ファン・カルロス・フェレーロ単語

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ファンカルロスフェレーロ
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ファン・カルロス・フェレーロはスペインの元テニス選手である。

概要

ニューボールズの中心選手の一人であり、この世代のクレー担当。1999年に19歳にしてツアータイトルを獲得、この年のATP最優秀新人に選ばれる。翌2000年の全オープンでは初出場でいきなり準決勝進出。同大会では2000年2001年はいずれも優勝したグスタボ・クエルテンに準決勝で敗退、2002年アルベルトコスタに敗れて準優勝となかなか先輩クレーコーターに勝てなかったが、時間の問題と思われていた。2003年マーティンフェルケルクを下して遂に優勝。この年は全オープンでも準優勝してランキング1位も経験している。同年ウィンブルドン優勝ロジャー・フェデラー、全オープン優勝アンディ・ロディックと共にツアーを引っっていく存在になると思われていたが、2004年以降は故障や病気もあって停滞してしまう。2003年のマドリッドのあと、次に優勝できたのは2009年カサブランカ、その間準優勝が6回。これには全オープン優勝の達成感でハングリーさが失われてしまったのでは、というもあった。四大大会でも2004年の全オープンが最後の準決勝進出、以降は類の強さを見せていた全オープンでも4回戦に残れず、ウィンブルドンで2回ベスト8があったのみだった。2010年にはツアー3勝を挙げてやや持ち直したものの大きなタイトルく、2012年バレンシアを最後に現役を引退している。最後の優勝2011年シュトゥットガルトとなった。

細身の体から「モスキート」()と呼ばれていたが、全盛期のクレーコートの強さから「ダートデビル」の異名もとった。先輩カルロス・モヤと並んでクレーのテニスを攻撃的に進化させた選手として評価されることが多い。全盛期は短かったがクレーコート勝率はそれでも72%と高い部類に入る。この勝率は全オープンで複数回優勝しているクエルテンやセルジ・ブルゲラ、1回優勝のモヤ、現役のクレー巧者だとダビド・フェレールよりも高い。日本ではイケメン子選手として女性人気が高かった。

テニスファンの浅い人にはフェレールと混同されることが多かった。全盛期の頃はまだフェレールランキングが低かったため、「フェレール?フェレーロじゃなく?」という扱いだったが、キャリア後半では逆転されてしまった。故障の怖さを教えてくれた選手と言えるかもしれない。引退後は、というか現役当時から実業として活動しており、ホテル経営やテニスアカデミー運営をしている。アカデミーには現役ではニコラス・アルマグロが所属している。引退後、これらの活動以外はあまり情報が流れていなかったが、2015年7月4日結婚したことが公式Twitterで報告された。2017年途中からアレクサンダー・ズベレフ営にコーチとして加わったが、こちらは1年未満の短期間で関係終了した。サーシャの遅刻を暴露するなど、かなり険悪な関係解消だった模様…。

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1 ななしのよっしん
2015/12/09(水) 06:56:43 ID: dQhBIcBxw1
たまたま検索したら、ニコニコで記事があってびっくり!
テニスやってたころ好きだった選手だわ。
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