ホイペット(Whippet)とは、第一次世界大戦で英国軍が使用した戦車である。正式名称はMk.A中戦車。イギリス原産の犬の品種名からとられた愛称であり、発音としては「ウィペット」に近いが日本では本車を指す場合この表記が何故か一般的である。
斜め後方より観たホイペット。2012年秋アニメ「ガールズ&パンツァー」より。
概要
塹壕突破兵器であるMk.Ⅰ戦車の開発者、ウィリアム・トリットンによって次に開発された、Mk.Ⅰと対になる高速追撃用戦車である。Mk.Ⅰ系列の戦車よりはるかに小さく、そしてはるかに高速であり、追撃戦においてその真価を発揮した。戦後も治安維持任務や海外販売でいくらかが命脈を保っている。
開発の経緯
1916年9月、第三次ソンム会戦において初陣を飾ったMk.Ⅰ戦車は当初の想定通りにドイツ軍陣地を蹂躙、戦車の有用性を証明するに至った。しかし計画では60両のMk.Ⅰが投入されるはずが、輸送中のトラブルやエンジン故障、砲弾によってできた穴におっこちて擱座する等で実際にドイツ軍陣地に突入できたのはわずか9両だけだったという、喜んでいいのやら悲しんでいいのやら微妙な状況だったりもする。
さて、この初陣を踏まえてMk.Ⅰ戦車の開発者、ウィリアム・トリットンは新しい戦車を考案していた。塹壕を越えることを最優先して大型化した結果、人間の早足程度の速度が限界のMk.Ⅰだけでは塹壕は突破できても肝心の敵軍の撃滅は不可能であり、敵軍は落ち着いて後退しまた塹壕を掘り直せばいいだけである。そこで、Mk.Ⅰが敵の塹壕線を切り開いた後に敵陣に突入し退却する敵軍を追撃して撃滅する、新しい戦車が必要であるというアイデアである。「確かにその通りだ」と軍もこの意見に賛同し、仮称「トリットン追撃車」、後にMk.A中戦車「ホイペット」として採用される戦車の開発がスタートしたのである。
特徴
全長10m弱、幅4.3m、全高2.4mという現代の主力戦車級かそれ以上の図体であるMk.Ⅰ戦車に比べてはるかに小さい、全長6m・全幅2.6m・全高2.75mという小柄なサイズがまず特徴である。重量もほぼ半分の14tであり、これをロンドンバスの45hpエンジン2台で駆動させている。方向転換は一方のエンジンを止めてもう一方のエンジンを吹かす方式であり、特にエンジン間の同調がとられていたわけでもないので直進するのは非常な熟練が必要であった。また操作系も脆弱で強引な操作はすぐに破損を招いたとされる。ちなみにMk.Ⅰ戦車同様にサスペンションは無く、路面の凸凹がそのまんま乗員を激しくシェイクする構造であった。そのため14tの車体を合計90馬力のエンジンで動かすにも関わらず、最大速度は13km/hちょいと馬力と重量の割には振るわない。とはいえ徒歩の兵士よりは明らかに早く、後退する敵を追撃するという本車の目的としては充分であった。
車体前方にエンジンと燃料タンク、その他機械類が配置された機関室を持ち、後方にきちんと隔壁で分離された、操縦手・車長・機関銃手が乗り込むスペースが用意されている。装甲は機関銃に対抗できる14mm厚が全周に確保されており、これもまた後退する敵を追撃するという目的としては充分な防御力である。
攻撃力は車体後部にそびえたつ角柱状の戦闘室から四方に突き出した7.7mm機関銃に依存しており、中で機関銃手(と、しばしば車長)が撃ちたい方向に設置された機関銃の前に立って撃つという方式だった。この4丁の7.7mm機関銃は容易に取り外しと入れ替えができたため、時には機関銃を1丁降ろしてスペースを空け、車長・機関銃手・副機関銃手の3名で3丁の機関銃を撃ちまくるような使い方もされたという。
戦歴、そしてその後
1917年2月に試作1号車が完成、1917年中に生産準備が進められ翌1918年3月、ドイツ軍最後の大攻勢のさなかに初陣を飾ることとなった。機関銃しか装備していないためにドイツ戦車と出くわした場合は逃げる以外なにもできず、4月24日には世界で二度目の戦車戦に立つことになりドイツ軍のA7Vの前に一両が撃破されている。とはいえA7Vは総生産数20両ちょいであり、むしろ出会えたことのほうがよっぽど奇跡かもしれない。
その一方で本来の追撃用戦車としては想定通りの大活躍を示し、上記の件と同日である4月24日には7両のホイペット中隊が行軍中のドイツ軍二個歩兵連隊への襲撃を敢行、ドイツ側は壊乱して400名以上の死傷者を出した記録が残っている。8月の連合国軍の大攻勢・アミアンの戦いにおいてもドイツ軍防衛線を突破して浸透に成功、前線に砲撃支援を続けていたドイツ軍砲兵陣地に殴り込みをかけて大戦果をあげることに成功している。
ホイペットの成功は強烈な成功体験としてイギリス軍のみならず全世界の陸軍に周知されることとなり、戦間期の戦車開発はほとんどの国において「前線突破用の鈍足重戦車」「追撃・戦果拡大用の快速小型戦車」の二本立てを理想として行われることになった。イギリスもこれを「歩兵戦車」「巡航戦車」として1930年代なかばにはっきりと位置づけた戦車開発を行いながら第二次世界大戦を迎えることとなる。
なお、日本にもホイペットは販売されており、最初期の帝国陸軍戦車部隊を支える重要な存在となった。またアイルランドでの治安維持任務や、ロシア革命後の白軍への支援物資としても使用された記録が残っている。ロシアに渡ったホイペットは赤軍に捕獲され、1930年代に入るまで現役を務めたとのことである。
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