ファン・カルロス・フェレーロはスペインの元テニス選手である。
概要
Juan Carlos Ferrero | |
基本情報 | |
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国籍 | スペイン |
出身地 | スペイン:オンテニエンテ |
生年月日 | 1980年2月12日 |
身長 体重 |
183 cm 78 kg |
選手情報 | |
利き手 | 右 |
バックハンド | 両手打ち |
デビュー年 | 1998年 |
引退年 | 2012年 |
テニス選手テンプレート |
ニュー・ボールズの中心選手の一人であり、この世代のクレー担当。1999年に19歳にしてツアー初タイトルを獲得、この年のATP最優秀新人に選ばれる。翌2000年の全仏オープンでは初出場でいきなり準決勝進出。同大会では2000年と2001年はいずれも優勝したグスタボ・クエルテンに準決勝で敗退、2002年はアルベルト・コスタに敗れて準優勝となかなか先輩クレーコーターに勝てなかったが、時間の問題と思われていた。2003年にマーティン・フェルケルクを下して遂に優勝。この年は全米オープンでも準優勝してランキング1位も経験している。同年ウィンブルドン優勝のロジャー・フェデラー、全米オープン優勝のアンディ・ロディックと共にツアーを引っ張っていく存在になると思われていたが、2004年以降は故障や病気もあって停滞してしまう。2003年のマドリッドのあと、次に優勝できたのは2009年のカサブランカ、その間準優勝が6回。これには全仏オープン優勝の達成感でハングリーさが失われてしまったのでは、という声もあった。四大大会でも2004年の全豪オープンが最後の準決勝進出、以降は無類の強さを見せていた全仏オープンでも4回戦に残れず、ウィンブルドンで2回ベスト8があったのみだった。2010年にはツアー3勝を挙げてやや持ち直したものの大きなタイトルは無く、2012年のバレンシアを最後に現役を引退している。最後の優勝は2011年のシュトゥットガルトとなった。
細身の体型から「モスキート」(蚊)と呼ばれていたが、全盛期のクレーコートの強さから「ダートデビル」の異名もとった。先輩のカルロス・モヤと並んでクレーのテニスを攻撃的に進化させた選手として評価されることが多い。全盛期は短かったがクレーコート勝率はそれでも72%と高い部類に入る。この勝率は全仏オープンで複数回優勝しているクエルテンやセルジ・ブルゲラ、1回優勝のモヤ、現役のクレー巧者だとダビド・フェレールよりも高い。日本ではイケメン貴公子選手として女性人気が高かった。
テニスファン暦の浅い人にはフェレールと混同されることが多かった。全盛期の頃はまだフェレールのランキングが低かったため、「フェレール?フェレーロじゃなく?」という扱いだったが、キャリア後半では逆転されてしまった。故障の怖さを教えてくれた選手と言えるかもしれない。引退後は、というか現役当時から実業家として活動しており、ホテル経営やテニスアカデミーの運営をしている。アカデミーには現役ではニコラス・アルマグロが所属している。引退後、これらの活動以外はあまり情報が流れていなかったが、2015年7月4日に結婚したことが公式Twitterで報告された。2017年途中からアレクサンダー・ズベレフの陣営にコーチとして加わったが、こちらは1年未満の短期間で関係終了した。サーシャの遅刻癖を暴露するなど、かなり険悪な関係解消だった模様…。
主な実績
- ATPランキング1位(在位8週)
- 2003年全仏オープン優勝
- 2002年全仏オープン準優勝
- 2003年全米オープン準優勝
- 2002年マスターズカップ準優勝
- シングルス通算優勝回数 16回
- シングルス通算マッチ成績 479勝262敗
関連動画
関連項目
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