単語記事: ニーチェ

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フリードリヒヴィルヘルム・ニーチェ独:Friedrich Wilhelm Nietzsche, 1844年10月15日 - 1900年8月25日)は、ドイツ哲学者・古典文献学者。後世に影を与えた思想

生涯

1844年にドイツのレッケンに生まれる。両親とも牧師の系であった。

1864年ボン大学入学学と古典文献学を専攻した。翌年の1865年にはライプツィヒ大学に転学した。

1869年、24歳の若さバーゼル大学に招聘され、古典文献学の教授に就任する。

1872年に処女作『悲劇の誕生』を出版するが、学界からは冷笑でもって迎えられる。

それ以降も教授仕事をしながら『反時代的考察』などを出版するが、体調不良が続き、1879年には教授職を辞職し、執筆業に専念する。

1885年に代表作 『ツァラトゥストラ』を書いたのち、 『善悪の彼岸』、『徳の系譜』、『この人を見よ』など、立て続けに著作を書く。

1889年 カルロ・アルベルト広場にて倒し、精病院に入院することになる。倒の原因については、「自らの思想ゆえに発狂した」「梅毒であった」など諸説ある。

その後10年近く廃人のような生活(排物を食したという記録もある)を続けたのち、1900年ワイマールにて死去した。

ショーペンハウアーとワーグナー

ニーチェは「俺ら」である

 ニーチェ哲学ショーペンハウアーと作曲ワーグナーから大きな影を受けている。このことは、「俺ら」的にとても興味深い。

 生命溢れる哲学イメージされるニーチェであるが、とにかく運動音痴数学が苦手。おまけコミュ障である。ペンを握ったときだけ、攻撃性がむき出しになる。そして、最後には、オカン介護するどころかオカン介護される。まさに「俺ら」。「俺ら」と違うのは、「プフォルタ学院」という名門校を卒業した高学歴と、一人暮らしのに身の回りの世話するため来てくれるがいることくらいである(ブラコンだと噂されるエリーザベトであるが、当時のドイツでも、男性に奉仕するのが女性の美徳だった。ニーチェ家族くにを亡くしていたので、好むと好まざるとにかかわらず、長男であったフリードリヒサポートするのがエリーザベトにとって状況的に自然なのである)。

 つまり、ニーチェは、体育会系ではなく、圧倒的に文化系(しかも理系ではなく文系)であり、い顔して屋内に籠もるような人間だった。そんなニーチェワーグナーに夢中になるということは、非常に俺ら的なのである。ワーグナーなどのクラシック音楽世界は、俺らに縁がないように思える。けれども、ネットテレビもなかった頃、つまり複製芸術が普及する以前、生で触れる音楽演劇は結構ポピュラーな娯楽だった(もちろんそれなりに時間のある人に限られたが)。ニーチェは、俺ら映画アニメに夢中になるように、ワーグナーに夢中になった。

 そんなニーチェは、自分の専門である古典文献学を活かしてワーグナーを応援したい、という痛々しい計画を思いつく。「古典文献学」というと聞き慣れないだろうけれども、要は歴史学であり、ニーチェの専門は古代ギリシャであった。
 しかし、資料を読み込んだり発掘したりして、客観的な事実追求する歴史学(ニーチェの同時代にあのシュリーマントロイアを発掘している)と、虚構の世界を作り出すワーグナーとでは、根本的に住む世界が違う。考のようなものもできない。ニーチェの専門は古代ギリシャだが、ワーグナーの作品群はゲルマンやケルト神話伝説に範を取っているからである。
 そこでニーチェは、大学時代に読み込んでおりワーグナーとの共通の話題でもあったショーペンハウアーの哲学を使って、ギリシャ悲劇とワーグナーの創作活動とを架する「設定」を練り上げ、歴史学は、客観的事実ではなく、歴史的な神話らせることに、その使命がある、とするに至ったのである(なんという中二病!)。

 その「設定」とは、俺らが生きている世界は、彼岸世界で苦悩する的存在の思い描く夢であって、俺ら芸術に触れるとき感じる崇高なオーラは、彼岸世界的存在に由来する…だから、古代と現代とかそういう相対的な差異は本質的な障にならない…と大体こういった感じのものである。

 こうしたニーチェの企みは、三つの方面において失敗している。

 まず、ニーチェは、ショーペンハウアーを理解していなかった。当然である。ショーペンハウアーを理解するには、かなりの程度でカント哲学を理解していなければならない。しかし、ニーチェの専門は、あくまで歴史学であり、哲学はずぶの素人である。そもそも、数学がダメな時点で、哲学むきではない。ニーチェロゴスを批判したのは、ロゴスの本質を知っていたからではなく、ロゴスが苦手だったからではないかという疑いすら生ずる。

 また、ニーチェは、歴史学の業界での信用を決定的に失う。ニーチェは若くしてバーゼル大学教授になったので優秀な古典文献学者だったとみなすむきもあるが、この就職はコネによるものであり、ニーチェ大学に就職するための論文すら書いていない。それぐらいコネが大事な世界で信用を失うことは致命的である。ニーチェの時代の歴史学は、実的な学問研究として自らをし始めていた。そんな折に、神話など歴史的なものを追求することこそが歴史学の役割だ、など言い出すヤツはトンデモもいいところである。学界側は、特別ニーチェに冷たくしたのではなく、当然の対処をしたまでなのである。

 しかし、最も致命的だったのは、ニーチェワーグナーを理解していなかったことである
 なにしろニーチェは、俺らである。あまりにワーグナーに入れ込みすぎて、ワーグナーを信奉してしまっていた。ある作品よりもそのファンがウザかったりその作品の信者が痛かったり、ということはよくある。ニーチェは、ワーグナーの創作活動に神話的役割を期待した…大まじめにである。その入れ込み具合は、

生存世界とは、美的現としてのみ永遠に是認される。
Nur als aesthetisches Phänomen ist das Dasein und die Welt ewig gerechtfertigt.

『悲劇の誕生』第5章

という仰々しい命題によく表れている。
 しかし、ワーグナーの方はプロである。たしかにワーグナードイツ神話の創造を口にしないではなかった。しかし、現実と上手く折り合いを付けながら、なによりもまず、エンターテイメントとしての音楽を着実に提供していくことを自らの仕事としていた。ワーグナーも、自分の創作活動に真剣だっただろうが、ニーチェが自分に投影するような夢物語マジで取り組む気は最初からない。だから、権者にも大衆にも、柔軟に接し、彼らの生活に余提供していた。

 これに気付いたとき、ニーチェははじめ、ワーグナーに裏切られた、と感じた。それはくしくも、ワーグナーライフワーク、『ニーベルングの指環』がバイロイト祝祭劇場で初めて上演されたときだった。しかし、ワーグナーにしてみればいい迷惑である。ワーグナーは、ニーチェが自分を応援したせいで学界から黙殺されたことを憐れみニーチェを擁護する論評を発表したりしている。それだけでももらい事故なのに、勝手に幻滅されるのではたまったものではない。

 しかし、しばらくするとニーチェも落ち着きを取り戻す。そして、たいそうな「設定」が尾ひれとしてくっついているだけで、日々の忙しさを忘れ慰めをもらうため娯楽作品にあずかっているという点では、ワーグナーが商売相手にしている人たちと自分とは何ら変わらない、ということに気付く自分は「俺ら」だった、と。もっといえば、自分自身がみっともないがゆえに娯楽作品をめ、娯楽作品は単なる娯楽作品だと開き直れないがゆえに、アポロだ、ディオニュソスだ、神話だという形上学的な理論武装に走ってしまった、ということに気付く。
 後になってニーチェが「神は死んだ」と述べるとき、その言葉はなによりも、若い頃の自分に対して言い渡されていたのである。同時代の世相や弱者のメンタリティに向けられる辛辣なニーチェ批判は、ニーチェ自身の体験から生ずるものなのであり、ニーチェ俺らだったからこそ、ショーペンハウアーやワーグナーの影を脱し、自らの哲学を構築し始めることができたのである。

著作 (関連商品の項も参照)

初期

中期

  • 1878年 『人間的、あまりに人間的』
  • 1879年 『様々な意見と箴言』・『漂泊者とその影』 (後の『人間的な、あまりに人間的な』第二部)
  • 1881年 『
  • 1882年 『悦ばしき知識』

後期

ニーチェの思想

 実義の洗礼を受けたニーチェは、真実の人間存在を研究した。ニーチェは反キリスト者を自認しており、その時代の例外者であり、単独者であった。例外者とは普遍的法則に包括されない人間で、それは「外」に「立っている」者で、外に投げ出されている者の意味である。つまり、「例外者は、普通のあらゆる様相を事実的に突き破る者なのである」。

 ニーチェは自分の孤独について深淵を覗き込んだ山頂の樅の木に喩えて「多分一羽の猛禽のほかには、でもあえてそこの客として訪れることはないだろう」とっている。

 1872年に『悲劇の誕生』を世に出した。それは、古典文献学の書を装いながら、哲学芸術における創造的な人間の理想をかかげる試みであった。ニーチェは、古代ギリシャ文化の「アポロ」と自然の「ディオニュソス」とを立て、両者の対立が芸術作品を産出するとしつつも、ディオニュソスという野蛮なアポロを引き裂いてしまう様子を作品として形作ったものこそが、古代ギリシャ人最高の芸術作品、ギリシャ悲劇であるとした。こうしたギリシャ悲劇を滅ぼしたものは、知性を重んずる「ソクラテス義」であるとし、ニーチェは、当時のヨーロッパ、とりわけドイツの物質的な繁栄をこうしたソクラテス義になぞらえ、ギリシャ悲劇の再生であるワーグナー音楽ドイツ文化のの担い手とみなし、ソクラテス義に対立させた。

 出版当時、大変不評だったこの作品だが、現在芸術論上の不朽の名作と呼ばれている。しかし、1886年に再版された『悲劇の誕生』第二版において、ニーチェは、かつてみずからが著した『悲劇の誕生』を厳しく批判している。

 ニーチェは当時のドイツ均化された大衆と機械文明で機械に支配され、創造性を奪われた人間だけであると捉えた。その原因はキリスト教等の思想が人間を卑小化し、画一化し、人間本来の生き方を喪失させてしまったと考え、彼はキリスト教を厳しく批判した。その上でキリスト教の価値を否定し、彼は価値の転換を企てたのである。

 そして、ニーチェは大胆にも「神は死んだ」と宣言し、をも否定したのである。の否定は、人間だけを残したことを意味していた。

 キリスト教徳は、謙虚、耐、寛容、恭順などに意義を置いていたが、ニーチェの解釈によればキリスト教が人間を卑小化し、弱者にさせ、権を得ようとして得るい群集にしてしまったという。従や臆病などを自分の都合のよいように価値転換を図ったものに他ならない、とニーチェはみなした。強者が抱く「への意志」に対して、弱者の「への意志」は「恨(ルサンチマン)」から生じる憎しみの感情を意味していたのである。つまり、それも形を変えた弱者の「への意志」に他ならないのである。したがって、ニーチェは従来のキリスト教が「奴隷徳」を説いたとして非難したのである。本来、人生とはかけがえのない重な人生なのだから、人間は君のように生きたがるはずである。それ故にそれら「君徳」を説く、とニーチェは宣言したのである。

 彼はキリスト教徳が人間を弱者にしたといった。人間の生命とは、本来生きるための戦いであり、君へ至る戦闘である。その人間の生命は単に環境への適応による自己保存に満足するものではなく、自己をする。生命はしく生きる意志である。それが「への意志」であり、進化も「への意志」が表出したものに他ならない。こうしてニーチェは人間のあらゆる行為の根底に「への意志」を考え、これを追求することが、人間本来の姿であると捉えた。したがって人間はこの「への意志」を否定し、弱めるようなものは排除しなければならない。彼自身も「への意志」を探し、その体現者を「人」と呼んだのである。人とは絶えざる自己の越者であり、人間が進化した人間以上の何かある高等な動物なのである。だからニーチェは人間とはされるべきものと捉えたのであろう。

 ニーチェの後期の哲学は『ツァラトゥストラ』に見られる「永劫回帰」思想である。宇宙永遠に繰り返す円環運動であり、万物も永久に繰り返す円環運動である。しかし、世界は「虚無(ニヒル)」であり、苦しく、矛盾に満ちている。この苦悩の生が永遠に生死の反復を繰り返し続ける。それは巨大な石を山頂にあげる不可避的、絶望的、意味なシジフォスに喩えられる。来るべき次の時代も虚無だろう。また次も虚無であろう。こうした世界永遠に回帰するのである。しかし永遠に繰り返す時代が虚無であっても、「これが人生であったか。さらばよし、もう一度!」と一生懸命に実在的に生きることの大切さをニーチェは私たちに教えたのである。

 参考文献:1997年3月『人間探の流れ』関根透・竹内善一:北出版(ニコニコ市場にはありません)

 なお以下のように書かれている文章はすべて誤りである。そんな本は踏み潰せ!byこの人を見よ

ナチズムとの関係

 ナチ党に積極的に協したハイデガーと違い、ニーチェにはナチ党に協した事実はない(そもそもナチ党が活動していた時期には既にニーチェは死去している)し、ナチズム的思想を唱えていたわけでもない。ニーチェの思想は、ナショナリズムとポピリズムを否定しているので、もともとナチズムとの相性はよくない。実際、ナチの理論エルンスト・クリークなどは、ニーチェドイツ嫌い、反々ユダ義などからして、ニーチェナチズムのイデオローグに仕立てるのは理だと判断していた。ただ、ニーチェの思想がナチズムでなかったにせよ、民主主義を否定していることは疑いない。

 ニーチェは以下の理由により、ナチズムに影を与えた思想として危険視された。

  1. ニーチェエリーザベトが反ユダ義者であったこと。ニーチェの遺稿は彼女によって整理され、『への意志』として刊行されたのだが、反ユダヤを標榜する彼女は恣意的な遺稿の整理を行った。
    なお、おばあさんになったエリーザベトは、ヒトラーと2ショット写真を撮っている。
  2. ナチの理論武装に寄与した保守の論客たちが上記のような遺稿『への意志』に影を受けたため、ニーチェの思想がナチズムの旗印の一つになったこと。ニーチェの「人」思想を、ゲルマン人の優秀性をするために利用したことなどがそれである。ただ、ヒトラーニーチェの著作物を読んだかどうかは確認できない(ムッソリーニは、ニーチェについて論文も書いている)。
  3. 彼と親交のあったワーグナーヒトラーに好まれ、ナチ党の宣伝のために積極的に利用されたこと。

名言

ニーチェはアフォリズムを好んで使用したこともあり、現代でもよく使われる言葉がある。中には、ニーチェの言葉と知らずに使用されているものもある。

「神は死んだ」

『悦ばしき知識』において登場する言葉。なお、この言葉には続きがあり、

神は死んだ! 神は死んだままだ! 々がを死なせたのだ!
あらゆる殺者の中の殺者である自分たちを、々はどう慰めればよいのか?」

となっている。関連項も参照されたし。

「人間的、あまりに人間的」

ニーチェの著作『人間的、あまりに人間的』に由来するものだが、これをもじって「○○な、あまりに○○な」などといわれることもある。

「深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ」

『善悪の彼岸』に登場する言葉。

作曲家としてのニーチェ

音楽に強い関心を持っていたニーチェは自ら作曲活動もしている。関連動画に紹介されている「断片自体」がそれである。

ニーチェの関連動画

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ニーチェの本は売れなかった?

 ニーチェは、その人物像が誇大に描かれてきただけに、人類にはすぎた哲学者であり、彼の死後、やっと時代が追いついてきたかのように思われるきらいがある。しかし、これは一部、誤解である。
 彼は、生涯を通じて、フリッチュ書店シュマイツナー書店ウマン書店の三つの出版社から本を出している。このうち、シュマイツナー書店からは、『教育者としてのショーペンハウアー』から『ツァラトゥストラ』に至るまで、10年にわたって自著を出版していたけれども、シュマイツナー書店は、刷ったニーチェの著作を書店に並べなかった。そのため、待てど暮らせど、ニーチェのもとには自著の反が聞こえてこなかった。なぜなら、世間の人がニーチェ読みたいなどと思うことがあったとしても、ニーチェの書いた物は出版社の倉庫に眠っていたため、手に取ることができなかったからである(やっぱネット通販って便利)。『悲劇の誕生』が黙殺されたことは、古典文献学のルールを破ったニーチェ自業自得なのであるが、『教育者としてのショーペンハウアー』以降のニーチェは、黙殺すらされていなかった。
 『ツァラトゥストラ』出版後しばらくしてこの事実を知ったニーチェは、当然怒り心頭で、シュマイツナー書店と決別しフリッチュ書店、ナウマン書店から自著を出版するようになる。以降、ニーチェは、だんだんと世間に知られるようになり、『この人を見よ』を準備していた頃には、だいぶ手応えを感じて強気になっている(もちろん病気の影も考えられる)。

 生涯を通じて本が売れないことに本が読まれないことに沸々とルサンチマンの炎を燃やしていたニーチェのため、彼の本を買ってあげてもいいかもしれない。

『悲劇の誕生』(Die Geburt der Tragodie aus dem Geiste der Musik)

 ニーチェの著作としては最初のもの。これ以前にも論文は執筆していた。ワーグナー音楽を媒介にしたドイツの形成に古典文献学が果たすべき役割を説明するためにショーペンハウアーの上学を応用する、という理矢理で力技野心作。それゆえにとにかく議論が散らかっている。
 序盤では、特にギリシア芸術作品を、アポロディオニュソスという二つの上学的な原理で説明し、中盤では、悲劇の終焉や同時代の古典文献学ソクラテス義の弊として描いている。終盤では、ワーグナーこそがドイツの復活であり、ギリシア文化の研究はこれに寄与しなければならない旨が述べられる。序盤、中盤、終盤の三つは、稿段階では別々の論考であり、終盤のワーグナー賛美は、急遽、差し入れられたものだった。
 1886年にナウマン書店から出版された第二版に新しく付された序文では、『悲劇の誕生』の初版が出たときの若気の至りを「形上学的慰め」と特徴付け批判してみせている。しかし、この新しい序文でも、『悲劇の誕生』において既に批判芽があったかのように述べられているが、に見るならば、これは後付けである。
 翻訳としては、新しいなんとかをつくる会でも知られる西尾幹二の訳に定評がある。ただし、注意すべきなのは訳の選択である。Wissenschaftを科学と訳すのはもちろん間違っていない。しかし、『悲劇の誕生』で問題となっているWissenschaftは、概ね古典文献学のことなので、理系の学問をイメージしないよう注意しなければならない。

『反時代的考察』(Unzeitgemäße Betrachtungen

 『反時代的考察』はもともと、別々に執筆された論文であり、一つの単行本ではなかった。ただし、論文の構想自体は一定の時期にまとめて錬られている。このような性質の四篇の論文は、シュマイツナー書店との決別を機に、1886年、一冊の本としてフリッチュ書店から出版し直された。
 ぶっちゃけ、『生に対する歴史の利』以外の論考が深く掘り下げられているのを編者は見たことがない。この時期のニーチェについて言うと、『徳外の意味における真理と虚偽』、『ギリシア人の悲劇時代における哲学』といった遺稿の方が好んで読まれているかも知れない。というのも、この時期のニーチェは、『悲劇の誕生』の失敗を受けて自重しており、自らの本音を活字にすることは控えていたからである。そうした本音の部分は、ノートに書きためられていた。
 『教育者としてのショーペンハウアー』が出版されたとき、「私はお前に似ていない…ショーペンハウアー」という匿名電報ニーチェのもとに届いた、とエリーザベトは記している。このエピソード事実ならば、『反時代的考察』に描かれるショーペンハウアーもワーグナーも、ニーチェの勝手な自己投影であったことを示す傍であり、それぞれの論考をニーチェの自己表現として読むこともできるだろう。
 なお、シュマイツナー書店との決別きっかけに再版された著作には、次々と新たな序文が付されたが、『反時代的考察』には新しい序文が付けられなかった。

『人間的、あまりに人間的』(Menschliches, Allzumenschliches

 『人間的、あまりに人間的』の構想ははじめ、『反時代的考察』の続編として準備されていた。しかし、ちょうどこの時期に、ニーチェウル・レーから決定的な影を受ける。そうした影のもと、これまでにない形で表現を得たニーチェの思想が、『人間的、あまりに人間的』なのである。
 『人間的、あまりに人間的』は、ニーチェが初めて著したアフォリズム集である。このアフォリズムという文体は、レーから学んだものであり、『人間的、あまりに人間的』の36番にはレーの心理学的な洞察への賛辞が見出される。ただし、生兵法はケガのもとと言うべきなのか、ニーチェは、アフォリズムという文体を使いこなせていない感がある。例えば、いくつものアフォリズムが数珠つなぎになって一つのコンテクストを形成しているような箇所がある。そのため、アフォリズムを読まされる方としては、一つ一つの断章を切り離さないように読むことを強いられる。めんどくさ。なんのためのアフォリズムなのか!?ただ、このようなコンテクストを伴ったアフォリズムは、その後のニーチェの持ち前の文体となっていく。
 ニーチェがレーから受けたもう一つの影が、歴史的に形作られたものとして徳を心理学的に分析するという方法である。こうした批判の方法は、以降のニーチェの思考において踏襲されていき、『徳の系譜』において最も鋭い形で呈示される。徳の系譜』の序論でレーはさんざんdisられているのだが…
 形上学、宗教芸術といった歴史的なものへの決別が一貫した態度として貫かれており、私たちがイメージしやすいニーチェ哲学は、『人間的、あまりに人間的』からスタートしている。

『曙光』(Morgenröthe

 『人間的、あまりに人間的』が、形上学、認識論、倫理学、宗教、美学、政治、ジェンダーなど、たくさんの引き出しを持っていたのに対し、『』は、「歴史的に形作られたものとして徳を心理学的に分析するという方法」にを集中して著されている。『』において議論の中心が徳になるとともに、人間の多様な利関心の中枢をなすものとして徳が位置付けられるようになる。
 徳というと、ひとのものを奪ってはいけないとか、ウソをついてはいけないといった、私たち現代の人間にとって〈徳的〉と思われることばかりをイメージするかも知れない。しかし、ニーチェ徳を取り上げるとき、歴史的な蓄積によって疑いの余地なく順守されるようになった行動パターンのことを念頭に置いている。例えば、ラーメンをズルズルすするのは恥ずべきことではないがパスタをすするのは恥ずべきこととされる。これは、パスタを食べるときは音を立てない、という行為の価値が、歴史を通じて、疑われることなく信じられるようになったことを意味している。ニーチェは、徳を歴史的に作られた虚偽意識として解釈する(こういうところが結構マルクスに似てると摘されたりする)。

『悦ばしき知識』(Fröhliche Wissenschaft

 1881年8月ニーチェジルス=マリーアで永劫回帰インスピレーションに与る。この新しい思想を思い付いたのち、一番最初に書かれた著作が『悦ばしき知識』である。
 『悦ばしき知識』第一版は、1882年、四篇構成でシュマイツナー書店から刊行された。第三書には有名な「神は死んだ」という言葉が見出される。その他、第三書では、生命の活動形態に応じて相対的な真理がある、という認識論が示される。第四書の最後から2番の断章(341番)においては、永劫回帰が告知され、第四書の最後の断章(342番、すなわち、第一版の末尾)において、翌年に刊行される『ツァラトゥストラ』第一部冒頭に繋がるように、ツァラトゥストラが登場する。
 『悦ばしき知識』は、中期の著作とみなすの普通なのであるが、「の死」と「永劫回帰」を告知しており、生命活動に応じて異なった真理が存在するとみなすなど、後期思想に特有の論点が既に多く含まれている。
 このように、ニーチェの後期思想におけるキーワードや有名な断章が含まれているため、『悦ばしき知識』は、かなり人気のある著作である。文庫で持てる翻訳もたくさん出ていることから、この著作の人気がうかがい知れる。

 1885年、シュマイツナー書店と決別したニーチェは、新たに序文を付するなどしながらこれまでの著作を刊行し直す。その中でひときわ大きな増補を施されたのが『悦ばしき知識』である。『悦ばしき知識』第二版は、序文のみならず第五書と付録編を付され、五篇構成となる。第五書においては、キリスト教は自分自身を否定する性質を持つ、という分析がなされている。こうした、徳が徳によって否定されるという分析は、『善悪の彼岸』以降ニーチェが堅持する立場であり、第三書で示された「の死」を理解する助けになる。その一方で、第一版から6年の歳けており、『ツァラトゥストラ』や『善悪の彼岸』の刊行を経ているため、初版の部分(第一書から第四書)と第二版増補部分(第五書)とが整合的に読めるのか、議論の余地のあるところである。実際、ニーチェ手紙の中で、この第五書を『善悪の彼岸』に付した方が良いのではないか、と述べている。

『ツァラトゥストラ』(Also Sprach Zarathustra

 『ツァラトゥストラ』はニーチェの代表作とも言えるもので、最も重要な著作の一つであるとする点において、あまり異論は見られない。ただし、この著作は、論文でもアフォリズム集でもなく、散文の形で、永劫回帰教師、ツァラトゥストラの遍歴を描くものとなっている。
 この著作の文体は、非常に独特で、古いドイツ語を模して書かれている。そのため、ドイツ語そのものは、時代劇の脚本のようなテイストがある。これを日本語翻訳するのは難しい。この著作の独特の文体は、当然、彙にも影しており、ルサンチマン、運命ニヒリズム、デカダンスといったよく知られるニーチェキーワードが『ツァラトゥストラ』には登場しない。これらの言葉が、フランス語ラテン語であるため、『ツァラトゥストラ』のテクストに組み込めないのである。例えば、時代劇で、

 「文を書き写しておいた」

と言わず、

 「拠文書のコピーを取っておいた」

と言ったりしたらおかしいだろう。ほかにも、キリスト教と言わず、十字架と言ったり、芸術と言わず、詩人と言ったりと、婉曲な言い回しが多い。
 こうした文体の性質からして、ニーチェの代表作にもかかわらず、ルサンチマンも運命ニヒリズムも出てこない。これらのキーワードを期待して『ツァラトゥストラ』を読んでも、当てが外れるだけである。ただし、これらのキーワードに相当する言葉づかいは見出すことができるので、読み手はそうしたことを斟酌しなければならないというを折らされる。メンドクサ…

 このように色々と欠陥が多い『ツァラトゥストラ』がなお最重要著作の一つとしてカウントされるのは、刊著作中、永劫回帰題にしているのが、一この著作だからである。他の著作においても、少し触れる程度には、永劫回帰に言及することがある。しかし、『ツァラトゥストラ』ほどの情報量はない。ところが、当の『ツァラトゥストラ』では、永劫回帰について、はっきりとられることはなく、永劫回帰思想は未だに包まれ、様々な解釈を施され続ける。


 『ツァラトゥストラ』は、全4部構成。このうち第4部は、第3部までにべて文体も異なっており、これを付録と位置付けるむきもある。実際、ニーチェが、シュマイツナー書店と決裂し、1886年にフリッチュ書店から『ツァラトゥストラ』の新版を出したとき、第1部から第3部までが合本され、第4部は含まれなかった。ニーチェが『ツァラトゥストラ』の正編を第3部の終わりまでと見ていたことは事実であり、こうした編集方針は、ニーチェが正気を保っていたあいだ撤回されることはなかった。たしかに、永劫回帰教師たるツァラトゥストラの遍歴のクライマックスは、第3部の終わりであり、第4部の最後ではない。
 第1部のおもだった舞台は「まだらウシ」という町。内容的には、そこでツァラトゥストラが延々と説教をするというもので、第1部は単調である。よく出てくるキーワード人であり、永劫回帰についてはまったく言及されない。当の人についても、内容のある教説はほとんど見られない。駱駝獅子幼な子という精の三つの変化など、有名な話もあるが、その他の箇所は、やはり退屈である。そのため、第1部で『ツァラトゥストラ』を投げ出す人も結構いる。…だっておもろくないからね(実際には、中期ニーチェの著作を読み込んでおくと、関連性のある教説は多くある。第1部は玄人向けなのである)。
 『ツァラトゥストラ』の重要性がはっきりと見えてくるのは第2部。第2部の舞台はに「至福の々」。第2部は単調な教説だけではなく、情描写も含まれたり、色んな登場人物が現れたり、「歌」や「夢解き」など、ドラマチックシチュエーションもある。第1部とべてはっきりしている点は、人への言及がほとんどくなるということである。とはいえ、への意志という言葉で生命現を説明しようとする「自己」について論ぜられるなど、重要な教説には事欠かない。こうした教説のなかで、最も注すべきなのは、復讐」というキーワードと「永劫回帰」との関連である。そして、ツァラトゥストラという登場人物が、永劫回帰思想をることにさんざんし、最後にはそれを拒否するというところなども、第2部の見所である
 第3部では、ツァラトゥストラが至福の々を離れて自分のすみかであった洞窟まで帰る路と洞窟での孤独が描かれる。第2部で拒絶した永劫回帰思想を受け容れられようになるまでの、ツァラトゥストラの精の深まりが描かれる…のだが、ぶっちゃけ、当時の社会への批判やこれまで説かれた教説の復習など、脱線も多い。とりわけ重要なのは、永劫回帰間との関連に言及している章(「幻影と」)と、ツァラトゥストラに仕えている鷲と永劫回帰についてったのに対して、ツァラトゥストラがどういったレスポンスをしているかが描かれる章(「快癒に向かう者」)である。最終的に、ツァラトゥストラと彼の魂との対話を経て、生(生きること)との和解を歌う歌で終わる。
 第4部の舞台は、ツァラトゥストラの洞窟とその周辺の山である。預言者王様・学究・魔術師・教皇・最も醜い人間・めてなった乞食・ツァラトゥストラの影といった登場人物とツァラトゥストラとの対話が繰り広げられる。預言者とツァラトゥストラの影は、既に第2部で登場している。こうしたやりとりが『ツァラトゥストラ』第三部までに対してどういった寄与をなすのか、不可解な点が多い。


 重要な著作ゆえに多くの翻訳がある。
 ちくま学芸文庫から出ている全集版の翻訳は、膨大な注が付されており、ぶっちゃけ読みらい。また、注自体、実存哲学的な考えにニーチェを引きつけようとする当時の流れに引っられてしまっている。そのせいで注が本文より分かりにくい言葉でいっぱいになっている。自己存在とか、自己の炎とか言われても、さっぱり分からない。
 岩波文庫の翻訳者、氷上英は、翻訳と注釈は違うとして、いっさい注を付けていない。こちらの方が初心者は使いやすいであろう。中公文庫・中クラシックスなどに収録されている手塚富雄の訳も、手許に置きやすく、かつ優れた翻訳である。

『善悪の彼岸』(Jenseits von Gut und Böse

 ニーチェは、『ツァラトゥストラ』の刊行中にも、『善悪の彼岸』という表題でアフォリズム集の稿を用意していた。しかし、刊行された『善悪の彼岸』は、こうした稿から材料こそ取っているものの、違った意図から作られたものである。そのことは、『善悪の彼岸』の構成と『人間的、あまりに人間的』の構成を較すると分かる。両者とも、まず形上学批判と認識論からスタートし、宗教、倫理学などを論じた上で、ジェンダー、芸術作品や芸術などを考察するという構成になっている。つまり、『善悪の彼岸』は、ニーチェの円熟した思想に即して新しい形で作り直された『人間的、あまりに人間的』なのである。そのため、『善悪の彼岸』の内容は理論整備が進んでおり、初心者には非常に手ごわいものになりつつある。第1章、第2章などをスラスラ読める人は、ニーチェ哲学と相性がいいと言えるだろう。
 『善悪の彼岸』には、

 「キリスト教は民衆向けのプラトニズムだから…」
 「すべての深いものは仮面する」
 「あなたが長く深淵をのぞき込むならば、深淵もまたあなたをのぞき込む」
 「徳は今日ヨーロッパにおいて畜群徳である」

など、どこかで聴いたことがあるようなニーチェの名台詞の多くが見出されるので、ニーチェのものとして伝えられる言葉の出典を見たい人にはオススメかも知れない。

 『善悪の彼岸』は、シュマイツナー書店との決裂後はじめて出版した著作であり、久しぶりに書店に並んだ著作であった。売れ行きこそよくなかったが、書評などが新聞に載るようになった。そうした書評の中で、『善悪の彼岸』にある「精ダイナマイト」という言葉が取り上げられたことを喜んだニーチェは、のちのち、手紙や『この人を見よ』の中で「私はダイナマイトだ」と発言するようになる。

『道徳の系譜』(Zur Genealogie der Moral

 『徳の系譜』は非常に重要視される著作である。しかし、この著作が重要視されるのは、内容に即してではなく、読み手の都合によるものが大きい。アフォリズム集や『ツァラトゥストラ』のような著作は、呪文を解読するような難しさがある。それに対して、『徳の系譜』は、一応、論文という体で書かれているため、ニーチェを読んでみようとする人が手に取りやすいのである。このため、『徳の系譜』だけをソースにしたニーチェ論が世に多く出回っている。
 『徳の系譜』ばかりに依拠したニーチェ解釈は、驚くほど紋切りの解釈となっており、その意味で分かりやすい。そうしたニーチェ解釈によれば、ニーチェは、ルサンチマンを抱く弱者を悪玉、強者を善玉として徳の歴史を描いており、強者の徳である貴族徳を賛美したとされる。しかし、こうした話は、『徳の系譜』のせいぜい第一論文に限られたものであり、良心や正義芸術、学問、哲学の発生を徳の歴史に即して描く第二論文・第三論文をほとんど視している(それに、第一論文にしても、ルサンチマンという心情を生々しく描写してこそいるが、貴族徳に帰ろうとすることは時代錯誤だと述べられているのである)。
 ニーチェにとっての徳とは、歴史の蓄積によって疑われることなく順守されるようになった行動パターンであって、必ずしも弱者の恨から作り出されたルールのことを意味したりはしない。このことは、『善悪の彼岸』が、成熟した思想に応じて作り直された『人間的、あまりに人間的』であるように、『徳の系譜』は、新たに書き上げられた『』だったと理解すれば分かりやすい。『人間的あまりに人間的』・『善悪の彼岸』は、多様なテーマを扱うのに対して、『』・『徳の系譜』は、歴史的に形作られたものとして徳を心理学的に分析するということを本分としている。こうした方法を踏襲して、『徳の系譜』では、次のような歴史的な分析が示される。

  1. 第一論文では、身分のよさを意味していた「善」という概念が、やがて「善」そのものとして独立しているかのような見かけを帯びるようになる歴史が描かれる。しかし、見かけが変わっても「善」という概念は、依然として、身分のよさ、つまり支配する者を暗々裏に意味し続けるとされる。
  2. 第二論文では、人間という生物がいかにして良心を備え、「正義(さ)」というものを理解するを得たのか、という生物史的な考察がなされる。
  3. 第三論文では、生命維持としての禁欲義的理想が、宗教芸術、学問、哲学など、これまで存在してきたすべての理想を産み出してきた、という人類史的見解が示される。

 『徳の系譜』という著作が濫用されてきた背景には、中期ニーチェの研究が非常に遅れていたという事情がある。そのため、紋切りの解釈にはまることなく『徳の系譜』を読むためには、中期ニーチェの研究を活かした解説書などにを通しておくのがよい。左翼ニーチェの代表者である三島一は、『徳の系譜』の濫用に警鐘を鳴らし、世界的に見てもい時期から中期ニーチェを研究する必要性を説いている。

『ワーグナーの場合』(Der Fall Wagner

『偶像の黄昏』(Götzen-Dämmerung

『アンチクリスト』(Der Antichrist

『この人を見よ』(Ecce Homo

ニーチェの著書以外

その他の商品

2001年宇宙の旅」で知られるR・シュトラウスの交
 2001年なんてずいぶん昔だけど…

ニーチェの関連項目


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読み:ニーチェ
初版作成日: 08/05/19 20:49 ◆ 最終更新日: 17/04/23 11:42
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ニーチェについて語るスレ

175 : ななしのよっしん :2016/05/16(月) 22:13:49 ID: RK0H52PTsD
ニーチェの存在そのものを否定したの?
176 : ななしのよっしん :2016/05/17(火) 11:57:53 ID: J0F25X87He
>>175
そもそも死ぬっていうのが生きていた時期がないと理な話であって
で何時死んだのかとえば「ヨーロッパ文化の退キリスト教支配に原因があるとし、"神は死んだ"と叫び、新しい価値の立をした」とあるように近代化などではなくキリスト教による覇権がヨーロッパ確立した事、その大元となった事件の時から長らく死んだままですよと。
177 : ななしのよっしん :2016/06/20(月) 23:28:37 ID: /ZYQZP94p1
http://philosophy.stackexchange.com/questions/7303/there-are-no-facts-only-interpretations
178 : ななしのよっしん :2016/12/25(日) 18:37:50 ID: x+G9YB+dfb
初カキコ…ども…

みたいな往来でに泣きつく腐れ野郎、他に、いますかっていねーか、はは

今日の末人の会話
あの曲って何 とか あのどこで売ってる とか
ま、そう言ってきですわな

かたやは善悪の彼岸の死体を見て、くんすわ
私が人間であるというのは偏見です.狂ってる?それ、ルサンチマンね。

好きな音楽 Wagner
(省略しています。全て読むにはこのリンクをクリック!)
179 : ななしのよっしん :2016/12/25(日) 18:40:41 ID: iNcn2P3xtt
なんと秀逸な書き込みなんだ……(感
180 : ななしのよっしん :2017/01/13(金) 14:01:53 ID: 09HkGR/eZk
>>178
ワロタ
181 : ななしのよっしん :2017/04/05(水) 01:38:18 ID: 09HkGR/eZk
記事中の
>一生懸命に実在的に生きる
ここ違うよな。「一所懸命」に「実存」的に生きると言う方が良い
「一生」も「実在」もワードチョイスがらしくない
182 : ななしのよっしん :2017/04/06(木) 08:29:49 ID: J0F25X87He
…だが、彼らは涼しい影に涼しく座っている。彼らは万事につけただ傍観者であろうとする。そして、太陽が階段に焼きつける所に座らないように、用心する。…(ツァラトゥストラはこうった)
183 : ななしのよっしん :2017/04/09(日) 11:16:54 ID: EoD5XrgSq0
ニーチェの思想のところ、なんか妙に読みにくいしいまいち意味が分からないのでか少し書き直してくださらないだろうか
程度のレベルではあの文章は理解できない
184 : ななしのよっしん :2017/04/20(木) 21:30:42 ID: NYXyD31b2J
本の紹介すごい小学生並のアレ
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