ヒサトモ単語

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ヒサトモ
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ヒサトモ(繁殖名:久友)とは、1934年産の日本の元競走馬繁殖牝馬である。
られた前半生と、人の都合に振り回され悲劇的に終わった後半生、そして後年起こった奇跡で有名。 

な勝ち
1937年:東京優駿大競走
1938年:帝室御賞典(秋)横浜農林省賞典四・五歳呼

概要

戦前の名種牡馬ウルソル友、はSir Martin、半に大種牡馬月友という当時の日本としてはトップクラスエリート血統の生まれ。

デビュー戦こそコケたが2連勝。クリフジの全ハツピーマイトレコードで下している。次走はダービー前の一叩きと割り切ったか2着に終わったがきっちり本番のダービーレコードで快勝。史上初のダービーとなった。
他の達成クリフジ1943年)、ウオッカ2007年)の二頭である。いずれも強いであったが、ヒサトモだって劣ってはいなかった。
ただ、ダービー後呼吸器疾患にかかりしばらく負け続けてしまった。これで評価を下げてしまっている感は否めない。
しかし呼吸器疾患が快癒すると14戦11勝2着1回3着2回と圧倒的な強さを見せている。しかも負担斤量は60~70キロ代が普通になるくらいに図抜けたを見せていた。マジキチ
強さを明すると4歳いっぱいで引退繁殖牝馬入りした。通算26戦14勝。
当時を知る人によると、「人の野を突っ走ってるようというか、天馬駆けるかのような脚は言を絶する」「クリフジも強いけど、ヒサトモの走りみたら劣るような気さえする」「ともかく、二頭ともすごい」とのこと。 

の中繁殖入りしたが、彼女脚を引き継ぐような強は生まれず、第五子を流産した後子宮内膜炎を発症し妊娠しにくくなってしまう。やむを得ず繁殖から引退馬主牧場で功労として暮らすことになった。
が、時折しも終戦後の混乱期で所有していた馬主の資繰りも悪化。農耕まで狩り出していた地方競馬を付けられ、なんと現役復帰となってしまった。
南関東に送られ2週間で5戦をこなし2勝を挙げた。16歳とはいえダービーの意地を見せたが次戦への調教を終えると崩れ落ちるように倒れ永眠した。享年16歳。かつて栄に包まれた名とは思えない悲劇的な最期となってしまった。
ちなみに16歳でのレース出走は2006年にオースミレパードが更新するまで長らく最年長記録となっていた。 

その後、彼女の血を継ぐは末っ子のブリユーリボンのみとなったがこちらも繁殖成績は振るわず、黒い霧事件馬主政治家が失脚し居場所を失う。その後も繁殖成績は振るわず、このまま消えていくのか…
そう思われたが、末裔の一頭に当たるを当時の新進馬主内村正則氏(トウカイの冠名で有名なオーナー)が購買。
脚に致命的な欠陥を持ちながら56戦し7勝を挙げたこのトウカイクインの活躍が再びヒサトモの血を表舞台へ引き上げた。内村氏はこの血統に惚れ込み、「ヒサトモの血を継ぐを買い集める、いつか大物を出してくれる」とまで言わしめたのである。
そして、トウカイクインからトウカミドリを通じて1984年オークストウカイローマンが生まれる。内村氏の想いが結実した間であった。
さらに、ローマンの半トウカイナチュラルからは敗の二冠馬トウカイテイオーが誕生した。ついにヒサトモの血統がダービーを再び取ってみせたのである。奇跡以外の形容詞を、筆者は持たない。
トウカイローマンナチュラルを筆頭にトウカイクインを経由した繁殖牝馬だけでも一時とべたらすごい数に上っている。今や滅びかけた牝系だとはも思うまい。 
人の都合により消滅しかけ、内村氏が守り育て息を吹き返したこの牝系から、いつかまたトウカイテイオーやヒサトモのような名が再び生まれる日が楽しみでならない。

血統表

*トウルソル
1922 鹿毛
Gainsborough
2001 鹿毛
Bayardo Bay Ronald
Galicia
Rosedrop St. Frusquin
Rosaline
Soliste
1910 黒鹿毛
Prince William Bill of Portland
La Vierge
Sees Chesterfield
La Goulue
*
Alzada
1923 栗毛
FNo.19-b
Sir Martin
1906 栗毛
Ogden Kilwarlin
Oriole
Lady Sterling Hanover
Aquila
Colna
1992 鹿毛
Collar St. Simon
Ornament
Nausicaa Gallinule
Verte-Grez
競走馬の4代血統表

クロスSt. Simon 5×5×4(12.50%)、Hampton 5×5(6.25%)、Bend Or 5×5(6.25%)、Galopin 5×5(6.25%)

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ヒサトモ

3 wcross
2012/03/29(木) 23:56:22 ID: eBjyJkrNe7
>>sm12522127exit_nicovideo

ヒサトモ亡骸はどうなったか判然とせず、墓標い。戦後混乱期の中に消えていった悲劇の名ですね・・・
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4 ななしのよっしん
2012/04/30(月) 22:38:30 ID: QCt2mioXDx
>>3
終戦直後の食糧難を考えれば末路は想像に難くない…。
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5 ななしのよっしん
2017/09/24(日) 11:08:02 ID: xKM6NsbzDi
ヒサトモ関西初のダービーでもある
・良馬場で行われた最初のダービー
・初代ミスターシービーも出走していた
・一番人気ゼネラルという
・その上は、あの武田文吾
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6 ななしのよっしん
2017/09/24(日) 11:11:12 ID: xKM6NsbzDi
ゼネラルの敗因はレース前の調整が軽かったためとか
・それを反面教師にして武田文吾は後年シンザンを甘やかすことなく
 三冠達成の糧にしたそうな
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7 ななしのよっしん
2018/11/09(金) 05:28:38 ID: ESvdbRMQvv
ヒサトモの最期の頃についてサニーブライアン宮崎オーナーが生前って、浦和競馬70周年記念特設サイトで見る事が出来る。
こんな状態になるまで走り続けていたとは…
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8 ななしのよっしん
2020/01/11(土) 04:50:53 ID: ign9uscY/R
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9 ななしのよっしん
2020/10/08(木) 17:44:55 ID: O3G4KVTpuH
ヒサトモが勝った第6回の日本ダービーは結構特筆ものの後日談多いな

勝ったヒサトモ中島時一騎手は調騎分離ルール施行前で調教師も兼ねていたが
戦後田舎に引っ込んで子供達にも競馬のことは全く伝えなかった
にも拘らず息子二人は相次いで自発的に騎手世界へと飛び込んでいく
そして長男中島啓之(通称アンちゃん)が騎手として初のダービー制覇を成し遂げた

1番人気で敗れたゼネラル武田文吾騎手ダービージョッキーには遂になれなかったが
調教師となってダービー優勝二冠馬コダマ三冠馬(五冠とも)シンザンを世に送る

2番人気惨敗のハツピーマイトはその、統一(※)第1回の帝室御賞典(天皇賞)に優勝
単なる変則三冠馬クリフジの全ではなく、初代の古統一王者でもある
(省略しています。全て読むにはこのリンクをクリック!)
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10 ななしのよっしん
2021/07/03(土) 08:10:12 ID: RP/0aPPE3z
よく強いの元祖はエアグルーヴと言われてるけど、それよりかに昔ヒサトモクリフジとか、戦中戦前から居たんだなあ

>>7
読んだら泣けてきた
今で言えば、ダイワスカーレットブエナビスタ地方競馬で再度走らせるようなもんか
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11 ななしのよっしん
2021/09/11(土) 14:22:58 ID: OMxcYDsnfJ
トウカイテイオーの系譜をひいてると聞いて調べたらここにたどり着いたが、そうか・・・
戦争前後の混乱に振り回されただったのか・・・
ゴールドシップ小林氏といい、内村氏といい、自分が憧れたの血統を信じたから(いっちゃ悪いが賭けるには分の悪いロマンだろうに)馬主さん達がいたからこそ、系はダメでも牝系としては古い血統が結構残ってるんだなって
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12 ななしのよっしん
2022/01/15(土) 17:17:00 ID: bph1rtu+xG
馬主内村氏は顕されるべき功績だと思うけどなあ
残念ながら馬主に対する検証は用意されていない
トウカイテイオーの顕入りでまとめられてる感
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