チーフテン(FV4201 Chieftain)とは、イギリスの開発した2世代MBT(主力戦車)である。
名前の意味は族長・酋長。特にスコットランドの高地民族(所謂ハイランダー)の長を指す。
戦車界の長
チーフテンの開発はそれまでの主力戦車であったセンチュリオンと、対ISシリーズ用に開発された重戦車コンカラーこれら二つの後継機を統合するという目的で始まった。
そのため軽装甲・高機動寄りの2世代MBTとしては攻守性能に重きが置かれており、西側2世代MBTの標準であったL7 51口径105mmライフル砲ではなく、L11A5 55口径120mmライフル砲を装備。
これは後継のチャレンジャー1にも引き続き使用され、湾岸戦争においては5,000mという超長距離からT-55を仕留めるという驚くべき性能を見せ付けた、当時としては破格の装備である。
装甲も最も厚い砲塔正面は傾斜も加味するとRHA(均質圧延装甲)換算で300mmに達していた。
これはこの世代では最も軽装甲のレオパルド1の70mmとは大きく差を付け、走攻守のバランスのよいM60の254mm、仮想敵たるT-62の242mmと比べても優越している。
機動性も55tとこの世代としては最重量だが、標準量産型であるMk.5から搭載された750馬力エンジンのおかげで最高速は48km/hとM60やT-62と比べても遜色無い
…はずであった。
「絶対に屈してはならない。絶対に。絶対に。絶対に。絶対に」
このレイランドL60ディーゼルエンジンが曲者。
イギリス念願の戦車用ディーゼルエンジンなのだが、縦置き型の対向ピストン式という複雑な方式にしたのが運の尽き。
そこにNATOのSTANAG規格のためのマルチフューエル化がトドメを刺した。
配備当初からアッパークランクシャフトの潤滑不足によるエンジンブローという深刻な故障が多発。
ギアボックスの信頼性の低さも稼働率低下に拍車を掛けた。
あまりの稼働率の低さから最大のチーフテンユーザーであった在独英軍ライン方面軍からの苦情が殺到。
事態を重く見た政府直々に「The Chieftai Tank Engine」と銘打たれた調査報告書を提出されてしまう。
その内容は
「主砲とレンジファインダーはすこぶる優秀。とにかくエンジンに問題あり」
レイランドL60はカタログスペック上では4000マイル(6437km)の耐用距離を誇っていたのだが、殆どがそれに届く前にエンジンが故障どころか修復不能レベルでご臨終。
それ以外にも秘匿性という地味に重要な問題も発覚。
騒音と白煙をガンガン上げ、作戦行動にも支障が出るレベルであった。
ここからが英国面の本領である。
Mk4Aから始まったL60エンジンはMk14まで改良に改良を重ね、80年代には稼働率80%の快挙を成し遂げた。
そして湾岸戦争では既に退役していたものの、車体流用の派生型である工兵車のチーフテンAVREは平均故障距離は2356マイル(3792km)と大きく信頼性が向上し、なんと主力であったチャレンジャー1の2倍であった。
日本よ、これが戦車だ
チーフテンは出現当初、その攻守性能からソ連・ワルシャワ条約軍機甲師団の最大の障害と認識され、冷戦の最前線たる西ドイツ国境付近に駐屯した在独英軍にも数多く配備された。
セールスも好調で中東各国に広く輸出されたが、イラン軍の本車はイラク軍の冠水戦法(孔明の罠か)でぬかるんだ足場に大重量と繊細なエンジンが仇となり身動きが取れなくなったところを各個撃破or鹵獲。
クウェート軍の物はイラク軍(またかよ)の電撃侵攻により反撃もままならずに殆どが鹵獲される。
このように先輩のセンチュリオンや後輩のチャレンジャーに比べると残念ながら実戦であまりいいところが無い。
イスラエルにはチーフテンを基にした改良型を共同開発する予定であったが、イギリス政府が中東融和政策に方針転換したことによって契約が反故にされ、その結果としてイスラエルはチーフテンを元に独自に国産戦車メルカバを開発することになった。
前述のように重戦車寄りの特性から当時としては保守的と言われた設計思想だが、3世代MBTの登場した現代からしてみれば120mm砲による大火力と重装甲、十分な機動性を両立したその設計思想はむしろ先進的であったことは興味深い。
…だからって後継機のベースに車体設計を流用するのはどうかと…
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