ネットチェンジとは、放送局において加盟しているネットワークから別のネットワークに鞍替えすることを指す。
テレビにおけるネットチェンジ
日本のテレビネットワークにおいては、1997年にさくらんぼテレビと高知さんさんテレビが開局したのをもって、現在の民放テレビ各局のテレビネットワークが完成した。(新設局としては1999年開局のとちぎテレビが最後)
ここに至るまでには数々のテレビ局がネットチェンジによる系列の一本化を行っている。
その大半が「フルネット局が新規開局したことにともない、クロスネットだったテレビ局がテレビネットを一本化した」というものであるが、中には敵対的なネットチェンジ、意にそぐわない形でネットチェンジさせられたというケースもあり、場合によっては日本のテレビネットワークに大きな影響すら与える形となったケースも存在する。
有名なネットチェンジ事件
ネットチェンジが発生した順に記す。
福岡県 テレビ西日本のネットチェンジ(日本テレビ系→フジテレビ系)
1958年に開局したテレビ西日本は当初日本テレビ系列メインで開局した。
しかし、隣接する山口県をサービスエリアとする山口放送(日本テレビ系メイン)が関門海峡を超えて福岡県への進出を図ろうとしたことや、日本テレビの株主である読売新聞社が北九州での新聞発行を始めたことにより、テレビ西日本やその親会社である西日本新聞社と日本テレビとの間で関係が悪化。
その頃、NETテレビ(現:テレビ朝日)とともに九州朝日放送をネット局としたもののさらなるネット枠の拡大が望めず行き詰っていたフジテレビがテレビ西日本にネットチェンジの打診を行う。この話にテレビ西日本が乗り、1964年にフジテレビ系列へネットチェンジを行った。
このテレビ西日本のネットチェンジにより、日本テレビは福岡県での拠点を失うこととなる。1969年に新規にネット局の福岡放送を開局させるまでの5年間、ニュース取材等は山口放送に依頼。また、番組販売によって一部番組がネットされた以外は日本テレビ系列の番組が放送されない事態となり、その後も九州での系列局展開の苦戦にも大きな影を落とした。
逆に、テレビ西日本と西日本新聞社を味方に引き入れたフジテレビは、両社のバックアップのもとに早期に他の九州各県にフジテレビ系ネット局を開局させることに成功している。
中京広域圏 名古屋テレビと中京テレビのネット系列一本化
1962年に開局した名古屋テレビは、当初日本テレビ系列メインで一部にNETテレビ(テレビ朝日)系列の番組もネットするクロスネット局として開局した。
しかし、1969年に中京テレビが開局した際、名古屋テレビが日本テレビ系列への一本化を拒み、NETテレビ系列の番組もネットし続けたため、中京テレビはやむを得ず名古屋テレビがネットしなかった両系列の番組と一部の東京12チャンネル(現:テレビ東京)の番組を流すしかなかった。
つまり、同じ系列の組み合わせのクロスネット局が2局発生してしまったことになる。
このクロスネット時代、まず名古屋テレビが日テレとNETの人気番組を優先的に編成し、その後に中京テレビが両局の残り物と12チャンネルの一部番組で埋めるという順番で改編を行っており、必然的に中京テレビの改編作業が非常に遅れて番組編成やスポンサー営業に大変な支障が出る事態となっていたという。また、中京テレビは中京広域圏初の広域UHF局であったためにVHF帯の受信しか対応していない古い機種のテレビには別売のUHFアンテナとUHFコンバーターを設置してもらわないと視聴できないというハンデも背負っていたことも災いして、名古屋テレビと中京テレビでは営業成績も大きな差が生じていた。
この状況を日本テレビは良しとせず、1970年、名古屋テレビに「3年間はゴールデンタイムに日本テレビ系列の番組を流す」という誓約を結ばせる。だが1972年に名古屋テレビがこれを破り、NETテレビ系列の番組をネットする。名古屋テレビの行動に怒った日本テレビが名古屋テレビを相手取り裁判を起こす事態となった。
この事件により日本テレビは名古屋テレビの日本テレビ系列一本化させるのを諦めて手を引き、 1973年に名古屋テレビはNETテレビ系列へと一本化された。
中京テレビは同時に日本テレビ系列メインとなったものの、当時の大株主の一つに日本経済新聞社が居た(中日新聞社が「マスメディア集中排除原則」から出資せず、代わりに日経が資本参加した)ことから東京12チャンネルとの協力関係も継続。1983年にテレビ東京系列のテレビ愛知が開局したことを機にようやく日本テレビ系列へ一本化された。
関西広域圏 朝日放送と毎日放送の腸捻転ネット解消
1956年、朝日放送・新日本放送(現:毎日放送)・朝日新聞社・毎日新聞社などにより、西日本初の民放テレビ局である大阪テレビが開局。当初は日本テレビ系列とラジオ東京テレビ(現:TBSテレビ)系列のクロスネット局であったが、1958年に読売テレビ(日本テレビ系列)が開局したためTBSテレビ系列へ一本化された。
その後テレビ放送のチャンネル新規割り当てが関西地方であり、朝日放送・新日本放送ともに新規開局を目指して免許申請を画策。この際に国から「どちらかが大阪テレビを引き取るように」と指示があった。
大阪テレビをどちらが引き取るかについては「くじ引きで決めた」(毎日放送側の説明)、「事前に決まっていた」(朝日放送側の説明)と2つの説があるが、朝日放送が大阪テレビを引き取ることとなった。
1959年、毎日放送が新規にテレビ部門を開局。これとともに大阪テレビも朝日放送と合併し同社のテレビ部門となった。
朝日放送は大阪テレビからの流れでTBSテレビ系列、毎日放送はTBSテレビ系列やフジテレビ系列への加盟を目指したものの頓挫してNETテレビ(テレビ朝日)系列に入ることとなった。
1960年代に入った後、それまで民放テレビキー局で入り交じっていた新聞社資本の整理が徐々に進み、「TBS=毎日新聞社、NET=朝日新聞社」という形になった(NETは日本経済新聞社の出資で設立されたが、最終的にNET=朝日、東京12チャンネル=日経という形に整理された)。朝日新聞社としてはライバル社の配下にあるTBSの準キー局となった朝日放送の存在が非常に疎ましく、なんとかして自社配下にしたNETテレビの準キー局へとネットチェンジさせるように動いた。
朝日放送としては、当時最も力の強かったTBSから弱小局のNET(当時は教育・教養番組をかなり高い比重で放送しなければならない義務を負っていた。事実上、有名無実化していたが)へネットチェンジすることはありえない選択であり、朝日新聞社に対して反抗の姿勢を示す。一方の毎日放送としては一度は断念したTBSの系列局になることは悪い話ではなく、比較的容認する姿勢を見せた。
最終的には朝日新聞社の力の前に朝日放送は屈することとなり、1975年に朝日放送と毎日放送のテレビネットワークがまるごと入れ替わる「腸捻転ネット解消」と呼ばれるネットチェンジが起こった。
準キー局同士の入れ替わりということで数々の人気番組が系列替えすることとなった。「仮面ライダーシリーズ」「アップダウンクイズ」「新婚さんいらっしゃい!」などが放送系列を移動。抜けた番組を埋める穴埋め番組として「秘密戦隊ゴレンジャー」(仮面ライダーと同じ石森章太郎原作の特撮ヒーロー番組)「パネルクイズ アタック25」が誕生することとなる。
この規模のネットチェンジは日本の民放テレビの歴史でも最大の出来事である。
貴重な腸捻転ネット時代の両局の映像
山形県 山形テレビのネットチェンジ(フジテレビ系列→テレビ朝日系列)
1970年、山形テレビが開局。当初はNETテレビ(テレビ朝日)系列での開局を予定したものの、当時山形県のマスメディアを牛耳っていた服部天皇こと服部敬雄がこれに介入し、懇意であった鹿内信隆の率いるフジテレビ系列への加盟を強引に決めてしまった。これにより、一部株主と服部との間で軋轢が起こる。
1975年に一度山形テレビはフジテレビ系列とテレビ朝日系列とのクロスネットにすること成功したが、服部らは1980年に再びフジテレビ系列にネット系列を戻す。この際にテレビ朝日系列のネットを山形放送が引き受けたことで番組ネット状況が混乱することとなった。
1989年、テレビユー山形(TBSテレビ系列)が開局し、力の低下を恐れた山形テレビは数々のサイドビジネスに手を出す。これがことごとく失敗し、多額の負債を抱えた山形テレビはテレビ朝日に債務保証をしてもらう代わりにテレビ朝日系へネットチェンジすることを決断。フジテレビ系列へと押し切った服部敬雄が1991年に亡くなり、足枷が取れたことも大きな要因となった。
フジテレビや地元県民の非難の声を無視する形で、1993年に山形テレビはフジテレビ系列からテレビ朝日系列へネットチェンジ。
当時多くの人気番組を抱えていたフジテレビから低迷期を迎えていたテレビ朝日へネットチェンジしたことにより視聴率が一気に低下し、山形テレビはさらに業績を落とすこととなる。
顔に泥を塗られたフジテレビは、山形テレビ並びにネットチェンジに協力した山形放送へのフジテレビ系列番組の販売拒否という形で報復、この騒動に加担していなかったテレビユー山形には販売されたがドラゴンボールZなど少数に限られ、フジテレビ系列の番組を見るには隣接県のフジテレビ系列局である仙台放送や福島テレビ(主に内陸)、新潟総合テレビや秋田テレビ(主に庄内地方)を新規にアンテナを立て大年寺山や弥彦山に向けて受信するか、普及率の低いケーブルテレビで視聴するかという状態となり、大半の山形県民はフジテレビの番組を見られなくなったことから、新局開局を求める署名運動を展開。事情を汲んだ当時の郵政省は、山形にフジテレビ系列前提の第4局周波数を追加で割り当て(本来ならば岩手第4局(後の岩手朝日テレビ)と高知第3局(高知さんさんテレビ)が最後だった)、1997年にさくらんぼテレビを開局した。
服部天皇が力を誇っていたクロスネット局時代の映像
関連項目
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