トヨタ・コロナとは、トヨタ自動車が1957年~2001年に製造をしていた乗用車である。トヨタを代表をする車種でもあった。
概要
車名の由来は英語で「太陽冠」から。大衆車のカローラと、高級車のクラウンの中間に当たるミドルセダンという位置づけで、長らくファミリーカーのブランドとして存在していた。 また地方のタクシーの定番の車種としても有名であった。日産・ブルーバードと並び日本のモータリゼーションの発展に貢献をしていた。 ブルーバードとの競合が「BC戦争」と言われていた。1982年に登場の七代目からカリーナと姉妹車となる。
駆動方式は初代から七代目まではFR駆動、八代目以後はFF駆動となる。九代目から4WD仕様も選択可能となった。 基本は4ドアセダンになるが、二代目と三代目にはトラック、三代目から七代目までには2ドアモデル、二代目から九代目にはライトバン の各仕様も用意されていた。
余談ではあるが、トヨペットコロナ発売時に当時の大阪トヨタ(現:大阪トヨペット)の当時の社長が「クラウンよりもコロナのほうが売れそう」という理由でコロナの販売権を獲得、代わりに大阪トヨペット(現:大阪トヨタ)はクラウンの販売権を大阪トヨタから譲り受け、取り扱いを開始した。それ以降、大阪では2006年8月7日までトヨペット店とトヨタ店の取り扱い車種がほぼ逆になっていた。(2006年8月8日以降はそれぞれ会社名を取替えて営業しているが、現在ではトヨエース、ダイナ、ハイエースなどの一部車種が逆の店舗で販売されている)
2001年に11代・44年の歴史にピリオドを打ち、後継車種のプレミオにバトンタッチがされた。
初代・T10系(1957年~1960年)
1957年に登場。トヨタ自動車が先行をしているライバルのダットサン(後のブルーバード)に対抗をするために登場。エンジンは4気筒の 1000ccで、ミッションも3速MTとなる。またスタイリングも丸みを帯びたものなので、通称・ダルマコロナと言われた。
1959年に再びマイナーチェンジでエンジンのパワーアップがされ、定員乗車が4名から5名となる。
この型は急遽開発をされたモデルであるため車自体の完成度が低く、メイン市場であるタクシー業界からも不評を買ってしまった。 なお、トヨタ車では初のモノコックボディの構造を採用した。
二代目・T20系(1960年~1964年)
1960年に初のモデルチェンジ。「打倒ダットサン」を目標に掲げた。なお前年の1959年にブルーバードが発売となっている。 デザインも丸みを帯びたデザインになり当時増え始めた女性ドライバーにも好評なデザインとなった。エンジンは先代モデルからの 1000ccが用意された。
1961年にハイパワーバージョンの1500ccモデルが登場。最初はタクシーのみであったが、後にオーナー仕様も登場。オーナー仕様の 1500ccには、初の2速式のATモデルも登場。ただし、完全なるオートマチックではなくクラッチを自動で入れるオートクラッチ方式であった。
1962年に日本初のカラーでのCMが制作される。内容は荒野を走るコロナがドラム缶に突っ込むというハードなものであった。
1963年に第一回の日本グランプリに参戦をし「C5クラス」で1位から3位までを独占をし、高性能な点をアピールに使用した。 ただ、タクシー業界からの評判はよろしくはなかった。
三代目・T40&T50系(1964年~1970年)
1964年にモデルチェンジ。先代モデルと比較をして直線的なデザインとなる。発売当初には、開通したばかりの名神高速道路に 10万キロ連続高速走行をし、耐久性と品質の向上をアピールをし人気は急上昇。エンジンは1300ccと1500ccの二種類が選択ができた。 またATTも完全なる自動変速機となる。
1965年には販売台数1位を獲得。1968年にカローラにその座を譲るまでは連続一位が続いた。ブルーバードに存在をしていた スポーツモデルに対抗をするため、1600ccのエンジンを搭載したグレードを追加。初の前輪ディスクブレーキと4速MTを採用をした。 同年には日本初のピラード2ドアハードトップを追加。2ドアがT50型の形式となる。日本でのスペシャリティーカーの先駆けとなり 大人気モデルとなった。後にこれまた日本初の5ドアハッチバックを追加した。これはヨーロッパ市場を意識をしたモデルであるが、日本での売り上げはイマイチで、海外では好評であった。このモデルは現在の二代目・プリウスの原型となっている。
1966年と1967年にマイナーチェンジを実施。デザインの変更となる。1967年には2ドアハードトップに1600ccのDOHCエンジンを 搭載した「1600GT」が登場。
1968年にコロナの上級版であるコロナ・マークⅡが登場をしバリエーションを整理。
エンジンも1500ccのみとなり、5ドアは廃止。 2ドアモデルや1600ccはマークIIに移行された。
歴代コロナの中では一番売れた型として、名車の呼び声が高いモデルである。この頃より耐久性がアップされ、タクシー業界でも 信頼のブランドとして成り立つようになる。
四代目・T80系(1970年~1973年)
1970年にモデルチェンジ。形式がT80となるのは、上級版のマークIIにTT60/T70の形式を与えたためである。
マークIIが四代目コロナに なる予定であったが、先代モデルの人気があったために急遽別に四代目コロナとして登場をする。スタイリングは二代目カローラに似たデザインとなる。当初は4ドアセダンと5ドアのライトバンのみで、エンジンも1500ccと1600ccのみである。ただ、エンジンは先代モデルを流用をしたためにブルーバードと比較をすると古いエンジンとなる。1600ccには日本初の電子制御式の3速ATを採用をしていたが、 販売が都市部に限定をされていた。地味なデザインも災いして、販売台数は低迷した。
同年には2ドアクーペが復活をし、エンジンは1500cc、1700cc、1900ccが用意された。すぐにセダンにも1600ccが1700ccに排気量がアップし、1971年には1500ccが1600ccに排気量がアップされる。
1971年にマイナーチェンジ。地味なデザインから角ばったフロントデザインに変更された。
1972年にマイナーチェンジで、4ドアにマークIIと同じ2000ccが登場をする。
五代目・T100系(1973年~1978年)
1973年にモデルチェンジ。バリエーションは4ドアセダン、2ドアハードトップ、5ドアバンとなる。エンジンはガソリンの1600cc、 1800cc、2000ccでいずれも4気筒となる。先代モデルと比較をして直線的なデザインとなる。このデザインのおかげで売上は急上昇となる。またこの代は「予防安全」をキーワードにし、安全性をアピール。衝突衝撃ボディを採用するなど先進性が話題となった。 後にアメリカ仕様に存在をした2ドアセダンも登場。タクシー仕様もモデルチェンジをする。1600ccのLPGエンジンと、個人タクシー仕様の1800ccも登場をする。
1975年に排ガス規制に対応をするため、エンジンを改良となる。
1977年にマイナーチェンジ。フロントデザインを一新するが不評となった。また、個人タクシー仕様のエンジンが1800ccから2000ccに 変更となる。同年にはフロントデザインを一部変更となる。
CMには前期型は、コロナを大型トラックに衝突をさせる場面が流された。後期型からはイメージキャラクターに俳優・田宮二郎を起用をした。
六代目・T130系(1978年~1982年)
1978年にモデルチェンジ。この代より「トヨペット・コロナ」から「トヨタ・コロナ」となる。先代モデルのイメージを残したデザインと なるが、バンパーが売れ筋グレードでは金属製から樹脂製に変更される。ボディも4ドアセダン、ライトバン、2ドアハードトップが用意され、2ドアセダンは廃止となった。この代でサスペンションも新設計となる。ただしタクシー仕様とバン仕様のリアサスペンションは耐久性重視のため、 従来のままであった。またセダンはタクシー仕様以外はフロントディスクブレーキも全グレードに標準装備化となった。スポーティーグレードにはリアディスクブレーキとなり、ATも4速ATを搭載をしたグレードも登場する。またコロナでは初のパワーステアリングを装着したグレードも登場。
1978年三代目モデルのみに存在をしていた5ドアハッチバックを10年ぶりに復活。名称も「リフトバック」とした。ただし売上はイマイチであった。
1980年にマイナーチェンジ。フロントデザインを変更し、2ドアハードトップと5ドアのヘッドライトを角型4灯式から異形の2灯式となる。また1800cc車にはパワーステアリングを標準装備とした。その他60点もの改良点が加えられた。
当初、イメージキャラクターには俳優・田宮二郎が起用されていたが、田宮の突然の自殺によりしばらくはイメージキャラクターが いなかったが、途中でトヨタに所属をするレーシングドライバー・見崎清志を起用。リフトバックが登場をした時には一般の家族をCMに出演をさせていた。後期型になると、元プロ野球選手・長嶋茂雄を起用。当時長嶋は巨人の監督を解任されたばかりの頃で あった。その後4代目マークIIの後期型にもCMに登場をする。
七代目・T140系(セダン・バンは1982年~1987年 2ドアは1985年まで タクシー仕様は1998年まで)
1982年にモデルチェンジ。角ばったスタイリングで、1979年に販売をされてヒットをした六代目ブルーバードを意識したデザインとなった。 また、この代で駆動方式はFRとしては最後となる。この代より別車種だったカリーナとセリカが兄弟車となる。 そのためセリカみたいにデザインを取り入れることにより、スポーティーさを全面に出したモデルとなった。 エンジンはガソリンが1500cc、1800cc、2000ccと、コロナ初の1800ccのディーゼルエンジンを搭載した。また後に1800ccのガソリンターボ エンジン搭載車も登場。ライトバンはガソリンの1600ccとディーゼルが用意され、タクシー仕様は排気量は1800ccでLPGとディーゼルが用意された。
1983年に八代目モデルが5ドアのみ登場。この型から駆動方式がFF駆動となった。この時期のトヨタのラインアップによく見かけられた FFとFRの併売が行われていたがコロナでもその例外ではない。そのため登場をしてわずか2年でセダンは廉価グレードとスポーツグレードに のみに絞られるようになった。カローラに用意されていた1600ccの4A-GE搭載のスポーツグレードも用意された。 また、バンのガソリンエンジンが1600ccから1500ccとなる。
1985年にFF駆動のコロナクーペが登場をしたため、2ドアモデルは廃止となる。
1987年にセダンとバンがモデルチェンジでT140系は消滅し、タクシー仕様のみが生き残る。これはタクシー業界からFF駆動に対しての耐久性に関しての懐疑的な点があったためである。
1986年に全長を詰めて、後席を広くとった大幅なマイナーチェンジが行われる。同時にディーゼル車は2000ccに排気量がアップされる。1991年にディーゼル仕様が廃止をされ、1800ccのLPGエンジンのみとなる。
なお、この代のイメージキャラクターにはイギリス出身の俳優・ロジャー・ムーアを起用。
彼の代表作でもある映画シリーズ『007』を意識をしたようなCMの作りとなっていた。
八代目・T150・T160型(1983年~1987年)
1983年に登場。この型より駆動方式がFFとなる。当初はT140型の派生モデルとして登場。ボディが5ドアのみとなる。 当初は1800ccのガソリンエンジンのみであった。同年にFF駆動の4ドアセダンが登場。T140系のセダンのラインアップが削られ、 FFコロナセダンをメインとするようになる。セダンの登場により、エンジンをガソリンの1500cc、2000cc、2000ccのディーゼルエンジンも 用意される。
1985年にマイナーチェンジをして内外装に質感をアップして高級感がより出るようになる。また4ドアセダンに2000ccのスポーツグレードも 登場をする。同年には2ドアモデルのコロナ・クーペも登場をして、1989年まで生産された。
イメージキャラクターには、5ドアのみ登場時には、T140型と同様に俳優・ロジャー・ムーアを起用をしていたが、4ドアセダン登場時には、作曲家・加藤和彦、イラストレーター・秋山育、随筆家・松山猛、明治学院大教授・肥田日出生、雑誌ブルータス編集者・ジミー・ネルソンを起用していたが、マイナーチェンジ型からは作曲家・加藤和彦を起用していた。
九代目・T170型(1987年~1992年)
1987年にモデルチェンジ。乗用車系のコロナはすべてFF駆動化終了となる。ボディは4ドアセダンと5ドアハッチバックとライトバンで、 5ドアのみ「SF」の名称が付く。エンジンはガソリンが1500cc、1800cc、2000ccでノーマルとスポーツエンジンが選択可能で、ディーゼルエンジンは 2000ccが用意された。なお、この代でスポーツグレードの「GT」は日本国内では最後のモデルとなった。バンはガソリンの1500ccと2000ccのディーゼルが 選択可能であった。
1988年にセダンにコロナ初の4WD仕様車も登場。4WD仕様には専用のガソリンの1600ccが用意された。
1989年にマイナーチェンジ。グリルが横線から縦線基調になる。ガソリンの1800ccと1500ccエンジンが、電子制御噴射式に変更となり パワーアップがされる。2000ccのGTもパワーアップ化がされる。同年にはコロナクーペが廃止されて、4ドアハードトップの「Exiv」が登場。カリーナEDの姉妹車となる。
1990年にコロナの販売会社・トヨペット店が売上台数1000万代達成を記念して、セダンの2000ccをベースに全長を210㎜延長した、 「コロナ・スーパールーミー」が登場。全国限定500台のみ販売された。外寸は当時のクラウンセダンやマークII3兄弟とほぼ同寸でぎりぎり5ナンバーサイズに収まるものの、車体延長分を全て後席の居住空間に充てているため、当時の常識から考えると途方も無い広さと言って良いほどの室内空間を実現している。トヨタ車の中でのリムジン車はセンチュリー以外では、この スーパールーミー以外存在はしない。「見れたらラッキー」と思える車種でもある。
1992年にT190型に移行。ライトバンでのコロナバンはこの代でラストとなった。後継車種はカルディナとなる。
十代目・T190型(1992年~1996年)
1992年にモデルチェンジ。ボディは先代と同様に4ドアセダンと5ドアのSFが用意された。ボディが大型化をされ、丸みを帯びたデザインと なる。エンジンはガソリンが1600cc、1800cc、2000cc、ディーゼルの2000ccが用意された。
駆動方式はFFと4WDで、4WDはガソリンが2000cc、 ディーゼルの2000ccが用意された。ただしディーゼルの4WD車のミッションは5速MTのみとなる。 その他に教習車仕様も用意され、名称も「トヨタ教習車」の名称となり、コロナの販売会社のトヨペット店以外にもチェイサーを扱っていたオート店(現・ネッツ店)、クレスタを扱っていたビスタ店(現在はネッツ店)の各教習車の後釜としての意味もあった。教習車は ガソリンの1800ccとディーゼルの2000ccで、駆動方式はFFのみとなる。
1993年にはExivがモデルチェンジをして、3ナンバーボディとなる。1998年まで生産される。
イメージキャラクターには、俳優で歌手の中村雅俊をモデル末期まで起用をし、コロナ氏というキャラクターを演じていた。 ステーションワゴン&バンモデルのカルディナのベースにもなっている。
十一代目・T210型(1996年~2001年)
1996年にモデルチェンジ。ボディも4ドアセダンのみとなり、名称も「コロナ・プレミオ」となる。また、この型は安全装備をアピールをした 車種でもあった。そのため衝突安全ボディ「GOA」を強調をし、エアバックとABSを全グレードに標準装備としたが、コストダウンを進める ために、カリーナと内外装を多用をしたが、それがかえって安っぽさが強調されてしまった。エンジンは先代モデルからの流用であったが、 ガソリンの2000ccには、ガソリンの直噴を可能とした「D-4」を採用をし、燃費性能を向上させたが最高峰グレードでもあったので、 本革シートを標準装備とした。教習車仕様も細々ながらも存在をしていた。
1997年にマイナーチェンジ。ディーゼルエンジンを2200ccのターボ付きとなりパワーアップがされる。ディーゼルの4WD車のミッションが、5速MTのみから、4速ATのみとなる。
2001年にプレミオに名称を変更となり、11代44年の歴史に幕を下ろした。
イメージキャラクターには前期型のみ俳優・緒形拳を起用をしていた。マイナーチェンジ以後では、俳優・小林稔侍を起用。
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関連項目
- トヨタ自動車
- トヨタ・カリーナ(七代目からの兄弟車)
- マークⅡ(三代目からの派生車種)
- トヨタ・コロナエクシヴ(派生車)
- 日産・ブルーバード(競合車種)
- トヨタ・プレミオ(後継車種)
- トヨタ自動車の車種一覧
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