易々交わされて4馬身差の3着。2着に同年代のサクラガイセンが入るあたりスズカコバンらしいというか何というか...
我こそ主役の大舞台
関西中長距離の一角(本当だよ)として宝塚記念(GI)に出走するが、勿論ルドルフがいる。戦前は海外遠征を見据えたルドルフがどんな勝ち方をするかという点に注目が集まっていた。一応他の面子はサクラガイセンやウインザーノット、ステートジャガーにヤマノシラギクなど、決して面子は弱くないのである。カツラギやシービーは引退しちゃったので面子はむしろ揃った方である。
しかし、レース前日になってシンボリルドルフが跛行で出走を取り消し。
一気に主役不在となった宝塚の舞台は、1番人気が前走サンケイ大阪杯でシービーを破ったステートジャガー、そして続く2番人気にはスズカコバンが推された。
この千載一遇のチャンスに対し、村本とスズカコバンは通常3コーナー前から進出を図っていた所を、いつもより少し遅らせて脚を溜める。直線入口で大外に持ち出すと村本はスズカコバンを追い出し、直線一気の末脚を以て逃げるウインザーノットを捉え、一緒に登ってきたサクラガイセンを抑えて悲願のGIタイトルをもぎ取った。故郷の稲原牧場、そして平取町発の初GI馬が誕生した。
老いても兵はつわものである
宝塚記念の後も高松宮杯6着、京都大賞典3着とやはり関西の重賞に顔を出しては勝ちきれないレースが続く。しかし、5歳となった彼はマルゼンスキー産駒にありがちな脚部不安を発症。京都大賞典後に長い休養をとることとなった。
翌86年の5月に復帰したが、復帰戦はオープン戦のエメラルドSで斤量62kg(何で使ったんだろう)。マイル戦で4馬身ほど離されたがそれでも3着を確保すると、再び関西の中長距離戦線へと舞い戻ってきた。
宝塚記念4着、高松宮杯4着、朝日チャレンジカップ6着...といつものように勝ちきれない歯痒いレースが続く。朝日チャレンジカップからは関西のホープである河内洋が手綱を取った。
10月に馬生3度目の京都大賞典を迎えると、7頭立て1番人気に推される。相手にはリワードウイングなど重賞馬が4頭いたが、関西のファンの声援に応えるかのように再び京都大賞典を制する。
そして東上。天皇賞(秋)ではサクラユタカオーがミスターシービーのレコードタイムを塗り替える驀進を見せた中7着。しかし走破時計1分59秒4は自己最速タイムであり、かのミスターシービーのタイムにコンマ1秒迫るタイムであった。
高速馬場での激走が祟ったのか、脚部不安を再発させターフに戻ることは無かった。
通算34戦7勝、重賞4勝、獲得賞金は約3億7560万円である。
引退後
引退後は種牡馬となるが、馬産地での期待は決して大きいものでは無く、産駒は基本的に地方競馬へ赴く事となった……しかしこれが思わぬ功績を成す。
地方競馬でのスズカコバン産駒はダート適性を発揮。地方重賞を次々を奪取して優良種牡馬としての評価を固めた。代表的な産駒にはブリーダーズGCや東海菊花賞、武蔵野Sを制したデュークグランプリ、北海優駿を制し道営競馬で活躍したササノコバンやクラキングオー、関東オークスを制したヘイワンリーフやマテイスなどがおり、マルゼンスキー産駒の中でも種牡馬成績は優秀である。
特筆すべき点は、産駒のクラキングオーが予後不良級の故障を起こしながらも奇跡的に命を取り留め、種牡馬として片手で数える程しか無いが産駒を残した事だ。その中で北海優駿を制した牝馬クラシャトルとの間に残した子供が、北海道三冠を達成した牝馬、クラキンコである。倉見牧場が夢を追求した結果、それが思わぬ結果を生んだのである。
クラキンコの全弟であるクラグオーが種牡馬入りし、極々細い糸であるがスズカコバンの血は繋がり続けている。つまり、怪物マルゼンスキーの直系は未だ残っているのである。
流石にできた孫を見るには至らず、2005年に25歳で死亡。
同期にミスターシービー、カツラギエース、ニホンピロウイナーなど綺羅星の如く活躍するスターホース揃いの1983年クラシック世代だが、そこに関西で煌めき続けた男が、確かにいたのである。
あの宝塚でルドルフがいたらルドルフが勝ってた? まあ、そうなるな。
それでも1985年宝塚記念優勝馬はスズカコバンである。舞台に上がってない主役は、舞台で演じる脇役には何も言えないのだ。その競馬史のIFを語らう事こそ、観客たる我々の楽しみでもある。
血統表
マルゼンスキー 1974 鹿毛 |
Nijinsky II 1967 鹿毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | |||
Flaming Page | Bull Page | ||
Flaring Top | |||
*シル 1970 鹿毛 |
Buckpasser | Tom Fool | |
Busanda | |||
Quill | Princequillo | ||
Quick Touch | |||
サリュウコバン 1974 鹿毛 FNo.3-i |
*ネヴァービート 1960 栃栗毛 |
Never Say Die | Nasrullah |
Singing Grass | |||
Bride Elect | Big Game | ||
Netherton Maid | |||
モンテホープ 1960 鹿毛 |
*ライジングフレーム | The Phoenix | |
Admirable | |||
トサモアー | トサミドリ | ||
第三スターリングモア | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Nearco 5×5×5×5(12.50%)、Menow 5×5(6.25%)、War Admiral 5×5(6.25%)、
主な産駒
- サリュウスキー (1988年産 牡 母 ラッキーコンカラー 母父 *バーバー)
- マテイス (1989年産 牝 母 ダイタクチュダン 母父 ダイタクチカラ)
- ササノコバン (1990年産 牡 母 アミーカマラード 母父 タニノチカラ)
- デュークグランプリ (1991年産 牡 母 ソブリンテスコ 母父 *テスコボーイ)
- ヘイワンリーフ (1992年産 牝 母 サクラセイコー 母父 サクラショウリ)
- モリユウコバン (1995年産 牡 母 パールチョーカー 母父 *ルセリ)
- クラキングオー (1997年産 牡 母 クラファストレディ 母父 シングルロマン)
関連動画
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関連項目
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