テンニンギク(天人菊)とは、アメリカ原産の花である。学名はGaillardia pulchella。
概要
赤と黄の明るい花びらで構成されたキク科ガイラルディア属の総称。一年草のものがテンニンギク、多年草のものはオオテンニンギクと呼ばれる。サンダンス、インディアンブランケット、ガイラルディアといった別名もある。その鮮やかな見た目から花言葉は「協力」「団結」「きらびやか」など前向きなものが多い。9月4日と10月25日の誕生花でもある。アメリカのアリゾナ州やニューメキシコ州が原産地とされる。
6~9月にかけて開花し、美しくて鮮やかな花びらを開かせる。草丈が30~40cmしかないため意外と背が低い。寒さに強い事から秋口まで花を咲かせている傾向にある。多年草タイプのオオテンニンギクは環境が適していると生育や勢力の拡大が早く、なおかつ簡単には枯れないので雑草扱いされ、よく草刈りの対象となる。
アメリカでは発見した18世紀のフランス人生物学者ガイヤール・シャラントノートの名前にちなんでガイラルディアと呼ぶのが主流。アメリカの南北に約20種類が分布し、オクラホマ州ではガイラルディアを州の野草に定めているなど、生活に根付いている様子が窺える。アメリカ以外だと日本や中国にも分布。日本へはテンニンギクが明治時代中期に、オオテンニンギクが後期頃に渡来したとされ、近畿以西、主に鹿児島を中心に自生。花の美しさが天人を想起させる事から「天人菊」と記され、日本語ではテンニンギク、中国語ではティエンレンヂィーなどと発音される。
道端で自生している姿がよく見られ、園芸用品種も数多く存在している馴染み深い花。ガイラルディアの名で販売されている花は大体テンニンギクとオオテンニンギクを交配させた雑種である。暑さと寒さに強く、日当たりと風通しの良い場所であれば、種からでも苗からでも元気に育つ。水やりも地植えで育てている時は降雨だけで済む。このように栽培難度が低いため園芸初心者に向いているとされる。オオテンニンギクの場合は環境さえ合えば放っておいても勝手に育つらしい。灰色カビ病とナメクジには気を付けよう!テンニンギクとオオテンニンギクの交配で新たにグランディフロラという雑種が誕生し、こちらも園芸品種が多数作られている。
特攻花
華やかなテンニンギクが持つ、もう一つの側面。
大東亜戦争も末期に入った1945年3月、鹿児島の各地から沖縄方面へ向けて多くの特攻機が飛び立った。奄美群島北東に位置する喜界島は、ちょうど鹿児島と沖縄の中間に位置していたため特攻機の中継基地が置かれ、鹿児島を発った特攻機が立ち寄る「止まり木」として機能。彼らを死地に送り出す飛行場の傍らには風に揺れるテンニンギクが咲き誇っていた――。
喜界島に住む婦女子は出撃前の特攻隊員にテンニンギクの花を贈っていた。しかし「綺麗なテンニンギクまで一緒に散らせるのは忍びない」と考えたのか、隊員は飛行場の隅に植えたり、あるいは出撃後に風防を開けて花束を放り投げたという。それらのテンニンギクが飛行場周辺に根付き、終戦から75年以上が経った現在においてもその姿を現世に留め続けている。通常テンニンギクは6~9月に開花するのだが、喜界島では奇しくも沖縄への特攻作戦が始まった3月に発芽し、第32軍の組織的抵抗が終わって実質沖縄戦が終結した6月頃に咲き終わる。
このような経緯から特攻花とも呼ばれ、花言葉に「生きなさい」が追加された。平和を願う花として「天人菊の丘」という特攻花を伝える歌が作曲されたり、喜界島酒造では特攻花という焼焼酎が販売されているなど、島民にとってテンニンギクには特別な意味合いが込められているようである。ちなみにテンニンギクと並んでオオキンケイギクも特攻花と言われている(特に鹿児島県内)。ちなみに誕生花を務める10月25日はレイテ沖海戦の日でもあり、何かと戦争と縁がある花である。
一方で、南方戦線から帰還した航空機の車輪にテンニンギクの種が付着し、併せて復員兵が持ち帰った種が芽吹いて広がったとする説がある(2006年6月1日付読売新聞)。
喜界島では「特攻花」、和名はテンニンギク、戦争の悲惨さを語り継ぐ。
毎年平和へのメッセージの花を咲かせ続けている。第二次世界大戦(太平洋戦争)の時、喜界島は海軍航空基地があり沖縄戦線への特攻中継基地であった。戦場へ旅立つ若い戦士に贈った別れの花。「特攻花」…大事にしましょう 喜界町
関連項目
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