ハリケーンラン(Hurricane Run)は、2002年生まれのアイルランド産・フランス調教の元競走馬・元種牡馬。
父の初年度産駒として凱旋門賞やキングジョージVI世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークス(以下キングジョージ)などの大競走親子制覇を成し遂げたことで知られ、そしてキングジョージでは日本のハーツクライらと歴史的な死闘を演じたことでも有名な馬。なのになんで今まで記事がなかったんだろう。
概要
血統
父Montjeu(モンジュー)、母Hold On(ホールドオン)、母父Surumu(ズルムー)という血統のアイルランド産馬。父モンジューにとってはハリケーンランらの世代が初年度産駒である。
父は凱旋門賞でエルコンドルパサーを破ったことで日本でも非常に有名だが、現役時代後半の成績が芳しくなかったためか種牡馬としての当初の評判はあまり良くなく、1年目の種付け料は同じタイミングで種牡馬入りした2000年カルティエ賞年度代表馬ジャイアンツコーズウェイの1/3以下であった。
母ホールドオンはドイツ産馬で、ハリケーンラン以外の産駒はハイビスカスがドイツのGIIIを1勝したのが最高。自身の兄にも重賞馬がポツポツいる。ちなみにドイツ産馬といっても土着牝系ではなく元々はイギリスの牝系で、ホールドオンの5代母リボンはイギリスの牝馬三冠(1000ギニー・オークス・セントレジャー)で全て2着という戦績を残している。
母父ズルムーは独ダービー馬だがそれ以上に種牡馬としての活躍がめざましく、同国のリーディングサイアーを6回獲得し、種牡馬として独ダービー親子制覇などの活躍を挙げて3年連続でドイツ年度代表馬になったアカテナンゴやミラノ大賞典を勝ったプラティニを送り出したばかりか、母父としても大種牡馬モンズーンを輩出し、ドイツ競馬の血統史において欠かせない存在の1頭に入るであろう活躍を遂げた。
嵐の前夜
2004年10月、ロンシャン競馬場の1800m戦でデビュー。生憎の不良馬場だったが好位追走から悠々抜け出し、2着馬に2馬身半差をつけて快勝。2歳時はこの1戦のみでシーズンを終了した。
3歳になるとジョッケクルブ賞(仏ダービー)を目標に4月の2200m戦から始動し、不良馬場を物ともせず先頭に躍り出ると、大きく左側によれつつ2着に3馬身差をつけて勝利。続けて出走したオカール賞(GII・2200m)では4戦無敗で前走ノアイユ賞(GII)を圧勝して単勝1.4倍の支持を受けていたルウィとの対戦となった。道悪で勝ってきたハリケーンランにとって初の良馬場となったが、堂々と好位から突き抜け5馬身差で圧勝した。
そして3戦無敗で出走したジョッケクルブ賞(GI)(この年から2400m→2100mに短縮)では、ルウィの他に前年のカルティエ賞最優秀2歳牡馬でプール・デッセ・デ・プーラン(仏2000ギニー)を勝っていたシャマーダルと同レースの3着馬ジャリアなどが出走していたが、それでも父子制覇を期待されたハリケーンランが単勝オッズ2.2倍で1番人気となった。しかしレースでは直線入り口7番手から逃げるシャマーダルをよく追ったものの、同馬をクビ差捉えきれず2着となり、初の敗戦となってしまった。
このレースの後、ハリケーンランは父モンジューの馬主でもあった大馬主マイケル・テイバーにトレードされ、鞍上もそれまで乗っていたクリストフ・スミヨン騎手からキーレン・ファロン騎手に交代した。
勝負服も新たに臨んだ愛ダービーでは、2歳GIのレーシングポストトロフィーを勝った段階でダービー馬候補と言われ、その評判通りに英ダービーを5馬身差で圧勝した同父のモティヴェイターこそいなかったものの、英ダービー2着でこれもモンジュー産駒だったウォークインザパークなどが参戦したが、それでもハリケーンランは単勝1.8倍という人気を集めた。そしてレースでは最後方で直線を迎えたところから猛然と追い込み、先行策から逃げ込みを図った人気薄のスコーピオンをギリギリで測ったように差し切って勝利した。
ちなみにこのスコーピオンも父はモンジューであり、モンジューは1年目の産駒でいきなり英愛ダービーのワンツーフィニッシュを、それも全て異なる馬で決めてしまうという爆発ぶりを見せつけたということになった。
ロンシャンに嵐吹く
秋の最大目標を凱旋門賞(GI)に定めたハリケーンランは、3歳馬限定のステップレースであるニエル賞(GII・2400m)から始動。単勝オッズ1.18倍という圧倒的人気に違わず公開調教のような悠々とした走りを見せ、3馬身差で楽勝した。
迎えた本番、凱旋門賞。ここには古馬混合のGIで2度2着になって古馬相手でも引けを取らないことを示していたモティヴェイターや愛ダービーの後にパリ大賞典・セントレジャーとGIを連勝していたスコーピオンに加えて前年の覇者*バゴ、愛オークス・ヴェルメイユ賞を含めて5連勝中のシャワンダ、前年のカルティエ賞最優秀ステイヤーであるウェスターナーなどが参戦していて、これまでで最も厚い層を相手にすることになった。
父モンジューの時ほどでないにしても湿った馬場で行われたレースは、ハリケーンラン陣営とウェスターナー陣営のペースメーカーが逃げる展開となり、番手にウェスターナーやスコーピオン、モティヴェイターが好位、ハリケーンランやシャワンダが中団後方、*バゴが最後方という位置取りで進んだ。そして最後の直線、内から抜け出したモティヴェイターを外からウェスターナーが交わしたところでハリケーンランは内ラチ沿いから一気に加速。ウェスターナーに2馬身差をつけてゴール板を駆け抜け、高らかに凱旋門賞父子制覇の凱歌をあげた。
その後はブリーダーズカップ・ターフに向かう予定だったものの、これを体調不良で回避。それでも6戦5勝2着1回の戦績を評価されてカルティエ賞年度代表馬・同最優秀3歳牡馬に選出されたほか、レーティングでも130ポンドで世界1位となった。
ちなみにハリケーンランとモティヴェイターが大暴れしたり英愛ダービーで産駒がワンツーしたりした結果、父モンジューはまだ1世代しか走っていないにも関わらずこの年のフランスのリーディングサイアーとなった。また英愛種牡馬ランキングでも*デインヒルに次ぐ2位(モンジューの父サドラーズウェルズは3位)に食い込み、ハリケーンランらが生まれる前の評価が嘘のようにサドラーズウェルズの超有力後継と噂されるようになった。
4歳前半、そしてアスコットの激闘
4歳初戦は5月のアイルランド・カラ競馬場で行われるタタソールズゴールドカップ(GI)から始動。ハリケーンランとの対戦を避けた陣営が多かったことに加え、馬場が重くなったこともあり僅か3頭立てとなった。レースでは押し出されるように先頭に立ち、そのままGI4勝の5歳牝馬アレクサンダーゴールドランに7馬身差をつけて逃げ切って圧勝した。
続けて挑戦したサンクルー大賞(GI)では、前年のこのレース2着のポリシーメイカー、前年後半に英チャンピオンS・香港カップと連続で2着に入ってようやく頭角を現してきた6歳牝馬プライド、前走イスパーン賞でGI初制覇したレイヴロックなどを相手に単勝1.22倍の人気に推された。レースではペースメーカーを見ながら番手を進み、最後の直線で堂々と先頭に立ったが、追い込んできたプライドにハナ差で差し切られて2着に終わった。
そして、ハリケーンランはアスコット競馬場で行われる夏の大一番・キングジョージVI世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークス(GI)、通称「キングジョージ」に駒を進める。ここには有馬記念でディープインパクトに土をつけ、ドバイシーマクラシックでは4馬身差で圧勝した日本馬ハーツクライと、ドバイワールドカップを勝ったゴドルフィンのエレクトロキューショニストとの3強ムードとなり、本馬はその中で単勝1倍台の人気となった。
ファロン騎手がレース直前に詐欺共謀容疑で逮捕されて英国内での騎乗停止処分を受けた(最終的には証拠不十分で無罪)ため久々にスミヨン騎手が手綱を執ったハリケーンランは、スタートするとペースメーカーの後ろの離れた2番手を追走。4コーナーで先に仕掛けて前に出るエレクトロキューショニストと外から並びかけるハーツクライを見ながら最後の直線に入った。直線では最初こそ手応えの悪そうな場面があったが、残り2ハロン辺りからいつも通り内ラチ沿いを強烈に伸び、最後はエレクトロキューショニストと一旦は先頭に立つ場面があったハーツクライを差し切って勝利。3頭の間の差は僅か半馬身ずつであり、まさしく全てを尽くした激闘と呼ぶに相応しいレースであった。
激戦の果てに
激戦のキングジョージを制したハリケーンランは、再びファロン騎手とのコンビで凱旋門賞連覇を目指してフォワ賞(GII)に参戦したが、前年のブリーダーズカップ・ターフを皮切りに3連勝を達成し、その勢いでここに臨んでいた前年の凱旋門賞4着馬シロッコにクビ差で敗戦。本番の凱旋門賞ではパリ大賞典を勝った3歳馬レイルリンクや三冠馬ディープインパクトを迎え撃つ立場となり、ハリケーンランはディープインパクトに次ぐ2番人気に支持されたが、いつも通りインからスパートしようとしたところで失速してきたシロッコにまともに進路を塞がれ、接戦の末に3位で入線したディープインパクトの2馬身半後ろでゴール。ディープインパクトが薬物問題で失格になったため最終結果は3着に繰り上がったが、消化不良気味の敗戦が続いてしまった。
雪辱を期すハリケーンランは英チャンピオンS(GI)に出走。ファロン騎手の処分が続いていたため今度はマイケル・キネーン騎手が騎乗し、英ダービー馬サーパーシーを抑えて1番人気に支持された。そして前走と同じ轍は踏まぬとばかりにノットナウケイトと並んで積極的に先行し、失速したノットナウケイトを尻目に単独で先頭に立ったのだが、ここで後ろからプライドが飛んできて差されてしまい、更に最後にはブービー人気のロブロイにもアタマ差で交わされて、プライドから3馬身差の3着に敗れた。
その後、スミヨン騎手とのコンビでアメリカに遠征してブリーダーズカップ・ターフ(GI)に出走。4歳になってからGIを3勝して本格化したイングリッシュチャンネル、アイルランド生まれだったがこの年にアメリカに移籍しGIを2勝していたカシーク、前年の凱旋門賞で10着に敗れ、1年間休養してこのレースの1ヶ月前に復帰したばかりのスコーピオンらを抑えて1番人気に支持されたが、いつもの勝ちパターンと違って大外を通ったことを差し引いても脚色が非常に悪く、結局生涯最悪の着順となる6着に敗退。これを最後に競走馬を引退した。
通算成績は14戦8勝2着3回3着2回。重馬場巧者だった点も、4歳後半になって成績をガクンと落としたのも父モンジューとよく似ている。ちなみにハリケーンランのジョッケクルブ賞以降の出走歴はジャパンカップに出走していない点を除いて父のそれと全く同じなので、ハリケーンランが勝利したGIは全て父子制覇ということになる。
種牡馬として
モンジューの有力後継の一角という期待を受けてアイルランドのクールモアスタッドで種牡馬入りしたハリケーンランだったが、初期の種牡馬成績は期待に比べてあまり良くないものだった。それでも重賞馬は散発的に出ていたが、父が初年度から大暴れして、最終的に英ダービー馬を4頭も輩出したことを考えれば物足りないと言わざるを得ないだろう。
2012年に父が亡くなってから少しずつ産駒成績が伸び始め、2013年にフランスの2歳GIであるクリテリウム国際を制したエクトが産駒初のGI制覇となったが、それでも父のような成績を残すことはできなかった。2013年からは生産者であるアンマーラント牧場がドイツに所有するアンマーラントスタッドで繋養されていたが、2016年12月14日に外科手術後の合併症のため14歳の若さで死亡した。「夢のような馬だった」とは管理したファーブル調教師の弁である。
ちなみに日本にも産駒が数頭輸入されたが、その数はぶっちゃけ競走馬としては未出走のまま引退して種牡馬入りしたロッコウオロシが一番目立っていたかもしれないというレベルの少なさである。欧州で走ってから日本で繁殖入りした牝馬は何頭かいるので、そういった馬から日本でもハリケーンランの血が広まるだろうか。
血統表
Montjeu 1996 鹿毛 |
Sadler's Wells 1981 鹿毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | |||
Fairy Bridge | Bold Reason | ||
Special | |||
Floripedes 1985 鹿毛 |
Top Ville | High Top | |
Sega Ville | |||
Toute Cy | Tennyson | ||
Adele Toumignon | |||
Hold On 1991 栗毛 FNo.1-l |
Surumu 1974 栗毛 |
Literat | Birkhahn |
Lis | |||
Surama | Reliance | ||
Suncourt | |||
Hone 1974 栗毛 |
Sharpen Up | *エタン | |
Rocchetta | |||
Lucy | Sheshoon | ||
Laverock | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Native Dancer 5×5(6.25%)
主な産駒
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関連項目
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- 0pt