フランツ・クサヴァー・シャルヴェンカ(1850~1924)とは、クラシック音楽の作曲家、兼ピアニストである。
概要
1850年プロイセン領のザムター(現ポーランド領シャモトゥウィ)に生まれた。この地は複雑な民族的構成を持っており、シャルヴェンカ自身もボヘミア系の父方とポーランド系の母方という家族構成の下に生まれている。
父親が建築職人だった一方母親は音楽に興味を持っており、兄・フィリップと一緒にほぼ独学でピアノを勉強することとなった。
父親の事業の失敗とより高い教育を受けるために1858年にはポーゼン(ポズナニ)に移りギムナジウムに通いつつも音楽の勉強は続けていく。
さらに1865年には父親の職探しのためにウィーンに移る。このころからようやくシャルヴェンカは音楽家を目指すようになり、兄弟でチェルニーの弟子でリストの兄弟弟子であったテオドール・クラックの新音楽アカデミーに入学した。
父親の職探しもあって苦しい生活も続いてはいたものの、学生を終えると教壇に立ち指導者・さらに作曲家として次第に活躍するようになる。このころから次第に晩年のリストとも交流を持つようになり、彼の家で演奏などを行っている。
1881年にはついにシャルヴェンカ音楽院をベルリンに設立、さらに1891年にはニューヨークに分校を建てた。2年後にはリストの弟子であったクリントヴォルトの音楽院と合併し、クリントヴォルト=シャルヴェンカ音楽院となったそれは、一時期はドイツ最大の音楽院と呼ばれるほどまで成長し、ボルトキエヴィチなども教壇に立っていた。
しかしやがてニューヨークからベルリンに戻り、そのまま同地で亡くなった。
作曲家としてはほとんどピアノ曲にささげ、ポーランド舞曲などを題材にした親しみやすい旋律とリズミカルな音楽に定評がある(というかショパンっぽい)。
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