ニホンアシカとは、かつて地球上に生息していたネコ目(食肉目)アシカ科アシカ属に属する絶滅動物である。
概要
現代人からするとにわかには信じられないことだが、江戸時代頃の日本には、日本特有のアシカが海岸沿いの至るところに生息していた。
しかも他の近縁・近似の種の多くとは違い、周遊性ではなく日本に定住していた。
現在でこそアザラシなどが日本に流れ着くと大ニュースとなり、あれやこれやと騒がれるが、江戸の頃のアシカと言えば、日本人にとってはとてもありふれた生き物であった。
ニホンアシカは、独立種ともカリフォルニアアシカの亜種とも言われているが、最近の研究では様々な要因から独立種とする見方が強い。
リョコウバトやトキに代表されるかつての絶滅動物と同じように、ありふれた生き物から一転、絶滅に追い込まれた種の一体である。
生態
上記であげたカリフォルニアアシカとは違い、体躯は大きめであった。
特にオスが巨躯であったが、メスはそれと比べると明らかに小柄だったという。
オスは成熟すると頭の上にコブが出来て、その部分の毛が白くなるのが特徴。
生きている間のほとんどは、海の上で過ごす。地上では鈍重なニホンアシカも、海にもぐれば凄まじい機動性を発揮出来るようになるからである。
陸の上で見ていると一見ボーッとしているようだったが、実は警戒心が強く、岩の上で群れが休んでいる時は必ず一頭が見張りに立っていた。
人間などが近づこうものなら大きな声で騒いで仲間達に危険を知らせ、群れを海の中に逃していたとされる。
繁殖期は必ず決まったところに集まって繁殖活動を行なっていた。
群れのオスは、複数のメスとグループを作って、夫婦関係を築く一夫多妻制度によって繁殖していた。
オスは要するにハーレム状態、今風に言うとリア充であることを、ある意味生まれながらに約束されていたといえる……かもしれない。だが爆発してはいけない。
絶滅までの経緯
多くの絶滅動物と同様、乱獲が主な原因と言われる。普段は天敵や疫病に苦しめられていた。
乱獲された目的は主に毛皮目的であるが、昭和初期にはサーカスの見世物目的として捕獲されていた。
食用としてはあまり適さず、肉はあまり美味しくはなかった。
油としては何かと使用され、他にも漢方薬などとして使用されたという記録もある。
江戸時代における乱獲は特に極まり、明治から大正にかけてもその勢いが収まらなかったため、20世紀初頭には姿を目に見えて減らしていた。
明治40年代から一部の地域では姿を見られなくなり、そこから瞬く間にニホンアシカは日本各地で消息を断っていく。
乱獲がある程度収まり、これで少しは個体数も回復するかと思いきや、そんなことはなかった。何故なら、その後ニホンアシカを待ち受けていたのは、日本の発展に伴い発生した、公害だったからだ。
公害によって、もはやニホンアシカは皮肉にもその名に反して日本という国が住みづらいところとなっていった。
結果、ニホンアシカの住処は、最後の生息地となったと言われる竹島など、ごく一部の地域に過ぎなくなっていた。
領土問題とニホンアシカ
ニホンアシカの絶滅をある意味決定づけた一つとして、竹島問題がある。
竹島にのみ生息するようになったニホンアシカの元にやってきたのは、竹島を不法に占拠しにきた韓国だった。
韓国が竹島を要塞化したことで、ニホンアシカはまた住む場所を奪われてしまった。
しかも韓国軍は、射撃演習と称してこのニホンアシカを標的にしたという話もあるくらいである。
もし日本がこの竹島を守れていれば、ニホンアシカの絶滅は、少なくとももう少し遅くなっていたかもしれない。
なお、生存説の中に、「北方領土にはまだニホンアシカが生息しているのではないか?」というものがある。
しかし、北方領土に向けて日本が調査団を送ったりすることは、この問題下においては到底出来ることではなく、今でもその真偽は明らかになっていない。
日本独立種ということもあってか、つくづく領土問題に縁がある動物だったといえよう。
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関連項目
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