タケシバオー単語

タケシバオー
4.8千文字の記事
  • 6
  • 0pt
掲示板へ

タケシバオーとは、1965年生まれの競走馬種牡馬日本競馬史上初めて怪物と称された元祖「怪物日本競馬較対外」。別名「野武士

な勝ち
1967年:朝日盃3歳ステークス
1968年:東京4歳ステークス
1969年:天皇賞(春)(八大競走)、東京新聞杯京都記念()、毎日王冠英国フェア開催記念

1967年啓衆社賞最優秀3歳
1969年啓衆社賞最優秀5歳以上年度代表馬

概要

デビューまで

*チャイナロックタカツナミ、シママンナという血統。チャイナロックはいろんな意味でタフで知られた当時のリーディングサイアーである。ただし、タケシバオー出生時点ではまだ名であった。

一方のは未出走で、祖母にいたっては大井競馬場で未勝利に終わっているというドが付くくらいの三流血統。しかも牧場時代にはみすぼらしい体で、調教師「これがですか?」と言われた事もあったそうな。よく中央デビュー出来たものである。

競走馬時代

1967年6月デビューするも2戦連続で2着と敗れ、ようやく3戦で初勝利を挙げた。しかし4戦の3着を挟んで5戦からは6連勝である。しかもそこには同競走での最大着差だった7身差[1]でぶっこ抜いた朝日杯3歳ステークス8身差のコースレコードで圧勝した東京4歳ステークス(現・共同通信杯)が含まれていた。なんという下克上。当然、クラシックでは関東の総大将として注を集め、アサカオー、マーチスと共に「三強」と騒がれた。

弥生賞では逃げの挑発に乗って当時の芝1000メートル日本レコード583を上回る577で1000メートルを通過して見せた、…が、さすがにそんなペースで飛ばしては最後までもつわけもなくゴール前でアサカオーに差されての2着と敗れた。その後はオープン勝ちを挟んでスプリングSマーチスの2着、皐月賞マーチスに差されて2着、NHK杯マーチスの2着とマーチスに三連敗、ダービーではタニノハローモア逃げ切りに屈して2着と4戦連続の2着であった(ダービー後にもう一度2着となったので5連続になっている)。今ならそのシルバーコレクターっぷりは某所でスレが立つレベルである。しかし、に惜敗を続けた菊花賞で期待出来る。ファンもそう思ったであろう。しかし……。

に入ってタケシバオーは菊花賞を蹴って海外遠征を敢行するのである。出走したのは当時のアメリカ際競走の形・ワシントンDCインターナショナル現在較すればまだまだ困難だった競走馬輸送に耐えてアメリカに渡ったタケシバオー。しかし結果は8頭中8着のシンガリ負け。まあレース中に他のに蹴られたらしいのだが、レースを見る限りではとても勝ちさそうな感じ。勝ったのは当年の英二冠馬Sir Ivorなので尚更である。
タケシバオーは日本へ引き揚げたが、帰後2戦続けて2着に敗れシーズンを終えた。

が、タケシバオーがその価を発揮するのはここからなのであった。東京新聞杯(ダート2100m)を6身差の日本レコードタイムで圧勝。ファンが首を傾げている間に、ダート1700mのオープン斤量60kg背負って日本レコードタイムで大差勝ちした。しかもこのレコードタイムダートでありながら芝の日本レコードタイムより1以上もかった[2]のである。芝競走でのレコードタイムはモンタサン[3]やイットー[4]らのレコード更新をもってしてもタケシバオーのダート時計に追いつくことができず、ようやくノボルトコウ福島民報杯でダート1700mの時計を追い越すことができるのだった。ちなみに、ダート1700mの日本レコードとしては37年間も破られることがなかった。

あれよあれよという間に、京都記念(芝2400m)では62kgを背負って勝。だんだん手が付けられなくなってきたぞと思っていると続く阪神1600mのオープンでも斤量60kgで9身差の日本レコード勝ちダート1700→芝2400→芝マイルときて、いよいよ天皇賞(春)(3200m)へ挑んだタケシバオーはこのレースも2身差で楽勝した。一説には春天ラスト1ハロンで10の末脚を披露したという。

宝塚記念は熱発ので回避したが、続けてジュライステークス(芝1800m・不良)を斤量65kgで勝ち、ダート2100mの毎日王冠斤量62kg勝利。次はなんと1200mスプリンターズステークス[5]である。このレースは再びのアメリカ遠征前の壮行戦も兼ねていたが、タケシバオーはこれを斤量62kg背負って日本レコード勝ちした。

しかし今度こそと挑戦した肝心のワシントンDCインターナショナルは長の疲れから熱発してしまい、またシンガリ負け。関連動画に遠征時のコンテナが映っているので見て欲しい。あんなんで良くアメリカまで行ったよという感じである。この遠征の疲れがどれほどだったかというと、帰後に馬場で転倒して故障してしまうほどだった。あのタフなタケシバオーがだ。並みのなら死んでいたかもしれない。

当然ながら有馬記念出走は断念、そのまま引退を余儀なくされた。

種牡馬時代

引退後は故郷の競優牧場で繋養された。

遠征から帰って暫くはがふらついて種牡馬入りも危ぶまれたほどだったが、自生産を中心として細々と種牡馬活動を開始した。当時は内種牡馬不遇の時代で、最初は人気もなくも集まらなかった。しかし出生率の高さと産駒の良さが評判となると種付け料の安さもあって徐々に交配の申し込みが増えていき、1982年には一流種牡馬並に94頭の種付けをこなすまでになった。

産駒タフで使い減りのしないが多く、地方競馬人気を集めたという。また繁殖にあがったも丈夫なを良く出すと評判で、牧場にとってはありがたい存在だったという。

代表産駒には、南関東三冠馬ハツシバオー、6年連続重賞制覇という記録を持つドウカンヤシマ、よくぞクラシックに間に合わせたイイデセゾン、愛知杯連覇のトウカタケシバなどがいる。BMSとしてはダート1200mと芝の3600mでレコード記録した皐月賞ドクタースパートを出している。

牧場でのタケシバオーは丈夫で病気一つしないだったそうで、高齢になっても受胎率が下がることなく晩年まで元気に種付けを続けていた。しかし1992年1月12日突然倒れ、急死した。27歳だった。

余談だが、タケシバオーはっ気がきついで、隣のゲートが入るなどするともうそわそわして大変だったという。種牡馬になれて良かったね。

評価

29戦16勝2着10回3着1回ということで、日本国内では3着内率100%と抜群の強さを誇った。本格化前の3歳クラシックを獲れなかったのが如何にも惜しいが、古になってからの強さは物凄いの一言。生涯獲得賞が初めて1億円をえたのも、このタケシバオーである。

タケシバオーは日本中央競馬会での最多記録となるレコード勝ち5回記録している。基本的にスピードだったのだろうと思われる。

なんというか、距離も条件も斤量も問わないあまりの無敵ぶりに斤量100kg積んだろか」「横綱大鵬に乗らせろ」と言うが上がる始末。終いにはタケシバオーがどのレースに出ても「ふ~ん、ならありなんじゃね」とも驚かなくなったそうである。

とにかく、現在でも「ローテーション」「斤量」というとタケシバオーの名前が出てくるという、伝説的存在である。ナリタブライアン高松宮記念出走を決めた時「過ぎる。タケシバオーじゃないんだから」と言われた事が端的な例だろう。タケシバオーは別格、較対にならないというような扱いが不思議に思われないほどであった

2004年顕彰馬に選出されている。GI級競走は朝日杯天皇賞だけという戦績から旧基準では選考対となる資格を満たしていなかったのだが[6]2001年に選出方法が記者投票へと変更されたため選出された。既に引退から30年以上、後10年以上が経っていたことを考えると驚きの結果である。それだけ強い印を残すだったということだろう。

血統表

*チャイナロック
China Rock
1953 栃栗毛
Rockefella
1941 黒鹿毛
Hyperion Gainsborough
Selene
Rockfel Felstead
Rockliffe
May Wong
1934 栗毛
Rustom Pasha Son-in-Law
Cos
Wezzan Friar Marcus
Woodsprite
タカツナ
1958 黒鹿毛
FNo.5
シママンナ
1950 黒鹿毛
*プリメロ Blandford
Athasi
第参マン *シアンモア
マン
*クニビキ
1951 黒鹿毛
Nice Day Mid-day Sun
Belle Aventure
Starlet Actor
Marevere
競走馬の4代血統表

クロス:5代内アウトブリード

主な産駒

関連動画

関連商品

関連コミュニティ

関連項目

JRA顕彰馬
クモハタ - セントライト - クリフジ - トキツカゼ - トサミドリ - トキノミノル - メイヂヒカリ - ハクチカラ -
セイユウコダマ - シンザン - スピードシンボリ - タケシバオー - グランドマーチス - ハイセイコー -
トウショウボーイテンポイント - マルゼンスキー - ミスターシービー - シンボリルドルフ - メジロラモーヌ -
オグリキャップメジロマックイーン - トウカイテイオー - ナリタブライアン - タイキシャトル - エルコンドルパサー -
テイエムオペラオー - ディープインパクト - ウオッカ - オルフェーヴル - ロードカナロアジェンティルドンナ -
キタサンブラック
競馬テンプレート

脚注

  1. *1975年マルゼンスキー記録更新
  2. *1700mの日本レコードタイムは1:43.1。安田記念七夕賞など16勝をあげたパナソニツクが1965年オートキツのレコードを10年ぶりに更新したばかりだった。
  3. *1966年の最優秀3歳朝日杯3歳Sセントライト記念京王杯スプリングHなど12勝をあげた快足
  4. *1973年の最優秀3歳1975年の最優秀5歳以上スワンS高松宮杯など7勝。
  5. *この年のみ英国フェア開催記念競走。
  6. *ただしJRA公式サイトではタケシバオーの戦績は朝日杯3歳S天皇賞(春)スプリンターズSGI級競走3勝とされている。

【スポンサーリンク】

  • 6
  • 0pt
記事編集 編集履歴を閲覧

この記事の掲示板に最近描かれたお絵カキコ

お絵カキコがありません

この記事の掲示板に最近投稿されたピコカキコ

ピコカキコがありません

タケシバオー

41 ななしのよっしん
2022/06/17(金) 13:05:15 ID: Le2G6jkJJv
だからと言って
1200でもダート2100でも酷量背負ってレコード勝ちはヤバ過ぎるわ
👍
高評価
1
👎
低評価
0
42 ななしのよっしん
2022/10/27(木) 21:57:19 ID: ww8ga0YMje
そういう時代だということを念頭に置いて概要読んでも
「もうめちゃくちゃだよぅ・・・」って感想しか出てこんよなコイツ
👍
高評価
2
👎
低評価
0
43 ななしのよっしん
2022/10/27(木) 22:20:18 ID: ATwF6t8teP
レコード更新5回ってのも中央競馬の最多記録だったかな
👍
高評価
5
👎
低評価
0
44 ななしのよっしん
2022/11/27(日) 01:16:16 ID: UvsY3Vvr+k
クソ斤量レコード勝ちしたのも凄いんだけど
デカいケガを一切しなかったってのが一番凄いわ
👍
高評価
11
👎
低評価
0
45 ななしのよっしん
2022/12/15(木) 22:23:31 ID: Qi11p5GfGB
そういう時代だからこんなバカみてえな真似やれたのかもしれんが
それができる々出るわけねえというやつ
👍
高評価
4
👎
低評価
0
46 ななしのよっしん
2023/06/07(水) 08:00:41 ID: OdmoD0HBKz
は悪くないけど顕彰馬ゴリ押しのせいで老害の好きなっていう印がついててかわいそう
👍
高評価
5
👎
低評価
2
47 ななしのよっしん
2023/06/11(日) 14:48:32 ID: eXCnClLIH0
顕彰馬話題になると悪い意味で一度は名が出るけど記者のせいだもんな
👍
高評価
0
👎
低評価
3
48 ななしのよっしん
2023/06/11(日) 21:25:45 ID: zA1kxcygvx
は悪くないし記者も悪くないよ
悪いのはゴリ押しだなんだと批難してる無知関心な人たち
👍
高評価
6
👎
低評価
6
49 ななしのよっしん
2023/06/12(月) 00:50:59 ID: zA1kxcygvx
オペラオーの落選に関してはエルコンやスペシャル投票してた人たちも同罪なんだけど、不思議なことにタケシバオーを批難する人たちもエルコンやスペシャルゴリ押しとは批難しないんだよね
まあつまりいてる人たちってそういうことなんだろうなっていう
👍
高評価
3
👎
低評価
1
50 ななしのよっしん
2023/08/19(土) 06:35:00 ID: zA1kxcygvx
記事にあるタケシバオーが旧基準なら顕彰馬の選考対外だってのはだよ
スプリンターズSは90年からGI昇格してるしJRA公式でもタケシバオーGI級3勝としてる
なにより90年の選考会議普通に選考対にされてたし賛成か反対かの投票もされてる
あくまで話題性や大衆性で他のが優先されたってだけ
👍
高評価
2
👎
低評価
0