ドルニエDo 31とは、旧西ドイツのドルニエ社で試作されたVSTOL輸送機(!)の実験機である。実際に制作され飛行に成功した唯一のVSTOL輸送機でもある。1967年初飛行。
前史
ドルニエ社とは1920年ごろから活動を開始した航空機製造会社で、主に輸送機や爆撃機を作っていた。第2次大戦後の混乱もどうにか乗り切り、戦後は輸送機や小型旅客機を製造している。
さて、東西冷戦真っ只中の1960年代。西ドイツはアウトバーンを使って離着陸できる輸送機を作る計画を立ち上げた。それに応じドルニエが作った機体こそDo 31だった。
最初ドルニエ社はトラスフレームに操縦席とエンジンをつけた『ヴィッペ』(Wippe、シーソーのこと)という簡単な実験機[1]を作り、その飛行でえられたデータを元にDo 31は作られた。
解説
機体そのものは普通の高翼式輸送機。ハリアーに採用されたペガサスエンジンを2基翼の下に吊るし、垂直上昇には推力がまだ足りないのでVTOL機の垂直上昇用サブエンジンとして市販されていた[2]ロールスロイスRB162を翼端に4基ずつ(!)積む。その推力合計は294.46kN、kgf換算なら30,000kgf(=推力30t!)というバカ魔力馬鹿力で機体を持ち上げる。
特筆すべきはこの機体を開発するために『ハイブリッドコンピュータ』なるものをドルニエ社がわざわざ作った点。姿勢制御に複雑な計算を必要とされたDo 31だったが、それを達成するには当時のデジタルコンピュータは信頼性がたりない、信頼性にたる真空管を使ったアナログコンピュータでは計算力が足りないという状況だった。そこでドルニエ社は両方を組み合わせたいいとこどりコンピュータである『Do 960』をDo 31の設計のために制作した。今で言えばコンピュータと関係ない企業が自前でスーパーコンピュータを1から作ったって感じ。
ちなみに、キモである貨物搭載量は……。
搭載量は……。
ええと……。
実際のところどうよ
貨物搭載量、たったの3.5トン。
エンジンを実に10基も積んで日本の3tトラック程度しかつめないというのが問題になった。また航続距離が1800km(=行動半径900km未満)というのも問題になった。どうしてこうも低性能になったかと言うと、垂直上昇に使うRB162が水平飛行中は完全にお荷物になるうえ無理に垂直上昇させるので燃費も悪かった(ただでさえペガサスエンジンはジェットエンジンの中でも燃費が悪い)。ちなみによく似た用途の21世紀の機体であるオスプレイは4.5tの荷物を積んで航続距離は約3500kmである。
費用対効果が低いと考えられたDo 31は1970年、計画がキャンセルされた。試験中、奇跡的にも事故は一度も起きなかったという。ただ、VSTOL機開発の歴史から考えると左右にエンジンがあるタイプのVSTOL機は片方が止まると致命的な事故になることが多く、実用化されてもいつか大事故がおきただろうと考えるのが自然である。それを考えるとドイツがDo 31の開発をやめたのは正解だったと思う。
東西冷戦のあだ花といっていいDo 31は3機作られ、2号機は行方不明になってしまったが残りは現存。ミュンヘン郊外のドイツ航空宇宙センターとドイツ博物館分館にそれぞれ保存されている。
余談
ドルニエ社はその後破壊ネ申A-10を作ったフェアチャイルド社と合併。フェアチャイルド・ドルニエ社を名乗るが、2003年倒産。アメリカの同時多発テロのとばっちりで飛行機が全く売れなくなったためといわれている。資産はハゲタカのごとくいろんな会社に奪い去られ、1920年代から存在した名門ドルニエ社は現在跡形もな……くなったかと思いきや、掲示板にあるドルニエ228は製造権を買い取ったドイツのRUAGエアロスペース社によって現在も製造中。ドイツのカワサキもといドルニエの血脈は今も存在している。
関連動画
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関連項目
脚注
- *日本でも同時期、フライングテストベット試作機というよく似た形の実験機を作っている。
- *同じドイツのVSTOL戦闘機であるVJ101やフランスのVSTOL戦闘機であるミラージュIII-Vにも採用されている。どっちも実験機で終わったけどな!
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