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テイトオー
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テイトオーとは、1963年生まれの日本の元競走馬・元種牡馬である。

そして、の第33代日本ダービーである。

ダービーなんだってば。

でも正直、歴代ダービーの中ではトップクラス影が薄いと思う

な勝ち
1966年:東京優駿(八大競走)

齢表記はテイトオーが活躍した当時のものに合わせて旧表記で記載しています。

良血馬・テイトオー

は悲運のダービーキーストンを輩出し、テイトオーがダービーを勝った年にはリーディングサイヤーも獲得している名種牡馬ソロナウェー。
な競走成績ながら種牡馬として菊花賞コマヒカリを輩出したシマタカ系はテンポイント一族の祖である月丘(競走名エレギヤラトマス)に連なるという、当時としてはかなりの良血として生まれたテイトオー。

しかし、その血統を持ちながらも、クラシック戦線におけるテイトオーの注度は決して高くなかった。

3歳時(1965年)

1965年7月18日ダート1000mでデビュー勝利を飾る。しかしその後は5着、2着、2着とパッとしない。ようやく2勝を挙げたのは12月条件戦だった。

4歳時(1966年)ダービー以前

この年も条件戦で3着、2着、6着とやはりパッとしない。3勝ダービーより3週間前の条件戦の新賞で、いちおうのダービーへの名乗りを挙げた。

影の薄いダービー馬

1966年クラシック戦線は群雄割拠の様相を呈していた。

ダービーに出走しただけでも皐月賞ニホンピロエース、後の菊花賞ナスコトブキ、このダービーる時にテイトオーよりも先に名前の出る一番人気シヨウグン、後のグランプリホースシンボリルドルフであるスピードシンボリ、後の安田記念エスキイとそうそうたる面々が並んでいるほどだ。

そんな中、テイトオーのダービー前の戦績は8戦3勝。重賞勝ちどころか重賞に出走経験すらない状態で臨んだのである。28頭中12番人気という評価は、その実績からして妥当なものだと言えるだろう。

その低評価を覆してテイトオーは勝ってしまった。しかもこのメンバーを向こうに回して4身差の圧勝である。

ダービー後は神戸杯2着、菊花賞18着(ブービー負け)という戦績で引退してしまったため、アレとかソレとかコレと一緒に最弱のダービー補として名前が挙がることもあるが、ダービーで破った面々や勝ち方を考えると、テイトオーには同情の余地があると思う。
実際、テイトオーが最弱ダービーとして強にプッシュされることはないわけだし。多分、それもの薄さに拍をかけてる。

さらに、ダービーに出ていたライバルたちのキャラクター性の濃さもテイトオーのの薄さに拍をかけた。
ダービー単勝に10万円ぶっこんだ寺山修に大損させたニホンピロエース、寺山修エッセイ“モンタヴァルの呪い”の徴としてられるナスコトブキ事これ名徴であり有馬記念連覇かつ二年連続年度代表馬であり海外遠征のであり皇帝の祖であるという設定盛り込みすぎなスピードシンボリ
メジロイーグルを輩出し、後にメジロパーマーまで系をつなげることになるメジロサンマンもここに出て落していたりして、第33回ダービーろうとするとテイトオー以外に移りしてしまうのだ。

一応、テイトオーも日本中央競馬会移行後の日本ダービー単勝と枠連の最高配当記録(共に1966年時点での記録)を叩きだしたというキャラクター付けはあるのだが、人気シヨウグンこけたせい」「ソロモン(テイトオーより人気薄の18番人気)が2着に入ったせい」とやっぱり他の要因扱いされてしまう有り様である。
あと、馬主が元騎手北村の曾祖であるという特徴もあるけど、それもあまり知られていない。

さらに言えば、前後三年のダービーメイズイシンザンキーストンアサデンコウタニノハローモアダイシンボルガードキャラが濃いのばっかだから余計に「あれ?1966年ダービーって誰だっけ?メイズイシンザンキーストンと来て……シヨウグン?」とかなってしまうことが多い。

の薄さのせいか、ダービーをフロック視されたせいか、産の中心から遠く離れた鹿児島種牡馬入りしたテイトオーは、内種牡馬不遇の時代ということもあって、結果を出せずに引退

その後、病気が原因で立てなくなると、解剖用として宮崎大学に寄付され、そこで生涯を閉じるという悲惨な末路を辿ってしまったテイトオー。

歴代ダービーる時、たまにでいいからテイトオーのことを思い出してあげると、天国だった彼も少しは喜んでくれる……かもしれない。

血統表

*ソロナウェー
1946 鹿毛
Solferino
1940 鹿毛
Fairway Phalaris
Scapa Flow
Sol Speranza Ballyferis
Sunbridge
Anyway
1935 鹿毛
Grand Glacier Grand Parade
Glaspia
The Widow Murphy Pomme-de-Terre
Waterwitch
マナスル
1951 鹿毛
FNo.3
シマタカ
1944 鹿毛
*プリメロ Blandford
Athasi
第参マン *シアンモア
マン
年丘
1940 黒鹿毛
*ダイオライト Diophon
Needle Rock
月丘 Sir Gallahad III
*
競走馬の4代血統表

クロスGrand Parade 4×5(9.38%)、Polymelus 5×5(6.25%)

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結果的にテイトオーの引退レースとなった菊花賞

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1 ななしのよっしん
2015/11/17(火) 18:07:20 ID: GewzH56tVW
「第1期おそ松くんアニメが放映されていた年のダービー」と言えば若い女性アピールできるかもしれない?

(ちなみに第2期の年はサクラチヨノオー
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2 ななしのよっしん
2016/02/14(日) 20:37:18 ID: qrAob57+Kl
寺山修優駿に寄せたエッセイでこのダービーのことが書かれていて、ニホンピロエースを信じて大をつぎ込んだのは有名な話。
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3 ななしのよっしん
2019/05/26(日) 17:35:48 ID: D9Zb3tW6eH
ロジャーバローズテイトオー以来53年ぶりの12番人気でのダービー勝利ということで、影の薄いテイトオーのことが少しだけ話題に。
当時も他に人気が多かったから今回と同じような雰囲気だったのかな。
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