「バフォメット(baphomet)」とはキリスト教に由来する悪魔の代名詞的存在である。別名を「サバトの牡山羊」といい、魔女の宴(サバト)において享楽的で陰惨な儀式を主催する者と伝わる。
概要
バフォメットは中世以降のさまざまな文書中に悪魔と同義語か、あるいは特定の悪魔を指しているかのように登場するが、その出自は多くのユダヤ、キリスト教悪魔ように「古くは神々だった」というものではなく、1300年ごろになって突如姿を見せ始めている点で特殊である。現れ始めた時期や名前から察して「中世にイスラム圏と関係した組織から発祥した」というのが一般的な見解であるが、断言はできない。
牡山羊の頭と下半身、青白い肌、ロバの尾、ガチョウの足を持ち、3本の角のうち中央の一本が燃え、あるいは光っている、というバフォメットの肖像が、魔女狩りを通してヨーロッパ中に拡散したことから、外見に関してはおそらくあらゆる悪魔の中でもっとも知名度が高い。場合によっては両性具有を思わせる、乳房のついた絵になっていることもある。
その正体は、魔王サタンとも、あるいは上級悪魔サタナキアとも、下級魔神の長レオナールとも言われる。
発祥
バフォメットの名前が最初に現れたのは14世紀初頭と言われる。
フランス騎士ユグ・ド・バイヤンは第1回十字軍によるエルサレム奪回後の1118年、聖地巡礼者を守る目的でエルサレムにおいてテンプル騎士団を設立した。この騎士団は中世に多く生まれた騎士修道会の草分けで、エルサレム王ボードウィン二世が、騎士団にユダヤ神殿跡地の一部を分け与えたことが名前の由来となっている。のちテンプル騎士団は、急激に団員を増やして対イスラム戦で勇名を馳せるいっぽう、ヨーロッパ各領主の寄進や商業活動などから巨万の富を築き、各地に9000か所もの領地を有するようになった。
1307年、財政難にあえいでいたフランス王フィリップ四世がテンプル騎士団に支援を求めたものの、すげなく断られて逆上。「騎士団は神を否認しバフォメットなる悪魔を崇拝している」として、フランスの全団員を逮捕させた(最初から騎士団を壊滅させて、財産の没収を狙っていたという説がある)。これがバフォメットの初出となる。「バフォメット」を「マホムスト」「マウメット」とする資料もあり、こういった表記や時代背景からしてバフォメットの語源がイスラム教教祖「マホメット(ムハンマド)」である可能性は高い。
逮捕の際、テンプル騎士団の拠点からバフォメットとされる山羊頭が発見されたが、これは偽証だったことがのちの調査によって明らかとなっている。通俗的魔術の歴史書で描かれるバフォメットは、いかなる悪魔よりも根拠のない創造の産物で、むしろテンプル騎士団の冤罪を成立させた人々の方が悪魔だったと言えよう。
フィリップ四世の息がかかった高位聖職者による拷問は苛烈を極め、36人の死者を経て悪魔崇拝の自白が得られた。これによって法王クレメンス五世は、団長のジャック・ド・モレを火刑に処したが、ド・モレは死の間際に「法王とフランス王を神の法廷へ引きずり出す」と予言し、それは実現したのか両者とも間もなく死亡した。
このほかの語源としてはギリシャ語のソフィア(sophia)のヘブライ暗号化、ギリシャ語における五芒星の名称(baphemetous)、中世ラテン語の天(baphus)といった説がある。
なぜ山羊なのか
語源にいくつか候補があるなか、どうしてそれと山羊人間が結びつくのか、といった疑問が浮かぶのは当然のことと思われる。その答えはユダヤ、キリスト教に由来する悪魔の原型となったのがギリシャ神話の「牧神パン」であるためだ。バフォメットはパンの悪魔化をストレートに表現したタイプである。
ギリシャ神話においてあまり大きな権限を与えられていないパンだが、別名をアイギパーン(山羊のパン)ともいい、はっきりしないものの起源のかなり古い自然神であるらしい。ホメロス讃歌によれば、その名前は「凡て(すべて)」を意味しており、このパン(pan)とサンスクリット語の「凡(パンと発音する)」は語源が同一と言わる。インドの太陽神プーシャンがルーツという説もある。
ブルタコスは「神託の欠陥」において「キリストが十字架で死に、神殿の幕が裂けたとき『大いなるパンの神は死んだ』と叫ぶ声が世界に轟いて、古代の神託所は沈黙した」と書いており、これは古代の秘儀の終わりと、新しい秘儀の始まりを象徴している。つまり新旧宗教の対立構図である。
パンの性格は好色かつ放埓であったため、後代――とくに貞操観念に厳しい唯一神教の支配が強まるにつれ、いかがわしい存在の代表格となり、また人でも獣でもない不完全な外見も(できそこないの創造物である)悪魔の金型として採用された。さらに彼が裸の妖精たちとたわむれるという伝説が、魔女のサバトの原風景となったようだ。
また古代ユダヤでは7月(太陽暦の9月)10日を贖罪の日として、クジで選んだ二頭の山羊を生贄に捧げることになっていた。一頭はその場で神のために殺され、もう一頭は民衆の罪を背負って荒野に放つ(旧約聖書のレビ記第16章の記述。「スケープゴート」の語源である。)。その果てには精霊アザゼルが待つと信じられていた。この時期のアザゼル※は、現在知られる悪魔アザゼルとは違っているらしいのだが、その役割はよく分かっていない。分かっていることは、このアザゼルも半人半山羊だったり、山羊の角があったりと山羊に強い関わりがあった、ということである。アザゼルはのちにイスラム教にも伝わり、悪魔王イブリースへ変化している。このように、山羊と西洋悪魔は何かと関係が深いようである。
※旧約聖書偽典「エノク書」の、「ラファエルによって荒野に追放された」という話のあたりと思われる。
関連項目
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