タケデンバード単語

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タケデンバード
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タケデンバードとは、日本の元競走馬である。
何の因果か、付いたあだ名「魔性の」「死神

な勝ち
1972年:クモハタ記念
1973年:高松宮杯

概要

Nearco産駒アドミラルバードエリースコットという血統。まずここからピンと来ない。
通算成績は26戦6勝、クモハタ記念・高松宮杯を勝つなどそれなりの結果こそ残した。
しかし、同期ランドプリンス・イシノヒカルロングエースタイテエムハマノパレードハクホオショウタニノチカラ綺羅星のようなスターホースらとべると地味の一であった。
しかし、そんな地味な彼が大仰なあだ名を賜るに至ったのは理由がある。 しかも3つ。

「魔性の馬」タケデンバードの事件簿

その一:みずばしょう特別の惨劇

3歳(現在の2歳)に中山デビューした彼であったが、なかなか勝ち上がれず初勝利を挙げたのは4戦未勝利戦5月の頭であった。
例年であればまで大舞台とはさようならだったのだが、この年のダービーは流感の7月9日開催となっており、5月頭にようやく勝ち上がってもすれば間に合う程度には猶予があった。
しかし、5月下旬の200万下条件(当時の未勝利の次のランク)を取りこぼし、ここで負けたらもうダービー理というレース1972年6月11日のみずばしょう特別に挑んだ。
15頭立ての2番人気となかなかの高評価を受け臨んだが、4頭が絡む落事故という大惨事が発生。
しかしそれをよそに彼は何の不利も受けず快調に駆け抜け圧勝し、さらに500万下条件も勝ち2連勝を飾りダービーに出走したが、テスコボーイファーストクロップであった皐月賞ランドプリンス冠のタイテエム最強世代のダービーいた勝ちロングエースが死闘を繰り広げた先頭集団からは遠い彼方の11着に終わった。 

その二:競馬史に残る大チョンボ

その後、菊花賞路線を諦めて中距離路線に進んだタケデンバードはオープン級へと成長。11月カブトヤマ記念に出走したが、凱旋門賞St. Crespinや当時の世界王Tulyarを近に持つハクホオショウ敗し9着に終わる。
次走として1972年12月3日クモハタ記念に臨んだのだが、ここでもハクホオショウが立ちはだかった。レース逃げるとされたトーヨーアサヒまさかの出遅れという波乱のスタート
直線、めに先頭に立つタケデンバードをハクホオショウが追う展開となったが、ハクホオショウが地にまかせてるタケデンバードを差し切って良血の面躍如…と、観戦した皆が思った。そして、掲示板を見てを疑った。

1着 タケデンバード
2着 ハクホオショウ  クビ

タケデンバード、めでたく重賞ゲットである。おめでとう…なんて空気なるはずもなかった。
競馬場は騒然となり、ハクホオショウ営は納得せずJRAに判定写真(当時は眼で審判委員が着順を裁定していたが、スリットカメラ写真表するのが通例であったため、通常は写真がある)を出せと詰め寄るも
スリットカメラ壊れてたから写真はない! だからウチの審判委員の眼で決めた! 以上!」という言い訳にもならないような理屈で訴えは退けられた。
これには営も、1番人気ハクホオショウ明らかに勝っていて後は2着争いと見ていたファン激怒
ヘタを打つと競馬離れ必至のこの事件を受けハクホオショウの関係者が、JRAと交渉した結果肉眼判定は止され写真判定のみで厳密に決めるようにルール正されたため、彼の犠牲は駄にはならなかった。

…んだが、ハクホオショウはこの後調子を崩ししばらく苦戦の日々が続き、後に復調して秋の天皇賞に一番人気タニノチカラを抑えた大本命として挑むも、スタート直後に予後不良級の骨折を発症し引退を余儀なくされた。
種牡馬にこそなったが、実績が足らず青森種牡馬生活を送り、大した成績も残せずこの世を去った。このレースがなかったなら、もしかするとハクホオショウ生はまた違ったものになったのかもしれない。 

ちなみに、JRAの標榜する競馬批判するときによく引き合いに出された事件でもある。
本記事はかなりざっくり書いているので、タケデンバード事件でググるとちゃんとわかると思う。 

その三:ハマノパレード、散華

その後、中距離重賞の常連として出走し続けるも結果は伴わず旧5歳1973年6月24日高松宮杯に出走。
10頭立てのレースとなり、1番人気は前年春の天皇賞ベルワイド、2番人気は軽快なスピード宝塚記念を快勝しスターへの階段を登り始めていたハマノパレード、タケデンバードは8番人気であった。
レースは軽快にハマノパレード逃げて後続を離し、タケデンバードはその後ろで二番手を追走。
ハマノパレード逃げは快調そのもので、そのまま逃げ切る…かに思われたのだが直線で悲劇は起こった。

ハマノパレード、転倒。予後不良

したはずのくも堕ちてしまった。そんな中、棚ボタで先頭に立ったタケデンバードが押し切って重賞2勝マーク
さらに1番人気ベルワイドも旧中京競馬場の小回りかつ直線が短いことが災いし追い込みきれず3着に終わり大荒れとなった。
…しかし、ハマノパレードの悲劇はこれだけで終わらなかった。詳しくは当該記事に譲るが、あまりに悲しい結末を迎えたのであった。

最後に

という3つの大事件に遭遇、さらにその棚ボタで滑り込みでダービーに出走するきっかけを掴んだり重賞を2つも取ってしまったため、冒頭のあだ名が付いた。
ぶっちゃけちゃうと彼は悪くないんだが、 結果として彼の周りに怪しいでも差していたかのように事件が巻き起こったのも事実である。
「魔性のというあだ名は、ある意味で彼を正確に捉えた名前なのかもしれない。死神は言い過ぎだと思うが。
そんな彼であったが、ハマノパレード以降は悪運も尽きたか勝利に見放され、6歳の引退。その後の動向は杳として知れない。

血統表

*アドミラルバード
Admiral Byrd
1952 黒鹿毛
Nearco
1935 黒鹿毛
Pharos Phalaris
Scapa Flow
Nogara Havresac
Catnip
Woodlark
1944 鹿毛
Bois Roussel Vatout
Plucky Liege
Aurora Hyperion
Rose Red
エリースコット
1962 黒鹿毛
FNo.1-m
*スコット
1954 鹿毛
Souverain Maravedis
Jolie Reine
Dissenter Cameronian
Lady Juror
*フエリー
1950 鹿毛
Channel Swell Fairway
Papilla
Mavida Marconigram
Roseflight
競走馬の4代血統表

クロスPharosFairway 3×5×4(21.88%)、Spearmint 5×5(6.25%)

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タケデンバード

1 ななしのよっしん
2013/05/06(月) 00:44:54 ID: Z1z5OoYOvS
古いっw
記事作成者さんです。
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2 ななしのよっしん
2013/06/02(日) 14:45:30 ID: jqeD2Yfd7v
ストロングブラッドの大先輩みたいなだなあ
あっちは周囲のじゃなくて競馬場不幸を呼んだだけど
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3 ななしのよっしん
2015/05/30(土) 21:46:18 ID: tfK3fTA7oX
くっさい記事やな
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4 ななしのよっしん
2016/02/14(日) 21:05:20 ID: 1wvarBX2HL
タケデンというのはオーナー名前からとった(武市伝一)冠名だが単純に「タケデン」というもいた。
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5 ハクホオショウ 
2018/09/22(土) 23:29:04 ID: HjGguUsluG
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6 ななしのよっしん
2020/06/23(火) 00:23:49 ID: ya1IHt98lW
今でもタケデン冠のおうまさん地方で見かける
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7 ななしのよっしん
2023/04/24(月) 00:50:59 ID: Zf05QH4nK/
馬主の一族にゴールデンハインド武市康男師
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